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ノート:二人零和有限確定完全情報ゲーム

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  1. 二人 3人以上のプレーヤーの対戦では、誰にとって不利な行動を自分にとって最も有利な行動とするか確定できない。すなわち、完全な先読みができない。

ここの部分がよくわかりません。平易な表現に直していただけないでしょうか。Tekune 16:56 2004年5月13日 (UTC)

説明の順番として、「零和」のほうから先に説明した方がわかりやすいのかも知れませんね。「相手にとっての不利がそのまま自分にとっての有利になる」という前提があった上で、3人いると「誰にとっての不利が自分にとって一番有利なの?」という解決不能問題を作り出してしまう、と進めればわかりやすそうです。Sampo (ノート) 17:14 2004年5月13日 (UTC)
これはむしろ二人零和の特徴ですし、参加人数が二人であることのみに関して特筆すべきことも見当たらないので、二人零和でくくってしまったほうがいいように思いますが、どうでしょうか。--Zon++ 2007年1月23日 (火) 17:08 (UTC)[返信]

不完全情報性の例について

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不完全情報ゲームの一例としてついたて将棋が挙げられていることに関しまして、ついたて将棋の記事にて「両者並べ終わったところでついたてを取り払い、対局開始となる」とあることから、対局開始の時点ではついたては存在せず、「相手に手を隠す」ことには該当せず、完全情報ゲームとなるのではないかと思います。とは申しましたものの私はこのゲームを知らないので違っているのかもしれませんが、ご意見お聞かせして頂ければ幸いです。朝彦 2004年6月26日 (土) 18:06 (UTC)[返信]

  1. ついたて将棋第1版が誤っています(もしくは、一般的ではありません)。これは自由配置将棋(名称は不明)で、また別のヴァリアントです。覚えていれば修正します。

著名なゲームではないので、例示を軍人将棋ぐらいにしようと思いましたが、これまたマイナーなゲームですよね、2人、確定、不完全情報ぐらいでよい例示はないでしょうか。Rurirura 2004年6月26日 (土) 18:34 (UTC)[返信]

カードゲームならなにかいいのがあるかもしれませんが、確定性クリアのために最初にカードを配りきってしまうゲームに限られますし、そういうゲームに2人でやるものはほとんどない…。Ruriruraさんが挙げられた2例以外では現時点では思いつきません。なお、私の印象では軍人将棋の方がメジャーな気がいたしました。(単に私が知っていたというだけですが。)朝彦 2004年6月27日 (日) 05:15 (UTC)[返信]
名前は忘れたのですが、升目の中に戦艦を配置して、互いにXの6、Yの7などと言い合って撃沈したら勝ちと言うゲームがありますよね?あれはどうでしょう。だけど軍人将棋の方が有名かな。らりた 2004年6月27日 (日) 05:19 (UTC)[返信]
戦艦ゲームですね。軍人将棋とともに、不完全情報の好例だと思います。さんぽ (ノート) 2004年6月27日 (日) 12:23 (UTC)[返信]
お勧めにしたがって例示を変更しました。また、ついたて将棋云々が意味不明になると思ったので書き添えておきます。(Rurirura 2004/06/26)の冒頭で言えば「当時ついたて将棋第1版であった、現在自由配置将棋に移動されていたもの」になります。Rurirura 2004年6月28日 (月) 18:12 (UTC)[返信]

将棋における「千日手と有限・無限の評価」の議論のお知らせ

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この項目の編集に関連して、 ノート:将棋 において「千日手と有限・無限の評価」という議論が行われていますので、お知らせします。 --Tails 2007年3月28日 (水) 03:20 (UTC)[返信]

ノート:将棋での議論を受けて、このお知らせを見ないままで修正してしまいました。引き分け(無勝負)指し直しは囲碁や将棋の独自の取り決めであって、ゲーム理論とは関係ない、という立場でよいですよね。--Tamago915 2007年3月28日 (水) 04:09 (UTC)[返信]

有限の例としての囲碁について

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囲碁ではルール上引き分け(無勝負)とならず、無限にゲームが反復されることが許容されています。ゲーム理論の説明において、ルールではなく、個々のゲームの実際の運用に期待して、有限のゲームとするのは下記の将棋の例から考えてもかなり苦しいところと思いますが、囲碁をあえて有効な例とする必要はあるのでしょうか。
日本囲碁規約 第十二条(無勝負)
対局中に同一局面反復の状態を生じた場合において、双方が同意した時は無勝負とする。

