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ノート:リゲル/過去ログ4

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合意に向けて ― 妥協案

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Gyulfox さんに対するコメント依頼において、議論を終息すべく、妥協案を取りまとめることが提案されています。そこで、まず私案を提出しますので、皆様のコメントをいただきますよう、お願いします。

現状、「伝承・方言の紹介する観点」/「辞書などによって広まっている知識からの観点」と2つの観点から示された記述を巧くブレンドすることは無理でしょう。これまでのように、必ずいずれの側からもクレームがついてしまいます。特に、「リゲルを源氏星」とする資料は「実はリゲルは平家星でした」ということには全く言及しておらないので、両方の説明を併記すると、どうしても片手落ちになってしまいます。Gyulfox さんがこれまでしてきた編集も、「リゲルを源氏星」することを必要以上に誇張したり「リゲルが平家星」だったことを矮小化することによってバランスを取ろうとしたものだと思います。そこで、私なりに、次の2つの案を提出します。

【A】 共存案

これまでと同様、2本立てのセクションで記述を行います。一方は、「辞書などによって広まっている知識からの観点」から、これまで Gyulfox さんが提示された資料、『大辞林』『日本大百科全書』、ほか野尻抱影氏の著書2編に基づいて編集します。必要があれば、ここで提示した資料を使ってもかまいません。辞書類の説明は大変簡単なものですから、数を多くしている藤井旭氏の著書を用いると良いでしょう。一応、当該部分を引用しておりますが、図書館等で実際に資料を手に取ってみることをおすすめします。

もう一方は、「伝承・方言の紹介する観点」から、従来の「天文民俗(和名・中国名)」セクションを)を一旦2009年10月24日 (土) 00:25 (UTC) 時点の版の記述に差し戻させていただきます。Gyulfox さんから「通俗書」「注意」という表現にコメントされていますが、これについては改めて検討します。なお、後述する理由で『日本星名辞典』は使えません。また、Gyulfox さんが「内容に間違いはない」と豪語し、「はるかに優れている」と自負しておられる編集を一旦差し戻すことになりますが、ご了承いただけますか?

【B】 喧嘩両成敗案

2つのセクションをベテルギウス、リゲルからスパッと削除します。その代り、オリオン座あたりのページに

「赤いα星・ベテルギウスと青白いβ星リゲルは、その星の色を源平の旗印に見立てて平家星・源氏星という。」

のような、野尻氏が『日本星名辞典』で使った、どちらがどちらなのか特定しないズルイ方法。この方法は、ほかに原恵氏の『星座の神話』、地人書館の『天文学大事典』に見られます。

いかがでしょうか?--Bay Flam 2009年12月12日 (土) 05:39 (UTC)

