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ノート:中原兼遠

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出典の文献名について質問

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質問 2017年4月4日 (火) 17:02時点における版2017年5月27日 (土) 18:36時点における版で参照として追加された文献『吉蘇古今沿革志』ですが、これは『岐蘇古今沿革志』同じ文献でしょうか。それとも違う文献でしょうか。もし同じなら別名でしょうか。--Dong1jin4 2017年6月12日 (月) 10:28 (UTC)[返信]

吉蘇古今沿革志です。--以上の署名のないコメントは、Hachidairyuou会話投稿記録)さんが 2017年7月16日 (日) 04:35 (UTC) に投稿したものです。--203.180.166.195 2017年12月16日 (土) 16:03 (UTC)[返信]
ありがとうございます 文献名について確認していただきありがとうございました。『吉蘇古今沿革志』についてさらにお伺いしたことがありましたので、のちほど利用者‐会話:Hachidairyuouに追記させていただきます。--Dong1jin4 2018年5月13日 (日) 00:00 (UTC)[返信]

『岐蘇古今沿革志』の情報源としての信頼性について

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本記事中原兼遠および源義仲源義高 (清水冠者)巴御前山吹御前中原氏樋口兼光などで『岐蘇古今沿革志』なる書物を出店出典とした編集が大量になされていますが、この『岐蘇古今沿革志』にはどの程度の信頼性があるのでしょうか? 著者の武居用拙という人物は明治時代の自由民権運動家で歴史の専門家ではなく、1890年という古い時代の著書でありながらその後現在の歴史研究で顧みられてもいません。そのような著作にどれほどの信頼性があるか非常に疑問を感じます。その結果、上記記事は現在の研究状況からかけ離れた記述になってしまっており、非常に問題があります。--203.180.166.195 2019年3月8日 (金) 13:53 (UTC)[返信]


コメント 会話ページの方にメッセージを頂戴しましたので様子を伺いに参りました。『岐蘇古今沿革志』ですが、当方が知る限り『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク 木曾義昌参照)や『角川日本地名大辞典 20 長野県』(巻末「長野県参考図書目録」1722ページ「岐蘇古今沿革志 武居正次郎編 発光堂 大正3」(引用)とある、国立国会図書館デジタルコレクションも参照)が参考文献として扱っています。このことから一定の信用はされており、全く当てにならないとまでは言えないと考えております。ただし、やはり古い文献でありますので、現代の定説と齟齬が生じるのはやむを得ないでしょうから、個別の記事のノートで編集者同士、意見の擦り合わせを行うのが宜しいのではないでしょうか。当方としましては挙げられております歴史上の人物に関して知識が豊富にあるわけではありませんので、これ以上のお力添えは致しかねます。申し訳ございません。--Qurren会話2019年3月9日 (土) 00:24 (UTC)[返信]


貴方が疑問に思うなら勝手に貴方が調べればいいでしょう?近年の信頼できる情報源が必要と思うなら貴方の思う情報源、参考文献、資料を勝手に記載して編集すればいいじゃないですか?私にいちいち質問や了承を得る必要はないでしょう?その信頼できる情報源を貴方が知っているのであれば、それこそ貴方が勝手にその情報源を版に出典や参考文献として記載すればすむことじゃないですか?わざわざ私のページで批判や議論する必要はないでしょう。わざわざ議論して私の了承を得る必要はないでしょう。貴方は自由に編集すれば良いでしょう。しかし、編集するのであれば根拠となる参考文献や脚注を記載して下さいと注意をしているだけです。たったのこれだけのことですよ。わかりますか?わからないのであれば勝手にすればいいじゃないですか?これ以上私は貴方に関わり合いたくないし、貴方が何をしようが私には関係ないですから。こんな初歩的なことで私の時間を割かないで下さい。大変迷惑です。貴方がしていることは異常ですよ。八大龍王(会話) 2019年3月10日(UTC)