特に反対の意見がなければ

囲碁では三劫以上の多元劫、長生、循環劫等の状態になった場合、対局者が合意しないと勝負は無限に継続される。ただし、ヨーロッパ等の囲碁においてはスーパーコウルールといわれる反復の禁止ルールがあるため勝負は必ず、最終的に勝ち、負け、引き分け(無勝負)のいずれかの状態となる。なお、無勝負の場合再戦が行わることがあり、再戦でも無勝負となることがありうるため、どちらかのプレーヤーが必ず勝たなければならない試合においては無限の繰り返しとなる可能性があるが、1つ1つの手合い(ゲーム)を考えた場合、スーパーコウルールのある囲碁は有限であるといえる。

のように書き換えたいのですが、いかがでしょうか。 「このような取り決めはゲーム理論とは無関係であり」の文は論文の中にあっても違和感がありますが、百科事典の中にあったとすれば相当不親切であろうと思います。囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームかどうかという素朴な疑問に対して、いきなり理論のドメインを持ち出すのは学者にとっては良くても、読者にとっては不親切です。222.119.112.153 2007年7月26日 (木) 11:37 (UTC)[返信]

2点指摘。二人零和有限確定完全情報ゲームはゲーム理論の用語ですから、「理論のドメイン」に入り込むのはやむをえないと考えます。また、「スーパーコウルール」についての出典が必要だと思います。
「囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームかどうか」ですが、真実をここに書くのではなく、学会などの公的な場で現在どのように評価されているのかを、検証可能な資料によって示していく方向でお願いします。現状、囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームではないとしている学会論文やそれに類するものがあれば、示していただければと思います。
PS. 慣例に倣い、新しい議論を末尾に移動させました。--Tamago915 2007年7月27日 (金) 10:25 (UTC)[返信]
スーパーコウルールについての出典は[[1] 欧州囲碁連盟(EGF)の囲碁規約]でよろしいでしょうか。ここは学会ではありませんから、日本語のもののほうがよろしいと存じますが。
学会において議論されている囲碁が、ゲームとして行われる囲碁の公式ルールとは異なり、停止条件が組み入れられているのは周知のことで、それについては「対局者の合意」が「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の主要フィールドである情報処理、人工知能の分野の現状では難しいこと、現実には対局者の判断で停止が行われているのでそのような独自のルールを加えてもゲームとしての性質を変えないことから広く受け入れられていることであると承知しております。
このような些少な処理について、逐一論文上で取り上げることがないのはご存じでしょう。これに対して、何も前提がなく単に百科事典上で囲碁はという記述があれば、それは情報処理、人工知能の分野で研究がおこなわれている囲碁(現実の囲碁を本質を学問的な意味で変えないことを前提に変更している囲碁)ではなく、公定のルールに基づいて行われる広くゲームとして行われている囲碁のことであり、その内容は異なります。
公定のルールに基づいて行われる広くゲームとして行われている囲碁のことについて学会で二人零和有限確定完全情報ゲームであるか否かについて検証した論文は私の知る限りありませんが、たとえば新ルール制定前の将棋について、二人零和有限確定完全情報ゲームのフィールドで議論した論文はたくさんあります。新ルール制定前の将棋が有限の戦略の組のみに戦略を限定できたわけではありませんが、研究上は有限の戦略に限ることによって研究を行ってきたのです。百科事典としての記述ではこのような学問の世界での前提と一般常識の異なる点があり、一般常識をもって学問的成果を理解するのが百科事典の役割であると存じます。
よって、単に学会などの公的な場で現在どのように評価されているのかを示せば足りるとのお考えには賛同いたしかねます。
だいたい、ここでは学問的に研究している対象の例として囲碁を挙げているのではなく、一般の人が知っている囲碁というゲームによって有限という概念を説明しているのですから、一般の人の知っている囲碁というゲームを無視した学会での議論はそれこそドメインが異なります。
また、もし学会の二人零和有限確定完全情報ゲームと囲碁将棋とのかかわりを示したいのであれば、現実の囲碁将棋などを言及することなく、単に囲碁や将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームとして研究されていると言えばよく、あるいはそもそも誤解を生じる余地のある事例である囲碁は削除してしまうのが良いのではありませんか。