コメント 【C】 問題の経緯説明案はどうでしょうか。
1) 利用者:Bay Flam/平家星・源氏星の文献調査を読みました。a) 多くの辞書・百科事典では、リゲル=源氏星。プラネタリウムの解説者や他の星座解説書のソース・ブックとなっている本でも同じ。b) 研究の流れは、香田氏(現地の人)->野尻氏(和名研究の大家)->北尾氏(最近の研究者?)。香田の手紙では、リゲル=平家星だった。野尻氏の所で、リゲル=源氏星になった。根拠は不明。北尾氏は異論を唱えている。
2) Gyulfoxさんはa)を重視する立場。Bay Flamさんはb)を重視する立場のように見えます。
3) a)の状況は、Bay Flamさんもお認めになっています。多くの専門家が採用しているのですから、リゲル=源氏星は現在の多数説・主流説だと思います。b)は興味深いですが、学会などでの状況が分かりません。北尾氏以外に支持している人は居るのでしょうか?まだ結論が出た話では無いように見えます。
4) 上記のような事情・経緯を正直に書いたらどうでしょうか。--長島左近 2009年12月12日 (土) 07:10 (UTC)
5) Bay Flamさんの観点論は、学問的(天文民俗学?)には自分が正しいけど、百科事典のような素人は不勉強なので妥協してやると言うお話のように見えます。しかし説明を読んだ限りでは学問的にも、専門家の意見の主流は源氏星説というのが、私の感想です。よって観点は1つであり、学問的にも「平家星の矮小化」は、間違っていないと思います。むしろ現状では正しいサイズだと思います。--長島左近 2009年12月12日 (土) 13:46 (UTC)
やっと議論らしくなってほっとしています。長島左近さんありがとうございます。
今更ですがBay Flamさんの情報収集力には感服しているのです。私もやったのですが専門書には星のスペクトルとか連星系がどうだとか科学的知見ばかりで和名は皆無、民俗学からのアプローチは「月」ばっかりで星は出てこないし、天体に関する一般書は頼りないし冊数が少ない。書架扱いの本は、記述があると判らない限り指定して取り出すことも出来ないのです。 どうやったらそんなに資料が取れたのか、後学のため教えて欲しいものです。--Gyulfox 2009年12月13日 (日) 05:31 (UTC)
私はまず、この案が良いと安易に飛びついて、結局紛糾してしまうより、議論の基礎となる共通見解を確認するのが先のような気がします。私は慎重にいきたい。 その方が無駄な時間を減らすことになると思う。 Bay Flamさん、長島左近さん間違っているところがあったらおっしゃって下さい。
  • 1:われわれが記述しようとしている事は、リゲルの呼び名であって、科学的知見ではない。 従って一方が優勢だからといって、もう一方が否定されてしまうような記述は避けるべきである。
  • 2:リゲルの呼び名には、A:地方色も背景もない、しかし支持されている和名源氏星。B:民俗学的和名の源氏星(これは野尻氏の著書によるもので根拠が出ていない、支持されていて、これを間違いとする事も難しい)及び(富山県で小学校のアンケートで発見されたもの。法的には一応公的な調査になります)のふたつがある。C:民俗学的和名平家星(これは北尾氏が著書『天文民俗学序説 - 星・人・暮らし』でコードとして割り振ったもので発見者は香田氏)D:源氏星・平家星という方言がある地方で、平家星と特定した証言者1名とその事を手紙によって野尻氏に伝えた香田氏2名。 
  • 3:銀脇についてはどちらも異論がない。
  • 4:これは単に野尻氏のプロフィールです。 日本や中国で使用されている、冥王星の名づけ親が野尻抱影氏というのは有名な話ですが、野尻氏は大正13年ごろから、天体に関する和名や伝承を収集し始め、著書などで発表されてきた著名な研究家です。 NHKでも、コーナーを受け持って星の解説をしていました。早稲田大で講師を務めたり東日天文台の学芸委員などもやってこらせた方です。 また小学校や天文愛好者などへの指導的ボランティアも数多くされてきました。こういう経緯で評判は良く、天文学者の著書で、リゲルだけでなく、天文民俗に関する出典にはよく野尻氏の著書が使用されています。
  • 5:北尾氏のことは良く知りませんが、天界という天文関係の雑誌で、民俗的見地からの投稿が時々掲載されています。 今回の調査記録は逆でと述べているのもこの雑誌の発言です。 権威のある雑誌で、内容については、両名ともその通りだと思っている。--Gyulfox 2009年12月13日 (日) 05:31 (UTC)
コメント 1) 議論の基礎となる共通見解・・・うーん、難しいですね。間違っては居ないと思います。
2) しかし2番の「リゲルの呼び名」をそのように列挙すると、以後の議論として一般(A)と民俗学(A以外)に分けて考える事になりそうです。話が複雑になると思います。
3) 民俗学と持ち上げて神聖視せず、単純に時系列に並べて、ある時代の文化として見たらどうでしょう。
4) 長い議論の中で、対立点を作りすぎています。平家星vs源氏星。伝承vs根拠不明。学問vs通俗。真実か否か・・・もう少しシンプルに考えたらどうでしょうか。--長島左近 2009年12月13日 (日) 21:20 (UTC)