では個別に書かせていただきますが、「便女と記載されているのは軍記物語である『平家物語』のみであり、当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない。」と書かれてますが、そもそも巴御前山吹御前そのものが軍記物語にしか登場しない人物で、「当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない。」のですから、彼女たちについて記述しようとするなら軍記物語に基づくしかありません。よって実在の人物である中原兼遠の娘という史料もまたありません。『源頼政と木曽義仲 - 勝者になれなかった源氏』(永井晋、中公新書、2015)、『木曾義仲のすべて』(鈴木彰、松井吉昭、樋口州男・編、新人物往来社、2008)、『平家物語の女たち―大力・尼・白拍子』(細川涼一、講談社現代新書、1998、吉川弘文館より復刊、2017)などにもそのような記述はありません。「貴方は自由に編集すれば良いでしょう」とのことですが、編集したら差し戻されたので議論をしたのですが、「自由に編集すれば良い」のであれば、以上の根拠から上記すべての記事で差し戻させていただきます。なお、上記の他記事には文章の未整理部分の修正も施したのですが、そこもまるごと差し戻されていますが、そこは内容にかかわるものではないのでそこまで差し戻すのはいかがなものかと思います。最後に「異常」などという人格攻撃と言えるようなことはなさらない方が賢明だと申し上げておきます。--203.180.166.195 2019年3月10日 (日) 14:11 (UTC)[返信]
(追記)上記の他記事のいくつかには「平家物語には巴御前中原兼遠の娘で今井兼平の妹であると記載されている。」とありますが、全くの誤りです。上記参考文献(特に『平家物語の女たち―大力・尼・白拍子』)にもありますが、『平家物語』には巴御前中原兼遠の娘で今井兼平の妹であるとは記載されていません。--203.180.166.195 2019年3月10日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

「以下は利用者‐会話:Hachidairyuouからの転載です」と注記すべきですが、そうされていなかったので私が記しておきます。--203.180.166.195 2019年3月13日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

ノート:中原兼遠に立項しましたので議論はそちらで行うべきと思いますから、基本的にはこれを最後にあなたの会話ページに書き込みいたしません。
まず第1点。島崎藤村は小説家です。歴史学者でもなければ在野の歴史研究家でもありません。それは「島崎藤村」を見てもわかりますよね? あなたが島崎藤村が歴史学の専門家であるというのなら、なぜあなたはそれを証明しないのでしょうか?
第2点。各記事の過去ログを見ればわかる通り、先に差し戻しをしたのはあなたの方です。
第3点。「?」の記述というのは各記事のボックス中の親族関係のことでしょうか? それは一次史料や二次史料(『吾妻鏡』など)と矛盾する親族関係が、軍記物語類にのみ記されたものに対して信頼性が劣るという意味の表現で「?」をつけているだけです。--203.180.166.195 2019年3月10日 (日) 14:45 (UTC)[返信]



第1点。島崎藤村は小説家です。歴史学者でもなければ在野の歴史研究家でもありません。それは「島崎藤村」を見てもわかりますよね? あなたが島崎藤村が歴史学の専門家であるというのなら、なぜあなたはそれを証明しないのでしょうか?


回答:武居用拙(儒学者・漢学者)武居用拙は漢学や開明的な学問を教え、自主・自由・民本の思想を伝えた人物。また、『孟子』を読みかえて民権論をつくり出した人物。明治19年(1886年)東京在住の島崎藤村に「詩経」「春秋左氏伝」を教授し、そのため島崎藤村の『夜明け前』、『桜 の実の熟する時』、『幼き日』、『力餅』、『をさなものがたり』等に描かれることとなった。 明治23年(1890年)には西筑摩郡長の要請で『岐蘇古今沿革志』を編纂。「詩経」とは(文学、舞踊、楽曲を伴う歌謡)「春秋左氏伝」とは(歴史書) IP 203.180.166.195 あなたが歴史の専門でも何でもないという証明をして下さい。


