ノート:世界救世教
最近、いろんな新宗教のWikipediaの記事に登場して、それらの創立者たち関するネガティブな情報を意図的に追加して、あえてイメージダウンを 図ろうとしている悪質は荒らし魔が出没している。その名はカタバミハ。ここでも登場して悪質な荒らし行為をしているようであるが、彼はWikipediaの投稿規程を巧妙に悪用して、逃げ道を作りながら荒らし行為を繰り返している。彼の投稿履歴を見れば一目瞭然!ここだけで無く、多くの新宗教団体が被害を受けている。ポイントはただ一つ、教祖に関するネガティブな情報を付加するだけ。表向きは、記事の客観性や論拠を問題にしているようであるが、それならば わざわざ、創立者に関するネガティブな情報を付加する必要など無いはず。彼が意図しているのは、他の新宗教を貶めることのみであるのは明らかです。 客観性や論拠だけを良心的に問題にしているのであれば、真偽の定かでないネガティブな情報を何故にわざわざ付加するのかということです。 この悪意に満ちた荒らし屋の「カタバミハ」に皆さん気をつけましょう。
2007年5月末から6月にかけての、124.210.169.94による荒らし行為に関して
[編集]2007年五月末から、 124.210.169.94は、世界救世教教祖、岡田茂吉に関する記述があるさまざまな項目に対し、文脈を無視して無差別的に、「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という記述をはじめとする、悪意の逆宣伝を目的とした、荒らし行為と断定できる記述を行っています。
私、Brandy of plum は、この荒らし行為を監視し、差し戻し処理を行っております。
124.210.169.94が荒らし行為と認定できる理由は、
- 同一のタイミングにおいて、世界救世教に限らない、岡田茂吉という氏名の記述があるさまざまな項目に対して同等の文章を挿入している。
- 文章の記述には岡田茂吉に対する明かな悪意が感じられ、記述の動機がWikipediaの充実ではなく、悪意にあることが一目瞭然である。
- 記述は文脈を無視しており、そこに挿入する必然性もなく、項目の情報としての品質を損なわしている。
- そもそも、その記述内容は真実ではない。または、悪意に歪曲して表現している。
という点から認定できます。
なお、以下に、最後の「そもそも、その記述内容は真実ではない。」という点について解説を行います。
「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という挿入文は真実ではない
[編集]荒らし行為を行うものがこの記述を行う論拠は、以下のホームページの記述にあります。
むしろ、このホームページの記述以外に論拠をもっていないとも言えます。なお、このホームページは、他の宗教をすべて邪教とする傾向が強い日蓮正宗系のホームページであり、世界救世教に限らずさまざまな宗教に対して批判的な記載を行っているページであることを付記しておきます。
さて、このホームページに記載されている、 「昭和11年と15年の2回、茂吉は医師法違反で逮捕されています。」 という記述は、真実ではありません。
この件に関しては、まず、Wikipediaの項目より、一目でわかる問題から解説します。 Wikipediaの項目医師法 の記載をみて頂くと、我々の知る医師法という法律は、昭和23年に成立、施行された法律だということがわかります。とくに注目すべきは、我々が医師法違反で逮捕と聞いて想像する、「医師以外、医業をなしてはならない」という法律「医師法第17条」も、昭和23年に制定された法律であるという事です。
このことにより、昭和11年、および昭和15年に医師法違反で逮捕されたというだけの短い記述は、我々が知る医師法がその時代には存在していなかった一点だけを考えても、事実を適切に表現していないことがわかります。
では、昭和10年代の逮捕とは何かという話ですが、そもそも、逮捕されたという表現より現代人が想像するのは、法律に違反したため警察に逮捕されたということになります。上記の世界救世教の誤りを破すの記述も、「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」の単文をあちこちの項目に挿入した荒らし行為者も、単に逮捕されたと記述することで、現代人が想像する逮捕を想起させ、岡田茂吉を犯罪者であるかのように印象づけようとしているのですが、実は、岡田茂吉教祖が戦前または戦中の時代であった昭和10年代に蒙った数回におよぶ投獄の災難は、現代人が想像する「警察による犯罪者の逮捕」とは意味が異なります。
