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ノート:五日市憲法

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産経新聞2022年1月29日記事について

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“明治憲法、授業で歪曲か 日教組集会で実践例”. 産経新聞. (2022年1月29日). https://www.sankei.com/article/20220129-HDH4AB4VABJSLCJMO3JGMVOJWQ/ で産経新聞が五日市憲法に関する記述について思ったことがありますので、ここに書きます。

  • 「天皇が国会での議決を拒否したり、刑事裁判のやり直しを命じたりできるなど、明治憲法に比べても強権的な要素が強い」
    明治憲法では帝国議会は天皇に上奏する権限はあり、拒否権は明記はされていませんが、上奏をそのまま受け入れる義務もなかったのではないでしょうか? 天皇が刑事裁判のやり直しを命じる規定については起草者は今でいう無実なのに冤罪で有罪判決を受けた被告人の利益のために行う再審を想定しており、無罪判決が確定したのに有罪を意図して刑事裁判をやり直すことは想定していなかったのではないでしょうか? ただし、この憲法の文言では無罪判決が確定したのに有罪を意図して刑事裁判をやり直すことを天皇が命じることは可能とも解釈できます。ただ、明治憲法でも天皇が単独で大権を行使した例は無く、大臣等の輔弼により政治権力が行使されていたので、五日市憲法の起草者も同様の運用がなされることは想定はしていたかもしれません。
  • 「人権面でも障害者差別が明記され、女性参政権が認められていない」
    これは「心身に重大な障害がある者」について「政治参加の権利を停止する」と規定があり、「女性」や「知的障害がある者」については「民選議院の選挙で投票する資格を持たない」という規定によるものでしょう。選挙権について規定は当時の衆議院議員選挙法でも禁治産者(成人被後見人)や準禁治産者(被保佐人)や女性は無いと規定されてましたから。ただ、時代が変化して女性や禁治産者(成人被後見人)や準禁治産者(被保佐人)や女性について選挙権を望む声が台頭しても、この憲法条文では法律改正では選挙権を付与できず憲法改正をしなければならないという問題はあると思います。

--2400:4153:3161:1200:50E2:FBCB:7132:A373 2022年2月11日 (金) 07:14 (UTC)[返信]

    • 私もそのような論点に関してはほとんど同意見です。立憲君主制は民主的正統性を有する議会と君主の間の関係によって権威主義的で専制的な国家に近い形態にも民主的な国家に近い形態にもなります。刑事裁判のやり直しの権限以外にも拒否権や条約締結の権限等も君主が有することになっていますが、これも個人独裁を許容する権限というような実質的な意味があるとは思えません。実はこうした権限はアメリカ合衆国では大統領が有していた権限ですから(拒否権は現在も存在しますが、かなり最近になってあまり行使されなくなり、行政命令や覚書等が採られるようになりました)、その権限が五日市憲法に書かれているからと言って直ちに「明治憲法より強権的で反民主的な君主」になるということではないと考えられます。議会による監視・介入があり、大統領も民主的正統性を有していれば、このような権限を有していること自体は現代でもほとんど問題がないということになります。後段については、アナクロニズムであるという誹りを免れない指摘ではありますが、男女平等に投票権が行使できる普選が行われるようになり、優生保護法等の差別的な法律が改正された現代的な観点から見ると、問題があったことは紛れもない事実です。ですので、「人権教育も盛んになっている現代において正確に教えないのは良くない」という批判はあり得ると思います。
    • 少し話は逸れますが、五日市憲法の記事でこのような内容を扱うだけの特筆性はないと個人的には考えます。「現代における扱いはどうなっているか」という視点はあってもよいものではありますが、学会や教育現場、あるいはメディアで大きな議論になったわけでもなく、特定の党派性を持った組織が行っていることを対立する党派性を有するメディアが批判記事を出すという構図の中で現れた記事を基に記述を行うというのは中立性の観点からして問題だと考えられますし、私擬憲法の意義からすれば非常に些末な論点でしょう。教育的に・学問的に問題があるとすれば、産経新聞の当該記事も一部指摘しているように私擬憲法の地位やその発見時期とそのような私擬憲法に対する国側の立場の変化が全く反映されておらず、不正確な要約がなされているというところでしょう。しかし、これはいわゆる「教科書的な説明」であって教育上の便宜のために正確性を欠くという事態は様々な教育現場に往々にして存在していることですし、「歴史的事実を歪曲してまで現在の護憲運動につなげる日教組の意図」を批判しているのでしょうが、正確に教えたとしても「人権規定が多く含まれている」という一般的な評価は覆ることはなく護憲の文脈に引きつけて論じることは可能でしょうし、そもそもが明治憲法とその解釈にまつわる学説論争や他の私擬憲法案等にもつきまとう問題です。ここでそれに触れるだけの必要性は甚だ疑問に思いますし、節の初版の編集者の方も情報源が偏っているならばスタブより下書きで草稿を練ってから投稿していただきたいと感じた次第です。なお、新聞記事中には中村克明教授の論考が紹介されていますが、同趣旨の内容が記述されている中村教授の論文は一般に査読を経ないか査読が簡素な紀要であり、平和学専攻で法学者や歴史学者でもないようですので、この新聞記事は結果的に法学や歴史学に専門的な知識を持たない記者や学者による一回的で一方的な日教組や護憲派への批判を目的とした記事のように考えられます。高次のソースに当たらずにこのような解釈が一般的なものであると即断してWikipediaに掲載するのは中立性の観点やソースとしての報道の扱い方からして望ましくありませんし、寧ろ内容的には五日市憲法への批判や現代的問題という名前の項目より日教組の教育方針・政治姿勢や産経新聞の報道姿勢に関する項目に親和的であり、そちらに加筆するべきであると思います。--Kuroser86会話2022年2月19日 (土) 19:21 (UTC)[返信]

観点についての議論

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前節で卑見については大方申し上げた次第ですが、まとめると産経新聞の当該記事は一回的な報道に過ぎないものであり、一般的な観点を踏まえているとは言いがたい(日教組と産経新聞のイデオロギー的対立の下にあり、日教組の教育方針に対して記者の主張に合う学者の主張を紹介しているのみであり、日教組の教授法も産経記者の主張も共に学会で受容される学説とは考えにくい)一方的な政治的論評であり、前節で触れられているように不正確であることを指摘している記事側にも不正確な部分があること・不正確な記述があることは政治的意図とは明確な関係がなくこの五日市憲法独自の事象でもなく、記事の主題に対して些末な内容や他の記事に記載するべき内容であるにもかかわらず、この記事において長大な分量で記述されているということです。このような問題は、WP:NOTNEWSWP:NOTADVERTISINGWP:NPOVに抵触すると考えられます。また、高次のソースに当たらずに五日市憲法に直接的な関わりを持たない人物による現代の特定の観点から行われた批判を1つのソースに基づいて記述したことはWP:RSにも抵触する可能性があるかもしれません。ここでは①中立性の観点から中立性を持った記述に書き換えられるか、②現代の批判に関する節全体の削除が必要かどうかを議論したいと考えております。私は①についてはより信頼できる情報源を探したものの、戦後発見されたこの憲法案の特徴について十分に論じた査読付きの論文や教科書類がほとんど存在しないため難しく、②については削除して他の関連する団体の記事に追記することも可能であると考えています(しかし、その場合でも些末な内容又は一回的な報道であると判断されて除去される可能性があることを否定しません)。--Kuroser86会話2022年2月19日 (土) 19:21 (UTC)[返信]