第2点。各記事の過去ログを見ればわかる通り、先に差し戻しをしたのはあなたの方です。


回答:確認すればわかりますが樋口兼光を初めに差し戻ししたのは IP 203.180.166.195 あなたです。


第3点。「?」の記述というのは各記事のボックス中の親族関係のことでしょうか? それは一次史料や二次史料(『吾妻鏡』など)と矛盾する親族関係が、軍記物語類にのみ記されたものに対して信頼性が劣るという意味の表現で「?」をつけているだけです


回答:信頼性が劣ると思うだけで勝手に編集してもいいのでしょうか?編集するなら傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載して下さい。--八大龍王会話2019年3月12日 (火) 10:15 (UTC)[返信]


IP 203.180.166.195 あなたに質問ですが、なぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?回答願います。--八大龍王会話2019年3月12日 (火) 10:47 (UTC)[返信]

「以上ここまでが利用者‐会話:Hachidairyuouからの転載」--203.180.166.195 2019年3月15日 (金) 15:24 (UTC)[返信]

あなたの会話ページ利用者‐会話:Hachidairyuouからの転記であることを明記しないと、第三者に話の流れがわからないでしょう。また、転記が議論の途中からなのでこれも話の流れが理解できないばかりか、誤解させる恐れがあります。さらにまたもあなたの会話ページを過去ログ化してしまったので話の流れがそこでも追えません。いい加減にしてください。一応一通り回答しておきます。
第1点。島崎藤村の話題なのに、なぜご回答が武居用拙についてばかりなのでしょうか? 回答が質問とずれています。
第2点。すいません。確かに樋口兼光については私の方が先に差し戻しをしてたようですね。ただ他についてはあなたの方が先ですよね?
第3点。はい。何の問題もありません。
本題ですが、もともとここに記した私の指摘には何も答えておられませんね。今一度上記より引用して記します。
「「便女と記載されているのは軍記物語である『平家物語』のみであり、当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない。」と書かれてますが、そもそも巴御前山吹御前そのものが軍記物語にしか登場しない人物で、「当時の一次史料や鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』には、その存在は確認されない。」のですから、彼女たちについて記述しようとするなら軍記物語に基づくしかありません。よって実在の人物である中原兼遠の娘という史料もまたありません。『源頼政と木曽義仲 - 勝者になれなかった源氏』(永井晋、中公新書、2015)、『木曾義仲のすべて』(鈴木彰、松井吉昭、樋口州男・編、新人物往来社、2008)、『平家物語の女たち―大力・尼・白拍子』(細川涼一、講談社現代新書、1998、吉川弘文館より復刊、2017)などにもそのような記述はありません。(中略)なお、上記の他記事には文章の未整理部分の修正も施したのですが、そこもまるごと差し戻されていますが、そこは内容にかかわるものではないのでそこまで差し戻すのはいかがなものかと思います。」「上記の他記事のいくつかには「平家物語には巴御前中原兼遠の娘で今井兼平の妹であると記載されている。」とありますが、全くの誤りです。上記参考文献(特に『平家物語の女たち―大力・尼・白拍子』)にもありますが、『平家物語』には巴御前中原兼遠の娘で今井兼平の妹であるとは記載されていません。」--203.180.166.195 2019年3月13日 (水) 15:13 (UTC)[返信]


IP 203.180.166.195 話をすり替えないで質問に答えて下さい。なぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?回答願います。--八大龍王会話2019年3月15日 (金) 11:20 (UTC)[返信]

途中から話をすり替えてるのはあなたの方です。話の流れもぶつ切りにしておいて何を言うんでしょうか? あなたが転載した分についてはここではお答えいたしません。話の流れがおかしくなってしまいます。私の上記の指摘にお答えください。--203.180.166.195 2019年3月15日 (金) 15:15 (UTC)[返信]

