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ノート:上方絵

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「合羽摺」を別の節にしては

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作家の系譜の説明と、特徴的な技法の解説を分けてはどうでしょうか? 新しい節の最初の記述は「上方にて多数作られ、流行を極めた版画を合羽摺(かっぱずり)という」かと思います。本文にコメントしました。--Omotecho会話2019年11月27日 (水) 08:06 (UTC)[返信]

  • 賛成 :なぜなら合羽摺は、上方絵のみならず、長崎絵でも多くの作例がありますし、江戸の浮世絵でも少ないですが、皆無ではありません。立項しようと思ったのですが、困っています。リダイレクト外しのやり方を読んだのですがが、よく分かりません。--Falcated会話2020年5月17日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
    • 本文に{{告知|議論|「[[合羽摺]]」のリダイレクト解消。}}を出しました。但し、すぐにはリダイレクト解消申請しません。図書館閉まってますので、十分な記事が書けませんので。本項の合羽摺記事はそのまま残して、書き下ろすつもりです。その為に合羽摺→上方絵リダイレクトを外す必要があります。--Falcated会話) 2020年5月18日 (月) 09:05 (UTC)→ テンプレートはnowikiタグで伏せますので悪しからずご寛容願います。このページが問題ページとして収集され、非生産的な争い発生と誤解されないため。Omotecho会話2020年6月30日 (火) 22:24 (UTC)[返信]
  • Falcatedさん、投稿に気づかず失礼しました。私のトークページでのご発言ですが、この記事のリダイレクトは他の方にも知らせるため、このページで調べた範囲をご報告します。リダイレクト解除がうまくいかない原因として、ウィキデータで合羽摺に上方絵が紐付けされています。先方のトークページに上方絵の紐付けを解きたい旨、コメントしてあります。
合意形成をしましょう。すでにご提言から1ヵ月経ちましたので、井戸端へ提案してくださいませんか。すでに試みられたのであれば失礼をお許しいただきたいのですが、AfDに進むには、合意がなされていることが前提では? まず井戸端でこのページを紹介して議論に参加する人を募集、合意形成へ進みましょう。その手順を踏まないと、独断で処理したことになりませんか? 現状でAfDで賛成票を投じる前に、後述のように他言語版の記事(合羽摺)があり試したいので、2日ほどご容赦ください。
合羽摺の新規立項について。ウィキデータによると他言語版に合羽摺の記事があり、英語版のKappazuri記事は短いですが要点は押さえているようです。翻訳記事を立てられるかどうか利用者サンドボックスで後ほど、試みます。—Omotecho会話2020年6月28日 (日) 15:04 (UTC)[返信]
分かりました。では、待ちます。--Falcated会話2020年6月29日 (月) 11:44 (UTC)[返信]
Omotechoさま Kappazurien:Kappazuri読みました。おっしゃる通り、短くて的を射ているのですが、3点問題があると思います。1.註がない。2.「ブラシストロークで分かる」には疑問です。今、図版で確認しましたが(板橋区立美術館(2017)長崎版画と異国の面影)、まあ言われればそうかなあ、程度です。私は、版木摺に比べ、シャープさに欠ける、色ずれが多い点で見分けています。3.「東京江戸で作られた」は間違いだと思います。それなら、丹絵のような筆彩色と、版木摺の紅摺絵の間に出て来るはずです。「浮世絵大事典」(2008)だと、中国版画からの影響か、京友禅からの援用と記されています。今こんなことを書くと、混乱させてしまうかもしれませんが。--Falcated会話) 2020年6月29日 (月) 12:59 (UTC)--Falcated会話2020年6月29日 (月) 13:08 (UTC) /英語版へのリンクを「:」でボット回避。2020年6月30日 (火) 23:40 (UTC)[返信]
Falcaredさん、拙訳をご用意しました。ほぼ原文に忠実に訳出、ご指摘のとおり出典はなく、考証の甘い書きかけの記事と考えます。コメントは訳文のトークページに足します。お目汚しですがご高説をお待ちします。
さて、現状のまま記事名前空間へ持ち込む準備というつもりはありません。ただウィキペディアは拙速な投稿であれ早い者勝ちという弊害もありますが、私は翻訳を主にするため、互いに敬意を払い他言語版で先に書いた執筆者を尊重し、訳を起こし改版する道をえらんでいます。もちろん日本語版から継承を明示して訳し、他言語版に投げ返すことも役不足ながら心がけます。蛇足ながら申し上げました。 --Omotecho会話2020年6月29日 (月) 19:26 (UTC) / インデント修正、加筆 2020年6月29日 (月) 19:36 (UTC) /[返信]
訳文拝見致しました。ありがとうございます。一か所だけ、第二段落の頭「筆」は取って欲しく存じます。あと、この形でアップしちゃうんですか?私は立項するつもりでいたので、手元に論文が複数あります。何にしろ、手を入れるつもりですが、それは構わないですね?そして、早急な立項自体を優先するのか、内容を充実させてからにするのか?Omotechoさまが前者のお考えでしたら、私は立項後に手を入れますので、ご了承を。英語版とは似ても似つかないものになるかもしれませんが、構いませんか?もちろん適切な引用をし、独自研究にならないように、です。--Falcated会話2020年6月30日 (火) 09:07 (UTC)[返信]
あと、すみません。私は「井戸端」が何だか分かっていないのです。そういうことばがあることは知っていますが。今から調べて、手を打てるのなら、やってみます。--Falcated会話2020年6月30日 (火) 09:12 (UTC)[返信]
「井戸端」見ました。「ヘルプ」の下にあったんですね。ですが、私があそこに投稿する意味は見いだせませんでした。私はリダイレクト削除依頼を出した。それで十分だと思うのですが。私以外に賛成が1票、反対0票なら通るはずです。個人名を出すのはなんですが、Omotechoさま以外に、ものぐさたろう様にも、削除に賛成下さいますよう、お願い致しました。とりあえずOmotecho様と私のやり取りを見てから、判断して下さるそうです。--Falcated会話2020年6月30日 (火) 09:35 (UTC)[返信]

