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ノート:至聖三者大門教会

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改名提案

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  • 「同じ教派の用語を用いるのが基本」⇒ 出典ありませんか?
  • ウクライナ正教会の聖堂の名前は、なぜ日本正教会の表記に従わなければならないでしょうか?
  • 三位一体は正教会の表記ではないなら、なぜそうような表記は正教会に関する次の書物と記事で用いられるのでしょうか? 
トレチャコーフ美術館--アンドレーイ・ルブリョーフのイコン「聖三位一体(トロイツア)」-上- / 清水 睦夫 文化史学. (通号 39) 1983.11;
「トレチャコーフ美術館]] アンドレーイ・ルブリョーフのイコン「三位一体(トロイツア)」-下- / 清水 睦夫 文化史学. (通号 40) 1984.11
『ビジュアル博物館73 ロシア』キャスリーン・バートン・ミューレル著、栗原成郎日本語版監修、同朋舎、1998.
ロシアの声:今日7日、ロシア正教会は、聖三位一体の日(聖霊降誕祭)を祝っている。
玉川大学教育博物館: 三位一体
在日ロシア大使館:三位一体
日本正教会:至聖三位一体
  • 「三位一体」という用語は正教会関連の書物・記事において使用されている中、なぜ日本語版でウクライナ正教会関連の項目においては「日本正教会」(?)が用いる「至聖三者」を使用しなけらばなりませんか?
  • 「三位一体」と「至聖三者」の意味が同じであるとすれば、「オッカムの剃刀」はピッタリと思います。言い換えれば、「三位一体を説明するためには、必要以上に至聖三者を仮定するべきでない」。違いますか?--Alex K 2010年1月1日 (金) 04:24 (UTC)[返信]
コメント Alexさんのご質問にお答えいたします。
  • 教派の用語を用いる方針は日本語版ウィキペディアでデファクトスタンダードとして発展してきました。
  • 教派によって用語やその根拠となる信条が異なるため、信仰を同じくする日本語を用いる教団の用語を使うのが望ましいという私の意見は、以前ノート:救世主変容教会(ヴェルィーキ・ソローチンツィ)で述べさせていただいたとおりです。
  • 用いられるか用いられないか、ではなく、より正しい用語を使うべきだという意見です。
  • 2番目の質問への回答に同じです。
  • 「オッカムの剃刀」はやり方の正しさを保障するものではありません。また、より複雑なモデルを用いるのはやめよう、というのがその趣旨で、ティコ・ブラーエの天動説のようなものがこれにあたります。ノート:救世主変容教会(ヴェルィーキ・ソローチンツィ)での議論でも出しましたが、「正教とカトリックで信条が異なるならば独自の用語を用い、同じならばカトリックの語を用いる」というやり方よりも、「正教のものは正教のことばで」のほうがはるかにオッカムの剃刀で示された指針にかなっているでしょう。
以上です。--Peccafly 2010年1月1日 (金) 05:30 (UTC)[返信]
  • コメントありがとうございます。しかし、答えになっていないと思います。
  • 「同じ教派の用語を用いるのが基本」というpolicyをお示しください。私は自分の出典を明らかにしましたように。
  • 「より正しい用語」とは何でしょうか?日本正教会のページでは(至聖三位一体)と書いています。他の出典も同様です。それらの出典は間違った(不正確な)用語を使用していると仰るのであれば、どうか、その間違いを明してください。そして、「三者」は「三位一体」と比べて「より正しい用語」であることを証明してください。
  • 私が提出した出典では「三位一体」は正教会の用語であると容易に確認できます。よって「正教のものは正教のことばで」という方針が守られています。「三位一体」は正教会の用語ではないと仰るなら、それを証明してください。--Alex K 2010年1月1日 (金) 06:15 (UTC)[返信]
明らかに虚偽ですね。
信者向けには(内部では)まず使われないんですよ。私が言っているのは「正式な表記」についてです。
「正式な表記」を基準に出来ないとなると、表記のぶれが激しくなるという問題があります。「あそこに書いてあったからいいじゃないか」でやっていったら、様々な表記が行われて混乱する元になるケースが多発するでしょう。
他の利用者を詰るのは行き過ぎ
