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ノート:丁卯胡乱

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改名提案

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Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点に合致するため、「丁卯の役」ないしは「丁卯の乱」への改名を提案いたします。Takabeg会話2015年7月14日 (火) 09:28 (UTC)[返信]

丙寅洋擾同様、専門家の文献では「丁卯胡乱」ばかりです。一旦戻しました。 --Tonbi ko会話2015年7月21日 (火) 23:53 (UTC)[返信]
まず「胡乱」は日本語ではない用語です。Tonbi koさんは「丙寅洋擾同様、専門家の文献では『丁卯胡乱』」とおっしゃっていますが、丙寅洋擾のノートで言及されたCiNiiに限っていいますと、丁卯胡乱は3件しかヒットしません。しかも、3件のうち2件は同じ雑誌に同じ著者が書いたものです。また、CiNiiでは引っかからない書籍や論文を実際に調べてみると、韓国・朝鮮人や韓国・朝鮮系の人物が日本語で書いたもの (朝鮮文化の影響下にあることが多い)、朝鮮語文献からそのまま転記して使用しているもの、かっこ付きで「丁卯胡乱」と書かれているものが多く、結局のところ朝鮮語での用語をそのまま書いただけにすぎません。そこで「丁卯の役」ないしは「丁卯の乱」が適切であると考えたしだいなのです。「丁卯の役」については確かに少なくて、中村栄孝『文禄・慶長の役』岩波書店、1935年、47頁やその他限られた文献にしか登場しないのですが、「丁卯の乱」については森岡康「丁卯の乱後に於ける贖還問題」『朝鮮学報』、三木栄「朝鮮医学史及疾病史』思文閣出版、1991年、203頁、208頁他、太田秀春『朝鮮の役と日朝城郭史の研究: 異文化の遭遇・受容・変容』、清文堂出版, 2006年、315頁、404頁、『東洋史論叢: 榎博士頌寿記念』汲古書院、1988年、48頁、『もうひとつの現代史序説: 朝鮮人労働者と「大日本帝国」』ブレーンセンター、 1987年、38頁、などがあり、その他、森岡論文の引用という形で「丁卯の乱」が使用されている例は枚挙にいとまがありません。そして何よりも重視されるべきが、独特の自分か中心主義的な歴史観を背景に多用されてきた「胡乱」、「倭乱」、「洋擾」などの用語が、中立性を大いに害してしまっているという事実です。本件もPOV-titleに該当するのです。この記事に限らず、類似の記事の殆どに言えることなのですが、記事名だけではなく、内容も朝鮮POVになってしまっているものが多いのです。そのためTonbi koさんが上記の反論を提示する以前に改名を実行するに至ったのであります。「Tonbi koさんにおかれましては、再度Wikipedia:改名提案を経て行ってください」と言いたいところですが、上のほうでも申し上げましたように「丁卯の役」の使用例が多くないのは事実ですので、「丁卯の乱」に修正する方向で検討してみてください。Takabeg会話2015年7月22日 (水) 00:51 (UTC)[返信]
コメント胡乱なら広辞苑にすら載っています。もっとも「うろん」と読みますが。大辞林第三版にもあります。「昔、胡(えびす)が中国に侵入したとき、住民があわてふさめいて避難した事から生じた語という」とあります。広辞苑にもある日本語の用語を、知らなかっただけなら別に恥には当たりませんが、
まず「胡乱」は日本語ではない用語です。 -- Takabeg
何も調べずして、”自分の知らない用語など日本語に無い用語”のように思い込んで議論を展開というのは、いかがなものでしょうか。
『丁卯胡乱』も、ティビーエス・ブリタニカ『ブリタニカ国際大百科事典 4 小項目辞典』1991年10月発行、531頁に載っています。逆に、「丁卯の役」や「丁卯の乱」のような項目では、ブリタニカ国際大百科事典には載っていない事を確認しました。(丙子胡乱の方はブリタニカ国際大百科事典 5の869頁)私たちはどちらの用語をウィキペディアのオンライン百科事典の記事名に用いるべきでしょうか。専門家が執筆し査読もされている紙の大百科事典の見出しにも採用されていて歴代執筆者が採用してきた用語でしょうか、それともこの記事の内容面における貢献ゼロの Takabeg さんの意見でしょうか。--114.181.36.77 2015年7月30日 (木) 09:04 (UTC)[返信]

コメント 「韓国では朝鮮王朝実録以来、敵対感が込められた用語である丁卯胡乱が用いられたが自国中心主義であるとして丁卯戦争とする呼称も使用されている」と記載したのは Chichiii さんのこの編集ですか。「自国中心的」云々は、出典を確認すると、壬辰倭乱に関して述べた言葉であって、これを勝手に丁卯胡乱に適用するのはいかがなものでしょうか。もっともそれを言ったら、被害者の敵対感が込められた用語とは、壬辰倭乱と丙子胡乱に関して述べているのであって、丁卯胡乱に関しては孫承喆は直接的な言及をしていませんでしたね。記事全体を見て、”きっと被害者の敵対感が込められたとは、はっきり言及されてはいないが丁卯胡乱にも当てはまるに違いない。きっとそうだろう”とでも思ったのでしょうか。これは出典にこだわる書き手ならアウトというか「合わせ技一本」で虚偽出典と非難する所でしょう。今さら騒いでも仕方がありませんが、2年近くもこの記述が修正されなかったのは問題ですね。

