ノート:三国志登場人物一覧
この記事は2008年10月25日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、削除となりました。 |
表記について
[編集]公孫【王贊】などが「公孫・」と表示されます。(羊【示古】や賈【言羽】など)自分だけでしょうか?自分だけなら良いのですが、他の方もそうならば、鍾【月缶系】のように書くか、荀イクのように書くかどちらかに統一した方が良いと思います。
出来るだけ元字表記にしたかったのでこう書きましたが、説明が無かったのはまずかったですね。鍾【月缶系】というような記事名はまずいですから記事名のほうはカタカナで鍾ヨウなどにしてあります。ただ字の説明がこれで良いかどうか、激しく分かりにくいですね。らりた 06:52 2004年2月27日 (UTC) 節タイトルを追加いたしました。--fromm 2007年10月23日 (火) 08:33 (UTC)
方向性を変えてみては
[編集]この記事は三国志人物記事一覧と銘打っておきながら赤リンクまで収録してありますが、記事の一覧であればカテゴリだけで事足りると思います。そのような記事よりはまだ記事が立てられていない人物や個別の記事にするほどでもない人物の略伝を掲載しては如何でしょうか(名称を変える必要がありますが)。三国志ファンの一人として三国志関連の記事が増えるのは喜ばしいことですが、正史の記述が乏しい人物の記事が乱立しているのはどうかと思います。--代言人 2006年1月31日 (火) 12:08 (UTC)
- 赤リンクまで収録してある方が、赤リンクの記事の人物が探しやすいので便利だと思いますが(三国志についてのウィキポータルやプロジェクトが別個に存在しているわけではなさそうなので)、「〇〇の息子」程度の人物や「〇〇の配下で××の戦いに参加して△△に斬られた」程度の人物なら単独記事にする必要はないでしょうね(既に作ってしまったものはどうしようもありませんが)。前者については親の人物の記事内の一項目としてまとめて記載するようにし、後者についてはその人物が戦死した戦いの記事内で記載するか、討ち取った(とされる)人物の記事内の一項目としてまとめて記載すればある程度濫立は防げるのではないでしょうか。(完全に濫立自体を阻止するためにはそれらの人物についてもREDIRECT項目にする必要がありそうですが)61.125.228.103 2006年2月19日 (日) 11:02 (UTC)
質問
[編集]「三国時代の始まりは220年。それ以前の人物は後漢末期の人物であって三国時代の人物ではない」とありますが、何が220年なのでしょうか。生没年ではないですよね。三国志記事を作っている人たちには言わずもがななのかもしれませんが、今日初めてこの記事を見た自分にはよくわかりませんでした。それとも注意力がないだけなのかなぁ。解説お願いします。--219.98.4.53 2006年2月15日 (水) 17:03 (UTC)
名前の順番
[編集]人物名は何順に並んでいるのでしょう? 魏の鐘会を2つ見つけましたが、記入漏れや重複を防ぐために50音にするなどのルールを決めるのはどうでしょう?(勢力別に分けているのは別に悪くないと思います) Fuji 3 2006年5月10日 (水) 02:34 (UTC)
とりあえず後漢分と魏の一部を50音に並べました。
- 群雄(袁紹や呂布など)別の分類になっていた分は、勢力が流転している武将なども多いので50音に吸収
- 最終的に魏呉蜀に仕えた人物は各国に移動
- 読みの分からない語はらしきところに配置(誰か修正を)
魏呉蜀は魏書などの列伝別に書かれていますが、一覧という面では分かりにくく、抜けや重複も多くなると思います。こちらも50音にすることを提案します。
また、仮に列伝基準がよいという意見が多数の場合は、以下のように分類することを提案します。
- 列伝の名称を見出しとする(関張馬黄趙伝など)
- 列伝の評を書き、なぜその人物が一緒にされているかを明確にする
- 演義上の人物は「演義」という見出しの下に書く
特に意見がなければ、引き続き各国の50音別整理作業を行います。 Fuji 3 2006年5月15日 (月) 02:20 (UTC)
所属について
[編集]現在のところ、袁紹に仕えていた辛ピ、劉表に仕えていた文聘などは、後漢と魏の両方で分類されています。しかし一方で、張コウが後漢には分類されていないなどの遺漏があり、更に劉表や劉璋陣営から蜀に移った人物は後漢の項においては皆無です。分類は最終的に仕えた国のみに統一したいと思うのですが、いかがでしょう?