私は全くそう思いません。そもそも「詰っている」のではなく「事実を指摘している」のです。johncapistranoさんは調査不足か資料不足からか、外部向けホームページしか調べておいでではありませんが、それでも出典を引いてそれなりに調査なさって意見を仰っておいでです。ですがAlexK氏はハナから「日本正教会の独自表記など考慮に値しない」としている訳です。johncapistranoさんの立場・結論・論拠とは全く異なる不誠実さが本質的に含まれている事を認識して下さい。--Kinno Angel 2010年1月2日 (土) 07:10 (UTC)[返信]
>「同じ教派の用語を用いるのが基本」というpolicyをお示しください。私は自分の出典を明らかにしましたように。
ノート:教皇での過去の議論や、各種プロジェクトを見て下さい。プロテスタントや聖公会の執事助祭などとは書いている例はありませんし、カトリック教会助祭を執事と書いている例もありません。ウィキペディアに限らず、超教派の媒体では、用語を尊重するのは当然の事です。残念ながら正教会関連の媒体では、編集者・執筆者の無知や資料不足により、カトリック用語が準用されているケースも多いですが、近年、そうした傾向は改善されつつあります。
次に、日本正教会で「至聖三者」が用いられている例を挙げる方が「三位一体」を挙げるより遥かに容易です。全祈祷書の頁数まで全て挙げなければならないのですか?「三位一体」は外部向けの媒体でしか使われません。大阪ハリストス正教会のページでもあくまで初出の括弧にのみ「三位一体」が使われています。都合の良い検索結果ばかり引っ張り出さないようにお願いします。--Kinno Angel 2010年1月2日 (土) 02:25 (UTC)[返信]
改名には反対していませんので余計な議論ですが、至聖三者が伝統的で頻度の高い用語であるのは事実でしょう。でも西方教会POVだと仰る分にはいいですが、カトリックに限定もされないし、図像名とは言え正教会で使われぬ訳でないというのが事実で、正教会関連の媒体を一信徒が評価したものを信頼しろといわれても検証可能性を満たしません。公式の見解よりも強固な伝統主義志向であるんじゃないんでしょうか。johncapistrano 2010年1月3日 (日) 05:24 (UTC)[返信]
コメント
>改名には反対していませんので
まずお礼を申し上げます、ありがとうございます。以下、詳しく述べます。
>西方教会POVだと仰る分にはいいですが、カトリックに限定もされないし
えーっと…私、ここで「カトリックPOV」云々と言いましたっけ…?言った覚えがないのですが、もしここで、あるいは他所で「『三位一体』はカトリックPOV表記である!」などと筆が滑って書いていたのだとしたら、お詫びして訂正しますし、そもそもそんな風には考えていないことを明言してもおきます(さすがに西方に暗い私でも、聖公会やプロテスタントで、つまり多くの教派において「三位一体」が使われている事くらいは存じております)。何も単純に反カトリックという感情論で一連の提案を申している訳では無い事をまず御理解下さい(そうでなければ「赦しの秘跡」というページなど作りません)。
>公式の見解よりも強固な伝統主義志向であるんじゃないんでしょうか。
少し微妙に私の編集方針と表現が異なります。「日本正教会の公式見解に則っている」のではなく、基本的には「日本正教会の正式表記に則っている」というのが正確な表現になります(そもそも「公式見解」と「公式媒体」も微妙に異なりますよね)。
「外部向けの公式媒体」と「内部向けの正式なもの」を並べてこれが一致しない場合、事典執筆の出典としては基本的には後者を優先するという事です(カタカナ転写についてはまた別の方法論を持っておりますが)。それは「外部向けの公式媒体」よりも「内部向けの正式なもの」の方が情報量が比較にならないほど膨大だからです。出典として使いやすく、基本的にこれに統一した方が余計な考慮の数が減るという事情があります(表記のブレは無いではないのですが、それでも外部向けのものに比べればブレは少ないのです)。
>正教会関連の媒体を一信徒が評価したものを信頼しろといわれても検証可能性を満たしません。
これは少し妙な御主張ですね。ウクライナ語文献という、殆どの人に検証不可能な文献についてjohncapistranoさんはWikipedia:コメント依頼/AlexKで使用を否定していませんよね。向こうにも書いておきますが、一般論としてそれ自体は間違っていません。私もギリシャ語ロシア語の出典を多用する以上、「英語・日本語以外の出典は不可」などとされたら、とても困ります。
ですが正教会の全祈祷書を見れば、「『三位』『一体』は個別に使われる事はあっても、『三位一体』とセットで使われるケースはゼロ。『至聖三者』は至るところで使われている」事は明らかなのです。これは、国会図書館所蔵の祈祷書や、全国にある日本正教会の諸教会収蔵の祈祷書を見れば良い訳です。「アクセスが難しい」もしくは「検証がし難い」と仰るかもしれませんが、一般人にとりアクセスが難しいという点においては、ウクライナ語の文献も良い勝負ではありませんか…いやそれ以上に困難でしょう。
