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ノート:ワットパクナム日本別院

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「タンマガーイ教団」という記述について

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当記事「ワットパクナム日本別院」、および関連記事である「ワット・パークナム」において、10月24日にRyo 625さんにより、以下のような改稿がありました。(下線部が加筆部分)

ワットパクナム日本別院 宗派 上座部仏教マハーニカイ派、タンマガーイ教団[1] (差分

ワット・パークナム タンマガーイ教団系の寺院である[1]。(差分

これについて疑問がありましたので、まとめてこちらのノートにて提議させていただきます。

  • 第一に、「タンマガーイ教団」という語の意味が不明瞭です。パトゥムターニー県にある1970年開廟の「タンマガーイ寺院(Wat Phra Dhammakaya)」、ルアン・プー・ソッドが発案した「タンマガーイ式瞑想(Dhammakaya meditation)」などの語ならわかりますが、「タンマガーイ教団」という語は定義が不明で、何を指しているのか判然としません。私の環境では”タンマガーイ教団”と検索しても検索結果がわずか8件しかなく、現時点では「タンマガーイ教団」という語は定義のない独自の語であるように思います。
  • 第二に、「タンマガーイ教団」という語が「タンマガーイ寺院」を指していると仮定して、ワットパクナム、およびワットパクナム日本別院がタンマガーイ寺院に属しているという出典がありません。
※タンマガーイに関するあれこれを超要約すれば、「タンマガーイ」という瞑想法を1600年代に建立されたワットパクナムの僧侶であるルアン・プー・ソッド(Luang Pu Sodh Candasaro,1884年-1959年)が1910 年代に見出し、その人気によりワットパクナムが復興を遂げます。この時点でタンマガーイ瞑想法はワットパクナムの専売物ではなく、他のいくつかの寺院にも取り入れられたものです。タンマガーイ瞑想法によるワットパクナムの復興のだいぶのち、ルアン・プー・ダンマジャヨ(Luang Por Dhammajayo1944年-)という人物が1969年にワットパクナムに出家しますが数年後に独立し、タンマガーイ式瞑想法を目玉にした、いわゆる新宗教であるタンマガーイ寺院を建立します。この新宗教であるタンマガーイ寺院については様々な議論があるというのは知られたところです。
さて、上記の改稿にて出典として付与されたこちらの記事は、タンマガーイ寺院が運営するDMC.TVの発行による、「ルアン・プー・ソッドがタンマガーイ瞑想を発案した」という内容を記したペラ一枚のみで、改稿の記述に対して、何ら出典になっていません。反面、タンマガーイ寺院は日本で十数件の拠点を持ち、日本人・タイ人を相手に布教活動をしていますが、タンマガーイ寺院自身が運営する日本語ホームページの日本別院施設一覧にワットパクナム日本別院の記載はなく、また日本別院の創設経緯の説明においてもワットパクナム日本別院の記述はありません。また、タンマガーイ寺院を擁するタンマガーイ財団のグローバルサイト内の各国拠点紹介においてもワットパクナム日本別院の紹介はありません。ワットパクナムがタンマガーイ寺院に属しているという出典が見当たりません。
  • 第三に、「タンマガーイ教団の寺院である」という表現について、記述におけるワットパクナムとタンマガーイ寺院の序列がおかしいです。先述の通り、タンマガーイ寺院はワットパクナムを出奔したダンマジャヨらが設立したもので、時系列で言えばワットパクナムがはるか前、タンマガーイ寺院が後にあたります。日蓮正宗から分裂した創価学会について、「創価は日蓮系」と表現することはありますが、「日蓮は創価系」などと表現することはありません。キリスト教の教義・用語を一部流用している統一教会について、「統一教会はキリスト教系」と分類されることはありますが、「キリスト教は統一教会系」などと分類されることはありません。件の版の記述は日本語として不自然です。

瞑想法としての「タンマガーイ」、新宗教名としての「タンマガーイ」など、いろいろと混同されているのではないかと思います。--狄の用務員会話2023年10月28日 (土) 05:06 (UTC)[返信]