合羽摺の立項

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────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────インデント戻します。 では立項の手順を含め、トーク User:Omotecho/sandbox/合羽摺|別記事の下原稿としてご活用ください。(◆=横線部は投稿空間を誤ったためリンクを右記に訂正) 合羽摺の下書きに筆を加える手順で進めてくださるといくつかの理由でありがたいです。

じつはFalcated さんのご指摘(2020年6月29日 (月) 12:59付)にハッとするものがありました。染め物の発達した京大坂なればこそ、合羽摺を創案する土壌があったこと。またそれを展開すると、布のインド更紗など大坂の南蛮貿易で知り得た型染めの知識がほの見え、私の中で型紙摺(ステンシル)という上位概念との連関が積み残しなのです。そのため、リダイレクト解除に投票できずにおりましたが、ようやく糸口をつかみました。

浅学ながら項目の親子関係を図式するならば、並列関係を次のように把握しています。絵画のジャンルとしての上方絵と、技術的特徴のまさる合羽摺は同列に語れるでしょうか。合羽摺は型紙摺すなわち広義には布の染色技術である型紙染(ステンシル)へ集約し、ぐるっと回って日本の印刷技術の背景を語りうると考えます(すみません論拠となる出典未調査なれど凸版印刷の印刷博物館で拝見)。

  • 上方絵
  • 印刷→孔版 型紙摺友禅の手法に影響されたか?</nowiki>
  • → 合羽摺=友禅の手法に影響されたか?

すなわち(A案)孔版の類型(印刷 → 版式による分類 → 孔版の未執筆の小見出しとするか(B案)「合羽摺」を単独立項し、印刷→孔版に〈見よ項〉 {{Main2|技法|合羽摺|製作物|上方絵}} として合羽摺と上方絵を案内するか皆さんにお尋ねしたく。

という次第を井戸端にあげようと考えます。浮世絵の話題が孤立せぬよう、現代に通じるものとしたいのです。江戸絵と上方絵の時間差100年も頭にあり、このページにて紅摺の時代に合羽摺が登場しなかったとのご指摘から発想しました。#投稿当初は上方絵の技法のひとつが合羽摺ととらえましたが、おかげさまで広大な話題に連なると分かりました。