ウクライナ語文献は検証可能性を満たすが、日本正教会の祈祷書は検証可能性を満たさない、というのは偏見というものです。
とは言え、ウクライナ語文献に比べればアクセス・検証は容易とはいえ、「日本各地の教会を訪れてみろ」などというのが難題である事は事実です。
なんでしたら、私にも良い勉強になる事ですし、時課経でいくつ「至聖三者」「聖三者」が使われているか、それをギリシャ語のオロロギオン(時課経)と対照させた上でカウントし、「三位一体」セットが何箇所で使われているかもカウントし(まず間違いなくゼロです)、それを具体的数字としてデータの形で当ノートページに報告してもよろしゅうございます。八調経・祭日経・歌経まで全て網羅せよと言われれば分量からして無理と申し上げなければなりませんが、日本の時課経位であれば320頁しかありませんし(一つの文字の大きさが8ミリ×8ミリ程度ですので、大した分量ではありません)、それほど困難な作業でもありません(かなり早く見るでしょうから見落としはあるかもしれませんが)。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 11:24 (UTC)[返信]
祈祷書が検証可能性を満たさぬとは言いませんし、自分で検証をするつもりはないのですが、正教会関連利用者は案外おられると思います(なので検証も可だと)。祈禱書(祈祷)では使われないと至聖三者の方に書いて頂いてもいいとは思いますが、この記事やら図像名など用例のあるものを間違いとするのは公式見解なしでは厳しいと思います。あちらの話ですが頻度よりか訳語/用語の歴史的な過程の方がより必要でしょうね。祈禱書の編集史の方が加筆されると読み応えが増すでしょう。私はやりませんが。
それでも媒体を通さないと検証はできません。実に正しくても伝わらないですから。聖体礼儀のビデオライブラリなどで三位一体は使われていないとかあってもいいかもしれないですね。
ズレているのでここらで措いておいた方がいいと思いますが、(明確には否定されていないかも知れませんが)外部で言及のある用例からの転送・誘導は認めるべきであると思います。johncapistrano 2010年1月3日 (日) 14:07 (UTC)[返信]
コメント
>この記事やら図像名など用例のあるものを間違いとするのは公式見解なしでは厳しいと思います。
よく読んで下さい。言ってもいない事で批判されるのに対して再指摘するのは結構疲れます。私自身、自分のコメントの分量が多いと自己嫌悪してもいますので、読まれるのも大変とは思いますが、それでも根本的な批判をなさりたいのなら注意深く読んで下さい。
  • 「外部向け媒体では用例はある」事は認めています。
  • 「より正確でより膨大に用例のあるもの」として「至聖三者」を推しています。
>それでも媒体を通さないと検証はできません。実に正しくても伝わらないですから。聖体礼儀のビデオライブラリなどで三位一体は使われていないとかあってもいいかもしれないですね。
祈祷書で十分でしょう。楽譜でも良いかもしれませんが。それ以上を求められても困惑します。「三位一体」は稀少ケースであるという事を証明するために、そこまで求められるのは酷に過ぎると感じます。
>(明確には否定されていないかも知れませんが)外部で言及のある用例からの転送・誘導は認めるべき
記事名について正確さを主張しているのであって、無論、リダイレクトとして残す事まで否定した事はありません。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
(追加コメント)
>祈禱書の編集史の方が加筆されると読み応えが増すでしょう。私はやりませんが。
必要ではあるでしょうけれど、事典でそれをやったら独自研究でしょう。まだまだ研究段階なのですから。
>訳語/用語の歴史的な過程の方がより必要でしょうね。
事典作成においては「現時点(もしくはここ十数年程度)での頻度」だけで十分と考えます。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 15:48 (UTC)[返信]
唯一反対しているAlexK氏から、指摘に対して何ら誠意ある回答を頂けていません。AlexK氏は他のページでも「一回反対」した後、私(のみならず賛同者)からの指摘を完全に無視して「日本正教会の用語は考慮に値しない」の一点ばりで反対するだけです。これ以上議論を無視し続けられるようであれば、議論に参加している方々からは合意が得られたものとして、改名を実行するしかないと考えております。1週間以内に回答が無ければ改名を実行します。--Kinno Angel 2010年1月5日 (火) 04:58 (UTC)[返信]

