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ノート:三菱・ミラージュ

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フランスの戦闘機の名前とかぶるから、ヨーロッパでは別の名前(Sapporoだったか)で販売されていると聞いたことがあるが。

「初代」のデザインに関する記事の変更提案

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「初代」の項のデザインに関する記事について変更を以下に提案します。

先ず「自動車のスペック表」内のデザインの項のアルド・セッサーノに関してですが、「カースタイリング」1983年No.41 P74のアルド・セッサーノへのインタビュー記事で本人が、三菱で関わったのはランサーEXが最初、と語っています。そのランサーEXは1979年発売で初代ミラージュ発売の1年後であることからアルド・セッサーノが初代ミラージュに関わっていないことが明らかです。また私は当時初代ミラージュデザインチームの一員であった江口倫郎氏に聞き取りをし、アルド・セッサーノは何も関わっていない事とエクステリアデザインは大島雅夫によるものであることを確認しました。更に、初代ミラージュを取り上げた「カーグラフィック」1978年7月号P119、P122には大島雅夫のサイン(O-SHIMA)が入ったスケッチがページいっぱいに掲載されています。以上から、初代ミラージュをデザインしたのはアルド・セッサーノではなく大島雅夫とするのが適切です。--トレブア会話2020年10月24日 (土) 00:28 (UTC)[返信]

次に本文の「直線を基調とした・・・」に始まる文章に代わって以下の変更文を提案します。

張りのある曲面で構成したシンプルでクリーンなスタイリングで、ボディ表面の凹凸を極力無くしたフラッシュサーフェス処理を当時の大衆車としては世界でもいち早く取り入れた。また、細いピラーと広いガラス面積で近代的なイメージとしている。発表翌年の第49回ジュネーブ国際モーターショーではモスト・ビューティフル賞の3ドア部門で1位となった。(注)このエクステリアデザインは米国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインへの留学経験を持つ社内デザイナー大島雅夫によるもので、「青いリンゴ」の若々しいイメージから発想したものと言われる。ボディカラーはイエロー、イエローグリーンなどの鮮やかな色を主体とし、当時国内で流行していたホワイトはあえて低価格車のみとした。尚、大島がデザインした3ドアハッチバックを元に派生した5ドアハッチバックは樫沢一也、4ドアセダンは青木秀敏と江口倫郎のデザインであった。--トレブア会話2020年10月19日 (月) 13:39 (UTC)[返信]


注記:「カースタイリング」1979年No.27 P38

本文変更の理由は以下のとおりです。

・デザインは当初よりリンゴをテーマとした張りのある面を狙いとしており、直線を基調としているとは言い難い。「インハウスデザイナー」P133(元三菱自動車デザイン部長 三橋慎一著)にも「丸にこだわった、ツルンとしたボディ」と書かれています。

・フラッシュサーフェスは、今岡和彦著「ミラージュ物語」P24、「カーグラフィック」1978年7月号P126などに初代ミラージュの外観の特徴として書かれています。

・ボディカラーについては私が当時の担当カラーデザイナー吉平浩氏に聞き取りを行い確認しました。--トレブア会話) 2020年10月16日 (金) 12:53 (UTC) ・前述の江口倫郎氏から5ドアハッチバックは樫沢一也、4ドアセダンは青木秀敏と江口倫郎によるデザインと聞き取りをしました。--トレブア会話2020年10月19日 (月) 13:39 (UTC)[返信]

2代目のデザインに関する変更の提案

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先ず、自動車スペック表のデザインの項のアルド・セッサーノを江口倫郎に変更することを提案します。その理由は、私は当時2代目ミラージュのデザインチームを統括していた上砂公昭氏(元乗用車デザイン部長)に聞き取りとメールのやり取りを行い、生産車へ繋がったとされる1/1モデルB案( カースタイリングNo45 P78のモデル画像3-4)は江口倫郎氏がデザインしたことを確認。更に当時、アルド・セッサーノ氏に開発中のデザインへのアドバイスは依頼したが、デザイン提案は依頼していなかったことを確認しました。また、「カースタイリングNo45 P74」の意匠課主任辻本悟氏へのインタビュー記事に彼が2代目ミラージュのエクステリアデザイン担当と書かれているが、辻本氏はチームリーダーとして取材に応じたものの、採用されたデザインの作者では無かったことも確認しました。カースタイリング No.45 P77の画像5の青地の3ドアハッチバックのスケッチ2枚には江口倫郎氏のサインが入っており上砂氏の話と符合しています。

次に、本文記事の冒頭からの記述を以下の様に変更することを提案します。

「2代目ミラージュは初代の4ドア車のプラットフォームをキャリーオーバーしたフルモデルチェンジ車。ボディタイプは、3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、4ドアセダンの構成で、これは初代と同じであるが、発売2年後の1985年にステーションワゴンとバンが追加された。なお、5ドアハッチバックはこの2代目以降2012年の6代目で復活するまでラインアップから消えている。」

「エクステリアデザインは、初代のシンプルで張りのある曲面を用いた先進的なイメージや、細いピラーと広いガラス面積のデザインは継承しながら、傾斜を強めたウインドシールドとより長い全長(3ドア車)によって伸びやかなフォルムとなった。フロント周りは、ボディ色のフロントグリル、フェンダーまで回り込んだボンネット、サイドに大きく回り込んだフロントコンビネーションランプなどを特徴としている。リア周りは、ボディ色で上下に仕切られたリアコンビネーションランプが特徴だった。リアホイールアーチは台形形状で、同時期に発売された5代目ギャランΣやトレディア、コルディアとも共通性があり、この時代の三菱車の特徴であった。なお、3ドアハッチバックから派生した4ドアセダンは青木秀敏のデザインで、その姉妹車の「2代目ランサー・フィオーレ」はほぼ同じデザインであった。」

記事変更の理由は以下の通りです。

プラットフォームとボディタイプの話は全般的な事柄なので記事の初めに述べて、デザインの記述とは切り離した方が分り易いと思います。 デザインの記述に関して、2代目は初代の空力的処理の最大の特徴であるフラッシュサーフェス処理をそのまま受け継いでおり、そこで大きく進化したとは言い難いので「より優れた空力特性」は削除しました。また、大きなガラスエリアは初代と同じ特徴です。更に、2代目として初代との具体的な相違点や他車に無い特徴を列記しました。 3ドアハッチバックから派生した4ドアセダンは青木秀敏氏のデザインだと当時2代目ミラージュのデザインチームを統括していた上砂公昭氏(元乗用車デザイン部長)から聞き取りをし確認しました。また、カースタイリング No.45 P77の画像1の4ドアセダンのスケッチのタイヤ部分には青木秀敏氏のサインがあり上砂氏の話と符合します。

以上の変更について異議が無ければ1週間後に編集を行います。--トレブア会話2020年11月14日 (土) 12:42 (UTC)[返信]