IP 203.180.166.195 あなたは当方の質問に当初から一貫して全く答えていません。なぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?回答願います。--八大龍王会話2019年3月15日 (金) 15:42 (UTC)[返信]

「『岐蘇古今沿革志』の情報源としての信頼性について」議論しています。あなたはご自分の会話ページでは不必要な過去ログ化を繰り返して私の質問をなかったことにしようとしておられたのに、こちらに議論の場を移した途端にあなたの会話ページの記述をこちらに転載してそちらにばかり固執し、上記の私の指摘にお答えになられません。あなたの議論態度には非常に疑問を感じます。繰り返しますが、ここは「『岐蘇古今沿革志』の情報源としての信頼性について」議論する場です。同課どうか上記の私の指摘にご返答ください。--203.180.166.195 2019年3月16日 (土) 14:19 (UTC)[返信]

IP 203.180.166.195 毎回、あなたは当方の質問に当初から一貫して全く答えませんね。なぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?回答願います。--八大龍王会話2019年3月19日 (火) 02:35 (UTC)[返信]

それはあなたの方でしょう。『岐蘇古今沿革志』の情報源としての信頼性についての上記の私の指摘にご返答ください。--203.180.166.195 2019年3月19日 (火) 14:09 (UTC)[返信]

『岐蘇古今沿革志』は『朝日日本歴史人物事典』(コトバンク 木曾義昌参照)や『角川日本地名大辞典 20 長野県』(巻末「長野県参考図書目録」1722ページ「岐蘇古今沿革志 武居正次郎編 発光堂 大正3」(引用)とある、国立国会図書館デジタルコレクションも参照)が参考文献として扱っています。当方はこのことから一定の信用はされており、全く当てにならないとまでは言えないと考えております。 しかし、IP 203.180.166.195 あなたはなぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?回答願います。--八大龍王会話2019年3月24日 (日) 03:22 (UTC)[返信]

それ、上の方にあるQurrenさんの書き込みの受け売りですよね。Qurrenさんはその後に続けてこうも書いておられます。「ただし、やはり古い文献でありますので、現代の定説と齟齬が生じるのはやむを得ないでしょうから、個別の記事のノートで編集者同士、意見の擦り合わせを行うのが宜しいのではないでしょうか。」。それを受けての上記の私の指摘なわけです。どうぞそれについてお答えください。--203.180.166.195 2019年3月24日 (日) 07:26 (UTC)[返信]

そこまで否定するなら、否定するなりにあなたが傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載して下さい。また、あなたはなぜ編集するのに傍証となるような近年の信頼できる情報源を記載しないのでしょうか?何度も同じ質問させないであなたもいい加減答えて下さい。--八大龍王会話2019年3月29日 (金) 12:45 (UTC)[返信]

IP 203.180.166.195 あなたが私の質問に答えず無視し続けていることは明白で、あなたが答えないならこれ以上会話を続けても意見の擦り合わせは難しいでしょう。--八大龍王会話2019年3月29日 (金) 13:07 (UTC)[返信]

ですから上記の通り、『源頼政と木曽義仲 - 勝者になれなかった源氏』(永井晋、中公新書、2015)、『木曾義仲のすべて』(鈴木彰松井吉昭樋口州男・編、新人物往来社、2008)、『平家物語の女たち―大力・尼・白拍子』(細川涼一、講談社現代新書、1998、吉川弘文館より復刊、2017)などにそのような記述はないと答えております。むしろあなたが近年の信頼できる情報源を挙げてください。--203.180.166.195 2019年3月31日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

最後の書き込みから1か月以上経過しましたが、八大龍王さんは本ノートおよび利用者‐会話:Hachidairyuouにおいて私および他の発言者の方々に一切の反論をされていないので、上記私の意見および私の編集に異論はないものとみなさせていただきます。--203.180.166.195 2019年5月8日 (水) 14:38 (UTC)[返信]