なお、囲碁が現在のルールによって、合意のない場合、無限に反復することがルール上予定されている(ルール上無限反復が続くという事態に対する認識があり、かつそのような無限反復を一定の条件で許容している)との説明については、日本における囲碁の最高権威である日本棋院と関西棋院の署名になる、囲碁の公定ルールである日本囲碁規約の解説[日本囲碁規約逐条解説]の第十二条の解説に同一局面反復の事例として「三劫以上、循環劫、長生」の具体例が挙げられていることから、この具体例の事例において、無限反復が起きるということが認識されていることがわかり、また「反復した回数の確認の困難さを考え、双方が同意した時点で無勝負とする。」との説明から反復回数、あるいは同一局面出現数等の客観的ものさしによるゲームの停止を予定していないことがわかります。
また、ゲームの理論上の用語である、二人零和有限確定完全情報ゲームの解説をする以上、「理論のドメイン」に入り込むのはやむをえないという主張は、問題の本質をたがえています。問題は理論のドメインという不親切な仮面をいかに見せることなく、説明を行うかです。
だいたい、将棋については、「2007年現在の日本将棋連盟の千日手のルールを前提とすれば、有限のゲームとなる(指し直しを考慮しない場合)。 」とあって「指し直しを考慮する場合にどうかするかということは、ゲーム理論とは無関係であり、引き分けで1つのゲームが終わることをもって有限とする。 」等とは書いてないでしょう。
そもそも、指し直しについては別のゲーム(指し直しという特殊ルールの入ったゲーム)と考えればいいだけで、わざわざゲームの理論と別の問題だなどと書くことが変なのです。何度も言いますが、内容の問題ではなく、表現の問題です。何々は何々というフィールドではないというのは不親切です。また、そう言い切れるか(指し直しを考慮した囲碁の試合を研究することはゲーム理論のドメインの外といえるか)という問題も新たに発生してくるわけですし、さらに本々もその領域に不案内な人が調べ物をする際に、その領域の外とか中とかを説明の文章に使うのは説明になっていません、何々については何々といえる。あるいは何々については何々という条件のもとで何々であるといえるというのがわかりやすい表現ではないのですか。222.119.112.153 2007年7月28日 (土) 02:43 (UTC)[返信]
囲碁が有限か無限かの判定基準をゲーム理論での前提ではなく一般常識に置くのであれば、(1)「無限に終わらない囲碁の対局」が歴史上1局たりとも存在しないこと、(2)無限の寿命を持つ対局者が存在しないことの2点から、「囲碁は有限である」という答えが極めて常識的に出るのではないですか。「囲碁はルール上無限に反復することが可能であるから有限ではない」という考えは、ゲーム理論上の観点からではなく常識的な観点からも成り立ちえません。--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年7月28日 (土) 22:44 (UTC)[返信]
何か誤解があるようですが、有限か無限かの判断はゲームの理論の定義にしたがうわけで、一般常識ではありません。私は「ゲームの実際の運用に期待して、有限のゲームとするのは下記の将棋の例から考えてもかなり苦しい」とゲームの理論の定義によるべき有限の判断を実際の運用実態を根拠とすることに対して疑問を呈し、また「学問的に研究している対象の例として囲碁を挙げているのではなく、一般の人が知っている囲碁というゲームによって有限という概念を説明しているのですから」とは申し上げましたが、「有限か無限かの判定基準をゲーム理論での前提ではなく一般常識に置く」と発言したことはありません。例示で用いる囲碁が一般人の囲碁であり、研究者の囲碁ではないと申し上げましたが、有限についてはゲーム理論の定義と異なる定義を用いるべきであるとは一言も申し上げていません。人の発言をあえて曲解して、攻撃するのはおやめください。私の発言に「有限かどうかは一般常識に置かれることである」と主張した個所が一か所でもありますか、ご確認ください。
このページはゲームの理論上の「二人零和有限確定完全情報ゲーム」について説明しているページで、当該個所はその有限の説明ですから、「囲碁は有限なゲームである」という際の有限は、ゲームの理論でいう有限に限定される外はなく、「一般常識に置く」ことはできません。それともHaruno Akiha loves blue.(春野秋葉)様は、二人零和有限確定完全情報ゲームの説明における有限が一般常識に置くことができ、ゲームの理論上の有限という定義とは別なものと主張されるのでしょうか。つまり、例えば、有限ということが、後ろ向き推論が可能かどうかとは関係が必ずしも明らかではではなく、それはそのゲームを対局する人間の寿命や、そのゲームの期の長さといったことに依存するといった主張が可能であると。
