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ノート:人権屋

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このページって必要なんですか

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ネット右翼の思想をそのまま書き写しただけで中立性はありませんし、人権屋という言葉はネトウヨ以外は使っていない気がします。

私も拝読して気になったところです。もちろん、障害を持つ人たちに関して、彼らの「可能性」を主張する側にも確かに「逸脱した」(=当人のためになるんだろうかという疑問を持たざるをえないような考え方の持ち主)がいるというのも事実ですが、人権の歪んだ解釈をもって飯の種に、という書き方ではそういう人たちはおろか、人権を正しく運用し、人々の本来の権利を正しく活かしたいと思っている人たちにとってもあまりにも厳しい言い方になっていると考えられます。
私個人としてはこのページ全体の削除を求めたいところですが、他の方のご意見含め伺いたいところです。
--炎のさだめのクリス会話2017年11月3日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

「殺害された人間には既に人権はない」について

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「殺害された人間には既に人権はない。生きている加害者の人権こそ守るべきである」これは2ちゃんねらーによる捏造です。正しくは「死んでしまった者には名誉以外の権利はない、権利をいうなら被害者遺族など生者の権利こそが守られるべきであろう」ですから。でっち上げはくれぐれもなさらないで下さい。--220.157.221.239 2006年12月21日 (木) 08:12 (UTC)[返信]

厳罰化は誰にたいしてメリットがあるのか

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とりあえず、わけわかんなかったので、以下の記述をカットさせてもらいました。

また、近年少年法の刑事罰厳罰化を過剰な加害者擁護と結びつけ、これの是正であるとの主張も見られる。一方で少年法の厳罰化は、あくまで更生が望めないとされる場合の処置として導入されたものであるとの主張も見られる。

みゅ。

後半については、少年法というか、もう教育刑論の話なので、今回はパス。

わけわかんないのは前半のところだ。えーと、少年法における(別に少年法に限らないと思うんだが)厳罰傾向って、「過剰な加害者擁護」とは関係ないんじゃね? 機能する可能性があるとすれば「被害者側に対する心情的救済の強化」である。しかし個別具体的な応報思想は現代刑法の前提ではなくなっているのだから、表立っては法律的にはそういう話はできない。

おそらく、「加害者に対する処遇」と「被害者の救済」を切り離して考える、という哲学が、いまひとつ一般化していないがゆえの混同なんだろうと思う。しかしな、国家が処罰権を独占した段階で、直接的な報復性はもう否定されちゃっているのであって、何か書くならそこは踏み外さないでほしいと思うのであります。そこから否定するなら、まず実社会の法律業界を変革してそれから、という順番なんじゃないかなあ。--Nekosuki600 2007年7月1日 (日) 18:15 (UTC)[返信]

死刑存廃問題に関して

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本文において「日弁連が弁護士の総意かの如く死刑廃止のスタンスを強硬に主張しており、犯罪加害者を弁護する者がすべて人権屋であると取られかねない状況になっているのも現状である。」という記述がありました。しかし反対解釈をすれば、「死刑廃止論者は人権屋である」ということになり、理解に苦しみます。死刑存廃問題は、生と死という問題と犯罪者の人権に関する問題であるのは周知のとおりですが、“廃止”の立場に立ったものがすべて“人権屋”という概念にひとくくりにされているような記述が見受けられます。これは単に価値観の問題で、どちらに賛成しようがそれは個人の正義感の問題でしかありません。したがって、「死刑廃止論者は人権屋である」という連想をさせる記述は不適切であると思料します。人権屋の定義というのは、「自らの権益を保護・増進することのために利用する者」であり、「加害者の権利を尊重する者」ではないはずです。本文に記載されるべき論題は、「被告人のための悪意的な利益につなげようとしている死刑廃止論者」であるべきです。そうでなければ、刑事被告人に与えられた“自己負罪拒否特権”や“城の法理”、“当事者主義”、“弾劾主義”という刑事訴訟法の基礎的理論はすべて“人権屋”の思想ということになります。果たしてそうでしょうか? 私論ですが、自白事件の場合において「悪意を持って権利を乱用する場合を“人権屋”」というなら理解ができますが、否認事件のような被告人の権利の重要性がかなり高まるような場合であって「正しく権利を行使しても“人権屋”」というレッテルを張るような場合が散見されているのが現状で、“人権屋”というのは結局、一元論的行為無価値論者か、応報観念を支持する者の使用する用語のように思えます。権利を濫用するものに対する反駁を装って、犯罪者の権利を認めようとしない者が都合のいいように解釈しているようでなりません。冷静な判断を求めたく思います。--以上の署名のないコメントは、219.106.3.53会話/Whois)さんが 2011年1月12日 (水) 16:55 (UTC) に投稿したものです。[返信]