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ノート:中元日芽香

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導入部について

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導入部から「妹は中元すず香」は除外し、人物セクションにおける「三姉妹で姉と妹がいる」に連関付けて記述されている方が良いと思います。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部の「人物の主な活動」、「人物がどうして重要か」について中元すず香はほとんど関係が無いためです。--Whitesell会話2015年11月5日 (木) 06:08 (UTC)[返信]

Whitesellさんの取り消し行為について

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文脈がおかしいと感じたら、まるごと編集を取り消していいという理由を説明してください[1]。つくりかけの記事なのですから、つねに不完全な状態で進行していくものです。些細な文脈程度のこと取り消すようなもんじゃないです。そんなにこだわるのであれば、Whitesellさんが文脈をつなげるような新しい情報を出典付きで加筆すればよいことではないですか。取り消しというのはそんな安易にやるもんじゃないです。個人的に文脈がおかしいとは感じませんし。--Ex.ph会話2015年11月23日 (月) 07:06 (UTC)[返信]

利用者‐会話:Whitesell#中元日芽香でも回答しましたが、不適切に改変されてしまったと思いました。具体的にどこがどう不適切であったか説明しますと、「ひめたんという愛称は妹の中元すず香が名づけた」の後に「妹はBABYMETALの中元すず香」という二重の説明がされている点です差分。文脈がおかしいと指摘する私が修正すべきとおっしゃいますが、元に戻すのも1つの修正であると思います。--Whitesell会話2015年11月23日 (月) 07:15 (UTC)[返信]

「不適切な改変」というのはそういう意味じゃないでしょう。ノート:中元日芽香#Whitesellさんの取り消し行為についてでも書きましたが、文脈程度で納得いかないものは取り消すのではなく、うまく書き直すような発展的な編集をすることによって対処することです。WP:DRには「偏っている、あるいは不正確だと思えても、その編集を単純に取り消したり差し戻したりするのではなく、代わりにその編集をできるだけ発展的に改善してみて下さい」とありますから、「元に戻すのも1つの修正であると思います」なんていう自己中心的な主張は通りません。-Ex.ph会話2015年11月23日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

取り消された事が不愉快だったんですね?少々乱暴な行為だったと思います。申し訳ありませんでした。Ex.phさんは二重の説明がされている点が不自然であるとは思いませんか?--Whitesell会話2015年11月23日 (月) 07:27 (UTC)[返信]

不愉快なのではなく、H:RVWP:DR違反だと言っているんです。それらの行為は百科事典の発展に貢献しないから、よそでやってくださいということです。不自然だと思いますよ。しかし、愛称を冒頭にもってくるのはもっと文脈的におかしいですから、まるごと取り消すのはもっと不自然です。二重の説明は同じ考えですが、だからといってこの程度でいちいち取り消すもんじゃないです。つくりかけの記事は常に不完全な状態で進行していくものです。どうしても気になるのであれば、文脈が自然につながるような出典をもってきて加筆すればいいんです。それができないのであれば、つくりかけの記事として現実を受け入れないとだめですよ。発展中の記事で、すべての文脈がきれいにつながっている記事なんてありますか? ないですよ。--Ex.ph会話2015年11月23日 (月) 07:35 (UTC)[返信]

不自然なものを元に戻すのは百科事典の発展だと思います。大げさにいうとですがね。そんなに怒らないでくださいよ。このページは記事・中元日芽香の改善を目的とするものであり、私を追求する場ではありません。「愛称を冒頭にもってくるのはもっと文脈的におかしい」は主観ですよね?中元日芽香を象徴するものが導入部に来る事が望ましいと思います。「ひめたん」という愛称は象徴的ではないですか?ないと思うのであれば対立する考えであるとしてノートで話しあえば良い事です。無断で「愛称を冒頭にもってくるのはもっと文脈的におかしい」として編集する事は自己中心的ではないのですか?--Whitesell会話2015年11月23日 (月) 07:45 (UTC)[返信]

この期にを及んで「大げさにいうとですがね」などと言うのは、H:RVWP:DRなどの「利用者の行動のルールを、複数の別の利用者からたびたび説明されても理解しようとしない利用者」すなわち「コミュニティを消耗させる利用者として、理解できると思われるまでの期間ブロック」される道への第一歩だと思います。

