ノート:中国の仏教
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この「中国の仏教」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2005年8月8日 | 秀逸な記事の選考 | 不通過 |
民国以降について
[編集]中華民国部分の「辛亥革命以降の民国時代の仏教界には、さしたる動きは見られない。」の削除は当然ですが、中華人民共和国部分まで全削除されるのは、疑問を感じる。生かして編集可能な内容であると思われます。
- 「秀逸な記事の選考」に「辛亥革命以降の民国時代の仏教界には、さしたる動きは見られない。」に関することが記されてますが、それは私ではなく、「2005年8月21日 (日) 13:58」の版のKstigarbhaさんの書き込みです。Kstigarbhaさんの方にお確かめ願います。
記事名変更の提案
[編集]「秀逸」の候補になっていますが、この記事名で、近現代の記述がかけている現状では未完成としかいえません。いまの記事名を「中国仏教 (王朝時代)」と変更し、「中国仏教 (近現代)」は別に立てることにするならば、現状でも「秀逸」とすることに賛成です。--Dalaibaatur 2005年8月30日 (火) 23:08 (UTC)
「中国仏教」とはなにか
[編集]いまの文面では、漢代から清代までは、「中国仏教」をシナ仏教(漢人の仏教)の同義で使用されています。このような用法はひとつの立場であり、古代から現代までを首尾一貫させるのであれば、ひとつの立場、見識といえます(以下私は「シナ」を【現「中国」の構成要素のうち漢民族の土地の部分に対する王朝や政権の変遷をこえた国号としても使用可能な固有名詞の呼称】として用います)。しかし最近投稿がはじまった人民共和国期の記事では、この一貫性がくずれ、人民共和国時代のみ、チベット仏教を「中国仏教」の一部にふくめ、しかもシナ仏教そのものについては具体的な記述が一切ない。中華民国時期、人民共和国時期の部分の執筆はこれからの作業ですが、この記事の性格として、
- 「中国仏教」をシナ仏教と同義とし、古代から現代までをこの枠組みで一貫させる。
- シナ仏教だけでなく、チベット仏教、いまは滅びたシルクロードの仏教など、今の「中国」の枠組みの上に展開された仏教の諸潮流を網羅的、体系的に扱う記事とする。
のいずれとするか、あらかじめ議論して合意しておくべきであろうと思います。--Dalaibaatur 2005年8月30日 (火) 13:13 (UTC)