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ノート:下町

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江戸の下町

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第二の語義として、「庶民的な住民の多くすむ地域について言われる事が多い。 (豪商の多くすむ地域については通常は下町と呼ばない。)」とありますが、 (一般論としては、それでも正解かも知れませんが、)江戸に関して言えば、 本来の下町は、日本橋、京橋、神田付近を指すとされ、 まさに「豪商の多く住む地域」を含むと思います。 また、下谷・根津・本所・深川・向島・浅草などは、江戸時代の区分では、下町に入らないと思います。 江戸時代の文献に直接当たったわけではありませんし、 同じ江戸時代でも初期と末期ではかなり違うと思いますので、私も自信はないのですが、以下の文献を読む限り、そのように理解できます。
・エドワード・サイデンステッカー「東京 下町山の手」
・雪廼舎閑人「都電百景百話」

なぎら健壱氏の説によれば、東京の下町は「お城下町」(おしろしたまち)、つまり江戸城下町から来ているとしています。なぎら氏によれば東京の下町の範疇は日本橋・京橋の全域と神田・芝の各一部にとどまり、下谷・浅草・本所・深川・根津・月島などは(この説に基づく)下町とは言えないようです。(2010年12月6日ニッポン放送根本美緒のウェルエイジングライフ」での発言)
一タレントの戯言ではありますが、木挽町生まれの江戸っ子でもあるなぎら氏の発言ゆえ興味深く、ここに記させて頂きます。 --NOWOW 2010年12月30日 (木) 02:14 (UTC)

下町の定義の変更案と、外国語記事とのリンク変更案

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「下町」の定義ですが、東京(23区)の場合、徳川時代に江戸の町だった地域で、この記事にあるような地域(これが本来の下町の定義でしょうが)だけでなく、23区の東側全般も含むのが普通ではないのでしょうか?つまり、赤羽~上野~神田~芝~蒲田にある、武蔵野台地の東端の崖以東、都県境までです。よって、葛飾区(柴又・亀有など)・江戸川区なども含むというわけです。
1970年代末の旺文社の百科事典ですら、そのように書かれていました。まして本来の下町の相当の部分が「都心」に飲み込まれた今日では尚更だと思います。
よって、そのような内容の記載を追記いたします。

それと、外国語記事は、現在は「ダウンタウン」つまり「都心」にリンクされています。私はこの記事の各国語訳にリンクさせるのが妥当だと思います。

私は江戸っ子でもこの方面の知識の通でもありません。半可通です。この方面にお詳しい方の加筆をお願いします。60.39.233.45 2007年10月3日 (水) 11:50 (UTC)[返信]