愛称を導入部にもってくるのは文脈的にはおかしいです。繰り返しますが「文脈的には」です。なぜなら、文章の流れが冒頭から人物節へと飛ぶからです。飛んでいるのですから、これは自己中でも主観でもなく、文の問題として答えが出ます。おそらく、Whitesellさんは「文脈的には」を「導入部的には」と読み間違えているのだと思いますが。ノート:中元日芽香#導入部についてで「連関付けて記述されている方が良いと思います」とWhitesellさんが述べているとおり、文脈的には人物節でまとめた方がよいことはご自身も認めていることです。

もしかしたらWhitesellさんは愛称を導入部にもってきたら、人物節にある愛称を除去しなければならないと考えているのかもしれませんが、導入部と本文が二重説明になってはいけないという決まりはありませんから、導入部にもってきたからといって人物節から除去しなければならないわけではありません。

Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部のことはよくわかりません。読んでもその質問に対する答えはスタイルマニュアルに書いてありませんでしたし、導入部がどうであるべきかという問題提起は話が大きくなりすぎるため、別のところで議論または勉強してください。出典なしに象徴だの私とWhitesellさんの間で話し合ったところで独自研究に他なりません。--Ex.ph会話2015年11月23日 (月) 09:04 (UTC)[返信]

あれ?自分が取り消されたら怒るのに、Ex.phさんが人の編集を取り消すのは自由にやって良いんですか?よくわからないですね。私の編集を尊重していただけそうにないので当分様子をみることにします。--Whitesell会話2015年11月23日 (月) 09:17 (UTC)[返信]

この編集で無出典記述(独自研究)を復活させた上、'''を;に変えているようですが[2]H:LISTの推奨例をまず熟読していただけませんか。そんなのは発展的編集ではないです。また、アイドルテンプレートやPJ:ENTAMEでは愛称が一番最初に取り上げられているので、人物節でも愛称を一番最初に取り上げるのが順番通りです。--Ex.ph会話2015年11月23日 (月) 09:22 (UTC)[返信]

本名の説明は愛称の説明に優越(前述)するほど独立した特筆性が認められるか

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コメント依頼から来た方へ要約

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  • Rmwhitespaceさんは、本人の公式ブログという一次情報ひとつで得られる「本名(記事名)の由来の記述」は特筆性がないため、二次情報で得られる本名(記事名)の愛称の記述を必ず先述しなければならないと主張してこの議論を開始しています。ただし「項目名が中元日芽香である以上、中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なことだからです。」と文章構成上は「本名(記事名)の由来の記述」を先述すべきというSLIMHANNYAの意見に同意しています。
  • SLIMHANNYAは、本人の公式ブログという一次情報ひとつでも「本名(記事名)の由来の記述」のような記事名の由来に関する重要な情報の特筆性は認められる。文章構成上は「中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なこと」と「本名(記事名)の由来の記述」の先述に両者が合意しているのだから、本名先述が自然である主張しています。

Rmwhitespaceさんは自己の主張を補強するために様々なwikipedia方針を持ち出しており、SLIMHANNYAはそれは方針の誤解・曲解であると反論しています。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 05:31 (UTC)[返信]

意見は#第三者の意見にお願いします。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 05:39 (UTC)[返信]

報告妥協案が提出されたので終了とします。--SLIMHANNYA会話2016年5月11日 (水) 08:39 (UTC)[返信]

議論の推移

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以下は、利用者‐会話:SLIMHANNYA#中元日芽香の続きです。

現状「ひめたん」という愛称は複数の二次情報源によって言及されるほど特筆性がありますが、本名の「日芽香」に関しては一つの一次情報源しかなく、特筆性がありません。それゆえ、本名の「日芽香」は、愛称の「ひめたん」を補足的に説明する範囲でWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反しないのであって、その範囲を逸脱して前述するような内容ではありません。--Rmwhitespace会話2016年5月2日 (月) 22:30 (UTC)[返信]

