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ノート:ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン (1772-1806)

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太子という表現について

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この記事、およびリンク元の記事の「プロイセン王太子」という表現を「プロイセン王子」へ変更しました。Prinzは王子であって王太子(Kronprinz)ではないと考えたためです。ルイ・フェルディナントの存命中、彼よりも上位の王位継承権を持つはずの父(フェルディナント、1730年 - 1813年)や伯父たち、従弟(たとえばフリードリヒ・ヴィルヘルム2世、1744年 - 1797年)がたくさんいたことを考えると、王太子になったはずはないとも思うのですが。--粗製濫造 2006年7月19日 (水) 04:34 (UTC)[返信]

項目名について

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わざわざ好んでLouisという仏語名を名乗ったほどのFrancophileであれば、Ferdinandも独語読みのフェルディナントではなく仏語読みのフェルディナンと発音していたのでは? --Number 2007年10月9日 (火) 17:21 (UTC)[返信]