ご叱正ありがとうございます。まずタンマガーイ瞑想法自体が、上座部仏教から見てしばしば異端的とされるという点について全く言及がないのはどのように考えられますか。日蓮正宗と創価学会の例えはまさに適切だと思います。タンマガーイ瞑想法についての狄の用務員さんのご意見をお聞かせください。--Ryo 625会話2023年10月28日 (土) 05:51 (UTC)[返信]
まずお聞きしたいですが、ワットパクナム、およびワットパクナム日本別院が「タンマガーイ寺院に属するものではない」というところは合意いただけたのでしょうか。あるいは「タンマガーイ寺院に属する」という出典があればお知らせいただけますか。--狄の用務員会話2023年10月28日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
返信 “ワットパクナム日本別院が「タンマガーイ寺院に属するものではない」”という点については合意いたします。こちらはお答えしましたので、上座部仏教における「タンマガーイ瞑想法」についての如前の質問に今度はそちらがお答えいただければと思います。--Ryo 625会話2023年10月28日 (土) 13:40 (UTC)[返信]
  • 「ワットパクナム日本別院が『タンマガーイ寺院に属するものではない』という点については合意いたします」とのことで、まずはご理解に感謝いたします。ただ、実際の編集を拝見すると、私の勝手な感じ方かもしれませんが、合意されているようには感じられませんでした。私としては、この記事がワットパクナム日本別院が明らかに系列関係にない寺院に帰属しているという誤解を広めているのではないかという点を懸念しています。
  • 「タンマガーイ瞑想法についての狄の用務員さんのご意見をお聞かせください」という質問には少々戸惑います。Wikipediaで記事を執筆するときに編集者が気にするべきは記述が検証可能か、中立的かどうか等であって、編集者個人の意見は編集に反映されるべきではないと私は考えているからです。その点を念押しした上で少し私の立場を書けば、私は純然な無宗教者で、宗教関連施設については観光資源としてどうかという観点から加筆することが多いです。タンマガーイ瞑想法については「現代的な新要素である瞑想実践(曹洞宗)」「タンマガーイの瞑想の中には仏教の伝統の中にその淵源が見いだせない、いわゆる典拠の不明な瞑想実践が存在しています(愛知学院大学禅研究所)」というように、仏教関係者からはその瞑想法の中に非伝統的なものがあるという指摘がある一方、「都市の中産階級を主な受容層として急速に発展を遂げた新しい仏教運動(矢野秀武/駒澤大学)」とあるように、タイの一般社会からはある程度の支持があるのだろうと理解しています。私個人はタンマガーイ瞑想法に対して好悪の感情は無く、ご意見をお聞かせくださいとのことですが、私としては何の意見も持ち合わせていません。
他方、Ryo 625さんの編集姿勢には私はいささか疑問があり、例えばこの差分で記述された起訴について、訴状は取り下げられています。四半世紀も昔の起訴であれば、有罪なり無罪なり起訴取り下げなり、何らかの結論が出ているのは普通に考えれば明らかと思うのですが、敢えて途中で切り取っているのは、読者に悪印象を与えるための恣意的な編集と私は感じました。Ryo 625さんの非伝統的な瞑想法に対する個人的な厭忌が編集に反映されているのかなと思います。Ryo 625さんの「上座部仏教から見てしばしば異端的とされるという点について全く言及がないのはどのように考えられますか」というコメントや、出典が出典になっていない事を説明して除去した私の編集に対し、無出典で「宗派 上座部仏教マハーニカイ派、タンマガーイ瞑想法」などと記述されるあたりから、タンマガーイの記述に係る強い意志があるものと受け止めました。誤解されたくないのですが、私はタンマガーイの瞑想法が非伝統的なものであることを記述することに反対する立場ではなく、むしろ新規性があることは特記する意味のある事項と考えています。既存の教えにおける瞑想法とどこまでが同じで、どこからが違うのか、何が支持され広まったのか、どのような反発があったのか、それらを記述することは百科事典の成長に資すると思いますし、社会的意義があると思います。私が疑問に思うのは、パクナムから独立した新宗教のタンマガーイ寺院を、恣意的に強くパクナム寺院と関連付け、混同させるような、不自然な括り方です。「タンマガーイ教団」という造語を作ってみたり、「宗派」をタンマガーイ瞑想法などとしてみたり、といった編集がそれです。物事を混同させるのは百科事典の役割ではなく、意図的にやっているのであれば、それはWP:NOT#ORWP:NOTOPINIONに抵触すると思います。
以下は二つの記事に対する私の意見です。
  • ワット・パークナムについて