コメント 間があいてすみません。 私としては複雑にならないに越したことはないと思います。 時に地域が違ったりするものについて、ある時代の文化と見ることは難しいと思います。 民俗学と持ち上げて神聖視しているつもりはなかったのですけれど、長島左近さんがそう感じられたのなら、そうなのかも知れません。 一般(A)がいつ形成されたのかがわかり難いので、時系列でやるとしてもこれだけは章分けした方がやりやすいと思います。 とにかくBay Flamさんがどう思われているのか回答待ちです。 それから「『日本星名辞典』は使えません。」というのはどういう意味であるのか興味があります。--Gyulfox 2009年12月18日 (金) 00:28 (UTC) 
コメント インデント戻します。こんにちは。1) 「そうなのかも知れません」の件ですが、私は第三者なので参考意見という事にして下さい。GyulfoxさんとBay Flamさんの納得のいく方法で結論を出して頂きたいです。2) 「回答待ち」の件ですが、同感です。年内に終わらせる為には、出来れば2・3日中に回答して頂いて議論を進めたいですね。--長島左近 2009年12月18日 (金) 01:24 (UTC)
返答が大変遅くなって申し訳ありませんでした。まずは、「議論の基礎となる共通見解を確認するのが先」との Gyulfox さんのご見解に賛成です。
  • 長島左近さんが提案された【C 案】は、難しいですね。そもそも、「リゲル=平家星」という調査報告と数多くの本では「リゲル=源氏星」となっていることの両方に言及しているのは北尾氏だけなので、北尾氏が言及している範囲でしか書けません。それ以外は、いろいろと推測できますが、そうして加筆した部分は独自研究になってしまいます。
  • 対立点については、一見、複数あって複雑のように見えますが、(平家星 - 伝承 - 学問)と(源氏星 - 根拠不明 - 通俗)とで括れますから、二項対立にすぎません。なお、真偽とか正誤はウィキペディアに記載できる範囲では判断できないでしょう。執筆者の個人的な見解を挿めないからです。
  • 「民俗学と持ち上げて神聖視」というのは、Gyulfox さんであるはずがなく、私に対するものでしょう。私は、実証性のあるものを尊重しているだけです。ここでいう「実証性」とは、ウィキペディアでいう「検証可能性」とほぼ同じ概念です。「リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている。しかし、実際の調査記録は反対」というのは、私ではなく北尾氏の主張です。「リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている」かどうかは、『大辞林』なりを見たり、ちょっとググれば確認できます。―実証性があります。「実際の調査記録は反対」というのも、香田氏の手紙を引用している『日本の星』や『日本星名辞典』で確認することができます。―実証性があります。その一方で、『大辞林』なりの記述は、どこの誰の文献によっているのかわかりません―実証性が無いのです。もちろん、『大辞林』なりの出典を掲げればウィキペディアに記載することができます。検証可能性の用件を満たしています。実証性があるということは、文献を遡って確認できるということであって、必ずしもそれが正しいことを保証しているわけではありません。
  • 北尾氏について
北尾氏は、野尻氏の後を引き継がれるかたちで星の和名の収集・研究を行っている方のお一人です。ですから、研究歴としては(私の知っている範囲では)30年くらいはあると思います。東亜天文学会では民俗課長を務めておられます。野尻氏に触発されて星の和名の収集や研究をしておられる方は何人かおられますが、これまで知られているものをまとめて体系化しようとしているのは、北尾氏だけだと思います。
  • Gyulfox さん、ご評価いただきましてありがとうございます。私がやっていることは、Gyulfox さんがされたことと変わりはないと思います。たまたま、私が行った図書館の蔵書目録に野尻氏の初期の著作が幾つか見つかっただけですよ。
  • これはまた舌足らずだったかもしれません。一応、現在の版を元にしていたものですから。『日本星名辞典』は私信である香田氏の手紙が引用されていることから「リゲル=平家星」の出典として、また、野尻氏自身はどちらがどちらか断定していないことから【B 案】のズルイ方法の実例としての典拠になりますが、「リゲル=源氏星」の典拠には難しいだろうということです。『星三百六十五夜』では、はっきり「ベテルギウス=平家星」としているので、こちらは野尻氏の見解の典拠として掲げても問題ありません。--Bay Flam 2009年12月21日 (月) 14:33 (UTC)
コメント こんにちは。1) GyulfoxさんとBay Flamさんのご意向としては、議論の枠組みは今まで通り二項対立で検討してみるという事ですね。議論がスムーズに行くのであれば了解です。
2) 次はBay FlamさんのA案(辞書と伝承の2つのセクションに分離)、B案(1セクション)のどちらかを決めるという事でしょうか。A案の方は各セクションの記述・出典、差し戻し、通俗書、注意という論点が提示されています。B案は特に論点が無いように見えます。議論を見守りたいと思います。--長島左近 2009年12月21日 (月) 16:39 (UTC)
