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ノート:上野不忍池競馬

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明治天皇の横浜への行幸について

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こんにちは。たまたま目に留まったので、お伝えだけしておきます。明治天皇の横浜への行幸回数についての異説です。

『日本レース・クラブ五十年史』,日本中央競馬会,鈴木健夫編,1970、p35には、13回とあります。『五十年史』は『明治天皇行幸録』を基にしています。『日本競馬史』2巻よりもこちらのほうが後に編纂されており(どちらも日本中央競馬会が刊行していますけどもね)、『五十年史』には「『日本競馬史』第2巻は14回と言っている」という記述もあります。

『五十年史』では、M14,M15,M15,M16,M17,M18,M19,M20,M21,M24,M26,M29,M32で13回。『日本馬政史』4巻には、M6.10月に西郷隆盛を伴って横浜競馬場へ行ったとあり、これがカウントされていません。『五十年史』によれば、『明治天皇紀』にその時の記述がないこと、そもそも西郷隆盛はM6.8月には下野しており東京にいなかったこと、M6時点では根岸の借地問題が未解決なのでその時点で巡幸はありえない、としてM6.10月の訪問を否定しています。

まあ私にはどっちが正しいのかわからないし、正直今となっては検証のしようもないし、「どっちでもいいんだけど」というレベルの齟齬なのですが、たまたま目に留まったので一応ご報告しておきます。--零細系統保護協会会話2014年5月2日 (金) 15:34 (UTC)[返信]

いやいや、いつもどうもです。『日本レース・クラブ五十年史』という文献は私は目にしていませんでした。ご指摘の通り私は『日本競馬史』第2巻を見て14回としています。著者がしっかりした人物であるならば、大抵は新しい資料の方が正しいでしょう。西郷に関してはたしかに明治6年10月は征韓論でゴタゴタし10月下旬には鹿児島へ帰っているので、そういう時期に競馬を見に横浜に行くというのは考えにくいですね。おそらくは鈴木健夫氏の指摘が正しいのでしょう。全く別な記事ですが横浜ホテルの記事で横浜市役所が昭和10年に書いた市史に間違いが複数あるのを見たばかりですし。おそらくはご案内のとおり13回が正解なのでしょう。すぐにも直したいが、自分自身が『五十年史』を見たこともないのに直すのも気が引けますので、次に図書館に行った際に直したいと思います。ありがたい情報をありがとう--目黒の隠居会話2014年5月2日 (金) 16:00 (UTC)[返信]
役に立たない追加情報です。上の通り「『日本馬政史』4巻には、M6.10月に西郷隆盛を伴って横浜競馬場へ行ったとあり」と『日本レースクラブ五十年史』p35には書いてあるのですが、その『日本馬政史』4巻のどこに書いてあるのかがわかりません。『日本馬政史』4巻p609-p612には「根岸競馬」という小節があるのですが、ここには「『日本レース倶楽部小史』には、明治6年に初めて明治天皇が根岸を訪問し、書記長トーマスが歓迎した、と書いてある」と書いてあるのですが、西郷さんなんか出てきません。ただ、『日本馬政史』は880ページほどのボリュームがあるので、ほかのどこかに出ていたらお手上げです。
で、その『日本レース倶楽部小史』なんですが、『五十年史』の巻末に英語版と和訳版が収録されているのですが、そこには「明治6年の天皇訪問」のことなんか書いてないと思うんですよね。明治6年にスタンドが焼けたことはかいてあるのですが。しかし『五十年史』にも「『小史』にも書いてある」とあり、ちょっとよくわかりません。『五十年史』に収録されている『小史』は全文ではないのかもしれません。
この件にかぎらず、『五十年史』によれば、横浜競馬に関する文献資料は、『神奈川県史』や『横浜市史稿』、『横浜沿革誌』その他いろいろな文献で互いに矛盾する記述があるようですから、実際のところはよくわからないんでしょう。
ただ、『馬政史』は戦前の文献ですし、『日本競馬史』にしろ『五十年史』にしろ、いまから50年も前の文献ですから、立川先生ほか、最近はもっといろいろわかっているのかもしれません。--零細系統保護協会会話2014年5月3日 (土) 03:33 (UTC)[返信]
何度もすみません。『日本馬政史』5巻p486にありました。『五十年史』の記述は5巻の間違いでしょう。ここには、「明治6年、故西郷南洲を従えて、横浜根岸の競馬場に行幸云々」と書いてあります。トーマス氏による記録も書いてあります。
『五十年史』は、このトーマス氏の記録を「でっちあげ」だと切り捨てていまして、あとはもうどっちを採るかですね。西郷さんの下野の件は辻褄が合わないというのは確かだと思います。--零細系統保護協会会話2014年5月3日 (土) 08:27 (UTC)[返信]

これは丁寧に調べてくださった。それではこんな感じではいかがでしょう?


明治天皇は横浜根岸競馬に13回など全国各地の競馬にしばしば行幸されている [† 1][1]
  1. ^ 『日本の競馬史』第2巻p597や『日本馬政史』5巻p486では横浜への行幸回数は14回となっているが、その数字には疑問が呈されている。そのため、より新しい研究の『日本レース・クラブ五十年史』の数字を採用した
  1. ^ 『日本レース・クラブ五十年史』,日本中央競馬会,鈴木健夫編,1970、p35

--目黒の隠居会話2014年5月3日 (土) 09:30 (UTC)[返信]

ありがとう。なるべく早く記事に反映させます(あいにく連休なので連休明けになるかもしれませんがご容赦のほど)--目黒の隠居会話2014年5月3日 (土) 13:12 (UTC)[返信]

お待たせいたしました。ご案内の資料を確認、直しました。ありがとう--目黒の隠居会話2014年5月5日 (月) 09:28 (UTC)[返信]