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ノート:京阪式アクセント

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『当時は山を越えるよりも、むしろ船で海(大阪湾)を渡る方が往来しやすく、また徳島藩の藩主であった蜂須賀至鎮が豊臣秀吉と親しかったことから、東四国(徳島・淡路・香川)において京阪式アクセントが完全な形で浸透したと考えられる。』という部分についてですが,出典等有りませんでしょうか。--Haruharu 2007年3月28日 (水) 05:43 (UTC)[返信]

『北陸地方に京阪式アクセントが広まった背景として、北前船や北国街道によって近畿地方との経済的・文化的な繋がりが密接であったことが挙げられる』についても要出典を付けさせていただきます。--Haruharu 2008年4月18日 (金) 18:08 (UTC)[返信]

「分布」の節の後半2段落について、四国や北陸は上方と繋がりが深かったから京阪式が浸透したという趣旨の部分は、出典がなければ削除するべきではないでしょうか。そもそも学会で主流の説では京阪式が変化して東京式になったとされているので、その説によれば四国にはずっと昔から京阪式があったことになります。
加えて、「東京式の方が古いアクセントであり、京阪式は東京式が京都で独自に変化したものとする説である」の部分も、その説を唱えている学者がいれば示してください。
「京阪神の若年層では、個人によっては、京阪式と言うよりも垂井式と言った方がふさわしいアクセントに移行しつつあるとの報告がなされている。その垂井式の使用地域の若年層では、元来東京式に近いアクセントであるために、東京式に移行しつつある。」については、出典となる研究・論文などが有りましたら示してください。--Henlly2010年4月26日 (月) 10:47 (UTC)[返信]

こんなトンデモに近い記述が4年半も放置されていたのですね。トンデモというのは語弊があるとしても、学会の主流説からは大幅に外れた、俗説に近い説ではないでしょうか。「戦国時代にA藩の武将BとC藩の武将Dのつながりがあったことから、C藩の領域にA藩の方言が浸透し~」のような説は、素人受けする歴史ロマンのようなもので、ほとんどの場合は根拠がありません。

語彙は単独で伝播しやすく、地理的に隣接する地域で口伝えに広がっていくことがあります。しかしながら、語彙の分野でも、戦国武将の勢力や繋がりが反映されてどうこうというのは聞きません。北前船の影響は確かに東北の日本海側などで指摘されますが、あくまでも語彙の分野です。音韻やアクセントは体系的であるため伝播が成り立ちにくく、あるとしたら住人の大規模な移住によるものです。船による交易程度の影響でアクセントが伝播するのは非常に考えづらく、アクセントは各地で個別に変化するという面が強いものです。

また、「東京式のほうが古く、京阪式は東京式から変化した」という説も、少なくとも今は省みられていない説です。京都のアクセントの文献記録は11世紀(院政時代)からあり、かつては現代の京阪式よりも(もちろん東京式よりも)複雑なアクセントだったことが分かっています。東京式は室町時代の京阪式のような体系から派生したもので、日本祖語のアクセントは11世紀の京都のアクセントと概ね同じというのが通説です。山口幸洋は、日本祖語は無アクセントで、他言語アクセントの影響により院政期京都のような京阪式アクセントが誕生し、京阪式と無アクセントとの接触により東京式やその他のアクセントができたという説を唱えています。これ自体は少数説として記述する価値があるでしょうが、この説も東京式より前に京阪式があり、東京式は京阪式が変化したものというのは変わりません。

日本語の方言の分野は、言語学者や方言学者による、言語学的な手法を用いた学術的な研究が成果を上げている一方で、単に方言に興味があるというだけで言語学的な訓練を受けていないアマチュア方言家による根拠の薄い説、あるいは明確に間違った説を含んだ書籍も数多く出版されています。そのような書籍が書店や図書館などで学術書以上に大手を振って横行していることも珍しくありません。今問題になっている記述も、探そうと思えば容易に「検証可能な出典」を出せてしまうのかもしれませんが、このように信頼性の低い書籍も多い分野では、著者の信頼性もよく考慮しないといけないのではないでしょうか。今問題の記述については削除で構わないと思います。Enirac Sum 2010年4月29日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

問題の記述は削除しました。--Henlly2010年5月3日 (月) 09:18 (UTC)[返信]