それは、日本の警察の項目の記述をみるとわかるとおり、1933年(昭和8年)より、1948年(昭和23年)迄の間、すなわち岡田茂吉教祖が逮捕されたとする昭和10年代は、警察以外に憲兵 (日本軍)が一般人に対する逮捕や尋問などを行っていた時代でした。
当時の憲兵 (日本軍)が行っていたことは、思想の徹底的な抑圧であり、天皇を神とする思想に反する言動を行うものは思想犯などとされ、投獄や拷問を含めた弾圧行為が国家によって行われていた時代でした。現代の我々が当たり前に享受している「信教の自由」「思想の自由」といったものは、戦前、戦中にはまったく存在しなかったのです。そのため、その時代は多くの思想家や宗教家がぬれぎぬを着せられ、不当な投獄を蒙ったり、拷問によって発狂や死亡にまで至った例まであるという、現代人からみると想像を絶するような時代でした。また、警察内にも、思想犯専門の部署である特高(特別高等警察)という部署があり、日本軍同様、一般人の思想言動を厳しく監視し、思想犯の検挙を行っていました。(特高は敗戦と共に廃止されました。)
すなわち、岡田茂吉を逮捕したとするのは警察ではなく当時の日本軍または特高と呼ばれる思想犯専門の警察部署であり、これは、現代人の考える「(警察による犯罪者の)逮捕」とは、まったく事情が異なっているのです。
戦前、戦中にどのような思想、言論弾圧が行われたかについては、戦前・戦中期日本の言論弾圧 (年表)を参照してください。
世界救世教教祖、岡田茂吉もその例に漏れず、軍人や特高らによる思想弾圧を目的とする迫害を蒙ったのが、昭和11年、昭和15年などの投獄、留置、拷問事件でした。とくに岡田茂吉の場合は、当時の国家がその総力をあげて大弾圧を行った大本教のもと幹部であったという事情もあり、その残党として目を付けられてため、当時の憲兵 (日本軍)の目も他の思想家以上に厳しく、さまざまな難癖をつけ、なんとかその宗教活動または治療活動を禁止しようと、数回もの留置、投獄、尋問、拷問、暴力行為を行ったのです。(大本教が蒙った弾圧については、大本事件を参照してください。)
上記ホームページに記載されている、昭和11年と昭和15年の2回の逮捕とは、この憲兵 (日本軍)や特高による、思想弾圧を目的とした、留置、投獄、尋問、拷問、暴力行為のことであり、現代人が思うような、「犯罪を犯して警察に逮捕された」というようなことではありません。
なお、この一連の投獄事件に関しては、岡田茂吉教祖はそのときの事情を文章として詳細に残しており、調べればそのときの様子を詳しく知ることが可能となっています。
結局、逮捕といっても旧日本軍や特高による思想、言論弾圧が目的の投獄、拷問行為であったということ、そもそも我々の知る医師法が昭和23年の成立であることを考えると、「昭和11年と15年の2回、茂吉は医師法違反で逮捕されています。」とだけする単文は、真実を適切に表現したものとは言えないということがわかります。
戦前、戦中という特殊な社会的背景や、法律自体の事情も違うことに言及することなく、これを単純に「逮捕された」などという表現で犯罪者扱いにし、印象を操作しようとするような記載は、他宗教批判を目的とすることが明確な上記世界救世教の誤りを破すのようなホームページの記述や、うわさ話を創造して楽しむことが目的の2chのようなところならともかく、百科事典として記事の正確性を目指すWikipediaの記述としては適切ではありません。
次に、「教祖が脱税で逮捕された」という事実は存在していません。
昭和22年当時、戦後の混乱期にあって財務を正しくできる人間が不在であったことや、急激な発展に対する組織整備の遅れなどから、昭和22年度の教団の税務申告に関して不備がありました。そのため、昭和23年に、教団本部が強制捜査を受けたという事実がありました。
通常、税務申告の不備ぐらいで強制捜査は行いませんが、当時の大蔵省査察部(*)は、教団が不正な財産を宝石などに変えて邸内に隠し持っていると想像しており、申告の不備を口実に強制捜査を行ったのです。もちろん、実際には何も発見されませんでした。
(*)昭和23年時点では、査察部は大蔵省直下に組織されていたそうです。
その結果、この騒動自体は単なる申告の記載漏れとして理解され、追徴金を納めることで一応の決着がつき、もちろん岡田茂吉教祖の逮捕などは行われておりません。しかし、世間に注目を受けていた当時の教団は、マスコミによってこの騒動を大きく揶揄されたのです。