もう一度お訊ねしますが、「囲碁が有限か無限かの判定基準をゲーム理論での前提ではなく一般常識に置く」との文は私がいずれかの時点で発言したものですか、それとも有限を一般常識に置くという発言はHaruno Akiha loves blue.(春野秋葉)様が、持ち出されたものですか。
失礼ながら、Haruno Akiha loves blue.(春野秋葉)様はノート囲碁の議論においても「完全情報であることに必要なのは「自分がどのような手を指したのかが完全に相手に伝わること」」という「選択」あるいは「意思決定」という概念が全く入っていない完全情報について独自の定義を持ち出されたり、「ゼロ和はその定義から「最終結果のみを対象とするもの」」といういさささか誤解をまねくというか、展開ゲームでの零和について無視した定義をお出しになったりと、独自の定義をご自分で持ち出されての議論が多いように思います。ここはすでに定義も確定し、それにもとづく研究実績も十分議論されている二人零和有限確定完全情報ゲームについての説明の議論をするところであり、新たに独自の定義を提案されるの際には学会などの公的な場でその定義が広く認められているか、既存の定義と整合的である、あるいは既存の定義とは別にそのような定義でを用いることができると検証可能な資料によって評価されている定義をお使いいただければありがたいと思います、
なお、繰り返しになりますが、囲碁が有限かどうかという際の囲碁の方は、研究者が独自にルールを変更して研究対象としている囲碁ではなく、一般的にゲームとして楽しまれている囲碁であるという理解は正当な判断であると考えます。つまり、日本人を対象とするのであれば、いわゆる日本ルールの囲碁(日本囲碁規約に従う囲碁)であって、一般の閲覧者に囲碁という言葉に「研究者が必要によってアレンジしているもの」という前提を期待できない以上、その囲碁のルールとは違うことを、特にそのルールを改変していることが問題になるような事例の説明に用いようとするのですから、研究者の囲碁を暗黙の前提にして話をすることは正しくありません。
また、ゲームの理論の研究者に向けられた説明ではなく、Wikipediaが百科事典という一般の読者を想定しているプロジェクトである以上、例えば「研究者がアレンジした囲碁では」等のように語句を加え、あるいは説明を追加してこの一文を固守することは、この一文が研究実態の紹介ではなく、有限という用語の説明であるということを考えれば有用なこととは思いません。
むしろ、囲碁がルール上有限のゲームでなければ、そのように記述し、説明するのが正しい説明であると考えます。実際「囲碁では三劫以上の多元劫、長生、循環劫等の状態になった場合、対局者が合意しないと勝負は無限に継続される。」との事実があり、ルール上認められている以上、その事実を書かずに、そもそも有限の説明材料として囲碁を持ってきていながら、囲碁が有限なのか無限なのかについて直接的には全く記述していない現在の記述よりも、事実の提示があり、有限と無限について閲覧者の理解を深められるものと思います。
なお、私はTamago915様の2007年7月27日 (金) 10:25の発言に応じ、日本棋院、関西棋院という日本の囲碁における最高権威が囲碁のルールについて解説した文書を提示し、日本で行われている囲碁がゲーム理論に言う有限上の定義に従うゲームとは言えないことを公的な権威をもった資料から明らかにしました。これ以後については、Tamago915様のご提案に従えば、囲碁が有限であると主張される側の方が「公的な場で現在どのように評価されているのかを、検証可能な資料によって示していく」番であると存じます。なお、私は研究者が研究対象として(停止条件を独自に組み込んだ)囲碁を有限のゲームとして研究することや、現にそうした研究があることについては何ら反対したり、否定したりしているわけではありません。用語の説明のために実例とした出す囲碁は、一般的に広く行われている囲碁であるということについては、反論もないようですし、自明なことであると存じます。「検証可能な資料」によって明らかにされるべきは、「一般的に広く行われている囲碁がルール上、ゲーム理論の有限との定義を満たす」ということであることをしつこいとは思いますが付記します。