また、魏呉蜀については、例えば『呉(孫堅・孫策・孫権配下)』とするなど、注釈が必要だと思います。立伝者であれば納得がいきますが、例えば祖茂を呉の臣とするのはさすがに語弊があるかと思います。--鳴海 2006年7月28日 (金) 02:49 (UTC)
- 完全50音順にして、
- 文聘 (劉表→魏)
- のように書くのがベターだと思います。また、そもそも「所属」というものを書くこと自体難しいと思っているので(張繍とか公孫淵とかは魏ではないの?とか、孟達は蜀でいいの?とか)、所属の欄は参考程度で必須にしなくてもいいと考えています。Fuji 3 2006年8月31日 (木) 01:28 (UTC)
魏の皇族について
[編集]夏候一族がごっそり魏の皇族になっていますが、彼らは曹操と同族ではあるけれども皇族扱いはされていなかったと思うんですが。どこかに出典があればお知らせください。なければ移動しておきます。Fuji 3 2006年8月29日 (火) 03:09 (UTC)
- 曹操と同族=魏の皇族 曹操孟德 2007年1月26日 (金) 23:33 (UTC)
- 曹操は親が夏候氏出身なだけで、自身はあくまでも曹一族です。だいいち、
- >曹操と同族ではあるけれども皇族扱いはされていなかった
- という疑問への回答にまったくなっていません。出典がなければ、また移動しておきます。Fuji 3 2007年1月27日 (土) 04:25 (UTC)
三国志演義の人物の一覧について
[編集]本項目とは別箇に三国志演義の人物の一覧という記事があるのですが重複にはならないのでしょうか?--202.231.119.109 2007年3月6日 (火) 06:40 (UTC)
- 元になった中国版では、演義(といってもいろいろな版があるんじゃ?と思いますが)に登場した人物(架空の人物)のみの一覧になっており、それなりに分ける意味はあるのではと思います。こちらの記事の定義を変えて、魏誌、蜀誌、呉誌に登場する人物のみの一覧に変更していくべきかと思います。Fuji 3 2007年3月17日 (土) 01:18 (UTC)
GL違反のおそれと重複について
[編集]本項目はWikipedia:ウィキペディアは何でないかにおける「引用、格言、人物といったリストの記録所ではありません」という定義に抵触しているのではないかと思うのですが、どうでしょうか?また、仮にそうではないとしても、三国志の登場人物という極めて似通ったページが存在しており、本項目は重複しているのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
上で他の方も言及していますが、三国志演義の人物の一覧と合わせると三国志関係だけで人物名を羅列するページが3件もあることになります。そもそもガイドラインに抵触しているおそれがありますが、たとえそれがクリアできたとしても本格的な整理が必要なのではないかと思うのですが・・・。--てぃーえす 2008年5月27日 (火) 13:54 (UTC)
- 正史にしか登場しない人物、演義にしか登場しない人物がいるのでそれぞれの一覧が存在する分には問題ないと思います。--Tiyoringo 2008年5月31日 (土) 15:10 (UTC)
- 現在の問題は、「三国志の登場人物」も本項目も、どちらもいわゆる正史と演義がごった煮状態になっていることということでしょうか。確かに、演義等創作だけの一覧は無意味ではないかもしれません。--てぃーえす 2008年6月1日 (日) 03:25 (UTC)
Tiyoringo氏の言うように、正史の人物一覧、演義の人物一覧が存在するのは私も問題ないと思いますので、現在の正史、演義その他のごった煮になっている本項は必要ない、ということでよろしいでしょうか。--てぃーえす 2008年6月21日 (土) 12:03 (UTC)
- 三国志の登場人物は本記事へのリダイレクトになっていますね。本記事では正史に登場する人物しか扱わないことを冒頭で{{otheruses}}を使用して誘導すれば良いのでは。他にも同種のページがあれば別ですが。--Tiyoringo 2008年6月21日 (土) 12:16 (UTC)
- 正史と演義という括りにすると、後漢書や晋書にのみ出てくるような人物の扱いが難しそうですね。三国時代 (中国)の人物の一覧みたいなタイトルに改名して、史書毎の一覧や演義のみでの創作上の人物の一覧を別に作る、という感じなのでしょうか。--Kangoshiyouichi 2008年6月21日 (土) 19:04 (UTC)
