ノート:与野フードセンター
既報の通り、与野フードセンターは2020年9月末にエコスの完全子会社になる事が決定しています。
今はまだ『日本食糧新聞』やM&Aの専門家サイトなど一部のメディアでしか取り上げられていませんが、実際に子会社になる時期が近付くと地元メディアや小売業界、そしてもちろん地元の埼玉県民からも大きく注目されることになると思います。
その際に初めて与野フードセンターのWikipediaを見る人も増えてくると思いますが、少し記述が古いものが多くわかりづらい箇所もあったので、なるべく完全子会社化に至るまでの与野フードセンターの歴史が見えてくるように微修正・追記をさせて頂きました。
――――これでも、極力義憤の感情は抑えて事実のみを書いたつもりです。
一部不穏な表現もありますが、僕はこの場でこれ以上その詳細を明らかにするつもりはありませんし、具体的にどんな事かわかっている方もこの場で暴露するのは流石に「与野フードセンターという会社についての記述」から離れすぎてしまうので避けてもらえると助かります。
一応、僕は踏み込んじゃいけない最後の一線は越えていないと思うし、これからもそうすると決めています。
話は変わりますが、もし関係者の方や今回の買収劇に興味のある方がここを見ていましたら、加筆をお願いしたい事が幾つかあります。
☆完全子会社化に至るまでのエコス側の動き、目的など
僕も幾つか買収発表時の記事には目を通しましたが、あまり経済・経営関係には明るくないので、その内容を買収される側の与野フードセンターの記述の中に落とし込むのはちょっと難しかったです。
非常に読みやすくポイントを押さえた記事はいくつかありましたので、それを上手く整理して追記してもらえたら助かります。
☆閉店店舗の閉店年月日、閉店の要因など
閉店店舗についてはどこかに整理された資料があるわけではないので・・・ほとんど当時の関係者の方の記憶頼りになってしまうんですよね。
今はもう無い店だからといって、決して蔑ろにして良いことでは無いと思いますので、もし心当たりがあれば追記をお願いします。
☆浦和レッズ オフィシャルスポンサーの件
スポンサー料が幾らか知ってる人(笑
費用対効果を(たとえハッタリでも)算出してみた事がある人(苦笑
詳しく教えてくださいな。
いや別に、何かサッカーに恨みがあるわけじゃないんですけどね・・・
長々と失礼致しました。
地元老舗スーパーの完全子会社化は残念ですが、埼玉県内の小売販売事情が少しでも良くなっていく事を願っています。
--斉藤一広(会話) 2020年6月14日 (日) 23:54 (UTC)
冒頭の「広告・宣伝のような内容になっている」という注意書きについて
[編集]今年1月頃から、表題の但し書きが与野フードセンターのページの冒頭に表示されるようになりました。
脚注を見ればわかる通りに、与野フードのページの記述内容はそのほとんどが『日本食糧新聞』の取材記事から抜粋し組み合わされたものです。
恐らく記者さんは経営トップから直接聞き書きする中で客観的な事実や経営課題よりも目標・理想などを長時間聞かされる事になったでしょうし、どうしても元々の記事自体が与野フード側に立った内容になりがちであったと考えられます。今後も付き合いが続くことを考えれば、経営陣にとって不都合な事実を殊更に書き立てるようなことも出来なかったのでしょう。
『日本食糧新聞』は業界紙であり、不正やスキャンダルを追及する一般紙の記者とは、そもそも取材対象者に対するスタンスが大きく異なります。
正野会長から井原實社長に経営の実権が移っていく過渡期(1990年代後半~2000年代前半)の記事には、正野氏が創業家当主に経営実権を譲る事が井原弥一郎初代社長存命時からの既定路線であったかのように書かれているものもありました。正野氏の著作を読めばそれが事実でないことはすぐに理解できます。
正野氏の信念はあくまで「創業家は君臨すれども統治せず」、食品スーパーの経営は売場で汗を流し泥臭く実務を積んで来た叩き上げの商売人でないと絶対に務まらないことを骨身に沁みて知っていたからです。
当初は弥一郎氏の婿に当たる人物が正野氏からも目をかけられ実力によって社内で頭角を現し、一時期は専務にまでなりましたが、その後 弥一郎氏の息女と離婚し創業家にとって目障りな存在となってしまった彼は出世レースから去って行きました。すっかり彼に禅譲するつもりでいた正野氏はさぞ困惑し落胆したことでしょう。予想だにしなかった混乱が続く中で苦肉の策として、小売業とは畑違いではあるものの東芝で部長職に就き壮年にさしかかりつつあった弥一郎氏の長男・實氏に与野フードの舵取りが託されることになったのです。
もうひとつの問題は弥一郎氏の没後、創業家の与野フードに対するスタンスが年月とともに変化していった事です。
相次いで浦和・大宮地区に進出してくる競合他社と正面から戦って体力(赤裸々に言ってしまえばズバリ創業家の資産)を消耗するよりも、井原家の威光が届く与野市内の店舗網を主力とし身の丈にあった規模で会社を維持したいという弥一郎氏の遺族たちの意向は、小売業の将来を見据えて拡大路線を図っていた正野氏とは決して相容れないものでした。既に与野フードの経営規模は個人商店の延長線上の『家業』からはかけ離れており、実務経験のない創業家に制御できる域を遥かに超えてしまっていたのです。
この考え方の齟齬が盆栽店の土呂SC移転断念、そして不本意ながら進出を許してしまった東武マインとの長年に渡る過酷な競争を生み出す結果となってしまったのです。
『日本食糧新聞』のとある記者は記事の中で正野氏から井原實氏への経営権移譲を「大政奉還」と表現しました。
これでは徳川慶喜(正野氏)が明治天皇(實氏)に「徳川家が朝廷から無理矢理に奪っていた国政の権限を謹んでお返し奉った」事になり、実際の創業家と正野氏との関係性とは全く異なるニュアンスになってしまっています。何よりも記者から正野氏へのリスペクトが全く感じられません。
恐らく、弥一郎氏の没後から数十年たってやっと創業家の人間が経営の表舞台に出てきたので少し感傷的になり過ぎたのだとは思いますが、およそ経済経営に主眼を置いた記事とは思えませんね。
主だった情報ソースの執筆者のほとんどが大なり小なりそんな調子であり、悪い意味で経営陣(特に實氏)と距離が近過ぎるように見えましたので、記載内容が大げさな誇大広告のような表現に感じられるのも仕方ないとは思います。
ただ、直ちに削除対象となる程の虚偽が含まれている訳でもありませんので、冒頭の注意書きについては設置されたご本人か編集の権限を持つユーザーさんに削除して頂ければ幸いです。
今年1月に注意書きが記載されてから
・実際に記事の削除がされるのか
・どの部分が広告宣伝にあたるかという指摘が来るのか
・もしくは、私以外の人物が記事の大幅な変更を行うか
を注意深く観察していましたが、注意書きを設置したご本人も特に何かこれ以上のアクションを起こすような様子はありませんでしたので、勝手ながらこのような手段を取らせて頂きました。
与野フードは完全子会社化から丸2年が経過し、社長も変わりましたので、
➀正野氏時代 ➁第一次實氏時代 ➂植松氏時代 ➃第二次實氏&エコスOB永山専務時代 ➄木村氏時代
それぞれの功罪について明らかになる日が来れば他の地域密着型の小売業や同族経営企業にとって明日への航海を助ける羅針盤ともなるのではないでしょうか。
(以上、正野氏の著作『手さぐりの航海』にちなんで締めてみました♪)--なまけたろう(会話) 2022年9月29日 (木) 12:03 (UTC)