なお、私が提示した当該文書は日本棋院、関西棋院のサイトにあるものではありませんが、真正なものです。文書化された資料をWEB上に公開するか否かはその個人、法人が独自に決定すべきことであり、文書をWEB化するように求めることは一般にできません。もし、当該文書の正当性に疑問をお持ちの方は日本棋院、あるいは関西棋院に直接ご連絡になるなどして当該文書の真本をご用意の上、間違っているとご指摘ください。真本なしにWEB上の文書について真贋を論ずることは無意味です。222.119.112.153 2007年7月29日 (日) 08:34 (UTC)[返信]
>囲碁が有限なのか無限なのか
最初に有限であると書いて、但し書きのような形で現在のルールでは(対局者の合意がなければ)無限の繰り返しが避けられないことがあると記載するのでどうでしょうか。囲碁の実際の対局では事実上無限の繰り返しは発生しませんので、囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームではない、と断じるのには違和感があります。
また、最初の記述は、将棋が無限の指し直しが発生する可能性があり、有限ではないという誤解に基づくものであったため、囲碁についても明確でない内容が追記されたものという認識です。正直なところ、ばっさりと削除してしまってもよいのではないかと考えています。--Tamago915 2007年7月31日 (火) 13:34 (UTC)[返信]
囲碁自体の説明に際してそのような実際の話を出すことは意味があると思いますが、ゲーム理論上の有限を説明する際に、戦略の組が有限でないものがあるという状況を理解しつつ、最初に有限であるというのは誤解を招きやすい表現であり、反対です。
なお、Tamago915様は2007年7月27日 (金) 10:25の発言で、「「囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームかどうか」ですが、真実をここに書くのではなく、学会などの公的な場で現在どのように評価されているのかを、検証可能な資料によって示していく方向でお願いします。」と述べられています。その方針に従って囲碁棋院、関西棋院の文書を出したら、今度は「違和感がある」ですか。
「検証可能な資料によって」と言われた側から何も検証可能な資料が出てこないばかりでなく、検証可能な文書を要求されたご本人が、検証された文書を提示することなく、一方的に「最初に有限であると書いて」とか「ばっさりと削除してしまってもよい」とか書かれることにはことについてはとても違和感があります。私は具体的な文例を提示して議論を行っています。認められた検証可能な資料によって議論ができないのであれば、提案された文例を受け入れ、必要により添削するか、提示された文書の示す主張が正当なものであることを前提として、新たな文例を提案するのが議論の道筋ではないですか。
なお、ばっさり削除については、現時点では明確に反対します。また、繰り返しになりますが、百科事典において事実と異なる説明を行うことになる、囲碁を有限であると書くことについては明確に反対します。囲碁を有限であると書きたいのであれば、ご自身が言ったように、巷間行われている囲碁が、ゲーム理論上有限とする「検証可能な資料」をご提示ください。(履歴を見る限り、ノートでの議論が完了してから訂正よりは、訂正してからノートに報告の方が良いみたいですね。今回は文例を出したこともあり、一週間くらい時間をおいて修正するつもりでしたが、明確なソースの提示がない議論が続くのであれば、修正してから議論したいと存じます。必要とあればとりあえず修正→リバート合戦になって保護してから議論というのがどうやら正しい流れのようですね。)222.119.112.153 2007年8月1日 (水) 02:40 (UTC)[返信]
であれば私の最初の疑問である、「囲碁が二人零和有限確定完全情報ゲームかどうか」は明確に否ですから、本項目の「有限」の説明に、「現在の日本国内のルールでは、囲碁は無限の繰り返しが発生した場合、無勝負とするためには対局者の合意が必要となるため、有限のゲームではない」といった表現を明記するべきでしょう。また、囲碁のほうにも「二人零和有限確定完全情報ゲームとして分類されている」とあるので、こちらも真逆の方向に書き換える必要があると考えます。
そこまでするべきかというと、やはり違和感があるのです。「対局者の合意」云々が有限性を否定する金科玉条のように考えておいでですが、現実の対局で無限に対局が継続されることはないでしょうから、有限だと見なしてしかるべきではないかと考えています。
ただ、私は現時点では検証可能な資料は出せませんので、自らの思うところで修正は行っていただいてかまいませんが、上の最後のコメントのような、編集合戦を助長ないし奨励するような表現は慎んでいただきたいと思います。--Tamago915 2007年8月1日 (水) 03:45 (UTC)[返信]

