ノート:中国帝王一覧
「中国の皇帝と王の一覧」と記事の見出しを変えたようですが、天子が「皇帝」を名乗るようになってからは、皇族が「王」に任命されたわけですよね。見出しを再検討する必要があると思います。秀の介 03:02 2003年9月15日 (UTC)
- 難しいところですね。英語に準拠すれば「中国王朝の君主一覧」とでもなると思いますが、この名前では何の記事かいまいちピンとこないかも。Safkan 04:03 2003年9月15日 (UTC)
- 正規の移動の仕方をよく把握しなくていろいろとご迷惑をかけてすみません。
- 本題ですが、英語の直訳の「中国王朝の君主一覧」だと、Safkanさんのおっしゃるとおり、普通の日本語感覚とかけ離れているために、混乱しかねませんね。英語の monarch は手ごろな英英辞典数冊にあたったところ、「王または女王」か、「王国の支配者」と定義されているものがほとんどでした。(一冊だけ、「帝国もしくは王国の支配者」と定義されていましたが。)英語では余り気にしていないのかなとも思うのですが。
- とりあえず、この記事の冒頭に秀の介さんのおっしゃった指摘について、注意書き的に記しておこうと思います。
- もっとも、春秋時代の諸侯は「王」とすら名乗っていない場合があるのですが。(そういう点で、「中国の天子一覧」という表題は少しつらいでしょう。)やはり、そうすると、「君主一覧」が良いのかなとも思いますが。しかし、名目上とはいえ、周王によって封ぜられたわけですから、そういった人を君主と呼ぶべきなのかはまた疑問です。Auf 04:49 2003年9月15日 (UTC)
- とりあえず現状のように注記で補う方式に賛成します。Safkan 05:27 2003年9月15日 (UTC)
太平天国の洪秀全は「天王」を名乗っていますが、この中に加えるべきでしょうか?Tanuki Z 05:10 2003年9月15日 (UTC)
- 僕はいいと思います。「天王」という言い方は、少なくとも、「王」より格が上です。
- 基本的に、「皇帝」=「天皇」=「天王」≧「帝」=「皇」>「大王」≧「王」>「公」 です。
- 李自成がいるくらいですから。もっとも、明を滅ぼして、もしかしたら順が次の王朝になるかもしれないと考えれば、(秦が滅んだあとの西楚と同じ)順のほうは認める価値がありますが、結局清王朝は生き残ってしまっていますし・・・。まあ、僕の繰り言は無視して、とりあえずお書入れになさるだけなさったらどうですか。Auf 05:20 2003年9月15日 (UTC)
- 太平天国は英語版にありますね。それに十六国にも天王を称した者がいたはずです。せっかくだから入れてしまっても良いのでは。中国の王朝の条件とも言っていい、天から与えられた主権を主張して君臨した君主ですし。Safkan 05:27 2003年9月15日 (UTC)
なるほど、「中国の帝王一覧」ですか。思わず手を打ってしまいました。なんで今まで思いつかなかったんだろう。るがこむさん、ありがとうございます。Safkan 06:47 2003年9月15日 (UTC)
どういたしまして。「中国の皇帝と王の一覧」では煩雑すぎるので、簡潔にしました。るがこむ 06:55 2003年9月15日 (UTC)
この一覧への採用基準は何なんでしょうか?古来皇帝を自称した人は星の数ほどいたけど、その内かなりの数が正統性を認められず、「皇帝を僭称した」と正史に書き残される羽目にあっています。そういう連中も載せちゃっていいんでしょうか?いや、単に某長髪賊が載っているのが気に入らないだけですが。 かぼちゃ 12:36 2003年9月16日 (UTC)
- 記事やノートをご覧になればわかると思いますが、中国帝王一覧に載せられるべき人物の基準はまだありません。これから一覧を拡充していく過程で適宜議論して決めていかねばならないことだと思います。
- かぼちゃさんは、その状態に疑義を提示してくださったわけなので是非お願いしたいのですが、「なぜ洪秀全(ですよね?)が中国帝王一覧に入っているのが気に入らないか」を説明していただけないでしょうか。太平天国のような国をどう扱うかは今後基準作りをしていく上で大事なポイントだと思います。
