ノート:ヴァレンヌ事件
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記事について
[編集]自分が調べた範囲では、ルイ16世がパリのチュイルリー宮殿に連れてこられた当初は、確かに民衆数十万人は、それを歓迎したといわれています。つまり、王制には反対でも、国王自体に対しては好意的で、パリの現状や民衆の貧困の様子を見てもらえるという期待感が、その根底にはあったということです。しかしながら、数ケ月たっても自体は悪化する一方で、王妃の政治的無知と国王の無能さに痺れを切らし始めていて、国王支持派は少数に転じていたが、まだ、革命支持派を抑えるだけの数はいたということです。それを、ヴァレンヌ事件で、「国王は贅沢三昧、国民から税金を取るだけ取って、自分の国すら国民ごと捨てようとした」ということで、民衆の国王支持派は、ほぼ皆無となったということです。研究者ではないので、それ以上はわかりませんが。 WR 2004年7月3日 (土) 08:06 (UTC)
- 見出しを追加しました。--Æskja(会話) 2016年3月20日 (日) 14:09 (UTC)
日本円に換算する際の注意
[編集]ヴァレンヌ事件#計画の節において、国王一家の逃亡費用が日本円に換算した額で記載されています。2015年9月8日 (火) 16:09 (UTC) の編集(差分)で「現在の」という書き方にされ金額も修正されていましたが、「現在の」では、記事を編集した時点での為替レートではなく閲覧した時点現在での為替レートで実際の費用を計算されかねません。そのため、10年以上前の時点ではありますが、年がはっきりしている「2004年当時の120億円」に戻しています。今後もこの箇所を修正する場合は、西暦何年時点での日本円換算かをはっきり書いた方が良いと思います。--Æskja(会話) 2016年3月20日 (日) 14:09 (UTC)