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ノート:二木啓孝

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除籍に関して

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大学の除籍について詳しく書かれることは、二木本人が掲載をいやがっています。気恥ずかしいそうです。まだ、本人が生きているうちは、本人の意見に配慮すべきかと思います。--Orchid 2006年7月16日 (日) 12:54 (UTC)[返信]

ジャーナリストの方がその程度のことを気になさるとは少々意外ですね。「表現の自由」を主張するはずの立場の方から「自分についてのことを書くな」という主張が出ることも意外ですが。もちろん、「事実でないことを書くな」とか「プライバシー侵害になることを書くな」という主張は当然のことで、それについては十分配慮が必要だと思います。削除依頼のページでも書きましたが、除籍の理由を書くのはプライバシー侵害の虞があるためやめたほうが良いでしょう。--miya 2006年7月25日 (火) 07:14 (UTC)[返信]

人が気にすることを「その程度のことを」と言う姿勢には無神経さを感じます。ジャーナリストであろうとどんな職業であろうと関係ありません。削除の権限を与えられている立場の人が、「意外」という感想を表明するのは余分だったのではありませんか。仕切り役の人 2006年8月15日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

書籍「編集長を出せ!」について

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少し古い話ですが、この記事本文の 2009-05-31T14:08:02 UTC 版で書籍「編集長を出せ!」について “… 実名は記さないものの「F」というイニシャルで、二木と100%断定できる書き方で批判を展開” と書かれました。出典を明示することは大切ですし、特に存命人物に対し批判的なことを出典なく書くことは許されません。その意味で、出典として書籍「編集長を出せ!」が明示されたものと思います。しかし、これは出典として不足だと思います。

公式な方針「独自研究は載せない」と「検証可能性」の考え方によれば、あの「F」が二木氏であることを出典で裏付けなければならないと思います。つまり、あの「F」が二木氏であることが、信頼できる情報源(他の書籍等)に書かれていなければならないと思います。単に、ウィキペディアン個人が「あれは100%断定できる」と思っても駄目でしょう。何を杓子定規なことを、と言われるかもしれませんが、そのような出典は存在するのではないでしょうか。もし出典が出ないようなら、その段落は掲載しない方がよいと思います。

この記事は何年も前からあり、多数の方々の手を経てきています。この記事に携わった皆さまに敬意を表します。その間にウィキペディアのあり方も変化し、公式な方針「存命人物の伝記」が設けられるなど、状況の変化がありました。職業柄、批判を浴びたり、逆恨みを買ったりすることも少なくない方でしょうが、存命人物の記事ですので記述には慎重を期しましょう。百科事典としては、批判的な記述や不名誉な事実も書かざるを得ないのは当然ですが、そのような批判的な記述等には確固たる出典が必要だと思います。 --Kanjy 2010年6月6日 (日) 11:17 (UTC)[返信]

上記、ひとまず除去しました。 --Kanjy 2010年6月28日 (月) 15:24 (UTC)[返信]