当時のマスコミは、現代と違い、不当な報道に対する自浄機関も全く有しておらず、公平で客観的な報道を行っているとはいえない時代でした。そのため、この事件も非常に大げさに揶揄され、「教団の資産は20億から30億円」などという事実とは異なる記事が、大新聞であっても現在の三面記事、大衆週刊誌レベルの意識で、読者の興味を引く目的により報道されました。(20億から30億円という金額は当時の貨幣基準による。昭和23年当時の公務員初任給は5000円程度、現代は20万円程度なので40倍違う。現代でいう800億から1200億を、物資なく全日本国民が飢えていた時期である、戦後の2年程度で集めたことになる。これはとうてい常識的な報道ではない。)
そして、昭和25年にある事件によって教祖の逮捕が行われるわけですが、当時の報道機関は、あたかも昭和23年の脱税騒動と連動してその逮捕が行われたかのような報道を行ったのです。昭和25年当時の大新聞がこぞって、「贈賄で脱税」などという見出しの報道を行ったのですが、実際には容疑に脱税の要素はなく、当時の新聞の誤報です。
この誤報のため、現代でも、「岡田茂吉の逮捕は脱税と贈収賄」と誤解され、前述の世界救世教の誤りを破すのホームページでも「脱税と贈賄の容疑で検挙され有罪判決を受けました。」などと誤った情報が書かれているのですが、昭和25年の逮捕には脱税容疑の要素はなく、岡田茂吉教祖が脱税で逮捕されたという事実は存在していません。
荒らし行為の挿入文「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」をみると、まるで逮捕ということが3,4回もあったかのように見せていますが、警察による逮捕という、我々が想像するいわゆる逮捕は、昭和25年に発生した1回のみです。
その、昭和25年の逮捕というのは贈賄容疑です。したがって荒らし行為の「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」という挿入文は、容疑は贈賄ですから、「収賄」という記述まで考慮すると、一つの真実もないわけです。
仮に「収賄の記述は勘違いだった」とし、贈賄と書き直したとすると、そこでようやく真実の表現に近づくことになりますが、だが、それがうわさ話を楽しむ2chのような所でしたらまだしも、百科事典として正確な記述を目指すWikipediaとしては、「教祖である岡田茂吉は、贈賄での逮捕歴がある」という記述表現だけでは情報の正確さを欠きます。
というのは、この贈収賄事件は、結論として事件自体が存在していなかったことが他の裁判を通じて証明されており、必然的に岡田教祖が蒙った有罪判決も無実の誤審であったことが立証されているからです。
贈収賄というのは、当然、贈賄側と収賄側がいます。岡田教祖は贈賄側とされており、この裁判は、当時の警察による「頭脳の拷問」といわれる取り調べの結果の自白を唯一の証拠とする判決により、一審において有罪となっています。当時の教団側弁護団は、この裁判の不当性、および、控訴による勝利の確信のため、控訴を強く勧めましたが、岡田教祖は以下の発言を残し、控訴を行いませんでした。
- 「いままで教団は、短期間に発展したため、ねたんだり、恨んだりしている人々も世間にはたくさんいるはずだ。けれども今日の判決で有罪と宣告されたので、そういう人々の思いが消えるから、かえって結構なことなんだ。それに有罪といっても、執行猶予なのだから、別にどうということはない」(東方の光下巻P289)
しかし、収賄側とされる教団外の人物らは納得がいかず、控訴を行い、その結果、唯一の証拠であった教祖の自白には任意性が認められず、証拠としての能力がないとし、収賄側は無罪となりました。このことにより、この贈収賄事件は、贈収賄の収賄側が無罪ということで、必然的に事件自体が存在していなかったことが証明され、教祖の無実が間接的に実証された結果となっているというのがこの騒動の顛末です。
なお、収賄側とされる教団外の人物らによる控訴後の勝利は、岡田茂吉の死去した昭和30年よりも後のことでした。
ちなみに、教祖の「自白」というのは、「私がやりました」と言ったのではなく、教祖の発言と、教祖以外の容疑者の発言が一致したので、共謀を行ったのだろうと検察は判断した、という程度のものでした。これが現代の事件であるならば、この程度のことが唯一の根拠という状態で検察は起訴を決定しないでしょうし、ましてや一審で有罪ということも起こらないでしょう。