  • まず、「ワット・パークナム」の記事にある「タンマガーイ瞑想法(英語版)系統の寺院である」という記述がよくわかりません。誰によって何を基準に系統とされているのか、出典がないため「タンマガーイ瞑想法系統」という語の定義がわからず、いちおう「”タンマガーイ瞑想法系統”」でgoogleで検索したのですが、当てはまる文字列は0件でした。この記述について、「タンマガーイの瞑想法を行っている寺院が系統立てられたものだ」というご主張かなと解釈した上で私の意見を述べますが、記事内で参照した学術論文でも「タイの上座部仏教には 3 つの大きな宗派として、マハーニカーイ、タンマユットと、近年拡大したタンマカーイがある(山田協太ら、筑波大学)」として、ワットパクナムをタンマガーイ寺院と別宗派として明確に区別しているほか、一般紙目線でもワットパクナムとタンマガーイ寺院を比較して「趣旨の異なる寺院になっている(バンコクタイムス)」とするなど、ワットパクナムとタンマガーイ寺院を纏めるのは一般的な括りではないと考えます。これについて提案ですが、査読を経た良質な記事である英語版の「Wat Paknam Phasicharoen」の導入部に倣って、「It is part of the Maha Nikaya fraternity and is the origin of the Dhammakaya tradition.(マハーニカイ派の一部であり、タンマガーイ運動の起源である)」という記述であれば、これは十二分な出典の付けられる客観的な事実であり、自然な文章であると考えますが、ご見解はいかがでしょう。
  • それともう一点、現在の版では瞑想法に関する記述が本山の本文ではなく、ワットパクナム日本別院に掛かっているのですが、これも不自然と思います。パクナム本山の記事であれば本山の解説をするのが順当ですし、私が調べた限りでは、日本別院でタンマガーイ瞑想法を行っているという資料は見つかっていません。どういう意図で編集されたのかはよくわからないのですが、ワットパクナムという宗派全体について記述するのであれば、冒頭部の本山の解説の後に移動するのが自然であると思います。
  • ワットパクナム日本別院について。
  • 「タンマガーイ瞑想法(英語版)系統の寺院である」という記述に関する疑問は「ワット・パークナム」と同様です。
  • また、この編集におけるTemplate:日本の寺院内の「宗派 上座部仏教マハーニカイ派、タンマガーイ瞑想法」という記述は完全に私の理解の範疇を超えているものです。私はTemplate:日本の寺院内の宗派という項目を瞑想法の宣伝に利用する例を見たことがありません。念のためWikipedia:良質な記事にある寺院の記事を全て確認しましたが、Template:日本の寺院をそのような主張のために利用している例は見当たりません。私はタンマガーイ瞑想法についてそれほど調べたわけではないですが、タンマガーイ瞑想法を「宗派」として扱っている資料を見たことがなく、何を参照して記述されているのか不思議です。いち瞑想法が宗派になるということがありうるのでしょうか。これについてはどのようなお考えに基づいて編集されているのか、私は理解が及ばず、ひとまずコメント依頼にて、他の方のご意見をいただこうと思います。
--狄の用務員会話2023年10月31日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
  • 当議論について、Wikipedia:コメント依頼に一か月ほど提示しましたが第三者のご意見がない事、Wikipedia:合意形成に記載される「合理的な期間(通常は168時間程度〈約7日間=約1週間〉が妥当でしょう)」を大幅に超える一か月以上が経過しましたが出典が示されずコメントもない事、およびRyo 625会話)さんがWikipedia:投稿ブロック依頼/Ryo 625 2回目にて無期限ブロックを受け、今後も出典を示されたりコメントをされたりする見込みがない事から、合意が形成されたものと見なして、出典の無い「タンマガーイ瞑想法(英語版)系統の寺院である」という記述を削除しました。
  • Ryo 625さんが付与された要出典タグですが、Wikipedia:スタイルマニュアル/導入部#出典に説明されるように、「導入部は一般的な内容を大まかにまとめて書」いたものであり、導入部の説明は本文中にて出典が示されているものです。「導入部における出典の提示は全ての記事において必要とされているわけではなく、禁止されているわけでもありません」とあるように、少なくとも「『要』出典」ではなく、タグの使い方として適切ではないように思います。出典があった方が良いと感じた編集者の方がいらっしゃれば、その方が本文中の出典を再利用して付与されればよいと思います。--狄の用務員会話2023年12月9日 (土) 08:49 (UTC)[返信]

ワットパクナムで1957年に叙階された日本人について

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ワットパクナムで1957年に叙階された日本人は、河北国雄(พระราชพรหมเถร (วีระ คณุตฺตโม))ではないかと思います。時間を見て確認できたら加筆するかもしれません。--狄の用務員会話2024年5月28日 (火) 20:40 (UTC)[返信]