加筆、合羽摺は孔版と全く同じではない点を意識しますが、知識不足のため井戸端でうかがいたく。けして力相撲にいどもうなどの他意はありません。合羽摺のリダイレクト先は上方絵から外しておしまいにせず、単独立項が妥当かどうか考えたく。

--Omotecho会話2020年6月30日 (火) 21:00 (UTC) / 再加筆、技法として印刷と染色とどう結ぶかご教示に感謝。井戸端で疑問解消の時間的御猶予を賜りたく。2020年6月30日 (火) 23:40 (UTC)[返信]

@Falcatedさん、すみませんでした、訳文は空間がエラーだったそうで、その後、移動いただきましたため、リンク(上記の◆印)を張り替えました。井戸端で質問とリダイレクト削除の意見表明の依頼をしたのはこちらです。--Omotecho会話2020年7月1日 (水) 03:51 (UTC)[返信]
すみません、wikiのルールはまだ不慣れなので(1月から参加しております)、上記の点についてはお任せいたします。--Falcated会話2020年7月1日 (水) 13:55 (UTC)[返信]
リダイレクト削除、および合羽摺立項、完了しました。Omotechoさまものぐさたろうさま、誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。--Falcated会話2020年7月12日 (日) 17:35 (UTC)[返信]
立項ご苦労様でした。また紆余曲折ありましたが、リダイレクト削除を回避したのは索引、ウィキデータなど表に見えない利便性を支える修正がいくつも雪だるま式に増え、管理者の仕事をむざむざ増やす点を短慮しており、強引に処理しました。他意のない点をご理解いただきホッとしました。ただ、標準名前空間の前に下書き(サンドボックス)をお使いにならなかったのは誠に残念です。記述内容はご信頼申し上げており、私などの申し上げることはありませんが、ご自覚がおありの技術面はサンドボックスをご提言し、微力ながら補佐を申し出たのですが伝わりませんでした。タグその他を些末なこととお考えでないならなお、記事を早く載せたいというお気持ちと、百科事典を皆で作るというミッションとのバランスをお願いします。合羽摺をさっそく拝読、奥行きの深さに膝を打つ思いです。展覧会もこの秋にある由、何度も読み返す予感があります。--Omotecho会話2020年7月12日 (日) 23:42 (UTC)[返信]

上方絵と江戸絵の比較

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上方絵は役者絵が大半で「江戸のものとは異なる独特(ママ)の似顔絵表現を持つ」(以上この版から転)との記述について。少しうかがいたく、[https://ja.m.wikipedia.org/wiki/特別:携帯機器差分/78328844?diffmode=source 要検証テンプレートの箇所についてご教示ください。

  • これは役者の似顔絵のスタイルが東西で異なるということでしょうか? 
  • 具体的に比べるなら、どの絵師を指して東西の役者絵の代表とみればよいでしょうか? ふと江戸なら東洲斎写楽(活動期間1794年-1795年)を思い浮かべたのですが、これほど独得で徴的な絵師はいましたか? 

--(会話)/抜け字を修正 2020年7月14日 (火) 22:01 (UTC)/ 2020年7月13日 (月) 04:42 (UTC)[返信]

  • Omotechoさま 昨日は失礼しました。wikiとしては50音順乃至アルファベット順を推奨していると知りましたが、Wikipedia:秀逸な記事の中にも少ないですが、編年順を取っている方が居られます。例えば雨氷蜂蜜桂正和姫路城(下部が崩れてるが、別の方が追加した?)など。ご理解ください。以上、雑談。さて、稲垣進一.1990→2011.新装版図説浮世絵入門.p.143を引用します。

上方絵/江戸の浮世絵の江戸絵に対して、京阪つまり上方で作られたものをいう。ほとんどが役者絵で、独特の似顔表現を持つ。寛政4、5年(1792、93)頃、流光斎により勝川風を取り入れた多色摺が作られ、のちに北斎・国貞・国芳の流れを汲む絵師が活躍した。

何が言いたいか、お分かりですね?

