コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:三方ヶ原の戦い

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

「勝頼は無能さをさらけ出し」となっていますが、勝頼に対する評価は様々であり、有能であったとの説もあります。特に問題がなければ、この文を中立化を目的として削除いたします。NoriBeat 2005年5月13日 (金) 15:37 (UTC)[返信]

意見がなかったので、処置いたしました。NoriBeat 2005年5月30日 (月) 03:47 (UTC)[返信]

一部の記述について

[編集]

この合戦の大まかな背景などについては、西上作戦武田信玄の記事の方が詳しく、むしろ、この記事で中途半端に詳しく記述する意味は無いと考えます。よって異論が無ければ、この手の意見は削除か必要最低限の分量に減らしたいと思います。--EULE 2008年9月13日 (土) 07:48 (UTC)[返信]

「詳しく」や「中途半端に詳しく」や「必要最低限」という言い方では具体的にどこをどうしたいか分かりませんので異論を述べようがないですね。「編集は大胆に」と言いますのであなたが自分の判断で行うことは止めませんし、むしろどんどんやっていただいて結構ですが(私もよくやってますし)、そのような編集は合意に基づく編集としてではなく、自己責任でやっていただけませんか。--Kangoshiyouichi 2008年9月14日 (日) 03:41 (UTC)[返信]
言い方が曖昧だったのは不手際ですので詳しく述べさせてもらいます。
  • 背景における個々の事例
  • 上洛が本当の理由なのか?
などは、西上作戦や武田信玄の方が詳しく、また、あくまで「三方ヶ原の戦い」は西上作戦での一戦闘と見れるので、その具体的な背景が当該記事の方で記述されることには何の問題もないと考えます。よって、本当に大きなあらまし(この場合、例えば信玄が将軍の命で大軍を動かした)か三方ヶ原の戦いに直結する事例(徳川家としての立場)のみを記述して、あとは「詳細は○○を参照」としたい。結果として、この記事における記述量はだいぶ減るでしょう。具体的に言えば、ここでいう異論の可能性というのは、複数の記事にまたがる同一な内容はなるべく一つの記事に統一していくべきかどうかの話です。
ただ1つ誤解されているようなので弁明しますが、別にノートは合意を得るためだけの場所ではないです。当然、合意を得て自己責任を減らすつもりなんて毛頭ありませんからご心配なく。経験上、理由はどうであれ、この手の記述が多く削除される場合、(たとえ要約欄に理由を書いていても)抗議、下手したらリバースをしかけられることがある。ないし、時間を経て似たような状態にもなる。なので私は論争が起こりうる可能性がある場合には先にノートで自分の考えを示しておくというスタイルなんです。「編集は大胆に」、私もよくやってますよ(苦笑)。--EULE 2008年9月14日 (日) 05:35 (UTC)[返信]
そうですか。少々私の側の疑いが過ぎたようです。個人的には関連する記事同士での記述の重複はあまり気にしないほうですし、徳川氏側の事情や織田氏の事情、三河・遠江の国人衆の事情のようなものも広い意味ではこの戦いの背景に含まれうると考えると、西上作戦武田信玄の側に説明を譲るという形式にはあまり賛同できないのですが、この方面の記事に手を出す予定はしばらくないので、うるさく言うことはやめておきます。--Kangoshiyouichi 2008年9月18日 (木) 02:37 (UTC)[返信]
私個人としては駿河侵攻以後の駿河・遠江・三河の状態と、織田家と武田家の同盟関係、それに伴う徳川家の立場などは簡単に記述するつもりです(言葉足らずですみません)。無論、その上でここはもう少し詳しく書くべきではないかという異論を否定するものでもありません。そもそも、現状の記事が西上作戦における武田の立場を記述するのみに留まってるというのが問題なんだと思いますけど(そしてそれ自体が私はどっちつかずで中途半端に見える)。--EULE 2008年9月19日 (金) 10:08 (UTC)[返信]
ご丁寧に返答ありがとうございました。 --Kangoshiyouichi 2008年9月24日 (水) 04:44 (UTC)[返信]