各項目の定義について

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二人、零和、有限、完全情報のそれぞれの定義が正しくないように思います。

二人
二人とは当然ゲームのプレーヤーが二人であることを意味していますが、必ずしも参加者が自然人二人であることを必要としません。ゲーム理論でいうプレーヤーとはゲームの手の決定を行う意思決定主体を指し、コンピュータであっても良く、二人以上の自然人の集合体であっても良いのです。したがって「二人で行うゲームであること。 」というのは誤解を招く表現であり、「二人のプレーヤーが行うゲーム」とするのが正しいと思います。
零和
零和とは各プレーヤーの利得表の合計が0となるゲームですが、「二人の得点の合計が0になる」となっています。得点という言葉は個別のゲーム内の用語としてもあり得ますし、将棋、囲碁などでは何を指しているのか不明確で多義的です。少なくともゲーム理論において零和の定義に出てくる言葉ではありません。利得表あるいは、「プレーヤーの行動の結果の損得がプラスマイナス零」等の言い方で変えるべきであると思います。
有限
有限の定義は戦略の組が有限であることであり、戦略の組の結果が勝ち、負け、引き分けの3つであることを必要としません(戦略の組が有限である以上たかだか有限しかありえませんが)。無論二人零和有限確定完全情報ゲームといった場合、勝ち、負け、引き分けの3つの終局があると言う前提で研究することが多いですが、定義としてこれが唯一ではありませんし、言葉の説明としては多分に誤解を与えるものです。引き分け以外に両負けのある囲碁はまたしても困ってしまいます。後手が指し直しを目指すといった将棋の考え方も、ゲーム理論上あってはならないと考えられそうでまずいと思います。(「とりあえず研究のテーマとしない」ではなく、「定義上あり得ない」となってしまいうる点に注意)。 「プレーヤーをA、Bとした場合、一般的にはAが勝つ(勝利)、Aが負ける(敗北)、勝利者がいない(引き分け)といった終わり方となる。」 としたほうがいいのではないでしょうか。現在の言い方はあまりにかたすぎます。
完全情報
完全情報についてはこれで正しいのでしょうか。単に「相手に自分の手を隠さないこと。」が必要なのではなくて、「全ての意思決定点において、これまでにとられた行動や実現した状態に関する情報が全て与えられている」ことが必要なのです。麻雀を例にとるとわかりやすいかと思いますが、何を切ったのかが明白であるだけでは足りなくて、どういう手の中でそれを切ったのかを相手が知れることが必要なはずですが。 相手の手が明白であるだけでは、逆向き推論は行うことができません。 わかりやすくするなら「各プレイヤーが自分の手番において、これまでの各プレイヤーの行った選択(あるいは意思決定)について知ることができるゲーム」ということになるでしょう。222.119.112.153 2007年8月1日 (水) 12:09 (UTC)[返信]

各項目の例について

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一般的なゲームの例が少ないように思います。

二人
ダイヤモンドゲームはともかくルードとは何でしょう。とび先の説明では「ヤード・ポンド法における面積(地積)の単位である。」となっています。意味不明です。二人ゲームでない例をあげるのなら、麻雀とかの方が一般的ではありませんか。
零和
囚人のジレンマという固有名詞の一般的に広く行われているゲームはないです。モノポリーとかもっと一般的な例があると思いますが。
有限
「無限であればゲームツリーを書ききれず、完全な先読みができない。」というのがよくわからないです。に二人の例がわかりにくいという話もありましたが、百科事典での用語の解説ではなく、研究室の研究内容を新しい卒論学生に説明するような内容で、別途まとめて解説するのでなければ削ってしまったほうがすっきりする表現であると思います。
完全情報
完全情報については、ポーカー、麻雀等が完全情報でない例としてあげられ、完全情報の例としては囲碁、将棋、チェス、バックギャモン等のボードゲームが挙げられるでしょう。海戦ゲームと言われてすぐにゲーム内容がわかる人は一般人を前提とした場合、多い言えないと思います。222.119.112.153 2007年8月1日 (水) 12:08 (UTC)[返信]

黒白ゲーム

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2007年9月19日 (水) 04:36の版について、出典と事実関係の確認を求めたいと思います(この部分の編集者には別途連絡しています)。単に除去してもよかったのかもしれませんが、実際にそのような言い方がなされているのであれば、出典込みで掲載すべきだと考えています。--Tamago915 2007年9月19日 (水) 15:48 (UTC)[返信]

