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ノート:人種

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容貌画像

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画像が人種別の犯罪者の画像になっています。他にありませんか? --125.0.63.132 2006年11月24日 (金) 04:45 (UTC)[返信]

聖地云々

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IP:60.45.69.94会話 / 投稿記録 / 記録 / WhoisIP:210.20.96.116会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois同じ方でしょうが、創世記にはノアの箱船の物語が記されているだけで、トルコの山をアララト山と名付けたりは後付けです。創世記に聖地などとは記されていないでしょう。聖地としているのはアルメニア人やクルド人であってキリスト教徒一般ではありません。また人類集団の分化した地域はそれぞれ比較的に隔絶された地域であっても「原初の居住地」などではありません。創作しないで下さい。--johncapistrano 2008年6月29日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

日本人に宗教的な話題は分かりにくいでしょうが、アララト山及びコーカサス地方はキリスト教徒にとってはまさに聖地で社会的常識です。例えば、エルサレムがユダヤ教の聖地であること等、社会的常識に出典は不要でしょう。
また、人類集団を地域集団名で呼ぶ場合、その居住地域は約1万年前を基準とします。なぜなら、人類史に残る最後の大規模な移住が起こったのが、約1万年前までに起こったとされるモンゴロイドのアメリカ大陸移住だからです。
この時代以降の居住地を基準とすると、例えば今の北アメリカ大陸はコーカソイド及びネグロイド中心になってしまい不適切です。つまり、約一万年前の居住地域(=原初の居住地域)を地域集団の分類の基準とする、これが現在の人類学の基本です。--以上の署名のないコメントは、210.20.96.116会話/Whois)さんが 2008年7月6日 (日) 02:11 (UTC) に投稿したものです。[返信]
あなたの「常識」は不要です。それを常識だと主張するのであればそうした出典を示して下さい。また出典を挙げる振りをして自分の主張を盛り込むのは出典の不正利用でウィキペディアでなくとも許されないことです。約一万年前を集団の分化の基準に考えているのはまあ分かりますが、人種論の中でそれを「原初の居住地」とするのは明らかに不適切です。--johncapistrano 2008年7月6日 (日) 02:22 (UTC)[返信]

アララト山がキリスト教では聖地であること、及び、人類集団を地域名で呼ぶ場合約一万年前の居住地域を基準とすることは、それぞれ出典(それも著名な人類学者&社会学者の)が明記されております。 ということで、この議論は「聖地」および「1万年前の居住地域」を通説とすることで問題ないと思います。 --以上の署名のないコメントは、59.171.16.44会話投稿記録)さんが 2009-03-03 14:32:04 (UTC) に投稿したものです。

日本人の項目にアイヌ人と琉球人が含まれていないのはなぜか?

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日本人の項目にアイヌ人と琉球人を加筆したら削除された。 なぜこれらの人々を日本人に含めたらいけないのか? 彼等はれっきとした日本人であり、あなたの意思によって含まれたり除外されたりするべきではないはず! --以上の署名のないコメントは、Poikon会話投稿記録)さんが 2008年8月25日 (月) 09:24 (UTC) に投稿したものです。[返信]

日本人に含まれると言う事であれば、わざわざ分けて書く必要は無いでしょう。「日本人」と言う記事が御座います、詳細はそちらで記述済みです。--スミス16号 2008年8月25日 (月) 12:05 (UTC)[返信]
日本人がモンゴロイドであると言う事であれば朝鮮から来ただとか中国から来ただとか出身地別に書く必要も無いでしょう。日本人の詳細は「日本人」と言う記事が御座います。Poikon 2008年8月25日 (月) 12:56 (UTC)[返信]
え~っと、論点がズレまくりなんですが、まあそれで良いです。--スミス16号 2008年8月25日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

日本人は各モンゴロイドの混血」などという意味不明な文を除去。旧モンゴロイドや新モンゴロイドというのは形質的なものであり、遺伝的な差はないというのが学説。混「血」というのはおかしな表現であり、除去。いわゆる「日本人」はモンゴロイドであり、それ以上でも以下でもない。--210.252.200.172 2008年8月30日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

「人種」間の遺伝的距離は地理的距離に比例する?

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ここで比例するという言葉が使われていますが、相関があるの誤りではないでしょうか? ちなみに「遺伝的距離」は定量化できる概念で2つの座位間で起きる交差の回数の期待値と定義されます。 単位はM(モルガン)を使います。地理的距離という概念もわからないのですが、これが直線距離を 指すのだとすると比例するとは到底思えません。--H335 2008年9月22日 (月) 18:47 (UTC)[返信]

もう少し、最新の情報で記しては?