長崎絵も同様です。--Falcated会話2020年7月14日 (火) 12:23 (UTC)[返信]

@Falcatedさん、質問の件でさっそくのご教示に感謝いたします(参考文献節の件はご説明に同意、詳細はのちほど見出しを割ってご相談させてください)。文献にて当たっていただいたのですね、なるほど曖昧さがぬぐえました。ではその情報を本文に、稲垣文献出典として編集いただくのはいかがでしょう。すると北斎も国貞も国芳も個性があるのに並べてあるのは、関西でもだんだん「江戸風」が流行し、特筆するべき地元の絵師は出なかったのか気になります。まだまだこれからホノルル美術館収蔵品(九州大学ほか)の分析を待つべきなのかもしれませんね。
ところで、ぜひ図版で見比べたくなりました。お忙しいと思うのでコモンズで下調べしてみますが、仮に下記の構成を考えました。果たして稲垣文献をご覧いただくと大外れであっては困るのですが、仮に3〜5人分ほど探すとして(1)と(3)加筆と(4)でヒントをいただけるとありがたいです。時代区分は、明治までのばさないほうがよいでしょうか。上方にも絵師が筆をふるった錦絵新聞があるならばと思ったからです。
(1)黎明期:勝川のだれ
(1-_)
(2)初期:流光斎如圭コモンズに複数あり。
(2-_)
(3)中期:
(3-1)滝川国広コモンズに複数あり。
(3-2)歌川貞升 (国貞の門)は国升名義のカテゴリでコモンズにまとめあり。また貞升名でコモンズに複数あり。
ご参考:西尾市岩瀬文庫に貞升名義の作品一覧(AB)があり、14点(画像なし)情報がわかりました。先方の画像がコモンズで利用できたら素晴らしいのですが、ネット上に未公開、個別問い合わせのようです。
(3-3)長谷川貞信(国貞の門)は貞信名義のカテゴリでコモンズにまとめあり。
(3-4)歌川芳梅(国芳の門)はコモンズに複数あり。
(3-_)
(4)末期:その後の名のあがらない人々(明治?)
(4-1)野村芳圀(歌川芳梅の門)は[ ]。
▲ウィキデータに2件。浮世絵師野村芳圀、詳細は未記載の野村芳国
(4-_)
Omotecho会話)/画像の候補を4期に仮分類、コモンズ調査結果を加筆。 2020年7月15日 (水) 06:17 (UTC)/ 2020年7月14日 (火) 22:01 (UTC)[返信]
Omotechoさま 本意ではないでしょうが、上述箇所の内、「寛政4、5年(1792、93)頃、流光斎により勝川風を取り入れた多色摺が作られ」以外の部分を削除しました。「独特の似顔表現」なんて何も言ってないのと同様ですし、「北斎・国貞・国芳」の影響はそこまで大きくないですし、上方絵師に対して失礼です。「上方絵」のあとに「長崎絵」の解説があるのですが、「明治まで続いた」とかでたらめが書かれています。ご存じないかもしれませんが、この書き込みをした人はパクリ常習犯で、「パクリ」と「参考にする」ことの区別が出来ず、削除依頼を出すとタグを剥がし、運営側からもたびたび注意され、投稿ブロックされたこともある、実に迷惑な人で、この人が書いたものはすべて眉に唾つけて読む必要があります。

上方絵をまとめるなら、ちゃんと文献を読んでください。ネット情報だけでは、体系だった理解は無理です。今私も、松平進(1999)上方浮世絵の再発見.講談社.を読んでいますが、これが一番良いでしょう。図書館にあると思います。あと、北川博子監修(2014)上方の浮世絵.NHKプラネット.(大阪歴史博物館での展覧会図録)もお薦めですが、入手困難です。美術館の図書室でご覧ください。--Falcated会話2020年7月15日 (水) 17:05 (UTC)[返信]