黒白ゲーム部分の編集者です。まず私が作っている人工言語でこれにあたる単語を組み合わせて造語したのですが、グーグルで検索したところすでに散発的にそう呼ばれていたので私の考案とは言えませんでした。しかし二人零和有限確定完全情報ゲーム自体について言及したサイトは見つかりませんでしたので、最もはっきりした出典はこのジェン語かもしれません。
http://ameblo.jp/cyehjro-swayrow/entry-10044495646.html
--以上の署名のないコメントは、末広優会話投稿記録)さんが 2007年9月19日 (水) 21:07 (UTC) に投稿したものです。[返信]
そのブログは末広優さんご自身のものですし、出典にはできないでしょう。グーグル検索でヒットした、散発的に呼ばれていた事例のほうが気になりますが、今のままでは掲載は無理だろうと思われます。--Tamago915 2007年9月19日 (水) 23:22 (UTC)[返信]

それではとりあえずこの部分は削除し、権威のある文献を探してみます。末広優

了解です。こちらでもグーグルで検索してみましたが、「オセロ」が商標登録されているため、オセロと同じルールのゲームを「黒白ゲーム」という例も多いようです。--Tamago915 2007年9月20日 (木) 04:07 (UTC)[返信]

こちらの指している白黒ゲームがそうかは知りませんが、商標がオセロと呼ばれているゲームの一般名はリバーシです。これは最近の話ではなく、オセロが流行っていた頃から(オセロより古いと)いわれている事です。もっともWikipedia自体リバーシがオセロにリバートされているのでオセロと言ってもかまわないと思います。--123.230.20.248 2008年11月17日 (月) 10:27 (UTC) って、リバートじゃ無くてリダイレクトですね。それと、この項目は最初の説明のとこでの話ですか?ならもうちゃんとオセロになってますね。失礼しました。--123.230.20.248 2008年11月17日 (月) 16:52 (UTC)[返信]

日付を見ていただければと思うのですが、議論自体は1年前のものです。二人零和有限確定完全情報ゲーム自体を「黒白ゲーム」という造語で表現していたために、この部分の編集者に確認を求めたもので、特にリバーシ(オセロ)のことを指しているわけではありませんでした。--Tamago915 2008年11月17日 (月) 22:54 (UTC)[返信]

有限の定義について

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注で「引き分け・無勝負による対局のやり直しを考慮すると有限でなくなる可能性が指摘されるが、ここでの「有限」の定義は引き分けも含めるため、適切な指摘ではない。」 とのしてきがありましたが、「手の組み合わせが有限である」とは標準型ゲームの戦略組が有限であることにほかならず、たとえば、引き分けになった場合はさしなおすというルールがある勝負(ゲーム)では、途中のゲームの勝敗が引き分けとなったとしても、ゲーム全体の勝敗は最終的な勝敗となるため、さし直し、さし直しとなれば、手の組み合わせは有限におさまらなくなります。 よって、この注は不適切であると思いますので、削除します。また、本文の記述内容がおかしいと思うのであれば、記述を訂正するか、ノートで議論するのが筋と思いますので、このような中途半端な記述は望ましくないと思いますが。Checkthere 2007年9月24日 (月) 10:01 (UTC)[返信]

