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ノート:三国志

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項目の統合について

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こちらの三国志三国志 (歴史書)もたいへんな労作で頭が下がりますが、三国志といった場合に百科事典で記述すべきなのは、三国志 (歴史書)三国志演義です。それ以外の後世の作家が書いた三国志関係の書物は、記事の頭に曖昧さ回避をおくか末尾の関連項目にまとめるべきだと思うのですが。それにこの記事の内容は、実際に歴史書の三国志に関するものがほとんどです。その点からも統合して記述を整理したほうがよいと思うのですが。この提案は執筆した皆さんの労苦を無視するということではないので不愉快におもわれたらすみませんm(_ _)m。三国志をREDIRECT専用か曖昧さ回避専用で残すとかいろんな考えがあっていいと思いますsiyajkak2005年8月6日(土)14:32(UTC)
本音を言えば私はいわゆる正史派なひとなので完全に「三国志」=正史記事にしたくてたまらない人間なのですが(苦笑)、ただ、未だ多くの日本人にとっては「三国志」=演義であることは否めないので、果たしてそれを実行して良いのかためらいがあります(実は私も、二十四史テンプレを歴史書側に貼ったときに統合できないか少し考えたんですが)。なお、日本での受容過程などはむしろ三国志演義側に統合した方が良いようにも思えます。向こうのノートにも声を掛けてきますね。Nukkie 2005年8月7日 (日) 00:50 (UTC)[返信]
三国志と三国演義の違いもよく分かってない人間です。実際Wikiで三国志を検索するのは私みたいな人かなと思い、意見しました。三国志三国志 (歴史書)三国志演義を読んでみて、確かに現状ではいまいち理解しにくかったので統合して整理に賛成です。しかし、吉川英治の『三国志』やコーエーのゲーム『三國志』シリーズなど、三国志演義を基にして作った小説や漫画やゲームが三国志を名乗っていることについての説明がどこかに欲しいです。漫画やゲームから興味持って調べたとして、コレが分からないと何も分からないので・・・。三国志を三国志演義を基にして作った小説や漫画など日本における三国志の受容と流行の説明と曖昧さ回避にして(山手線方式)、三国志 (歴史書)で歴史書の三国志についての説明、三国志演義で四大奇書の三国志演義の説明はどうでしょうか?ひろたん 2005年9月27日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
一般の百科事典では正史の『三国志』、物語の『三国志演義』が記事立てされているのが普通ですが、現在の日本の状況は、『三国志演義』や正史の『三国志』の影響を受けて創作された、小説、漫画、ゲームといった二次創作作品が山のようにあります。そうすると、この項目は三国志をめぐる作品群という項目へ移動。ここは曖昧回避の項目に改造、三国志 (歴史書)三国志演義三国志をめぐる作品群へ分岐するという構造にするのがいいかもしれません。--ウミユスリカ 2006年2月21日 (火) 09:41 (UTC)[返信]
ウミユスリカさんの案が非常に良いと思います。各項目で重複する部分も、これですっきりするのではないでしょうか。--Jinnsg 2006年9月8日 (金) 04:59 (UTC)[返信]

私は三国志の項目には陳寿の三国志が書かれるべきだと思います。演義にしても吉川氏の小説や横山氏の漫画にしても陳寿の三国志から来た2次的あるいは3次的作品です。サザエさんドラえもんなどにしても、分割の際にはいくらアニメ版が国民的な人気があるとしてもアニメは2次作品であるとしてアニメの記事が元の記事から切り離されて元記事には原作の記述のみが残されました。その原則からすれば大本の原典である歴史書の三国志の項目がここに置かれて2次・3次的作品は全て曖昧さ回避などを用いてここからの誘導によって導かれるべきです。現状の三国志_(歴史書)に陳寿の歴史書が書かれている現状そのものが本末転倒だと考えます。あと、これは最終的にリンク修正等も加えれば相当数の項目にわたるような大きい問題ですので、Wikipedia:コメント依頼において意見を求めた方がいいかもしれません。--水野白楓 2006年9月24日 (日) 08:21 (UTC)[返信]

私は現状維持を支持します。「三国志」という言葉の持つ世界は陳寿の『三国志』から派生して非常に多岐に渡っており、枝が成長して幹に近くなっている状態です。本末転倒ではあるかもしれませんが、末がこれだけ巨大になっている現状を鑑みて例外的な取り扱いをするべきと思います。吉川三国志などを陳寿の『三国志』と同列に扱うのは間違いだと思いますが、少なくとも『演義』は陳寿『三国志』と同列に扱うのが適切と思えます。らりた 2006年9月24日 (日) 11:43 (UTC)[返信]

らりたさんの言われることも一理ありますが、利用者のことを考えるなら一貫した編集方針(ルール)に従っている方が良いと思います。と、いうことで水野白楓さんの提案に賛成します。61.210.33.31 2006年10月1日 (日) 16:01 (UTC)[返信]
統合後にのテンプレを貼ったらどうでしょうか?--水野白楓 2006年10月15日 (日) 08:38 (UTC)[返信]
三国志 (横山光輝)という記事が出来てしまいましたので、取り敢えず三国志#個別の記事の節の案内を増やさせていただきます。統合の際はテンプレの形式にご配慮下さい。202.94.176.10 2007年2月26日 (月) 10:27 (UTC)[返信]
遅くなりましたが、私も水野白楓さんのご意見に賛成です。Wikipediaにはフィクションを明確に区別するというガイドラインがあり、むしろはっきりと「『三国志』とは、陳寿が著した歴史書であり、中国の正史の一つ(それ以外は三国志を基にした創作作品)」と定義を固めてしまったほうがよいと思います。舒城の初版のように、演義のみを記述ソースとしてあたかも歴史的記述であるような書き方がされているような項目も出始めている以上、歴史的記述と、創作部分についての区切りはつけたほうがよいと思います。個人的には、これ以上歴史と創作の混同を読者に与えるようなことはやめるべきだと考えます。方法としても、「三国志 (曖昧さ回避)」を作る案に賛成です。なお、現在私は、『史記』の「内容」のように、目次と取り上げている人物を整理した節を追加しようと準備中です。ここの議論に一定の結論が出たら実行しようと思っていますので、申し添えておきます。--Crystaltear 2007年2月13日 (火) 23:10 (UTC)[返信]

