ノート:仏陀再誕
この記事は2010年5月5日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
教典と経典
[編集]幸福の科学で、「経典」との呼び方が多いが、ここでは、
- 伝統的仏教の作法のように読誦(どくじゅ)するものを「経典」とする。正心法語、祈願文など。
- その他、教えが書かれている普通に読む書籍を「教典」とした。--Kengaku 2009年9月15日 (火) 16:25 (UTC)--Kengaku 2009年9月23日 (水) 05:29 (UTC)
- Samghaです。「教典」という言葉の使用をやめ「経典」に一本化したいのですが、どうでしょうか。わたしの考えでは、「幸福の科学の経典」との呼び方をここWikipediaでも使用して問題ないと思いますがいかがでしょうか。ご意見をお伺いします。よろしくお願いいたします。--Samgha 2010年1月13日 (水) 13:20 (UTC)
特筆性
[編集]- Wikipedia:特筆性の項目の冒頭には「日本語版の公式な方針あるいはガイドラインの草案です。現時点ではまだ拘束力はありません。」とあります。
- 「仏陀再誕」については、一般劇場用の映画化をもって、「特筆性」の立証になります。幸福の科学とは異なる一般の会社「東映」そして幸福の科学とは全く関係ない「一般の映画館」によって一般公開されることが「特筆性」にになります。
- 書籍『仏陀再誕』については、1989年の11月12月にベストセラーになり「特筆性」に値します。これで書籍取次の東販(現トーハン)日販の週報に掲載され、さらにこの情報が各種マスコミ新聞・雑誌・テレビ・ラジオにて報道されています。1994年11月の書籍改訂版発売時にも同様に、トーハン・日販の週報に掲載され、ロングセラーとして認められました。--Kengaku 2009年10月16日 (金) 13:41 (UTC) なお、新聞の日付等の情報を縮刷版などで調べて提示します。--Kengaku 2009年10月16日 (金) 15:16 (UTC)
- 勘違いしておられる方がいますので、「特筆性」について明示します。Wikipedia:特筆性の項目には、「記事の扱っている主題は、特筆性があるもの、すなわち言及するに値するもの、でなければなりません。」とあり「記事内容に対する直接的な制限を行なうものではありません。」とあります。すなわち「特筆性」を問うのは項目自体で、記事内容のことではないのです。ですから、項目が特筆性を満足すれば、中の記事ではどんな些細な情報でも(中立的な観点、検証可能性、独自研究は載せないということなどを満足していれば)記述することができます。--Kengaku 2009年10月18日 (日) 10:07 (UTC)
- 他のルールもちゃんと読んでらっしゃいます?--彩華1226 2009年10月18日 (日) 13:26 (UTC)
映画批評
[編集]著名な映画監督や権威ある映画雑誌による批評であれば載せてもいいかと思いますが、列挙されてる批評がそれに値すると思わないですので削除した方がよろしいのではないでしょうか?何より転載すると著作権的にも問題が出てくる可能性があるかと。--221.184.141.203 2009年10月18日 (日) 18:09 (UTC)
- まだ一般公開中・上映中の映画なので、新たな批評の追加で「羅列・列挙」の状態になってしまいましたが、公開終了後のしかるべきの時期に整理して、「アニメ映画」の項目の冒頭の中に記述しておこうと思います。--Kengaku 2009年11月5日 (木) 06:58 (UTC)
先日から続く編集合戦について
[編集]私の編集が先日よりKengaku氏により差し戻しされているようですが、明確な理由を説明願えますでしょうか?といきなり言うのもなんなので、まずは私の編集した箇所と理由を説明させて頂きましょう。
- 教典内容
- →「概要」では無く「内容」ですか?それってつまりWikipediaに教典の内容を転載したという事でしょうか?Wikipedia:著作権をご一読する事をお勧め致します。Wikipediaはを教典の内容をかき集めたデータベースか何かと勘違いしていませんか?