方針により、ある記述に対する出典をどちらか選ぶ際には一次資料より二次資料が優先されますが、これは一次資料の出典で記載されてる記述と二次資料の出典で記載されている記述の順番(前述と後述)を決めるものではありません。本人の「公式サイト」という一次資料の情報を「特筆性がない」と完全に無価値化するのは方針の解釈の行き過ぎです。公式サイトという一次資料がある上に日本語の繋がりの観点から記事名でもある本名に関する記述が先に来るのは自然なことです。方針を誤解して解釈して一次資料を完全に無価値化するRmwhitespaceさんの主張は、ノート:さくら学院#出典に記載されているのに「独自研究」とはどういうこと?で「一次資料である公式サイトの記述は出典にならない」と主張して複数の編集者から反対された後にWikipedia:コメント依頼/Whitesellを提出されてどこかに消えた利用者:Whitesell会話 / 投稿記録 / 記録さんの主張の繰り返しに見えます。奇しくも両社とも「white」が入るアカウント名で、出没記事、編集傾向、文章の特徴、接し方が瓜二つです。できるだけ対話はしようと思いますが、対話のための対話を避けるためにも、広く合意形成を図ったほうがいいんじゃないでしょうか。--SLIMHANNYA会話2016年5月2日 (月) 23:01 (UTC)[返信]
返信 (SLIMHANNYAさん宛)
>記事名でもある本名に関する記述が先に来るのは自然なことです
それは私もそう考えています。なぜなら、項目名が中元日芽香である以上、中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なことだからです。しかし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかでは「それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべき」となっていますから、たとえ本名だからといって、それだけで特筆に値するとはなりません。本名の由来は、愛称の「ひめたん」が特筆性をもつがゆえに補足的に加えられているものにすぎません。それは趣味や特技の節もそうです。複数の二次情報源によって取り上げられていない瑣末な趣味や特技まで取り上げるのはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反します。一次資料は出典にならないと主張しているのではありません。本名の説明は「ひめたん」という愛称が特筆性をもつがゆえに後述可能となるものであり、「ひめたん」という愛称から独立して前述可能となるようなものではないと言っているのです。前述や後述は情報の序列を決定するものですから、読みやすさの観点から前述するというのはSLIMHANNYAさんが情報の序列づけを行っているということになり、中立的な観点に違反します。--Rmwhitespace会話2016年5月2日 (月) 23:23 (UTC)[返信]
上文においてRmwhitespaceさんは新たに、一次資料も出典になること、本質的に記事名であり本名でもある「中元日芽香」という名前に関する記述は先頭に書かれて自然な記述であることに同意しました。つまりRmwhitespaceさんは一次資料と二次資料をどちらか一つ選ばなければならない場合の優先度(二次資料が優先)については正しく理解しているが、それが一次資料と二次資料をそれぞれ用いた別個の記述の順序にそのまま反映されると曲解(「中立的な観点」に関する解釈の誤解)していることが問題として残りました。この件について理解いただけないのなら議論は延々と平行線になりそうです。--SLIMHANNYA会話2016年5月3日 (火) 00:05 (UTC)[返信]
返信 (SLIMHANNYAさん宛)
>一次資料と二次資料をそれぞれ用いた別個の記述の順序にそのまま反映されると曲解
そうではなく、複数の情報源で取り上げられている「愛称」は「それぞれの分野において受け入れられている知識」といえるものであり、一つの情報源で取り上げられているにすぎない「本名」よりも重みをもつものですから、重要なものは先に述べるという至極当然な感覚に基づいて、複数の情報源で取り上げられている愛称は前述し、本名の説明はその後述にとどめるのが正しいと言っているのです。もし本名の説明がその分野で広く受け入れられている知識であるならば複数の情報源で取り上げられているはずです。しかし、現状は全く取り上げられておりません。ほぼゼロです。ということは、本名の説明は「ひめたん」という愛称を補足的に説明する上で役立てるのが適切な重み付けとなります。これで私の主張をご理解いただけたかと思います。いかがでしょうか。--Rmwhitespace会話2016年5月3日 (火) 00:27 (UTC)[返信]
「至極当然な感覚」はRmwhitespaceさんも同意した「項目名が中元日芽香である以上、中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なことだからです。」で明らかなとおり本名の先書きですね。既にご自身で認めてますから。この期に及んで「一次資料と二次資料やその数を比較して多いほうが重要だから必ず前の段落に書かなければならないというのが至極当然な感覚」と前言撤回して主張し直すのは論理矛盾しており、当然そのようなwikipedia方針も存在しません。本名先出しはwikipediaの方針上違反していないのだから「至極当然な感覚」が優先されるのは当然です。私は先ほど「RmwhitespaceさんはWikipedia:コメント依頼/Whitesell後にどこかに消えた利用者:Whitesell会話 / 投稿記録 / 記録さんに編集内容やプロフィールが瓜二つ」と申しましたが、読んでいないのならWikipedia:コメント依頼/SLIMHANNYAWikipedia:コメント依頼/Whitesellの第三者意見を改めて読んでほしいです。Rmwhitespaceさんの今後のwikipedia活動にも影響すると思いますから。--SLIMHANNYA会話2016年5月3日 (火) 01:21 (UTC)[返信]
返信 (SLIMHANNYAさん宛)
>主張し直すのは論理矛盾
主張し直していません。SLIMHANNYAさんは相手の主張を聞く前にミスリードしすぎです。それは不要な混乱を招くだけでなく、相手に対して失礼です。本名の説明がその分野で受け入れられている知識であるならば、愛称よりも先に書くべきです。その方が文章の流れとして自然だからです。これは前にも述べました。たとえば、本名と愛称の情報源の数が10対10で同じ、あるいは5対10くらいで愛称の情報源が勝っていたとしましょう。それでも本名の説明がその分野で受け入れられている知識であると推定できるのであれば、数は劣っていたとしても本名は愛称よりも先に書くべきです。なぜなら、どちらもその分野で受け入れられている知識であるならば、後は読みやすさの問題となるからです。これが私の考えです。私が愛称の後述に本名の説明を書くべきだと主張するのは、そもそも本名の説明とやらが「その分野で受け入れられている知識」ではないからです。だから、そのようなWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反する情報は、あくまで「その分野で受け入れられている知識」である愛称を補足的に説明する後述程度に留めるのが適切である。さて、ここで議論を明確にするために、SLIMHANNYAさんに質問したいと思います。本名の説明は「その分野で受け入れられている知識」ですか。もし受け入れられている知識であると主張するのであれば、その証拠を提出してください。--Rmwhitespace会話2016年5月3日 (火) 01:48 (UTC)[返信]

RmwhitespaceさんはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを曲解しています。公式ブログの出典付きの本名(記事名)の由来の記述はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反する記述ではありません。出典が本人公式ブログの一次資料一つでも、今回のような記事名(本名)の由来の記述はwikipediaに書かれてしかるべき記述です。さらに本人公式ブログの記述は「受け入れられている知識」で「検証可能」であり、「出典の明記された内容」です。だから「一次資料の数や二次資料の数で記述の先述・後述の順序を厳格に決めるべきで、一次資料(本人公式ブログ)一つの出典の記述はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反するから後ろにしなければならない」という主張も非合理です。そんな方針があったなら、記事冒頭になるほど莫大な数の二次資料の出典が必要になって、文末に行くにつれて出典の数を徐々に減らしていく、出典の数の順序付け(多→少)が必要になってしまいます。一次資料も出典として通用する上に、既にRmwhitespaceさんも同意している通り「項目名が中元日芽香である以上、中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なこと」なのだから、その通りに書くのが当然なのです。つまり通用する一次資料の公式ブログの本名の出典がある以上、読む人の立場に立った自然な文章構成の本名先述に問題は全くありません。「重み」についてもWikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけは複数の観点が併記される場合に考慮される項目で方針の曲解です。何度も独自の方針解釈を主張されても永遠に平行線なだけです。どうしても納得せずに「本名(記事名)に関する記述は必ず後ろ、もしくは削除すべき」と主張するなら広く合意形成を図ってください。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 04:17 (UTC)[返信]

なお「受け入れられている知識」は「知っている人の数」を意味しているのではなくて「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」のことです。もし「知っている人の数」であるなら、専門分野の記事の特定の検証可能出典付きの記述については「知っている人の数」が少ないため何も書けなくなってしまいます。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 05:49 (UTC)[返信]
返信 (SLIMHANNYAさん宛) そんな主張はしていません。何度もミスリードしないでください。これで三度目の注意です。「受け入れられている知識」が「知っている人の数」であると私がいつ主張しましたか。受け入れられている知識ならば複数の情報源で取り上げられているはずだ、とは主張しましたが、その知識を多くの人が持っていなけばならないとは主張していません。コメント依頼もミスリードしており、必ず愛称を先述しなければならないとは主張していません。これ以上、同様のミスリードを繰り返すのであれば、意図的に他人の主張をミスリードしていると考えられ、コミュニティを欺く行為であると解釈されます。--Rmwhitespace会話) 2016年5月4日 (水) 06:14 (UTC) --Rmwhitespace会話2016年5月4日 (水) 06:16 (UTC)[返信]