なぜ、このような無実の逮捕劇が起きたかというと、昭和20年代というのは、昭和23年、GHQの要請により警察法が制定され、現在の私たちが知る警察組織がようやく機能し始めた時代でしたが、そのときの警察担当者は、戦前の憲兵 (日本軍)や特高がそのまま警察の担当者を引き継いでいる例が多く、そのため警察といえど戦前の思想行動を戦後においても継続し、信教の自由こそは憲法で保障されたものの、実際には警察による思想弾圧の色がまだ強く残っていた時代でありました。こういった時代背景が、当時の警察に教祖の検挙を強く決心させ、薄い根拠しかないのに結論を焦ったためにこのような無実の逮捕劇を起こしたのだと思われます。もちろん、当時の世界救世教が、当時の様々な新宗教の中で、信者数の増加という意味で非常に目立っていたことも関係があります。
なお、この事件に関しても、岡田茂吉教祖は多くの文章を残しており、当時、教祖がどのような仕打ちを受けたのかについても知ることが可能です。
岡田茂吉教祖の逮捕ということについては、戦前戦中に行われたものは、「警察による犯罪者の逮捕」ではなく、旧日本軍や特高による思想、言論弾圧としての投獄、拷問行為でした。現代人が逮捕と聞いて想像する通りの「警察による犯罪者の逮捕」は昭和25年に行われた一回のみであり、これは「贈賄容疑」として一度は有罪判決を受けたが、実は後の裁判で贈収賄行為自体が存在していないことが証明され、結局は無実の逮捕および誤審であったというのが、この件の真実です。
- 戦前戦中の医師法違反による逮捕
- 現代人が想像するような「警察による犯罪者の逮捕」が行われたのではない。行われたのは、戦前、戦中の旧日本軍や特高による思想、言論弾圧による投獄、拷問行為。なお、現代の医師法の成立は戦後。
- 脱税による逮捕
- その事実はない。昭和25年の新聞報道の誤報。
- 贈賄による逮捕
- 昭和25年に贈賄容疑で逮捕。裁判は一審で有罪だったが、後にその贈収賄事件自体が存在していなかったことが他の裁判によって証明され、無実の逮捕、誤審であったことが立証されている。
したがって、もしこの件に関してWikipediaに書くのならば、上記の間接的に無罪となったという歴史的な事実や、当時の平等とは言えない警察や報道機関の事情、および、上記の発言の背景となる教祖の思想にまで言及して記述すべきだといえますが、現在の世界救世教の項目は、この件に言及するほどの記述の充実性は無く、それにも拘わらず「教祖である岡田茂吉は、脱税・収賄・医師法違反での逮捕歴がある。」とだけ連続的に各所に文章を挿入する行為は、真実を表現することを目的とした記述ではなく、単に岡田茂吉教祖への個人的な悪感情を表現したいにすぎないための記述であるため、この記述は荒らし行為にすぎないと断定できます。
Brandy of plum 2007年6月3日 (日) 10:34 (UTC)
- 日本宗教史年表に、検挙されたと記載されているので、その旨追記しました。無実の逮捕、誤審であったことが立証されているのであるならば、出典明記の上、記載してください。-カタバミハ(会話) 2012年9月1日 (土) 11:34 (UTC)
世界救世教とはなにを指すのか
[編集]- 題名の件ですが、世界救世教という項目が何を指し、なにを解説すべきものなのか、それが決まらないままこの項目は存在しています。世界救世教とは、「岡田茂吉が立教した大日本観音会」から、「現在の被包括法人三派」までの歴史を指すのか、それとも、「包括法人世界救世教」を指すのかも未定義です。
- 世界救世教自体が、三派の問題をどうするのか、信徒全体にまで周知され統一された方針が存在していない現在は、Wikipediaの項目を充実させるには不適切な時期だと考えています。その複雑な状態を記事として表記するのは、記述内容が膨大になり読者の混乱を生むだけで、しかもすぐに状況が変わってしまうわけですから。
- こんな現状ですから、私としてはあなたが編集を加える前の世界救世教の項目の状態ぐらいがちょうどよいと考えていました。あれ以上踏み込んだ場合、三派全員を納得させられる記述は難しく、もし仮に奇蹟的に三派全員を納得させられる記述ができたとしても、この記述は、一般人の読者には意味不明な内容になってしまうだろうからです。それでもこの項目を充実させようとするならば、三派全員が納得でき、一般人にもわかりやすい節構成や記述をあらかじめ設計、作成し、それを一挙に提案、提示すべきです。これは非常に難易度の高い大仕事です。