- 法話
- →「上記書籍の内容をはるかに超えたスケールのもと、21世紀以降の全人類の運命の如何を決めるという新文明建設の第二の創世記となる現代に、決然と立ち人類救済の時を告げている。」 強調した部分は百科事典としては到底相応しいとは言えない文章だと判断しました。はるかに超えたスケールであるかどうかは視聴者が決める事であり、一百科事典であるWikipediaにそのような主観的意見を載せるのは不適当です。後者もどうしてもこの内容を書きたいのならもっと適切な表現方法があると思います。
- 漫画版『仏陀再誕』
- →「実はそれは現代に生きる私たち自身の記憶の底にある「生命の歴史」といってもいい内容」 反吐が出ます、Wikipediaを読書感想文を寄稿する場所か何かと勘違いされてませんか?「この漫画の内容は生命の歴史だ!」等と主張しているバカ記事は他に類を見ませんよ。
尚このセクションの冒頭でKengaku氏の名前を出していますが、上記参項目の執筆者が全てこの方だと言いたいわけではありません。ただ私のこの編集に異論があるようでしたので名前を出させて頂きました--124.154.154.135 2009年10月19日 (月) 12:20 (UTC)。
- Kengakuです。汚い言葉を使わないようにして、正しい言葉使いをお願いします。
- 221.184.141.203Karariさんの2009年10月18日 (日) 18:31の「映画批評」編集はどのように思われますか?それさえも消し去るのはどうしてですか?この消去は不当です。
- 「内容」を要約、または抜粋して記述することは許されるはずです。「内容」に関する記述があなたの理解を超えているとしても、そのような「教典・法話・漫画の内容」なのですから仕方ありません。私個人の「主観的意見」ではなく、そういう「内容」なのです。宗教とはそういうものなのです。Wikiに載せる載せないの判断は、あなたの「理解できるか出来ないか」の判断でなされるものではありません。「Wikipediaにそのような主観的意見を載せるのは不適当です」というのは、内容の記述を私個人の意見ではないかとしたあなたの勘違いです。
- 漫画版『仏陀再誕』についても「・・・といってもいい内容」の記述は、私の「読書感想文」ではなく、その本の「前書き」からの要約・抜粋です。「前書き」に「こういう漫画の内容ですよ」という記述を持ってきただけです。これもまた あなたの勘違いです。
- 結局、この編集合戦の原因は、宗教とは「どういうものか」を知らないことによるものと、原典記述を私個人の「主観的意見」と勘違いしたこと。この2点によるものです--Kengaku 2009年10月19日 (月) 17:08 (UTC)
- なるほど、それではKengaku氏の主張が全面的に正しいとして話を進めたいと思います。
- 映画批評に関してですが、Karariさんの編集も含めこの項目は百科事典には不要と判断したからです。必要だと仰せられるのならば、どうぞWikipediaの検索機能を利用して「映画批評」を検索してみてください。単独映画の記事において映画批評等という項目を設けている記事は仏陀再誕のみである事が良く分かると思います。映画の評価に関する記述が百科事典において必要な理由は逆に何でしょうか?
- 「抜粋」であれば著作権に触れないとでも仰せられるのでしょうか?「教典・法話・漫画の内容」だからこそ問題である事を理解しましょう。「許されるはず」だなんて曖昧な判断で不透明な編集をしないでください。
- 今は既に編集されているようですが、前書きからの要約抜粋であるのなら何故それを明記しなかったのですか?出典の明記や引用など、必要な事を省いておいて「勘違いするな」とは少々乱暴過ぎやしないでしょうか?
- そうですね、この編集合戦の原因は、宗教とは「どういうものか」を知らないことによるものと、「必要な表記を省き、無駄な内容ばかり増やす乱暴な編集」、この2点によるものだと思います--124.154.154.135 2009年10月20日 (火) 01:29 (UTC)
「幸福実現党」を編集したことのある者です。Kengakuさんの記述は、124.154.154.135さんの指摘どおり、主観的記述が多いと思いますよ。
「幸福実現党」で「憲法20条の政教分離原則に対する党としての見解は表明されていない」となっていたのを私が最初に修正しました。その箇所は今もほぼそのままなので引用すると
「2009年6月5日の記者会見で質疑応答時に大川きょう子により表明された。大川きょう子によれば、第20条の趣旨は「国家が特定の宗教を弾圧してはいけない」ということであって、宗教が政治に関与することを否定するものではない、ということである。宗教家(の妻)が政治家になってはいけないのならと言い換えた上で、それは憲法が定める職業選択の自由に反するとも主張した。」
かなり回りくどい書き方をしているのがなぜかわかりますか?なぜなら、ウィキペディアは百科事典だからです。事実かどうかだけではなくて、客観性と検証可能性を重んじる必要があるからです。「幸福実現党の存在は、憲法20条に抵触しない。なぜなら、20条の趣旨は国家が特定の宗教を弾圧してはいけないということであって、宗教が政治に関与することを否定するものではないからである」と書けば簡単ですし、私自身はそのとおりだと思いますが、おそらく議論を巻き起こすことになるでしょう。で、反論してきた人に「あなたの憲法理解が足りないからだ」と論戦しても不毛なところがあります。--Circodelsol 2009年10月20日 (火) 02:07 (UTC)
もっと端的でわかりやすい例を出しましょう。ウィキペディアに「大川隆法は再誕の仏陀である」と書くことの是非はいかに。事実かどうかだけが問題じゃないことがよくわかるでしょう。「既に500冊以上の本を刊行した」「その内容を見れば仏陀であることがわかる」「インドでは内容で判断して仏陀だと認める人が現れはじめている」「あなたの仏教理解が足りないだけ」「あんた、操念会の人だろう」なんて論戦をしても不毛です。