コメント Bay Flamさんお待ちしていました。 『日本星名辞典』の解釈ですが、「リゲル=源氏星」ができないとすれば、何故表題が、平家星・源氏星になっていて、源氏星・平家星でないのか説明できません。 私からすれば「リゲル=平家星」の方が無理があると思います。 しかしこれをとことん争点にするのは現状から見て懸命とは思えません。  Bay Flamさんは「現在の版を元にしていたものですから。」とおっしゃいますが、現在の版をよくご覧下さい。 使用方法としては「村の古老がいた」という内容に対してですので、双方の見解を満たしており、使えないというのは当たらないと思います。 むしろ二回目に登場する「日本星名辞典」は平家星としての出典になっていますので、こちらの方に難があり、「可能性がある」という表現を呼ぶ原因となっているのです。 もし宜しければ、2回目の「日本星名辞典」をやめて、北尾浩一 『天文民俗学序説 - 星・人・暮らし』に変更して、「北尾浩一によって」リゲルは平家星とされている。と変更されるのであれば、私が異論を挟む余地は消え、こちらとしても気持ちよく譲歩する事ができます。 いかがでしょうか。--Gyulfox 2009年12月21日 (月) 18:09 (UTC)
コメント長島左近さん進行ありがとうございます。私は2項対立で良いと思っています。但し対立というよりも「差」であって、本文でこの差を説明する事で、読者にも納得できる理解が得られるものと捉えています。 それともう1点、確認したいのですが、Bay Flamさんは私が先に示した特に1~3はこれで宜しいという事で理解して良いのでしょうね。基礎を築くべき所で、言いたい事を保留したために、実はすれ違っていたというものであれば、やっている意味がなくなってしまいますので宜しくお願いします。また重ねてお願いしたいのですが、作業をスムーズに進行するために回答はなるべく間をあけずにお願いしたいと思います。 お忙しい時もあると思いますので、そのような時は、何日ほど間があきますのように言って頂くと助かります。--Gyulfox 2009年12月22日 (火) 01:06 (UTC) 
現在時節柄、私は毎日ネットに接続できないので、返答に数日かかってしまいます。誠に申し訳ないのですが、ご了承ください。
まず、『日本星名辞典』の件ですが、説明できなくていいのです。野尻氏による「平家星・源氏星」の記事は、香田氏の報告なしには書けません。そもそも、香田氏の報告では「右が平家星、左が源氏星とあべこべ」になっていたわけです。ならば、野尻氏もその報告に即して記述しなければならないはずですがそうはなっておらず、また、その理由も書かれていません。野尻氏の記述をそのまま読むと香田氏の報告と矛盾してしまうのです。これは『日本星名辞典』を読めば気づくはずのものですが、実際には、北尾氏が再調査するまでは誰も指摘しませんでした。ですから、「何故表題が、平家星・源氏星になっていて、源氏星・平家星でないのか」は、書いた野尻氏が説明しておらないのでわからない、ということになります。
リゲルを源氏星と説明している人では、藤井氏を除いて香田氏の報告に触れていません。藤井氏の説明は、明らかに香田氏の報告と矛盾しています。野尻氏のほかの著書では、香田氏からの報告が引用されおらないので、書かれているとおりに解釈してよいですし、『星三百六十五夜』ではハッキリとベテルギウスのことを平家星としています。ですから、「和名」セクションでは『星三百六十五夜』に基づいて編集できるが『日本星名辞典』に基づいて編集できない、ということになります。また、やはり『日本星名辞典』を出典とする「銀脇」も、リゲルを源氏星と説明している本では誰も触れていない(野尻氏も『星三百六十五夜』や『新星座巡礼』では触れていなかったと思う)ので、「和名」セクションでは説明できないことになります。「リゲル=源氏星」は現在流布していますが、銀脇は「リゲル=平家星」と同じ側にあります。「リゲル=平家星」が「可能性がある」という表現に留まるのであれば、銀脇も、いえ、野尻氏の著書で紹介されているものの中で、文献に基づかない、有志の報告に基づく多くの星名については皆、「可能性がある」という表現に留まってしまうのではないでしょうか。
「リゲル=平家星」とする側の人、北尾氏は「リゲル=源氏星」とされている現状も知っており、そのことにも触れています。北尾氏のそのコメントは不定的・批判的であり、後の『天文民俗学序説』や『天界』掲載の論文(「天文民俗学試論 (102)」)では「リゲル=源氏星」を退けています。そのため、編集者の意図にかかわらず、「出典の著者の主張」が否定的である以上、編集に否定的なニュアンスが含まれることになってしまいます。
Gyulfox さんは、以前「私が目指したいものは、編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述です。また読者が読んで理解に戸惑うような変な文章でないようなものが望ましい」とコメントしておられました。ならば、「編集者たちの考えの混じらない」よう、それぞれの参考文献に基づいて編集してみたらいかがでしょう。--Bay Flam 2009年12月24日 (木) 17:47 (UTC)

