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ノート:上野秀治

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著述目録について

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論文の類まで掲載することについて。そのようなものまで採っていたら切りがないし、そうでない場合は事典として取り上げる意味もない。さらに、繁多となって極めて見づらい。加えて、いかにも業績が乏しいことを露呈しているようで、みっともない。著書のみとして論文は削除しても良いのではないでしょうか? --Mattamatta 2006年11月14日 (火) 11:58 (UTC)[返信]

そうとは思いません

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既に著述目録が披見できる学者ならともかく、そうでない学者については著述目録を付した方がかえっていいと思います。なぜなら、著述目録はその学者を語らしむ格好の材料だからです。下手な解説よりも、著述目録のほうがその学者の人となりがわかるからです。それと、「いかにも業績が乏しいことを露呈しているようで、みっともない」というのは、その学者に対して大変失礼な物言いであると思います。著作が多い学者が優れた学者とは一概にはいえませんし、なかには、著書を出されなくとも優れた研究をされた学者もいるわけですから。例えば東大史料編纂所教授であった太田晶二郎(故人)は、大変緻密な研究をし、学界に於いてもかなり評価の高い学者でありましたが、生前は論文のみで著書は一冊もありませんでした(尤も、歿後著作集は刊行されましたが)。逆に、世の流行に任せて、愚にも付かない著作を粗製濫造している学者が多い昨今、太田晶二郎のごとき学者は大変貴重な存在であったと思います。--山冪寒雲 2006年11月30日 (木) 13:46 (UTC)[返信]