ノート:京急武山線
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路線名のあり方
[編集]ご執筆お疲れ様でした。この(仮)武山線というのは、戦時中に建設が始まったものの途中放棄となって免許失効した衣笠~林間の鉄道のことをいっていますが、
- 当時の建設主体は「大東急」である東京急行電鉄であり、分離後の京浜急行電鉄は免許そのものは所持していたものの、建設の意欲は分離時点ですでに喪失しており、公式文書でもその免許の存在すら消し込まれているのが現状です。従って「京急」を路線名に冠することはふさわしくないと考えます。
- 「武山線」というのは、鉄道省に免許を受けた線名としては出てきません。線名は、通常開業前に命名されることが通例です。久里浜線の延長線を開業まで「三崎線」と通称していたり、最近の日暮里・舎人ライナーでも仮称は日暮里・舎人線でした。したがって、この区間の路線に関して言えば未成線である以上路線名称はなかったというのが正しい考え方で、通称・仮称等で「武山線」という名称が存在していたとするなら、そのソースなりを明記しなければならないと思います。
いずれにしろ「京急武山線」というのはあまりにも命名が拙速で、研究者に誤解を与えるものであるので、改善を希望します。--Station 2008年5月6日 (火) 09:59 (UTC)
- 鉄道ピクトリアル誌1998年7月臨時増刊号(<特集>京浜急行電鉄)では「武山線」の名称が使用されています。同誌には京急への継承後に用地買収や度重なる工事竣工期限の延長が行われたとあり、「建設の意欲は喪失」と断ずるのは早計に思います。
- それはともかくとして、執筆者氏は何を参照してこの記事を作成されたのでしょうか?文中には予想や推測と思われる表現が散見されますが、これは社史や郷土史料等でも見られるものなのでしょうか。出典の提示がなければ、私が資料を集めて一から記事を書き直したいと思います。--こまくさ 2008年5月11日 (日) 15:11 (UTC)
- そのP誌は私も持っていますが、「武山線」の名称は趣味研究者が単につけただけで、公式のものではないはずです。「俗称」とでもするのなら反対はしませんが、根拠のない名前を使用することには反対です。内容の見直しについてはお任せします。--Station 2008年5月14日 (水) 13:43 (UTC)
- 執筆者としてお答えいたします。JTBから出版されている「未成線を歩く」と言うところでは、武山線として紹介されております。計画当時、当時の湘南電鉄は「三浦半島西部縦断線・武山支線」のもようであったようです。その後、大東急時代に明らかに採算が採れないのに建設を強行、現在の県道26号線の衣笠トンネルと金子トンネルを掘削しただけで終戦、免許は京浜急行に引き継がれましたが、京浜急行は免許を失効していない段階で、神奈川県に敷地用地を売却し、現在に至ります。--Tsunoi 2008年5月26日 (月) 02:30 (UTC)
- JTBキャンブックス『鉄道未成線を歩く (私鉄編)』では「東急武山線」との扱いですね。また『京浜急行百年史』では「武山線」、横須賀市史では先に挙げた例と同様に「京急武山線」とされています。東急の社史はまだ確認していませんが、通称としては「武山線」が一般的と言って構わないでしょう。
- 免許が京急に引継がれていなければ記事名に「東急」を冠するところですが、先に述べた通り違和感が残ります。もっとも京急百年史でも戦後は武山線に関する記述がありませんが。あるいは「東急湘南線」の記事を作って武山線の記述を織り込むべきなのかも知れません。ところで「免許の存在すら消し込まれている」というのはそれ自体に記述する価値があるように思えますが、当時の鉄道要覧等で確認できるでしょうか。
- なお、軍事的な側面が強い路線で採算性ばかりに着目するのはいかがかと思います(戦後に建設が放棄された理由としては説得力がありますが)。また、築堤や橋梁の建設も進んではいたので、トンネルを掘削しただけとするのは不正確でしょう。--こまくさ 2008年5月26日 (月) 16:32 (UTC)
- すみません、消しこまれているとは、どの記述を指しているのでしょうか??(別に喧嘩腰ではなく、単純にわからないだけです・・・)--Tsunoi 2008年5月28日 (水) 02:09 (UTC)
東京急行電鉄50年史でも当該路線の計画について書かれた箇所には路線名は記載されていませんが、それとは別の車両配置転換の項にある表にて「衣笠線」との表記が確認できます。--ButuCC+Mtp 2017年4月2日 (日) 13:52 (UTC)
『京浜急行八十年史』では武山線とあります。--ButuCC+Mtp 2018年10月5日 (金) 16:23 (UTC)