- 正史と演義ではなく実在と架空に分けるべきだと思います。個人的にはこのページは正史=実在としては如何でしょうか? 匿名ですみません。--219.106.120.161 2008年6月28日 (土) 8:43(UTC)
- 重複する人物も多くなりますが史書に登場する人物と演義に登場する人物の一覧がそれぞれあるのが調べものをする利用者にとっては便利ではないかと思います。--Tiyoringo 2008年6月28日 (土) 10:21 (UTC)
- 「架空」にすると小説や漫画などの登場人物も含まれてしまうので、別の意味でのごった煮を許容することにもつながり、あまり望ましくないようにも思います。--Kangoshiyouichi 2008年6月28日 (土) 15:15 (UTC)
- 「実在」と「架空」とするのは名案かもしれません。ただその場合、確かにKangoshiyouichi氏の懸念もごもっともですので、「架空」のページ内に節として「演義初出」「日本の小説初出」といったものを作るとか、各人名に括弧書きで「(演義)」「(蒼天)」みたいに初出の作品を記しておくとか、そういう工夫は必要かもしれませんね。
- あとTiyoringo氏には誤解させてしまったかもしれませんが、私が言っていた「三国志の登場人物」は「Category:三国志の登場人物」のことです。失礼しました。--てぃーえす 2008年6月29日 (日) 05:10 (UTC)
その後意見が特に出ていませんが、これは私の発議に対し異論は無い、ということでよろしいでしょうか。であれば、次の段階に移らせてもらいます。流石に削除依頼はやめておきますが、この項を以下のように編集したいと思います。
- 項名を「三国志人物記事一覧」に移動し変更。(現在の冒頭参照。現在、項名と冒頭の名称も合っていない)
- 載せる人物は、いわゆる『三国志』及びその注、『後漢書』『晋書』等の、史書に見える人物に限る。
- いわゆる『演義』その他創作の人物は削除。三国志演義の人物の一覧などを参照してください。
- 史書に名が見えても、明らかにスタブ未満の記事にしかなりえない人物については赤リンクを張らない。あるいは、そもそも載せない。(ここは議論の余地があると思います)
以上、疑問や提案をお待ちします。--てぃーえす 2008年8月26日 (火) 14:50 (UTC)
- 以下の理由から、当初方針に賛同し、当記事の存続に反対します。
- 三国時代の人物を広く網羅するという目的は、「Category:三国志の登場人物」で達成されている。
- 陳寿の三国志に独立伝のある人物というくくりでの索引は、三国志 (歴史書)で実現している。
- 物語としての三国志を否定する一方、『後漢書』『晋書』を含めるなど範囲を一元的なものとせず、曖昧な物とする場合、元の木阿弥となる事が予想される。
- 羅貫中による架空人物(三国演義にしか登場せず、正史三国志に登場しない人物)の大半は、登場して間もなく主人公格に切られるか、同時代人物をモデルとした別名の人物、という構成である。この事から、てぃーえす氏の述べる「スタブ未満の記事にしかなりえない人物」に該当する。であるため、実在・架空でカテゴリーを括ったとしても、ごく小範囲の相違に留まり、新たな利用価値を得られない。
- 三国演義に登場しない人物というくくりでの項目設立をする場合、この記事の題名は相応しくない。--Ice-upperlake 2008年9月5日 (金) 07:54 (UTC)
Ice-upperlake氏の意見と重複する部分が多くありますが、この項目が歴史系の一覧として整理されるのであれば、
- 三国志登場人物一覧と「Category:三国志の登場人物」を統合し、「Category:後漢末・三国時代の人物」とすることを提案します。
wikipediaの中国史関連に於いては「Category:~人物」の形式の方が充実しています。漢代の~ 秦代の~ などというCategoryがあるのにこの時代を扱った歴史的な人物索引が無いのは整合性を欠きますし、この一覧が歴史系の項目を目指すのであれば、前後の時代と合わせるのが妥当と思われます。
このCategoryの扱う時代が後漢末を含むのは、陳寿著「三国志」がこれを扱ったのと同じ理由です。また、「後漢書」及び「晋書」にて大きな比重で扱われているが、この時代を記述するのに欠かすことの出来ない司馬懿、董卓と言った人物をも当Categoryに記載していると、Category名だけで端的に示すことが出来るからです。
「三国志」という名を使わないのは、三国志が多大な敬意を表すべき史書といえど、これもまた歴史上の一編の書物に過ぎず、文学ならともかく歴史系のカテゴリの名に使用するのは不適当だと考えるからです。また、「三国志」を項名に使用すると、理論的には、裴松之注三国志に記載の無い三国時代の人物が、リストされるのにそぐわなくなる、という理由もあります。(勿論現実的には、そのような人物は「スタブ的な記事」に該当するでしょうけども)