あのう、経緯はよく掴めていないのですが、少なくとも三国志 (曖昧さ回避)はあった方がいいと思うので(何ヶ月も立つのにどなたもお作りになっていないですし)、僭越ながら先ほど作らせて頂きました。この分野には知識が浅いのでちと自信がありませんが、こんな感じではどうでしょうか(本項の頭にanotheruseで貼付もしてみました)。--Five-toed-sloth 2007年11月23日 (金) 18:47 (UTC)[返信]

三国志三国志 (歴史書)の記事の存在が重なって紛らわしいです(汗)こっちの方も統一してほしい所ですね(微笑)--121.118.90.211 2008年1月3日 (木) 12:46 (UTC)2008年1月3日(木)21:35(UTC)[返信]
おじゃまします。正史と創作の「三国志」の項目はすでに両方ともかなり膨大な内容になっていますので、統一することで読みにくくなる危険が大きいと思います。また、実証性や現実的な内容が求められる史書と、必ずしも史実を重視しなくてもよいフィクションとでは、アプローチ自体が異なりますので、やはり両者は別物とした方がよいと考えます。「現状でよい」という一票を投じます。--てら1971 2008年3月5日 (水) 07:24 (UTC)[返信]

三国志、項目わけについて

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三国志の項目分けについてですが、三国志で検索をすると大よその概略を表示し、 その後、主に3つの項目に分類したらどうでしょうか?  

『正史三國志』・西晋の歴史家、陳寿による歴史書としての三国志については、旧字体の「國」を使用し、『三國志』または、『正史三國志』とする。『三国志演義』・明の小説家、羅貫中による三国志を、『三国志演義』又は、『三国演義』とする。『三国志』・吉川英冶や、横山光輝による日本人作家のオリジナルを普通に『三国志』とする。

お粗末ながら提案させて頂きました。

  • (コメント)安易に決めることはできないですが、確かに一概に「三国志」というだけの項目では範囲が広すぎると感じます。やはり、最低限は「正史」と「フィクション」の境界線を引くべきだと思います。--122.249.34.192 2007年10月21日 (日) 10:13 (UTC)[返信]

「戦国時代」の節について

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問題の記述はすでになく、本項の構成も大幅に変更されたため、/過去ログ化させて頂きます。--219.126.202.68 2007年12月29日 (土) 02:55 (UTC)[返信]

「日本における三国志の受容と流行」内の記述について

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正史の受容内の記述の一部と演義・大衆文化の受容内の三国志小説の記述の二点に関して問題があると思います。第一演義・大衆文化の受容内の三国志小説についてですが、列挙されている作品全てが三国志演義を元にしていると断じているとしか読めません。柴田錬三郎『三国志』以外の小説を調べたところ柴田錬三郎『三国志 英雄ここにあり』は下巻の巻末に"「三国志演義」にもとづいた(尾崎秀樹)"とあるのでこのままでよい。北方謙三『三国志』は同氏の『三国志読本』に正史を元にしている旨の発言があるのでNG。陳舜臣『秘本三国志』はあとがきに正史など(演義は含まない)を元にしている旨の記述があるのでNG。と判断します。以上三作品以外についてはどちらを元にしているのかの記述を見つけられませんでした。以下は推測になってしまいますが、柴田錬三郎『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』は下巻の巻末に「三国志 英雄ここにあり」の後編と位置づけている(稲畑耕一郎)ので演義が元。また三国志演義での山場とも言える赤壁の戦いにおける黄蓋の「苦肉の計」、諸葛亮の「十万本の矢」、祭壇で祈祷して東南の風を吹かせるといったエピソードに注目すると陳舜臣『諸葛孔明』はいずれもないので三国志演義が元ではない。宮城谷昌光『三国志』もいずれもない(更に本文中である記述のあとで「『三国志演義』では」というフレーズに続いて演義での記述があるという形式が散見される)ので演義が元ではない。ということになると思います。ですのでこのままの記述では問題がある、あるのではないかということです。以上は元が正史か演義かという点だけに注目した結果ですが、正史の受容内で解説書や漫画やゲームについても言及しているので、小説は大衆文化だからこのままで問題ないとは言えないでしょう。第二正史の受容の「状況が一変するのは」以下の記述ですが、一変したと言えるような状況があったのでしょうか?(この表現がOKなら、『世界古典文学全集24 三国志』よりも前に発売されている陳舜臣『秘本三国志』の影響が皆無だと言えるのでしょうか?)--Giant gorg 2008年3月29日 (土) 14:14 (UTC)[返信]

冒頭の「三国志」の各言語表記について

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現時点で繁体字と満州語での表記が記載されていますが、

  • 満州語が記載されているのはなぜでしょうか。清代に女真系の人物が書いた、というのであればわかりますが…
  • 簡体字の記載がないのはなぜでしょうか。

--Nao Costas会話2020年8月7日 (金) 14:51 (UTC)[返信]