- 私の考えとしては、世界救世教の項目に書くべき物は現在の世界救世教の現状の運営の客観的な記述であり、歴史などはそれを補足する物として軽く書くのが、世界救世教について読者の知りたいことであり、百科事典にふさわしい記述であり、三派の差異を吸収する記述でもあると思います。
- 歴史をずらずらと書き並べても一般の読者の立場になったとき、長い割に得る物のない項目になってしまう。
- 「世界救世教の現状の運営はこのとおり」とまずわかりやすく端的に書いて、歴史などは、それを解釈するために必要最低限のことが書かれていれば十分でしょう。
- 世界救世教の項目自体は、そんなに詳しい項目にはならないはずです。詳しい内容が必要ならば、岡田茂吉の項目や、(今はまだ存在しませんが)各被包括法人ごとの項目に任せればよいのです。
ノートの整理Brandy of plumさんの2008.8.2内容を要約してあります。--★どんべえ★ 2008年8月9日 (土) 18:46 (UTC)
記載項目について
[編集]節が整理され、メインの追加が教団史のみになりましたので、この節について考えたいと思います。
現在の教団史の表記は次の通りです。
- 立教や団体の開始
- 本部施設の変遷
- 書籍発行の日時
- 教祖の迫害史
- 自然農法に関するもの
このうち、私が「教団史」にふさわしいものとふさわしくないと思うのは次の物です。
ふさわしいと思うもの
- 立教や団体の開始と解散
- 本部施設の変遷
- (書かれていないが)教主の就任や死去など
ふさわしくないと思うもの
- 書籍発行の日時
- 教祖の迫害史
- 自然農法に関するもの
- (書かれていないが)美術品の収集歴
なぜこう思うかというと、世界救世教の項目は、あくまで世界救世教という団体に関する項目であるので、その歴史には団体としての歴史を書けばそれでよいと思うからです。 ですからそんなに長く詳しくする必要もないでしょう。
書籍の発行史や教祖の迫害史は岡田茂吉の項目で書くべき事でしょう。 (書籍や自然農法は歴史の節よりも岡田茂吉の項目にそういう節を立てて書く方がよいと思います。)
なお、世界救世教を説明するのに、岡田茂吉に偏りすぎるのは、信徒の癖だと思いますが、世界救世教という団体を百科事典として説明する場合は、あまり岡田茂吉に寄りすぎない方が良いと思います。岡田茂吉を中心とする視点での歴史は岡田茂吉の項目に任せればいいでしょう。ついでに書くと、「教祖、小冊子「明日の医術」、「健康」を刊行して薬害・薬禍を警告し健康の真理を発表。」とありますが、健康の『真理』を発表などという表記は百科事典にふさわしくないと思います。このような主観的な評価ではなく客観的な事実を淡々と表記すべきでしょう。
と、私は思いますが、どう思いますか? --Brandy of plum 2008年8月4日 (月) 14:24 (UTC)
以上のご意見内容で私も良いと考えています。先に書かれていた内容に沿って編集していったもので、Wikipedia的には少し離れていると感じていたところです。今、草稿している文章にもやはり岡田茂吉という言葉が随所に出てくるので、というか説明の具体化ではどうしてもそうなるので極力削っているところです。
とりあえず、別ノートにて現段階の中途半端なものですがチェック願います。--Jesudonbay 2008年8月5日 (火) 02:15 (UTC)
2008.8編集内容議論の削除*
[編集]このページをウォッチリストに入れている人も、関係のない会話を読まされなくとも済みますので、本文投稿用の案文テキストが混雑になりましたので個々に移動させ編集前に戻して再考することを合意し「教団史について」も含めWiki:DeleteDontJustifyの方針にて削除してあります。--★どんべえ★ 2008年8月9日 (土) 18:23 (UTC)
「悪魔の証明」的表現について
[編集]- (プラセボ効果に代表される)暗示的効果側面を除いた上での統計・報告等は教団からは全く示されていない。(2009年5月現在)
- (自然農法を推進してきた世界救世教ではあるが、その配下の団体・企業において販売している商品には、何故か、JAS規格(有機JAS)適合を示している商品が見当たらない。)
この2文を、悪魔の証明的表現であるとしていったん削除しました。悪魔の証明とは、「無いということを証明することは、困難、または不可能」という意味です。ここでは、もちろんその意味も含むのですが、世界救世教の独特の事情として、「まず世界救世教は、現在3派存在している」という事実も重要です。