この案を受け入れて頂けるなら、最終的には、「三国志関係」の人物リストは「Category:後漢末・三国時代の人物」と三国志演義の人物の一覧の二つに絞って構わないはずです。馬雲リョクなど、演義以外に登場する架空(と思われる)人物は、馬超など関係の深い人物の末尾に簡潔に記述してから各項目へリンクを張ればよいでしょう。--It-out 2008年9月26日 (金) 15:07 (UTC)
- Ice-upperlake氏、It-out氏のご意見ごもっともです。私は元々この項目自体を不要と思っており、多くの賛同が得られるのであれば削除に回すべきだと考えています。
- ただ、「Category:三国志の登場人物」については、「Categoryは改名できない」という問題があり(Wikipedia:ページの改名#改名の仕方)、直そうとするととんでもない手間が発生するため、別個に検討したほうがいいかもしれません。
- まず、本項目「三国志人物一覧」について削除の是非を改めて問いたいと思います。--てぃーえす 2008年9月28日 (日) 02:47 (UTC)
- カテゴリの改名が出来ないとは…片手落ちでした。歴史的なリストが欲しい自分としては勇み足だったかとも思いますが、類似のリストが三つある状態を何とかするのが先だと思いますので、削除案には賛成します。
- 「Category:後漢末・三国時代の人物」については、別の機会に。労力を考えると現状維持かなぁ。--It-out 2008年10月10日 (金) 18:16 (UTC)
- カテゴリの差し替えの労力に付いてはWikipedia:Bot作業依頼がありますので、これに頼めば労力は大幅に軽減されます。--らりた 2008年10月25日 (土) 12:54 (UTC)
- なるほど、そういう方法がありましたか。であれば、カテゴリ差し替えというのも議論する余地があるかもしれませんね。--てぃーえす 2008年10月25日 (土) 13:04 (UTC)
- カテゴリの差し替えの労力に付いてはWikipedia:Bot作業依頼がありますので、これに頼めば労力は大幅に軽減されます。--らりた 2008年10月25日 (土) 12:54 (UTC)
記事削除についての投票
[編集]上にあるように、本項目を削除依頼にかけることに賛成か反対かの投票をしたいと思います。期間は2週間を目途としたいと思いますが、いかがでしょうか。--てぃーえす 2008年9月28日 (日) 02:55 (UTC)
(追記)投票資格は、ソックパペット排除のため、2008年9月28日 (日) 02:55 (UTC)現在で作成済のアカウントに限ることとさせていただきます。もちろん、それ以外のアカウント、またはIPの方々もコメントをつけることは差し支えありません。--てぃーえす 2008年9月28日 (日) 03:13 (UTC)
予告していた期間は過ぎましたが、反対は出ていませんね。もう少し活発な議論を期待していましたが、そもそもこの記事自体の存在価値が希薄であるためにあまり議論にならないのでしょうか。そろそろ削除依頼にかけようと思いますがよろしいですね?--てぃーえす 2008年10月18日 (土) 04:20 (UTC)
一覧記事という性格のためか、またはノートを閲覧する人があまりいないものなのかもしれませんね。削除依頼の審議ですっきり結論を出すのが良いと思います。直接関係ないことですがタイ語、韓国語版にある関連人物テンプレートからの誤リンクがいくらかありました。記事がある場合など一部は修正しました。--Tiyoringo 2008年10月18日 (土) 07:55 (UTC)
告知
[編集]投票、コメントをしていただいたみなさんありがとうございます。削除依頼を提出させていただきました。--てぃーえす 2008年10月25日 (土) 13:04 (UTC)
賛成
[編集]- --てぃーえす 2008年9月28日 (日) 02:55 (UTC)
- --らりた 2008年9月29日 (月) 12:54 (UTC)
- --It-out 2008年10月10日 (金) 18:16 (UTC)
- --Tiyoringo 2008年10月18日 (土) 07:55 (UTC)
- --Ice-upperlake 2008年10月28日 (火) 23:28 (UTC)
反対
[編集]棄権
[編集]コメント