中間まとめ

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コメント 1) Bay Flamさんが提出した2009年12月12日 (土) 05:39 (UTC)【A】 共存案の「後述する理由で『日本星名辞典』は使えません。」について、検討しました。 結論としては出典についての合意形成はしない・諦めるという事のようです。

Bay Flamさんは2009年12月12日 (土) 05:39 (UTC)に『日本星名辞典』の問題を提起し、2009年12月21日 (月) 14:33 (UTC)でも「リゲル=源氏星」の典拠には難しい。「リゲル=平家星」の出典だと繰り返しました。それに対してGyulfoxさんは2009年12月21日 (月) 18:09 (UTC)で、平家星の出典にならない。Bay Flamさんこそ北尾浩一 『天文民俗学序説 - 星・人・暮らし』に変更すべきと反論。Bay Flamさんは2009年12月24日 (木) 17:47 (UTC)で再度、使えませんの説明を繰り返して、「編集者たちの考えの混じらない」よう、それぞれの参考文献に基づいて編集してみたらいかがでしょう。」と提案。Gyulfoxさんとの合意形成を諦めたようです。

2) Gyulfoxさんが再三、確認を求めていた2009年12月13日 (日) 05:31 (UTC)の妥協の前提条件「特に1~3」については、Bay Flamさんは同意しないようです。

Bay Flamさんは2009年12月24日 (木)で「「出典の著者の主張」が否定的である以上、編集に否定的なニュアンスが含まれる」「銀脇は「リゲル=平家星」と同じ側にあります」と述べています。これはGyulfoxさんの2009年12月13日 (日) 05:31 (UTC)の「もう一方が否定されてしまうような記述は避けるべきである。」という前提を断ったと読み取れます。

以上の認識で良いですか?--長島左近 2009年12月25日 (金) 12:56 (UTC)--長島左近 2009年12月25日 (金) 16:28 (UTC)