予告した日時からは大幅に過ぎていますが、なおJST日曜日(2010年1月17日)一杯までは待ちます。もし反対されるようでしたら、私(のみならず賛同者)からの諸々の指摘に対して具体的に反対して下さい。これ以上議論を無視し続けられるようであれば、議論に参加している方々からは合意が得られたものとして、JST月曜日(2010年1月18日)には改名を実行します。--Kinno Angel 2010年1月16日 (土) 03:00 (UTC)[返信]

改名報告

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予告日時を大幅に過ぎても反対がなかったため、改名を実行しました。議論参加者の皆様、ありがとうございました。--Kinno Angel 2010年1月21日 (木) 09:28 (UTC)[返信]

移動差し戻しへの抗議

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移動差し戻しにつき。AlexKさん。何度予告したと思っているのですか。何度指摘に答えるように要請したと思っているのですか。指摘を無視して予告を無視しておいて、改名したら単純に差し戻しですか。「至聖」が教会名には無い、というのなら、度重なる予告の時点でやっておけば良かった筈です。一体何をお考えなのですか。この不誠実に対してはいずれまた問題提起することとなります。--Kinno Angel 2010年1月21日 (木) 23:47 (UTC) 「至聖」が教会名に無い、というのなら、「聖三者大門教会」でもよろしゅうございます。「至聖」が入っていなければ良いのですよね、AlexKさん?--Kinno Angel 2010年1月21日 (木) 23:57 (UTC)[返信]

差し戻しについて

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改名についてですが、再度の差し戻しをさせていただきました。議論に口出ししていない人物がどうしてでしゃばるのか?と思われるかもしれませんがご了承ください。今回の差し戻しは、個人的にこの記事名に賛成しているから、というものではなく、wikipediaのシステム的な観点からのものです。少なくともノートページにおいてはおよそ1月反論が無く、加えて合意が形成されたとみなすと宣言されてから数週間たっていながら反論がなされていないというのは、普通に考えれば議論を放棄したとみなされても仕方がありません。にもかかわらず合意形成がなされていないというのを認めてしまうと、一度反対して黙ってしまえば二度と改名できないということになってしまいます。再度の改名については、三位一体大門教会への改名提案という形で新しく提案すべきです。--Koon16000 2010年1月30日 (土) 14:23 (UTC)[返信]

Koon16000さんの差し戻し対処、及びご説明に対し、賛成し支持いたします。--Dr.Jimmy 2010年1月30日 (土) 15:33 (UTC)[返信]
  • 「議論の放棄」などはありませんでした。私の質問に対して、「賛成」側は相応しい答えを出せなかったまでです。「賛成」側は、(1)改名提案を裏付ける出典の提出(2)私が提起した出典の否定などできませんでした。相手が私の質問に答えを出せないなら、いちいち同じような反論を繰り返す必要はないと思います。--Alex K 2010年2月2日 (火) 05:29 (UTC)[返信]

コメント ノート:救世主変容教会 (ヴェルィーキ・ソローチンツィ)でも全く同様の問題が起きています。このまま二つのページの問題が膠着する場合、まずこの問題に特化したコメント依頼などの方策も考えております。--Kinno Angel 2010年2月2日 (火) 07:21 (UTC)[返信]