報告 Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼を提出しました。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 04:54 (UTC)[返信]

返信 (SLIMHANNYAさん宛)
>「一次資料の数や二次資料の数で記述の先述・後述の順序を厳格に決めるべきで、一次資料(本人公式ブログ)一つの出典の記述はWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに反するから後ろにしなければならない」という主張も非合理です。
そんな主張はしていません。前回の投稿で私は「5対10くらいで愛称の情報源が勝っていたとしましょう。それでも本名の説明がその分野で受け入れられている知識であると推定できるのであれば、数は劣っていたとしても本名は愛称よりも先に書くべきです」と述べています。
>Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけは複数の観点が併記される場合に考慮される項目で方針の曲解です。
Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけは本名の由来を愛称の補足的説明として後述する場合のことです。つまり、愛称の補足的説明として後述するのであれば、優れた記述へを置き換えなければならない。
それに対し、SLIMHANNYAさんは前述することを主張していますから、前述するということは愛称の補足的説明としてではなく、本名の由来そのものに特筆性があって、それがその分野で受け入れられている知識であるという前提がなければなりません。そうでなければ、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかに違反します。
SLIMHANNYAさんは、本名の由来を説明することが「その分野で受け入れられている知識である」ことを証明できていません。SLIMHANNYAさんの論理構成は以下のとおりです[3]
  1. 主張:出典が本人公式ブログの一次資料一つでも、今回のような記事名(本名)の由来の記述はwikipediaに書かれてしかるべき記述です。
  2. 主張:本人公式ブログの記述は「受け入れられている知識」で「検証可能」であり、「出典の明記された内容」です。
  3. 主張:一次資料も出典として通用する上に……(中略)……「項目名が中元日芽香である以上、中元日芽香という本名に関する説明から入ることが自然なこと」なのだから、その通りに書くのが当然なのです。
SLIMHANNYAさんの論理構成は主張・主張・主張の連続で、本名の由来を説明することが「受け入れられている知識」であることを証明する根拠が示されていません。一次資料は出典として使用できますが、出典として使用できるからといって「受け入れられている知識」とはなりません。出典として使用できる一次資料が一つあれば何でも記載としてよいとなるならば、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかと矛盾します。また、中元日芽香は便宜的につけられている項目名であって「中元日芽香」という名前自体に特筆性があるわけではありません。名前自体に特筆性がある場合は前述すべきですが、現状はありませんから後述に留めるのが適切です。
なお、合意は多数決ではありませんから、ご自身が「受け入れられている知識」であると主張するのであれば、それを裏付ける資料をご自身が提出して証明してください。ご自身が立証責任を果たさずに投げ出しておきながらコメント依頼に任せるというのは、コミュニティを消耗させる行為です。ということで、もう一度質問いたします。本名の説明は「その分野で受け入れられている知識」ですか。もし受け入れられている知識であると主張するのであれば、その証拠を提出してください。もしこの回答を今後も拒むのであれば、SLIMHANNYAさんの行なっていることはコミュニティを巻き込んだいつまでも「納得」しない行為になります。--Rmwhitespace会話2016年5月4日 (水) 05:54 (UTC)[返信]
「受け入れられている知識」に関しては既に述べています。対話拒否扱いしないでください[4]。以前にも私はRmwhitespaceさんはwikipedia:コメント依頼/Whitesell後に消えた利用者:Whitesell会話 / 投稿記録 / 記録さんと瓜二つと申し上げてきましたが、Rmwhitespaceさんの直上の文も、[5]でWhitesellさんが注意されのと全く同じく「ウィキペディアは多数決主義ではない誤用」をしています。同一人物と思えるまでに共通点が多いのでWikipedia:コメント依頼/SLIMHANNYAWikipedia:コメント依頼/Whitesellが参考になると思います。--SLIMHANNYA会話2016年5月4日 (水) 06:17 (UTC)[返信]
返信 (SLIMHANNYAさん宛)
SLIMHANNYAさんの「「受け入れられている知識」は「知っている人の数」を意味しているのではなくて「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」のことです」という主張は、「受け入れられている知識」という言葉を「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」という別の言葉に言い換えているだけで証明になっていません。
  1. なぜ「受け入れられている知識」が「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」のことを指すといえるのか
  2. そもそも「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」とは何なのか
  3. 本名の由来は「独自研究ではなく中立の観点上問題なく受け入れられている知識」なのか
以上が明らかにされていません。--Rmwhitespace会話2016年5月4日 (水) 06:30 (UTC)[返信]

