ノート:下位香代子
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この記事は2012年7月9日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
脚注の表記を変えた意図は何ですか
[編集]質問 山田晴通先生の編集により、「reflist|3」が「reflist」に変更されました。編集履歴を見る限り、山田先生は同種の編集を多数の記事にて行っているようです。「reflist」より「reflist|3」の方が、段組で表示されるため、多くのメリットがあります。本文より字が小さく、かつ段組になっていたほうが、ぱっとみたときすぐに本文か脚注かわかるだろうし、脚注が多数あるときは見通しもよくなるし、なにより折り返しなんかもきれいになるから空白部分がすくなくなっていいことずくめ、ではないかと思います。脚注が1つや2つなら段組にする意味は全くありませんが、これほど脚注が存在するなら段組にしたほうが見やすいかと思います。編集なさった意図はなんでしょうか。お答えいただけるとありがたいです。--111.188.51.234 2012年7月12日 (木) 01:00 (UTC)
- 最終的には趣味の問題ということもあるかもしれませんが、一般的に私が多段組を好ましくないと考えるのは、以下の理由によります。
- 多段組にすることによって、一部のブラウザでは(私が使っているのは Safari ですが)正しくリンク先に飛んでくれないことがあります。
- 多段組にすると、長めの行が折り返され、無視見通しが悪くなる、言い換えれば、(111.188.51.234 さんとはまったく逆の意見ですが)多段組にすると、空白が少なくなって見づらくなる、ということもあります。「ウィキペディアは紙製の百科事典ではありません」にもあるように、ウィキペディアは紙製の辞書ではありません。したがって、少しでも空白を作らないように情報を充填していく必要がある紙製の辞書や百科事典とは異なり、過剰ではない範囲で、読みやすくするための余白があった方が望ましいと思います。
- 本来、多段組に適しているのは、(山田が翻訳をした記事の例では)「モリー・マグワイアズ」のように、参考文献が別に掲示され、「著者(年号)ページ」といった短い注記が多数必要になるようなケースだと思います。そのような場合以外には、多段組にメリットがあるとは思っていません。
- 以上、愚考するところを申し述べました。もちろん個人的見解ですから、具体的に異論をおもちの方々がおいでであれば元に戻すことにあえて反対はしません。ご一考いただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月12日 (木) 07:17 (UTC)
- コメント これは重大な問題かもしれません。
- Safari で正しくリンク先に飛ばないというのは、極めて重大な問題だと思います。Reflistのバグ、Wikiのバグ、Safariのバグ、山田先生の端末依存の問題、いろいろなパターンが考えられますが、バグとしてどこかに報告したり調査依頼を投げたりしなくてよいのでしょうか? Safariユーザの方はほかにもいると思いますので、改善すれば喜ばれるでしょう。また、他のブラウザに比べて利用者が少ない(と思いますが。。。)ので、もしかすると今まで不具合が見落とされていたのかもしれません。山田先生はどこか適切な場所にこの件を報告なさったことと思いますが、恥ずかしながら自分はそこまでウィキに詳しくないため、現在のバグ対応の進捗状況は把握していません、すみません。
- 多段組にすると、長めの行が折り返されますので、左右への視線の移動が少なくてすみますので、お若い方はともかく高齢の方には喜ばれると思います。また、むやみやたらに空白だらけになって見づらくなる、ということも防げます。山田先生が「少しでも空白を作らないように情報を充填していく必要がある紙製の辞書や百科事典とは異なり」とおっしゃっているのは、失礼ながら単なる個人的な分析ではありませんでしょうか。紙製の本が「少しでも空白を作らないように情報を充填していく」ものだとは到底思えませんし、珍妙な主張のように聞こえます。紙製の本は印刷した時点でフォントの位置、色、サイズ、形、行間、改行位置、それにともなう空白など、レイアウトを一律全て確定できます(ブラウザの場合、フォントの位置、色、サイズ、形、行間、改行位置、それにともなう空白など、全て閲覧者側で自由に決められます)。したがって、印刷時に確定し後から変更することができない紙製の本の方が、改行位置や行間、あるいはそれにともなう空白などを意識的に配置しているのは自明ですし、空白やレイアウトなどをあえて意図的に確保した本などたくさんあるでしょうし。
- 「モリー・マグワイアズ」はまさしく脚注段組のすばらしい例だと思います。ただ、こちらの記事と大差ない長さの脚注も見受けられますし、こちらの記事も2段にすれば大差ない気もします(数はもちろん違うわけですが)。
- 見易さ、見難さについては大きな意見の隔たりがありそうですので、もう少し井戸端などで議論を深めた方がいいのかもしれないですね。--114.48.52.161 2012年7月13日 (金) 13:18 (UTC)
- コメント これは重大な問題かもしれません。
「全体の情報量は減っていないはずです。」と主張し、本文の記述を体言止めに書き換える行為について
[編集]「全体の情報量は減っていないはずです。」などと主張し、記事の本文の部分を体言止めだらけに編集していく人がいます。この人物の編集の問題点について「Wikipedia:井戸端/subj/文末が体言止め優先になったのは何故」にて議論しています。興味あるかたはぜひ--以上の署名のないコメントは、114.48.80.193(会話)さんが 2012年7月17日 (火) 04:51 (UTC) に投稿したものです(山田晴通(会話)による付記)。
- 「この人物」と名指しされた山田です。これまで、ここで言及されている井戸端での議論が、自分の編集の問題点についてであるという認識がまったくありませんでしたので、「この人物の編集の問題点について「Wikipedia:井戸端/subj/文末が体言止め優先になったのは何故」にて議論しています。」という記述には少なからず驚きました。改めてそういう観点から井戸端での議論を見直しましたが、そこで言及されている記述は山田が行なったような編集とは異なるものですし、山田の編集が具体的に問題がある例として言及されているわけでもないと思います。上記のコメントを書かれた114.48.80.193さんには、なぜ当該の井戸端での議論が山田の「編集の問題点について」の議論であるとお書きになったのか、ご趣旨を説明していただければ幸いです。--山田晴通(会話) 2012年7月17日 (火) 10:51 (UTC)
- 告知テンプレートで名指しする必要性が感じられませんでしたので、過分な修飾を除去しました。また井戸端での各話題については、同一と思われる署名をしないIP利用者さま自身が「個別具体的な記事の文面について議論しているのではありません」と述べておられますし、山田晴通さまによる編集は可読性の向上を意図したもので、そもそも問題のある編集とは感じませんでした。告知テンプレート3点を除去することを提案いたします。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月18日 (水) 01:36 (UTC)
- 特に異議も無いようですので、告知テンプレートを除去いたします。なおWikipedia:井戸端/subj/Reflistについてのご相談というかご確認とWikipedia:井戸端/subj/伝記記事の「略歴」セクションは不要との風潮は論議が収束し、Wikipedia:井戸端/subj/文末が体言止め優先になったのは何故にはまだ細々とコメントが続いております。概論としてならば井戸端で、本記事個別の内容についてはこちらのノートで御提議下さい。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月25日 (水) 01:51 (UTC)
- 告知テンプレートで名指しする必要性が感じられませんでしたので、過分な修飾を除去しました。また井戸端での各話題については、同一と思われる署名をしないIP利用者さま自身が「個別具体的な記事の文面について議論しているのではありません」と述べておられますし、山田晴通さまによる編集は可読性の向上を意図したもので、そもそも問題のある編集とは感じませんでした。告知テンプレート3点を除去することを提案いたします。--LudwigSK(会話/記録) 2012年7月18日 (水) 01:36 (UTC)