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ノート:下志津陸軍飛行学校

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転載?

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[1]によると、陸上自衛隊下志津駐屯地 広報史料館説明板からの転載の模様。一致部分[2]--fromm 2007年8月28日 (火) 13:05 (UTC)[返信]

・調査期間満了のため、いったん「転載疑い」を外します。--曾禰越後守 2008年1月27日 (日) 17:59 (UTC)[返信]

フランス航空団

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本記事中、2015年7月10日 (金) 02:57から2015年7月10日 (金) 03:05にかけての2402:6b00:2535:4b00:7819:1e78:62c2:2712さんの編集を再修正しました。具体的には「フランス航空団」が「教育団」にされた編集を戻したこと、およびフランス陸軍軍人ジャック=ポール・フォール氏の階級が来日当初は中佐であり滞日中に大佐に進級したという記述を削除したことの2点が主です。(つづく)

何を根拠として「フランス遣日航空教育軍事使節団」あるいは「教育団」という団体名にしたかの出典もない編集は、残念ながら支持できるものではありません。それに対して「フランス航空団」という団体名は当時の陸軍部内の公的な文書で何度となく使用されている「佛國航空團」を現在の表記法に合わせたものです。「フランス航空団」(または「フォール航空団」とも)という団体名は日本陸軍史においては固有名詞に近い存在であり、日本陸軍航空を誠実に研究していない著作を除けば、大抵が「フランス航空団」「フォール航空団」の名称を使用していることに沿った編集であることを理解していただきたいと思います。(つづく)

また当該団体の長、ジャック=ポール・フォール氏が1919年9月13日付で陸軍中佐から大佐に進級したという内容の記述が事実ならば、いままで陸軍航空史研究をしてきた数多くのプロ・アマの誰もが知らなかった発見であり歓迎するところなのですが、これも残念ながら信頼に足る出典がまったく示されていません。日本側の史料ではアジア歴史資料センターで容易に閲覧できるリファレンスナンバーC02030896700、「臨時航空術練習に関する件」の20頁から「佛國航空團将校人名表(列次)」となっており、その筆頭が「砲兵大佐 Faure」です。この文書は前後の日付からフランス航空団が来日する直前の大正8年(1919年)1月のものとみて間違いないでしょう。(つづく)

フランス語で大佐はcolonel、中佐はlieutenant colonelです。英語でも中佐はlieutenant colonelですが、口頭での略称にしばしばcolonelとだけ呼びかける例は映画等で見られます。こうしたことから大佐と中佐は混同される可能性も考えられますが、軍服を着用したフォール氏と直に対面すれば間違えるはずもなく、日本語では「中佐」と「大佐」は別物です。日本陸軍の文書で「フォール中佐」としたものを私は見たことがありません。フォール氏は日本陸軍航空の発展に多大に貢献した人物ですが、その経歴等に関してインターネット上で得られるフランス語の情報はあまりありません。こうしたことから日本陸軍の公的な文書にある情報をくつがえすほどの信頼に足る出典が提示されないかぎり、来日時から「フォール大佐」が正当であるとして編集しました。--Pem423会話2015年9月5日 (土) 03:17 (UTC)[返信]