長島左近さん、中間まとめありがとうございます。 だいたいその通りだと思います。 Bay Flamさんは出典に平家星・源氏星とされているという表現は、特定をぼかしているという認識のようですが、これは並列的表記と言って、別にぼかしてなどいないと反論しておきます。 またBay Flamさんの提案は、とどのつまり、私に使える出典を制限して、特定の出典を使ってはいけないととり決め、天文民俗の項は聖域にしてしまいたいという内容のように思われます。 私はそういう方向には同意できません。 出典の使用制限ような方針は、Wikipediaとして不健全と思いますし、私は自分の当たった資料は必要に応じて自由に使用いたします。また天文民俗の項でも必要な編集をするつもりです。 私は基礎となる共通認識を確立した後、現在の版の改善点を話し合って、作業を進めることを提案致します。 またBay Flamさんに、出典に基づいた批判は良いとして、北尾氏によって・・・という文章を明示してはどうかという提案にまだお答え頂けていない、ということを重ねて述べておきます。--Gyulfox 2009年12月25日 (金) 20:51 (UTC)
コメント 1) 確かに不思議な妥協案でしたね。Bay Flamさんが自ら妥協案を提示したのに、ふたを開けてみればBay Flamさん側には何の妥協も無く、議論も主導せず、待ち時間ばかりで半月が経過してしまいました。
2) 「「編集者たちの考えの混じらない」よう、それぞれの参考文献に基づいて編集してみたらいかがでしょう」という提案も、それで解決するなら数ヶ月も闘争する必要は無かった訳です。コメント依頼を積み重ねて話し合い解決の段階まで来たのですから、編集合戦に逆戻りでは困ります。
3) Bay Flamさんは投げやりに成らず、積極的に解決を目指して頂きたいです。--長島左近 2009年12月26日 (土) 08:31 (UTC)
コメント 4)「基礎となる共通認識を確立」の件ですが、出典についての共通認識を確立するのは難しいと思います。数ヶ月話し合っても、未だに激しい論争が続いています。お二方、それぞれに譲れない部分があるのだと思います。
5) しかし「通俗書」「注意」「北尾氏によって」と言った表現の問題。ウィキペディアのルール上、どこまで許されるのかと言う問題は共通認識を確立する必要があると思います。妥協案を諦めるのではなく、妥協案の後半部分(「通俗書」「注意」)の審議に入るべきです。--長島左近 2009年12月26日 (土) 12:15 (UTC)
コメント お忙しいようなので、私の意見を述べさせていただきます。 方言で言われる星の名前というのは割と沢山見つかるのです。 例えばある猟師さんは、何々星という方言があると言い、この星だと言います、大発見したと喜んで、旅館の女将さんに確かめると、何々星という言い方は確かにある、と証言し別の星を言うことは珍しくありません。 3人に訊いて見ると3人とも別の星を指すということはざらにあるのです。 年の差なんて実際のところ重要でもないのです。 実にゆるくて、危なっかしく、学問的に特定なんて出来ないというのが本当の実情です。 そんな中で野尻氏は先ほども述べたように、どの著書でも表現をぼかさず「平家星」は「ベテルギウス」と特定しています。 村の古老の手紙を明示しながら、野尻氏は本気でそのように言っているわけで、手紙の内容をもっと注意深く読むと、手紙の主の香田氏は、「ただし説明はあべこべでした」という表現になっています。 つまり、香田氏の認識と、古老の証言は違っていたことが明らかなわけです。 普通の人は何の疑問もなく、古老の証言の方が正しいと思うのですが、実情が分かってる野尻氏はよくあることだと知っているわけです。 そして野尻氏は第一報告者である香田氏の認識の方を優先しているというわけです。 北尾氏は香田氏に会いましたが、香田氏の当時の認識については何も述べていません。 --Gyulfox 2009年12月29日 (火) 04:34 (UTC)
また「通俗書」「注意」という表現は、元々この版の流れを組む表現であって、印象操作に当たります。 つまり仮に「北尾氏によって」と前書きされたとたんに、たちまち困ったことになるのです。 困ったことになるような表現は使うべきではないでしょう。 と反論しておきます。 --Gyulfox 2009年12月29日 (火) 04:34 (UTC)

(インデント戻します)大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。年末になって、いざ、長島左近さんが設けられた「中間まとめ」に目を通したところ、大変困惑し、返答するのにも大変困ってしまいました。