(編集衝突してしまいましたが、このまま載せます)まず、再度の移動をされたことを非常に残念に思います。少なくとも今回の場合、まずあなたは移動せずに、ここのノートに顔を出すべきだったと思います。さらに問題となるのは、1、2の論拠とも一応の反論がほかの議論参加者から出されているにもかかわらずAlex Kさんはそれを反論としては認めていないと考えなんら発言を行わなかったという点です。これはスタンスとして間違っています。もしその反論に満足していないのでしたら、あなたは反論を行うべきです。そもそも、ここでの議論において、あなたはその反論に「満足した」とも「満足していない」とも一切発言していないのです。さらに、Kinno Angelさんの「これ以上議論を無視し続けられるようであれば、議論に参加している方々からは合意が得られたものとして、改名を実行する」という宣言にも一切の「反論」も「賛成」もしていません。。これについて「沈黙は同意」という論法があります。もちろん現実の議論においては反論もありますが、これは少なくともネット上の議論ではこれはきわめて重要なルールといえます。相手が見えない以上、沈黙は「議論から逃げてしまった(もうすでに参加する気が無い)のか」「反対していながら黙っているのか」がまるっきり見分けが付かない上に、もし後者ととってしまった場合、一生議論が進まなくなってしまうからです。つまりネットの議論では(よいか悪いかは別として)雄弁こそ金の世界です。それに加えて、移動後に一方的に差し戻しをおこない、加えてそれに対するKinno Angelさんからの抗議も、一切無視されています。これはほとんど議論無視としか解釈できないわけで、議論の方法としては下策でしょう。まず、Alex Kさんは速やかに上の議論に対して反論なり疑問点なりを出すべきです。それが出されない場合、私は再度「合意がみなされ、反論が無い」と解釈して改名をおこないますので、ご了承ください。--Koon16000 2010年2月2日 (火) 07:23 (UTC)[返信]