[編集]カテゴリと一覧記事が全く別の機能をもつ記事であること、三国志演義の人物の一覧の記事の持つ問題点(当一覧以上にメンテが行き届いていない、中国語版からの転記で翻訳上の問題がある可能性もある、詳細はノートで指摘済)につき議論の参加者の認識が不十分なままであるように思われること、改名や分割、転記により解消可能な問題点についても記事削除の理由として挙げられていること(Wikipedia:削除の方針#削除対象にならないもの)、削除後にとられるべき代替措置につき結局どの案が採用されたのか判然しないなど、さまざまな点について吟味が不十分に思えたので、投票につき「棄権」したということをここに明示しておきます(もっとも、「削除」という制度についての理解が私の側に十分に備わっていない、という可能性も考えたため、削除依頼にかけることには反対ではなかったため、当初は意見はのべないつもりでした)。てぃーえすさんはご自身でメンテする手間を惜しまれたため、削除という結論に持って行きたがっていたようですが(手間をかけてまでやるほどの価値があるのか、という気分は共有します)、削除さえしなければ後日、志のある人により適切なメンテがなされることは十分に考えられます。逆に言うと、削除してしまうと、その志のある人に現状以上の負担がずっしりとのしかかることになります。--Kangoshiyouichi 2008年11月9日 (日) 21:27 (UTC)
- まず最初に、このノートで最近議論があったことは前から知っていたようですが、そのときには議論に参加せず、削除依頼が提出され賛成票が多数投じられるのを見て初めてここにコメントをするということを大変残念に思います。
- 最初から削除ありきで話を進めたつもりは無いので、ノートの段階で意見なり疑問なりを出していてくれたら違う展開もあったかもしれませんが、手間を惜しまれたのでしょうか。正直なところ、貴方に限らずこの記事の存在価値はその程度なのだな、とコメントが付かないのを見て思ったものです。
- 削除依頼を提出した最大の理由は「引用、格言、人物といったリストの記録所ではありません」であり、このノートの議論を含む他の理由は補強するものに過ぎません。またWikipediaに必要ないとされている内容ですから、そもそも代替措置は不要と考えます。ですから、この記事が「Wikipediaに必要とされない人物リスト」ではないということを論証しない限り、メンテナンスや「志のある人の負担」といった心配は全くの杞憂だと思いますよ。ご安心ください。
- 三国志演義の人物の一覧の記事の持つ問題点については、確かに無関係ではありませんが、別の記事の別の問題ですので、この記事の削除と絡める必要は無いのではないでしょうか。議論を望まれるのであれば場所を改めましょう。
- --てぃーえす 2008年11月10日 (月) 02:06 (UTC)
- あちらにも書きましたが、自分の使える時間と存続を主張した場合にかかるであろう手間を考えた場合、あなたたちのスケジュールに合わせて意見を述べるのはなかなか難しいものがあります。また、「削除」という判断は、現在意見を述べることが当然できない、将来ウィキペディアに参加するであろう利用者をも拘束するものである以上、「意見を述べるべきときに述べなかった」というロジックはあまり成立しないと思いますし、少々配慮に欠けた発言であろうとも思います。また、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの文言が最大の理由とのことですが(あの文書が削除の方針とリンクしないことは以前別の場所で述べましたので省略します)、別に「この一覧には存在意義がない」、とのような発言をされているのを目にしていましたので、これはWikipedia:削除の方針によって許容されるべき削除の当否とは直接リンクしない提案だと判断しましたが、なにぶん「投票」が開始されてしまっていましたので、こちらで議論するよりも削除依頼の場に議論を移すのが妥当と判断しました(結果として既成事実みたいな形になってしまったみたいなのでその判断はあまりうまくいかなかったみたいですが、ウィキペディアの運営がかかえている問題点について、私なりに確かめたい重要な問題が別にあったので、それはまあいいです)。また、「重複」という理由も最大ではないにせよ言及されていたわけで、絡める必要はないというご意見は明らかに失当であるとは思います(最初に絡めたのはそちらであるわけですから)。--Kangoshiyouichi 2008年11月14日 (金) 13:52 (UTC)
- あ、変なラクガキ書いたのは私じゃないですよ(笑)。一覧を作り直すとしてもこの記事名ではやらないと思いますし。--Kangoshiyouichi 2008年11月14日 (金) 14:31 (UTC)