つまり、世界救世教と書いた場合、この3派を同時に意味するため、「世界救世教に○○は存在しない」とする場合、それぞれの3派すべてにおいて存在しないということを意味します。
ですから、「○○は存在しない」ということを主張する者は、3派すべてにおいて存在していないことを証明する義務が生じます。しかも、Wikipediaのルールとして、Wikipedia:独自研究は載せないというものがあるため、その証明は、厳密には独自研究では不可であるということになります。これは事実上、証明は不可能と思います。なぜなら、3派は独自に活動を展開しているため、現時点では3派を縦断的に研究した文献などは存在せず、引用元がないからです。
なお、私は「世界救世教の1派が、かなり以前からプラセボ効果に代表される)暗示的効果側面を除いた上での統計・報告」を行っている情報を所有しており、「(プラセボ効果に代表される)暗示的効果側面を除いた上での統計・報告等は教団からは全く示されていない。(2009年5月現在)」は明確な誤りであることを主張します。ただし現時点では、それをWikipedia で主張する準備ができていないため、それを行っているという記載はまだ行いません。
Brandy of plum 2009年6月7日 (日) 14:16 (UTC)
まず、wikipediaとして、「世界救世教」に「手かざし」と「EM農法」の概念の説明が欠落していた事は、内実を知る者として著しく実情と乖離する、と考えた迄の記述でしたので悪しからずご了承ください。記述間違いとして削除された事は大変に残念であるし、「悪魔の証明」と断定された事に対しても、俗に言う「悪魔の証明」が事実誤認(ここではむしろ「隠蔽」に相当)に利用されるケースの典型ではないかという個人的な疑念を払拭しきれませんが、ここは議論の場ではありませんので、本ノートに意見だけを述べさせていただくにとどめます。上述「暗示的効果側面云々・・・所有しており」との事ですので、ご準備が整い次第、是非、公開願えることを期待して、お待ちいたしております。
--秋田真 2009年6月8日 (月) 14:02 (UTC)
各派の主張
[編集]要約欄にも記載しましたが、WP:NORとWP:NPVを御覧下さい。論争を書く分には構いませんが各派の主張は帰属化(〇〇は~と主張している)して記載して下さい。また、自社資料による主張は簡潔に書いて下さい。(「~で~で~で~だから必要で~さらに~というわけで だから原発に賛成」ではなく、「原発に賛成」で十二分にです。それと同じ事です)。出典の提示方法も間違っています(Help:脚注参照)。--JapaneseA(会話) 2018年10月23日 (火) 02:09 (UTC)
- 利用者‐会話:Fin.tohonohikariの続きですが、以下はFin.tohonohikari様に対してだけに対するコメントではありません。まず、「きっかけは東方之光による教主に対する~」のような無出典の記述はダメです(WP:V)。次に、「現在の世界救世教は、教主の認証を得られていない長澤好之ら役員によって構成する包括法人世界救世教責任役員会と世界救世教教主岡田陽一の間で対立が発生している。」ですが、この書き方では「世界救世教教主岡田陽一」側が「正」のように見えます(実際そうなのかもしれませんが)。このような場合は、まず誰と誰が対立しているのかを簡潔に書き、次に各団体がどのような主張で対立しているのかを記載すべきです(WP:SYN)。さて、記事を見るにどの版を見ても、非常にわかりにくいです。外部リンクなども争っている各派閥がわかるように記載すべきでしょう。--JapaneseA(会話) 2018年10月23日 (火) 03:29 (UTC)
編集保護について
[編集]ぱたごんと言います。この記事は編集合戦の状態となっていて保護依頼に出ていたのですが、対立する団体の一方の主張をそのままに記載するのは中立性の観点から望ましくありません。ですので安定版を確認したうえでそれに戻して保護しました。編集合戦の当事者にとっては面白くない対処かもしれませんが、wikipedia:中立的な観点、wikipedia:信頼できる情報源やそれらから案内されている諸文書をお読みになったうえで方針にそった記述をお願いします。--ぱたごん(会話) 2018年10月23日 (火) 11:15 (UTC)