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本文の人種分布地図は、トマス・ハクスリーによる人種の地理的分布 (1870年)によるそうです。明治時代初めの情報ですね。もっと新しい情報が流れ飛んでいます。どうぞ、本文の地図は削除してください。管理者様へ。--126.81.80.4 2008年11月26日 (水) 15:23 (UTC)[返信]

カギ括弧を外したことについて

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理由ですが、

  1. 冒頭で、生物学的にはネアンデルターレンシスやサピエンスを人種と呼ぶとありましたが、これらは普通は種(Spiecies)であり人種(Race)と呼ばれることはないと思います。
  2. 本文中で用いられている人種は全て通俗的な意味(カギ括弧付き)の人種であり、カギ括弧有りと無しを区別する必要がなさそうであった。

です。遺伝学的な人種と外見上の差に基づく「人種」は区別する必要がありそうですが、遺伝学的な区別では”人種”よりも”民族集団”などを用いる方が一般的な気がします --Mo-rin 2009年4月22日 (水) 09:35 (UTC)[返信]

モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイドの編集

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モンゴロイドネグロイドコーカソイドにおいて、人種は非科学的である[1][2][3]との編集を繰り返されておりますが、現実に身体上の類似性をもつ人類集団がおり、それが地域的に分布する現状を無視することはできず、人種を非科学的なものとして切り捨てることできません[4][5][6]。確かに厳密な意味での生物学的分類概念ではありませんが、そのことをわざわざ冒頭部で強調する必要はなく、概要の項あたりで説明すべきでしょう。--ABCEditor会話2016年9月5日 (月) 22:08 (UTC)[返信]

議論へのお誘いありがとうございました。人種概念の科学的有効性については、確かに支持する学者と支持しない学者の間で議論があるようですね。では、あなたがこの概念を支持する論拠として引かれる多賀谷昭氏の論文をたたき台にしましょう。[7]
多賀谷氏は、人種を生物学上の亜種のように、一群の人間集団を他と異なる集団に区別する「分類学上の概念」とは考えていません。(pp.501-502)氏によれば、俗に人種分類とされる「モンゴロイド」等の名称は、「生物学の慣例に従った単なるラベルであって、先取権の原則を適用した結果もちいられているもの」です。(p.508)つまり、地理学上の「アジア」「ヨーロッパ」などと同じく、過去の学者の命名に従って、これまで慣習的にそう呼ばれカテゴライズされてきたものを、あくまで便宜上のネーミングとして踏襲しているだけに過ぎません。氏はまた、日本でも一部の自然人類学者は「モンゴロイド」概念の有用性を認めるが、それは「個人や集団の分類可能性を前提とする欧米の(筆者:過去の)人種概念とは異なる」とも述べておられます。(p.508)一方、あなたは、「現実に身体上の類似性をもつ人類集団がおり、それが地域的に分布する」と主張しておられますね。「身体上の類似性」に地理的な偏差が存在するのはそのとおりですが、これを「人間集団」と結びつけ、それが「地域的に分布」しているという考え方は、19世紀から20世紀前半まで盛んに行われた過去の人類学にみられる「分類学上の人種概念」にほかならず、現在では否定されています。
多賀谷氏は、「世間で通用している人種の概念が、現代の自然人類学者がもっている人種の多様性の存在様式に関する認識と大きく乖離している」(p.499)と指摘しておられますが、「白人」「黒人」から「コーカソイド」「ネグロイド」にいたるまで、現在のネット上に見られるほとんどの言説が、現代の人類学界の共通理解とは無関係なものであり、(あまり喧伝したくはありませんが)「欧米中心主義」の過去の人類学の枠組みに基づいていることに無自覚な、いわば「迷信」です。これは、現在の先端的な科学の学知が一般社会には十分に滲透せず、占星術や風水など過去の「科学」がいまだに大きな力をもっている現状に例えられるでしょう。
百科事典とは、言葉を定義する辞典とは異なり、多くの人が信じ支持する説ではなく、現段階で学術的に正しいと認められる説を紹介するものです。冒頭部は、その用語の核心を端的に示すものでなければなりません。「モンゴロイド」のように、その概念自体の有効性が、学術的な疑義にさらされている概念については、冒頭部であたかも自明の概念のように提示しておいて後で補足するというやり方は不適切です。少なくとも「その分類学上の有効性は認められておらず、あくまで慣習的・便宜的に用いられるにすぎない」ことを、冒頭部ではっきりと明示すべきです。
ちなみに、英語版の冒頭でも、法医学の分野で現在も用いられていることを除けば、一般的に過去の概念と見なされると説明されています。ご参考までに。[8][9][10]
あと、あなたが書いた記事かは存じませんが、現状の本文に「コーカジアン(Caucasian)とはコーカサスとアジアの人種という意味合いで……」という文が添えられています。これはCaucasianの語源をCauca-Asianと解釈するものと理解してよいでしょうか。だとすると何かの間違いでしょう。
以上、長文失礼いたしました。ご検討の上、改訂にご理解をいただければ幸いです。
--Bodhisattva会話2016年9月7日 (水) 09:35 (UTC)[返信]

