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ノート:不退院

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不退院 (ふたいいん )

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由来

 当寺は応永8年(1401年)悦山暢喜上人を開山として、当国徳永城主徳永小七郎義雄が一宇を草創したのが始まりである。悦山暢喜上人は応永初期に当国遊化の折、宝蔵寺開山龍芸上人の化導を受け弟子となった高僧である。応永18年(1411年)4月23日、義雄は入没し当寺に葬られた。

 その後、正親町天皇の御宇、元亀3年(1572年)当山6世本翁意伯上人(徳川家家臣鳥居伊賀の守忠吉の子)は勅願により参内して曼荼羅を講演し『上衍寺』の勅額を賜った。

 永禄10年(1567年)9月29日、八ツ面城主荒川甲斐守義広(荒川義広)が入没、その妻市場姫(徳川家康の異母妹)が文禄2年(1593年)5月2日入没した。その二人の墓も当寺にある。

 当山7世頓翁意傅上人の代、慶長7年(1602年)家康より寺領13石5斗の寄進を受けた。御朱印寺として寺紋に三つ葉葵(葵の紋)を授かった。

 不退院は当宗派、浄土宗西山深草派の三河12本寺の一つとして中世代(1400~1600年代)において栄えておりました。『三河十二本寺』は不退院の他、法蔵寺、桂岩寺、崇福寺、妙心寺、浄珠院、養国寺、安楽寺、養寿寺、恵験寺、大林寺、梅園誓願寺などがある。

                                 文責 不退院第27世住職 願空弘雄