解決案

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自説の論理に行き詰まるとSLIMHANNYAさんは、自身の主張を明確化する努力を放棄し、相手の主張を極度に誤導した虚偽のコメント依頼を提出することによって、コメント依頼終了期間である1か月ルールを盾にして対話拒否を続けていますが、それは時間稼ぎにしかなりませんから、問題解決に向かって積極的に解決案を提示していくべきだと思います。

さて、これまで私は、本名の由来は愛称の「ひめたん」の成り立ちを説明するための補足説明として加えられているものだから、先述するのではなく、愛称の「ひめたん」の成り立ちをうまく説明するような優れた後述へと書き換えることによって解決すべきだ、と考えていました。

一方、SLIMHANNYAさんは、本名が愛称の成り立ちを補足説明するために後述されているとは気づいていなかったようで、愛称は愛称、本名は本名とわけて読んでしまったようです。だから、SLIMHANNYAさんは本名の由来を先述したのでした。

このような解釈にたてば、先述することはそれはそれで正しいと私も思うのですが、それでも人物節というのはトリビアの集積場になりやすいところなので、WP:NOTに基づいて、その分野で受け入れられている知識であると明確に言えるものでないかぎり、段落の先頭にもってくるべきではないと考えています。とくに、それが複数の情報源で取り上げられておらず、かつ本人の公式ブログというたった一つの一次情報源の片隅にしか見いだせないような超トリビア級の情報となると、なかなか簡単に「その分野で受け入れられている知識」と認められるものではありません。

そこで、一つの解決案を提示します。PJ:ENTAMEによれば、略歴は「人物伝としての本文」であり、略歴節に組み込めなかったものが人物節に移動されます。WP:MOSBIO的にも人物の伝記の本文は「流れのあるまとまった文章で執筆してください」とのことですから、本名の由来を「略歴」の冒頭に移動することによって解決してみてはいかかでしょうか。

つまり、略歴の冒頭で「19XX年に○○県で生まれ、父親から○○と名づけられた……云々」という文から始める、ということです。この方法なら、本名の由来が独立した特筆性をもたなくても生い立ちを説明する補足説明として役立てることができているため、WP:NOTにも違反しませんし、WP:MOSBIOPJ:ENTAMEとの整合性もとれます。これが最も方針・ガイドライン、および文の流れ的にも整合性をとれる解決方法だと思うのですが、いかがでしょうか。--Rmwhitespace会話) 2016年5月8日 (日) 18:40 (UTC) --Rmwhitespace会話2016年5月9日 (月) 08:42 (UTC)[返信]

最初から私の方からさっさと第3者を交えて合意形成をするよう勧めていたんだから1か月ルールで議論を長引かせるつもりなんてあるわけないとわかるはずですが?。だからこそ、今回も私からWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼を提出したのであって、当然念頭はWikipedia:合意形成#合意形成に記述されている1週間です。過去に合意形成が行われたノート:さくら学院を見ても、私から1週間後に結論を出しているともわかります。対象に対して読み手の認識を左右するような記述の可否ならいざ知らず、本質的には読み手には全く影響を与えない些末な記述で延々と議論・反論するのは全く本意ではないので、それでいいでしょう。--SLIMHANNYA会話) 2016年5月11日 (水) 08:39 (UTC) 訂正--SLIMHANNYA会話2016年5月11日 (水) 08:49 (UTC)[返信]
チェック 修正しました。--Rmwhitespace会話2016年5月19日 (木) 13:07 (UTC)[返信]

終了 以上、終了とします。--Rmwhitespace会話2016年5月19日 (木) 13:07 (UTC)[返信]