- 私としては、東洋史辞典のような類の本に項目がたつような王朝であったら入れて良いと思います。太平天国は英語版で一覧に入っているからあっても良いかな、とも。Safkan 17:23 2003年9月16日 (UTC)
- 原則的に正統性が認められた者に限るべきだと思います。正統性が認められたか否かの判定は、基本的に正史での扱いによるべきですが、だからといって蜀主劉備、呉主孫権とやるものまたアレなので、いろいろと例外が出てくるでしょうね。ちなみに洪秀全は個人的に嫌いなだけです。 かぼちゃ 12:35 2003年9月18日 (UTC)
ノート:殷に提案させていただいたのですが、他の王朝にも関係する問題なので、こちらに移動します。
皇帝(王)の名称についてですが、[[ほげ (王朝)]]として統一した方がいいのではないか、ということです。記述が面倒だという意見もあると思いますが、すでにこのやり方で実行されてるものもあり、統一した方がいいと思います。
また、記事の名称が、廟号のものや本名のものもあり、統一がとれていないので、こちらに関しても議論していただければと思います。 秀の介 07:21 2003年11月3日 (UTC)
- まず提案です。
- 明・清については、年号を用いて表す(ヌルハチ・ホンタイジは別に考慮)
- 例:[[永楽帝]]
- 理由:他の皇帝と紛らわしくない。王朝名付加は蛇足の感あり。
- 唐~元については、廟号に王朝名を加えて表す
- 例:[[太宗 (唐)]]
- 理由:この時代については、廟号で表すのが一般的。唐以降の諡号は長すぎる。
- 但し、元については、本名の方が通りがいいかもしれません。世祖より、フビライのほうがわかりやすいでしょう。
- 漢~隋については、諡号に王朝名を加えて表す
- 例:[[武帝 (漢)]]
- 理由:この時代については、諡号で表すのが一般的。
- 秦(始皇帝の)は現状のままで良いのでは。
- 周・春秋戦国諸侯については、諡号に国名を加えて表す
- 例:[[武王 (周)]]
- 例2:[[文公 (晋)]]
- ちょっと複雑すぎるかも・・・
- あと、三国時代や五胡十六国については(五代十国も?)、本名を記事としたほうが分かり易いかもしれませんが。本名で活躍している期間の方が長い感じですからね。
- 最後に参考までに。英語版では、記事の名称はかなりばらばらです。中国語版では、概ね王朝名+廟号(or諡号)です。(例:[[漢武帝]])しかし、魏晋南北朝時代と五代十国・明清については本名が記事になっています。(例:[[劉備]])
Auf 08:08 2003年11月3日 (UTC)
revertが連発してますのでちょっと意見を。なお、リンク先に影響が出ないもの、称号の変更のみで重複していたものは少し編集しました。
- 魏晋南北朝期の「廃帝○○」については、可能な限り「前廃帝」等々他の名前にして良いような気がします。と言いつつ既に既存の名前でリンクが貼られてしまっていたので、私も自信が持てずに、少帝 (南朝宋)は直したものの廃帝子業 (南朝宋)については併記するという半端な策を採っていますが。こういう場合は何らかの基準を設けるのが適当と思いますので、取り敢えず正史において使用されている名前、あるいは何らかの形で帝号があればなるべくそっちを優先させて良いと思うのですがどうでしょうか? じゃあ例えば「廃帝宝巻」を正史記載の「東昏侯」とすべきかは少し悩むところですが。(あと、陳の後主は後主なのに前主は廃帝伯宗なのも気になります)
- ※時々、王朝記事の方に付された系図と表記が違っているのも気になります(後漢の廃帝弁など)……が私自身が別のものにしたケースもあるので言う資格はないです(劉宋の少帝とか)。
- 清代の皇帝についても、他は姓名を記述していますしすべて愛新覚羅を付けて問題ないような気がしますが、編集は保留しておきます。
元記事も元記事のノートも正規の移動を経ずに新しく立てられてしまったので、次善の策としてここにリンクしてたどれるようにしておきます。
--以上の署名のないコメントは、Nukkie(会話・投稿記録)さんが 2005年6月22日 (水) 13:13 (UTC) に投稿したものです(Uraios 2008年3月8日 (土) 02:32 (UTC)による付記)。