注を入れたのは私ですが、指摘の意味が把握できかねますので確認させてください。
一つは定義について。「引き分けになった場合はさしなおすというルールがある勝負(ゲーム)では」とありますが、この前提でゲームの本質が変わってしまうことになります。そのような前提を置いてまで有限性を否定することが、ゲーム理論でどのような意味を持つのでしょうか。
二つ目は記述の方法ですが、「注釈」という形を取ったとはいえ、本文の記述の訂正で対応しています。地の文を修正するのと、注釈を用いるのと、本質的に何も違いませんが、なぜ注釈であることにこだわり「このような中途半端な記述は望ましくない」ということになるのでしょうか。また、ノートでの提案ですが、すでに#将棋における「千日手と有限・無限の評価」の議論のお知らせで決着済みと考えていました。--Tamago915 2007年9月24日 (月) 10:46 (UTC)[返信]
ゲームの本質が変わるとありますが、将棋や囲碁のルールはゲームの理論の外にあるのです。ゲームの理論はこれらのゲームの分析で有効な手法となりますが、ゲームの理論がこれらのルールを決めているわけではないのです。将棋や囲碁では、さし直しをしないルールも有効なら、さし直しをするルールも有効です。つまり、「ここでの「有限」の定義は引き分けも含めるため」適切でないといったところで、さし直しを有効とするルールの将棋や囲碁では、引き分けはゲームの中間的な状態にすぎず、最終的な勝敗を目指して指し直し戦が続いて行われるだけです。これらは一連の戦いですから、最終的な勝負で引き分けが認められていない限り、定義上無限のゲームとなります。実際には棋戦等では「持ち時間の範囲内で」といった縛りがあるものがほとんどでしょうが、将棋や囲碁のルールがさし直しを1回に限定しているわけではありません。
結論として、有限といえるゲームは有限ですし、有限といえないゲームは有限ではありません。それだけです。これらゲームの本質は有限か無限かを判断する前に決定していますから、「引き分けが有限のうちなんだから、将棋も囲碁も有限だ」というのは無茶苦茶です。
「地の文を修正するのと、注釈を用いるのと、本質的に何も違いませんが、なぜ注釈であることにこだわり「このような中途半端な記述は望ましくない」ということになるのでしょうか。」についてですが、あなたは百科事典の編集をしているのですか、それとも共同でメモ書きを作っているのですか。百科事典の項目はその記述が終始一貫しているのが当たり前でしょう。有限の定義がおかしいなら正しい定義に直すべきですし、有限の事例の説明が間違っているのなら正しく修正すべきです。注は正しく内容を理解するための補足をする場所であって、相互に矛盾する内容を書く場所では有りません。相反する意見があって相反する意見があることを説明する必要があるなら、注に「ただし、~には何々という意見もある」のような記述をすることもあるでしょうが、「適切な指摘ではない。」と思うのなら適切に本文を書き直せというのは当たり前ではないですか。
#将棋における「千日手と有限・無限の評価」の議論のお知らせでの議論は見ていましたので、内容を大幅に手を入れるときに将棋の記述は大きく変えることはしなかったのです。
それを、本文に大幅な加筆をむしてから1か月以上してノートで議論することなく註に書き加えるというのが変だというのです。
ノートでの議論に一時不再理の法理は適用されないのですから、執筆者の考えによってはいくらでも書き換えられることはあるでしょう。それに問題があるというのなら再度ノートで議論すればよいのであって、本文中に矛盾する記述をする必要はないでしょう。百歩譲ってノートでの議論が不要というのなら本文を適切に変更すればよいだけです。
ノートの議論を一時不再理にしたいのであればローカルルールを議論の上決定し、ノートに掲示すればよいことです。
繰り返しますが、正しいと思うのであれば正しい内容に本文を作ってください。自信がないのであればノートで議論してください。Checkthere 2007年9月24日 (月) 12:08 (UTC)[返信]

出典の明記S

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出典の明記Sが貼られていますが、具体的に出典を求めることはノートでも本文でも現在行われていません。 「白黒ゲーム」についてはすでに記述が削除されています。 貼られたTamago915氏は、わざわざコメント依頼をしてまで有限の定義を何とかしたいとお考えのようですが、そうした個人的見解を通すためにこのテンプレートを使用するのは望ましくないと考えます。
議論活性化のための氏の活動は多としますが、「自身知識が浅いので、突っ込まれると「仰せの通りで」としかいえなくなります。」という方が、他力本願で内容の訂正を求め、テンプレートを本来の目的のため以外に活用されることは看過できません。
「白黒ゲーム」については記述が削除されて10日経過しています。現状の、どこが出典を必要としているか不明のままであるのならこのこれは削除したいと思います。Checkthere 2007年10月1日 (月) 06:20 (UTC)[返信]

「白黒ゲーム」についての出典を求めるためのテンプレートでしたが、この部分については消し忘れです。除去しておきます。--Tamago915 2007年10月1日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

50手ルール

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本項の「有限」の説明文中に「チェスでは50手ルールがあるため対局者の同意なしにゲームは有限で終了する」との記述がありますが、記事「50手ルール」には「どちらか一方のプレーヤーの要求により」とあり、両者の内容に齟齬がありますので要検証としました。 --Tails会話2013年8月18日 (日) 20:16 (UTC)[返信]

たしかに日本チェス協会の「日本チェス棋約」にも「手番の対戦者が申し出てそれが真正であるとされたとき」とありますね(千日手の方も含めて)。 --Hand-culveriN会話2013年10月15日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
50手ルールの適用場面においては、手番対戦者(「どちらか一方のプレーヤー」)の申し出により、対局者の同意なしに引き分けとなるとの規定なので、その場面に限定した場合に齟齬はないと判断します。ただし、すべての引き分けが50手ルールにより定まるわけではないのでその旨が分かるような表現に改めました。直蔵会話2014年4月18日 (金) 02:56 (UTC)[返信]

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

二人零和有限確定完全情報ゲーム」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月24日 (日) 23:36 (UTC)[返信]