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ノート:三国遺事

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『三国史記』を『日本書紀』にたとえるならば、『三国遺事』は『古事記』に相当するものとされている。{要出典}

この記述ですが、出典になりそうなものとして『完訳 三国遺事』(明石書店、1997初版)の巻頭に姜在彦氏が「『三国史記』と『三国遺事』の復刊に寄せて」とする文を寄せられており、

『三国史記』は『日本書紀』、『三国遺事』は『古事記』に、その性格が似ている。この両書は訳者の解説にもあるように、それぞれ性格が違い、頂点と欠点とをもっているが、それを相補う内容になっている。--【出典の検証のために、金思燁訳『完訳 三国遺事』(明石書店、1997初版)巻頭文より引用】

と書かれています。文意の違いはありますが、これで出典とできるでしょうか?個人的には「古事記に相当するものとされている」という記述は相応しくなくて『三国史記』の記事のほうに書かれている、

朝鮮における『三国史記』と『三国遺事』とは、ほぼ日本における『日本書紀』と『古事記』とに相当する、古代史の基本文献である。--【記述内容の修正の比較のために三国史記の2007年2月13日 (火) 12:04(UTC)版から引用】

ぐらいのものに改めたほうが良いとは思いますが。--田英 2007年3月5日 (月) 14:09 (UTC)[返信]

その評価は日本の史学会で定着しているものなのですか?私の感想です。
もしも、そうでないなら、
『三国史記』を『日本書紀』にたとえるならば、『三国遺事』は『古事記』に相当すると評価する人もいる。
程度ではないでしょうか?

--Lulusuke 2007年3月6日 (火) 01:17 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。私としても、単に『三国史記』『三国遺事』を古い史書の1・2を謂うだけのことであって、殊更に『三国遺事』を『古事記』に擬す必要は無いと思いますので、しばらく様子をみて追加の編集の際に上掲の下線部つきの記述は削除してしまったほうがよいように思うに至りました。--田英 2007年3月8日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
現存する史書の古いものの1,2を謂うだけであるので、その前に出ている表現(『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。)と重複すると考え、除去しました。どなたかの手で記述復帰される場合には、通説化・定着していることを添えていただければと思います。--田英 2007年3月13日 (火) 16:19 (UTC)[返信]

韓国にもどされた三国遺事

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朝鮮日報2009/12/13 の記事「日本で大切に扱われた『三国遺事』」[1]に、「『三国遺事』の返還は1927年、崔南善によってなされた。同氏が日本に留学していた1904年、朝鮮でうわさでしか聞いたことのなかった『三国遺事』を発見した。」とありますが、これはWikipedia記事中の尾張徳川家がもっていたとおもわれるものが、韓国へ渡ったのでしょうか。-218.110.118.30 2009年12月13日 (日) 20:13 (UTC)[返信]