@Falcatedさん 要検証テンプレートがある意味がご理解いただけて2字修正内容ないようです。手順はそちらさまのトークページでご案内します。テンプレートを剥がされましたが短時日であり、剽窃ではあっても論があることを実証されたのですから議論の対象です。しかし「何が言いたいか、お分かりですね?」の箇所は、稲垣説があるという点に目がいってしまい、剽窃だという重大点を読み取れませんでした。その後のOmotehcoの記述は(剽窃とはいえ)論が既出なら、国貞・国芳の影響があった絵はないか見比べるためです(後述)。字下げ修正、以下同
しかしテンプレートの件は措くとして、どうされたのですか、剽窃を正すことと稲垣説に反対することは同義ではないです。流光斎以降の記述を削除する論拠を「絵師に失礼」などと流さず、典拠でお示しください。手元に稲垣論文がないので念のためお尋ねしますが、上記の稲垣説の引用箇所は文末に北斎や国貞その他が示してあります。まったく同じ論ではないものの、長谷川小信(明治期)を述べた論文で、江戸絵との具体的な比較があり、独自性と類似性を検証しています。
剽窃とは驚きましたが、Omotechoが画像で当たりたいと考えたのは、果たして記述の通りかどうか確認するためで、賛否の判断は棚上げしています。今回、稲垣説をご教示いただいたので、そう考える人がいるとわかりました。それなら、Falcatedさんは稲垣のいう「独特の似顔表現」は中立な論ではないとお考えのようですので、個人の感想ではなく典拠を示し反証いただけないでしょうか。Omotecho は前述の画像を見比べ、「〈北斎・国貞・国芳〉の影響はそこまで大きくない」かどうか考えます。
なお、非常に誤解されていて迷惑です。「上方絵をまとめるなら」という記述はOmotechoが記事の主導権を取ろうと前提され、意図と反することを喧伝する個人攻撃であり、厳重に抗議します。--Omotecho会話) /2020年7月16日 (木) 03:39 (UTC) インデント修正、誤字2字修正 / 2020年7月16日 (木) 03:31 (UTC)[返信]
手短に書きます。稲垣説(上方・長崎絵の専門家ではない。かつ注もない。)は、上方絵を専門とされる、松平進・北川博子両氏の論文には全然出てこないのです。かつ稲垣氏より新しい両氏の論の方が信ぴょう性があると考えます。--Falcated会話2020年7月16日 (木) 16:03 (UTC)[返信]

検証可能性

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上方絵の疑問点です。(節名を疑問点ツールチップに合わせます。)

第1点。範囲を示され続く特定版で元の記述を削除された箇所(その1)について。同ノートでの検証が記事に反映されていません。同特定版で「出典を示さない転記」(下記のA)のご指摘、当該個所の出典は記事のノート特定版で稲垣論文であると検証されました(A=2020年7月14日 (火) 12:23 (UTC)の版)。転記します。

稲垣進一.1990→2011.新装版図説浮世絵入門.p.143を引用します。
上方絵/江戸の浮世絵の江戸絵に対して、京阪つまり上方で作られたものをいう。ほとんどが役者絵で、独特の似顔表現を持つ。寛政4、5年(1792、93)頃、流光斎により勝川風を取り入れた多色摺が作られ、のちに北斎・国貞・国芳の流れを汲む絵師が活躍した。

そこで調査の労を取られた@Falcatedさんには、Wikipedia:検証可能性の方針のとおり、ノートに述べられたことを記事に反映されるようお願いします。要は3点です。

  1. 削除された箇所の文章表現を変え、無断転記を解く。
  2. 判明した出典を復活。例えば上記(A)。
  3. 「稲垣氏より新しい両氏の論の方が信ぴょう性があると考え」られる(★)根拠を添え、反証する(★=2020年7月16日 (木) 16:03 (UTC)付のご投稿)。

第2点。同じく出典を示さない転記その2でも出典調査により本文を削除されましたが、検証結果の反映(松平進(1999)『上方浮世絵の再発見』p.152)をお願いします。その編集が終わるまで、{{疑問点範囲}}テンプレートの削除はお控えいただくと助かります。--Omotecho会話) /節名を疑問点ツールチップに合わせます。2020年7月17日 (金) 13:15 (UTC) /2020年7月17日 (金) 12:49 (UTC)[返信]