所で図書館等で入手できる文献を調査した結果、

  • 『丁卯胡乱』の名称がつかわれているもの
    • 武田幸男 『朝鮮史』 p. 198
    • 平凡社『世界大百科事典 改訂新版』第29巻 p. 138
    • 姜在彦『歴史物語 朝鮮半島』 p. 182
    • 朴永圭『朝鮮王朝実録』改訂版 p. 301
    • 水野俊平『韓国の歴史』 p. 114
  • 「丁卯の胡乱」の名称がつかわれているもの
    • 朝鮮史研究会『韓国の歴史』 p. 163
  • 「丁卯の役」の名称がつかわれているもの
    • 調査した範囲ではゼロ。
  • 「丁卯の乱」の名称がつかわれているもの
    • 調査した範囲ではゼロ。

という結果でした。Takabeg さんにおかれましては、随分とマイナーな本を中心に沢山調査してくださってご苦労様ですが、なぜもっと普通の朝鮮史の書籍はお調べにならなかったのでしょうか。だいたい、

7月21日
Takabeg がページ「丁卯胡乱」を「丁卯の役」に移動しました
7月22日
「丁卯の役」については確かに少なくて、中村栄孝『文禄・慶長の役』岩波書店、1935年、47頁やその他限られた文献にしか登場しないのですが

これは、全く理解不能なのですが。なぜ、朝鮮史で一般的に使われている『丁卯胡乱』を1935年年の中村栄孝『文禄・慶長の役』ぐらいしか使われていない名称に変えたのでしょうか。挙句に、次は

「丁卯の乱」に修正する方向で検討してみてください。

ですか。何に変えたらいいのか改名提案者も定めていないような改名議論に付き合わなければ意のままにおかしな名称に変えられてしまうのでは困りものです。これだと次は「丁卯戦争でもいいです」と言い出しかねないですね。

ところで Takabeg さんはWikipedia‐ノート:記事名の付け方/過去ログ13#記事名の中立性、Common nameの日本語訳

実際には「一般名称」が選択されるケースが多いですよね。

と、記事名は一般名称すなわち Common name でつける事を、自ら議論していた筈です。なぜ記事名の付け方のノートで言っていた事と、実際にやる事が正反対なのでしょうか。--114.181.36.77 2015年8月15日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

教学社の新しい教科書の記述に現在の韓国は従っているのか

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教学社と天才教育出版が2011年に丁卯胡乱の用語を丁卯戦争と変えた高校教科書を製作したからといって何だというのでしょうか。特定の出版社、すなわち教学社の教授の見解が韓国社会で多数を占め、韓国では歴史が修正されたというのでしょうか。アーカイブにしか残っていないので出典としては用いませんでしたが、これらも併せてご覧ください。

日本の教科書も海外から色々言われている位ですから私は外国の教科書に対しては支持も反対もしませんが、すくなくとも、韓国社会が諸手を挙げて「これからは丁卯戦争と呼ぼう!」などという状態には程遠い事は分かるでしょう。ほとんどの高校で採用されず、よって社会に変化をもたらすような影響があるとは考えられません。いや、別に「ある」のであれば、その証拠すなわち出典を示していただけさえすればいいのです。この教科書がきっかけで、韓国社会では丁卯戦争の言い方が広まったという証拠さえあれば。ですがもし、そのような証拠が示せないなら、教学社という一社の教科書で起きた変化が元で韓国で大きな変化などは起きておらず、結果的に Wikipedia の「韓国では (中略) 自国中心主義であるとして丁卯戦争の呼称も使用されている[3]。」という表現は、実質的に虚偽記載も同然だった、のレベルでしょう。ですから、この教科書の取り組みが社会に確かな影響を与えたという出典を明記してください。とは言っても、Chichiii さんには頼めませんので、この記述を支持する他の方にお願いします。もっとも、そうなった所で「丁卯の役」にも「丁卯の乱」にも、改名理由とはなりませんが。--114.181.36.77 2015年8月15日 (土) 08:12 (UTC)[返信]

傍目にみましたが、結局一部のユーザーが個人でポリティカルコレクトネスをやっていたとしか解釈できません。丙子の乱はまだ議論の余地があるのかもしれませんがこっちは到底無理でしょう。また「名前」節は恐縮ですが整理させていただきます。丁卯胡乱に直接関係あるか不明な記述は取り、またウィキペディア自身は外国語版であっても直接の出典には使えませんので修正しました。--122.21.198.246 2015年9月24日 (木) 22:29 (UTC)[返信]
24日に書いたものですが、よくよくソースをみたら上のウェブアーカイブも含め、丁卯胡乱について言及が見当たりません。これでは節自体不要です。--114.171.163.140 2015年10月1日 (木) 02:09 (UTC)[返信]

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「胡」の字を含むので中立的でないという趣旨もあるかと思われますが、の記事冒頭の「卑しんで呼んだ言葉」という記述に不審を感じて調べた結果、虚偽記載の疑いも生じたため、ノート:胡に出典明記のお願いをしました。

「胡」が『日本語漢字辞典』『広辞苑』『漢辞海』『大辞林』に書かれている通りに、単に「異民族」や「外国から渡来したもの」の意味であれば、改名理由の中立的うんぬんの主張も根拠を失います。

私は日本語版ウィキペディアにおける「虚偽記載」に関してはかなり敏感で、気にする傾向があります。--114.181.36.77 2015年8月2日 (日) 09:31 (UTC)[返信]