私は自分の 反対 の根拠を既に紹介しました。ご依頼により改めて紹介させていただきます。

  • 1)日本語でキリスト教の「Trinity」の定訳「三位一体」です。「至聖三者」は定訳でありません。「三位一体」は定訳であることを、日本語の最大辞典である日本国語大辞典、6巻、404ページをご覧ください。
  • 2)「至聖三者」は日本国語大辞典に載っていませんし、「至聖」とういう単語は教会名にはありません。「至聖」を捨てて「三者大門教会」にすれば、教会名はおかしくなると思います。なぜなら、日本国語大辞典、6巻、313ページによれば「三者」は①三人、あるいは②第三者を意味しています。よって、読者は「三者大門教会」をパット見れば、「三人の教会」・「第三者の教会」と誤解すると思います。
  • 3)当教会はインタネット上で「三位一体教会」として紹介されています。在ウクライナ日本大使館:三位一体教会 聖三位一体教会などの表記が見られます。インタネットでは当教会が「三者教会」として紹介される例は見出せません。
  • 4)日本語の正教会関係記事・文献において「三位一体」という用語が用いられていますので、「三位一体」を意味曖昧な「三者」に置き換える必要はありません。以下は正教会関係記事・文献の数例です。
トレチャコーフ美術館--アンドレーイ・ルブリョーフのイコン「聖三位一体(トロイツア)」-上- / 清水 睦夫 文化史学. (通号 39) 1983.11;
「トレチャコーフ美術館]] アンドレーイ・ルブリョーフのイコン「三位一体(トロイツア)」-下- / 清水 睦夫 文化史学. (通号 40) 1984.11
『ビジュアル博物館73 ロシア』キャスリーン・バートン・ミューレル著、栗原成郎日本語版監修、同朋舎、1998.
ロシアの声:今日7日、ロシア正教会は、聖三位一体の日(聖霊降誕祭)を祝っている。
玉川大学教育博物館: 三位一体
在日ロシア大使館:三位一体
日本正教会:至聖三位一体
  • 5)「三位一体」という用語は正教会関連の書物・記事において使用されているなら、日本語版で「ウクライナ正教会」関連の項目においては「日本正教会」が用いる「至聖三者」という用語を使用する必要はありません。さらに、「日本正教会」自体が「三位一体」という用語を用ているので、ウクライナの教会を「三者の教会」にする必然性はまたっく無いと思います。
  • 6)ウクライナ正教会と日本正教会が同じ教派であるを根拠に、改名提案を支持する賛成者が「同じ教派の用語を用いるのが基本」だと主張しているが、その主張を裏付けるWikipediaのpolicyないしguidlineを提出していません。
  • 7)改名提案を支持する賛成者が「至聖三者」はより正しいだと主張しているが、その「正しさ」を裏付ける信頼できる出典を明記していませんし、「三位一体」は間違った(不正確な)用語とする出典も提出していません。--Alex K 2010年2月2日 (火) 08:18 (UTC)[返信]
とりあえず、私の差し戻しは、議論の賛否によるものではなく、wikipediaのシステムによるものであると数度述べていますが、正直そこのところがちゃんと理解されているのかは疑問です。それと、議論とは反論をただぽいと出せば終わるものではなく、そこから相手との(これは、たとえ相手がいやなやつであろうが、相手したくないなと思おうが)対話によって、相手を納得させた、もしくは合意に至った、または(言い方は悪いですが)論破できた場合(これは自身が決めることではなく、周りが決めることです。正直Alex Kさんの議論姿勢にはこの部分がかけている気がします)に解決します。これはネットでも対面でも変わりません。ただ、繰り返しますがネットには沈黙は同意とみなすほかはないという点があることも、また付け加えなければならないでしょう。
とりあえず、私は東方教会についてはそれほど知識があるわけではなく、通り一遍等のことがらしか知りませんが、1については、定訳は教派によって違うものであり、それは尊重されるべき、という立ち位置にいます。しかしいっぽうで、社会はマジョリティの世界ですから、少数派の訳語、立ち位置は市民権さえ得られない場合があります。たとえばイエス-イエズス-イイスス-イーサーで市民権を得ている(辞書に載っている)のは前2つだけで、後ろ2つは辞書にはありません(私は広辞苑しかもっていないので、ほかのもので載っていたらごめんなさいですが)。2については、以前もめたことがあります(英国のOrderのシステム、ニュアンスについて、定訳である「勲章」のもつニュアンス、意味とがだいぶ違っていたという問題)。ただ、その際は「定訳」はあくまで定訳であって、意味とはちょっと離して考えるべきだ、ということになりました(私も、現状ではこのスタンスに同意しています)。3,4については要検討でしょう。ただ、その際には広報というものはマジョリティ向けであるという点は考慮に入れるべきです。このあたりについては有識の方による有意義な議論を期待するところです。5についても見当でしょうが、ウクライナ正教に一番近いのは日本正教だとは思います。これはイギリス国教会に一番近いのが日本聖公会であるのと同じですかね。6についてはちょっとwikipediaを誤解している気がします。ただ、最後に言っておきたいのは、議論では心証っていうのは結構大事、ということです。正直、今回の(再度の差し戻し)対応は私のAlex Kさんにたいする心証を著しく悪化させた、という点は付け加えておきます。--Koon16000 2010年2月2日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
Alex Kさんへの返信です。議論したいのであれば、一旦あなたが行った無断差し戻しをまず元に戻してから、それからです。自分の編集を強行したまま、議論を再開するようなことは許しません。繰り返し言いますが、あなた以外の誰が見ても合意は成立しています。議論を再開していのであれば、まず合意が成立した時点に戻して、そこであらためて再改名の提案をして下さい。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 11:38 (UTC)[返信]
Koon16000さん、合意は多数決ではありませんをご覧ください。それに具体的な根拠(論文やpolicy)をもって論を進めてください。私に対するKoon16000さんによる印象論などは結構です。正否を決めるのは信頼できる出典や根拠です。
Dr.Jimmyさん。繰り返します。合意は成立していませんでした。無断だったのは差し戻しではなく、私が立ち上げたこの記事の改名実行です。改名提案の日付を確認ください。そして、合意は多数決ではありませんを再読してください。--Alex K 2010年2月2日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
同じことを何度も言わないで下さい。改名提案の日付を見ても、議論の流れをみても、唯一の反対者であるあなたが、再三の呼び掛けに応じず反論を放棄した時点で合意は成立しています。多数決で決まったわけではありません。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
同様です。同じことを何度も言わないで下さい。反論を放棄した覚えはありません。反論に相手が答えを出せなかったまでです。具体的な答えを待っていました。なかったんです。相手は根拠より「宣言」しか使用しなかったんです。よって、このページでは「合意」などは成立しなかったのです。--Alex K 2010年2月2日 (火) 12:41 (UTC)[返信]
あなたが覚えはなくても、現実にあなたは議論に参加しませんでした。再三の呼びかけにもかかわらず異論を表明しませんでした。心の中で思っているだけで反論が有効であれば、議論など必要ありません。それから、Koon16000さんに対しては「印象論など結構。根拠を出せ」と言っていますが、当のあなたは、合意が成立していない根拠として、あなた自身の印象しか提示していません。あなたが内面でどう思っていたかは結構です。議論をしているのですから、正否を決めるのは、いつ、何を表明したのか、だけです。あの時、こう思っていた、ということを根拠にして、合意不成立を主張することは、今後一切やめてもらいたい。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
いくら呼びかけても、相手が出典や根拠を出せないなら、反論は有効です。よって、合意が成立などはありません。--Alex K 2010年2月2日 (火) 12:59 (UTC)[返信]
()「いくら呼びかけても」ってあなたはいくらも呼びかけていないですよね? そういう、あの時、こう思っていたという反論は止めなさい。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
(Dr.Jimmyさんと競合してしまいましたが、そのまま載せます)それはいくらなんでもむちゃくちゃです。あなたはほかの人の反論にたいして、それは出展や論拠を出していないと言っていますが、それは勝手に頭の中で思っていただけであってそれを文章にしてこの場でだしていませんでした。合意形成がなされたとみなす、と宣言されてもなお、です。この期間は1ヶ月にもわたり、普通にこれは正直いって卑怯な戦法です(後出しなら何とでもいえるので)。ですので私は、システム的に今回の合意はなされたとみなしあくまで三位一体大門教会への改名という形であらためて提案すべきだと主張しているのです。論の正しい間違っているは関係ないのです。--Koon16000 2010年2月2日 (火) 13:20 (UTC)[返信]