こんなことをしていると、宗教が嫌われる・ウィキペディアの宗教項目が敬遠される原因になります。百科事典である以上、「大川隆法は、自分が再誕の仏陀だとしている」ぐらいの表現にすべきです。--Circodelsol 2009年10月20日 (火) 02:19 (UTC)
もう1点補足。「大川隆法は再誕の仏陀である」と書くことが絶対に許されないと言っているわけではありません。幸福の科学が世界宗教になって、大多数の人が再誕の仏陀と認めるようになったときには「再誕の仏陀である」と断定的に書いていいことになります。
kengakuさんの投稿履歴を見ましたが、あちこちで注意を受けていますね。それでも自分の非に気づいたときには潔く謝っている点は好感が持てますが。--Circodelsol 2009年10月20日 (火) 04:45 (UTC)
- Circodelsol さん、補足ありがとうございます。私の言いたい事を上手く代弁して頂けていると思います(言いたい事は他にも山ほどありますが)。
- Kengakuさんへ忠告をしておきますが、「ノートページで主張をするだけしてリバートを実行するのはやめてください。」これでは私がノートページへ議論の場を移した意味がありません。ノートページで形だけの議論をすれば編集合戦扱いにならないと思いですか?議論が纏まっていないのにも関わらず即リバートは投稿ブロックの対象ともなり得る行為です。--124.154.154.135 2009年10月20日 (火) 05:56 (UTC)
- Kengakuです。夜の自由な時間になったのでようやく書き込みができます。Circodelsolさん、丁寧な説明で説得をされる態度、ありがとうございます。124.154.154.135さんも落ち着いた言葉で書かれているようなので安心します。 ノートでの対話・論議で本項の記述をより良いものにしてきたいと思います。私の拙い文章では読んでいる人が気分を害すのもごもっともです。また、「宗教とはそういうものなのです」という開き直りはまずかったと、反省しております。強引なリバートはもう致しません。スミマセンでした。
- では本文についてですが、どのように変えてゆけばよろしいでしょうか。いらないから「消す」とか、不適切だから「消す」というというのは出来ればやめていただきたく思います。「内容」を理解するうえで「こういう文章を付け加えれば百科事典としての記述になる」など編集の方向を話し合えたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします。--Kengaku 2009年10月20日 (火) 11:31 (UTC)
- ここはウィキペディアです。ウィキペディアの指針から見て不適切なら、削ったり訂正されるのは当然ですし、避けてはならないことだと考えます。KengakuさんにはWikipedia:検証可能性、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに目を通していただき、それからTemplate:Jesusから飛べる、様々な視点からのイエスについての記述を読むことをお勧めします。ウィキペディアに置かれる記事に必要な、中立的な書き方、ワンクッションの置き方の参考にしてもらえればと思います。--波定 2009年10月22日 (木) 17:00 (UTC)
- 波定さん、ありがとうございます。Template:Jesusを読みました。たいへん参考になる内容であり、感謝いたします。この学びを生かし、よく注意して記述致します。--Kengaku 2009年10月26日 (月) 13:51 (UTC)
- 2009年10月22日以来、このノートへの参加が途絶えてしまいましたが、他にご意見が無ければ「観点」のテンプレートを外したいと思いますが。いかがでしょうか。--Kengaku 2009年11月5日 (木) 06:58 (UTC)
- 波定さん、ありがとうございます。Template:Jesusを読みました。たいへん参考になる内容であり、感謝いたします。この学びを生かし、よく注意して記述致します。--Kengaku 2009年10月26日 (月) 13:51 (UTC)
- ここはウィキペディアです。ウィキペディアの指針から見て不適切なら、削ったり訂正されるのは当然ですし、避けてはならないことだと考えます。KengakuさんにはWikipedia:検証可能性、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに目を通していただき、それからTemplate:Jesusから飛べる、様々な視点からのイエスについての記述を読むことをお勧めします。ウィキペディアに置かれる記事に必要な、中立的な書き方、ワンクッションの置き方の参考にしてもらえればと思います。--波定 2009年10月22日 (木) 17:00 (UTC)
その前に変えるべき部分があります。漫画の節の「まえがきより」がどこからどこまでの範囲の文章からかを分かるようにするか、wikipedia的な概要文に書き直すこと。外部リンクから「仏陀再誕の予言」を外し、画像も除去すること。書籍、映画としての「仏陀再誕」と直接関連がないなら、この項目に置いておく理由はありません。もし書籍版、映画版でアジャンターの壁画を結びつける記述、描写がある場合は、アジャンターの壁画の八番目に描かれた図像を、大川隆法氏(または空野太陽)と結び付けている、という書き方に改めます。他の方々の意見も伺いたいですね。--波定 2009年11月10日 (火) 02:44 (UTC)
- ありがとうございます。--Kengaku 2009年11月10日 (火) 03:03 (UTC)
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[編集]「幸福の科学と関係ない有名な声優」を起用した映画となっています。もう少し2次資料が欲しいところですが、特筆性タグは除去で良いと思います。--JapaneseA(会話) 2017年9月25日 (月) 06:52 (UTC)