お返事ありがとうございました。 まずはじめに、「コーカジアン(Caucasian)とはコーカサスとアジアの人種という意味合いで……」という文は、私が書いたものでありませんので申し上げることはございません。

さて、人種についてですが、生物学上の亜種のように分類概念として有効ではないとされている旨は承知いたしました。いくつか私なりの考えを述べたいと思います。

人種が非科学的であり、欧米中心主義に基づいた迷信であるという意見には賛同しかねます。分類学的概念としての有効性はなくとも、各形質に基づいて地域的に人類集団をまとめた類別的概念としての人種は科学的に認められてしかるべきです。そもそも現在、人種概念を認めようとしない風潮は、人種差別の負の歴史があるからでしょう。人種差別と人種概念は明瞭に区別されなければならないにも関わらず、人種差別の原因は人種という概念そのものにあるのだという政治的な見解が人類学界に波及してしまったように思います。科学は政治に左右されてはならないのですが、こと我々人類に関してはそうはいかないようです。

遺伝学の研究からも、従来の人種とほぼ共通する人類集団の区分が導かれているものが数多くあります。分子人類学者の崎谷満氏は著書で、現生人類が出アフリカ後にとった拡散ルートとして、イラン付近からインド・オーストラリアに至る南ルート、イラン付近からアルタイ山脈付近へ至る北ルート、イラン付近からコーカサス・ヨーロッパへ至る西ルートが明瞭に区分されるとしています。これはそれぞれオーストラロイド、モンゴロイド、コーカソイドに相当します。人種は集団ではなくクライン(勾配)であるとの見方が現在の人類学界の主流のようですが、モンゴロイドとコーカソイドの形質特徴の地理的な核がそれぞれモンゴル、コーカサスに存在するの確かであり、過去において、モンゴル・アルタイ地域およびコーカサス地域に、少数の人類集団がある程度の期間、他の集団から隔絶されており、その間に独自の形質を獲得したことは確かなものと考えます。その後、完新世に各人種が分布を拡大するにつれ、中央アジアなどの接触部では人種間混血がおこり、現在のような連続的クラインを形成する状態になったのでしょう。モンゴル地域のモンゴロイド、コーカサス地域のコーカソイドなど中核部分を、鉱物学でいう端成分(en:endmember)として、中間地域は固溶体とみなすべきものと考えます。遺伝学の成果は、形質人類学が導き出した人種の概念が、あながち間違いでないことを示したといえるでしょう。過去の遺物とされやすい人種が、遺伝学の発達により再び脚光が当てられる日も近いかもしれません。

また人種は亜種ではないとされている件ですが、そもそも亜種の定義自体が非常に曖昧なものです。の定義としては生物学的種概念というものがありますが、亜種については種内における単なる形態的差異(最近では遺伝学的差異も含む)に基づいて、場合によっては恣意的に区分されているに過ぎないのです。したがって、「人種は亜種ではない」という主張自体もまた、非科学的な要素を排除できないものです。

このように現生人類の研究は、我々自身を扱うものであるため、どうしても感情論、倫理観が入り込む余地ができてしまい、適切な科学的結論に必ずしも至っていないことを指摘しておきたいと思います。歴史科学において過去の事実は一つですが、100%正しい答えにたどり着くことはありえません。ここが歴史科学の面白いところでもあるのですが、現在「正しい」とされていることは、所詮は「学識者によってコンセンサスが得られているもの」に過ぎないことを強調しておきたいと思います。

とはいえ、貴殿が編集された「分類学上の有効性は認められていない。」という記述は、確かに現状の人類学界における主流の見解であることは否定できませんので、ひとまず私としても現時点ではこの記述を容認し、本議論をお開きとさせていただきたいと思います。 --ABCEditor会話2016年9月7日 (水) 12:59 (UTC)[返信]

改訂へのご理解をいただきましたこと、御礼申し上げます。お返事の中の「現在「正しい」とされていることは、所詮は「学識者によってコンセンサスが得られているもの」に過ぎない」とのご指摘、まことにごもっともと存じます。今後の人類学の進展に期待したいですね。とりいそぎお返事まで。
--Bodhisattva会話2016年9月7日 (水) 16:00 (UTC)[返信]