コメント 単なる傍観者ですが、ざっと見した限りでは、Alex K氏の主張は論理的に通っているように思います。ウクライナの教会=ウクライナの観光資源という見方をするならば、ウクライナ大使館が推奨する表記を重んじるというのはそれなりに説得力があるように思われます。無理に合意成立を既成事実化する必要はなく、改めて議論を継続すればよいのでは。--トトト 2010年2月2日 (火) 13:03 (UTC)[返信]

私は、Alex氏の主張の内容を問うているのではありません。1か月もの間、議論に参加せず、合意の成立の宣言後に行われた改名を、無断で差し戻す行為に対して抗議をしているのです。そのような、議論に参加しないまま成立した合意を、後から覆すようなことは断じて許すことはできません。ですから、Alex氏がきちんと自分の無断さし戻しを取り消した上で、再度改名提案をしたのならば、その内容によってはAlex氏の意見に賛成するかもしれません。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 13:10 (UTC)[返信]
(Dr.Jimmyさんと競合してしまいましたが、そのまま載せます)えっと、個人的にAlex Kさんの論が正しいかどうかは関係なしに、私が問題にしているのはシステム的な問題です。ですので、論が正しいかどうかは分けて見ていただければと思います。議論を継続するのは賛成ですが、それはあくまで三位一体大門教会への改名で行うべきだというのが私の考えです。極論的に言えば、ここにAlex Kさんの論が正しいか間違っているか、という観点は入らないと思っています。--Koon16000 2010年2月2日 (火) 13:20 (UTC)[返信]
コメント 論理的に有効な反論がなかったから、自説有効と見て書き込みをしなかった、というのは、例えば研究の世界では普通の姿勢かもしれません。結果的に記事の質が向上することが究極の目標なわけですから、Alex K氏が日本の特有事情に不慣れかも知れないという事情に鑑みて、ここは鷹揚に対処しても良いのでは。Dr.Jimmy氏の寛容に期待。--トトト 2010年2月2日 (火) 13:35 (UTC)[返信]
研究の世界で普通かどうかはわかりませんが、ネット上で不特定多数の人が参加する世界では、有効ではありませんよね。ましてやWikipediaでは、そのような場合は合意と見なすという指針があります。記事の質が向上することが目標であることに間違いはありませんが、議論中はいずれの当事者も、自分の主張こそが記事の質の向上につながると信じているわけです。議論や合意を無視して、ある一人の編集者が、自分の主張こそ正しい、と言い張って、編集を強行したらどうなるでしょうか? そういう行為を認めることを、寛容であるとは、私は思いません。--Dr.Jimmy 2010年2月2日 (火) 13:47 (UTC)[返信]