そもそも、私が提出した Gyulfox さんに対するコメント依頼において、Gyulfox さんご自身が

本心を言いますと、なるべく早く、妥協案の取りまとめに入りたいと思っています。 私が目指したいものは、編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述です。また読者が読んで理解に戸惑うような変な文章でないようなものが望ましいと考えています。

と表明され[1]、また、長島左近さんからも「妥協案の取りまとめに入って行きたい」との申し出があった[2]ので、それを受けて、Gyulfox さんが目指す「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」として【A案】【B案】を提出したものです。これに対して Gyulfox さんは即断せず(←これは何の問題もありません)、妥協案の合意形成に先立って「議論の基礎となる共通見解を確認するのが先」と提案されたので、「こういう場合はどうなるのですか」とお尋ねしたものです。Gyulfox さんも、「間違っているところがあったらおっしゃって下さい」とご自身の提案に対するコメントをお受けになる心積もりであったはずです。それなのに、コメントを入れただけで、どうして「合意形成はしない・諦める」とか「合意形成を諦めた」とか「同意しない」とか「前提を断った」などと結論されるのかわかりません。確かに「不思議」です。 

  • A:リゲル=平家星
  • B:リゲル=源氏星

という事実があります。A についてはどこで誰が採取してどの文献に見られるか素性がハッキリしています―実証性があります。その一方で、B については素性がわかりません―実証性がありません。実証があるということは、ウィキペディアでいうところの検証可能性があるということであって、だからといってイコール真実であるとか正確であるということではありません。そして、

  • A′:「旗の色、源氏(白)、平家(赤)にもとづいて、リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている。しかし、実際の調査記録は反対」[3]

という観点が示されていますが、これに対応する B′が存在しないのです。このウィキペディアにおける Gyulfox さんによるこれまでの編集以外には。私には、Gyulfox さんがオリジナルな B′をここで創作しようとしているようにしか見えないのです。

ところで、Gyulfox さんにお尋ねしたいのですが、

方言で言われる星の名前というのは割と沢山見つかるのです。 例えばある猟師さんは、何々星という方言があると言い、この星だと言います、大発見したと喜んで、旅館の女将さんに確かめると、何々星という言い方は確かにある、と証言し別の星を言うことは珍しくありません。 3人に訊いて見ると3人とも別の星を指すということはざらにあるのです。 年の差なんて実際のところ重要でもないのです。 実にゆるくて、危なっかしく、学問的に特定なんて出来ないというのが本当の実情です。

との実情は誰がどこで主張しているのでしょうか? 是非ともお訊きしたいところです。ついでに「珍しく」なく「ざらにある」そうなので、実例を5-6例ほど示していただけないでしょうか? それから、「古老の証言」とは「違っていた」という「香田氏の認識」なるものも、どのような認識なのか具体的にお願いします。

「通俗書」と「注意」という表現については、妥協案が成立していない―私の編集が土俵にすら上げられていない段階で検討する意味があるのか疑問ですが、妥協しろと言うことであれば、まあ、なくてもいいですけどね。「北尾氏によって」については、まずは野尻氏の『日本星名辞典』(できたら『日本の星』)の「まえがき」をよくお読みになってください。なお、「前書きされたとたんに、たちまち困ったことにな」るわけではありません。当該項目を執筆したのはあくまで私であって、北尾氏ではないのですから。

最後にもうひとつ質問です。Gyulfox さんは本文のこのセクションにおける編集で何をしたかったのですか? これからどのような加筆をしていくおつもりですか?--Bay Flam 2010年1月2日 (土) 15:27 (UTC) (誤解を招く表現を抹消)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)

1) 紛糾してしまうのも困りものですが、私の率直な意見は、Bay Flamさんの妥協案というものは、実質的には自分の編集に差し戻すか、消してしまうかどっちかを選ぶ、という意味であって、妥協になっていないと感じました。 本来の流れとしては、「現在の版を元にして悪い点は話し合って改善をして、建設的に発展させる」というものと思います。ですから私はそれを提案します。 現在の版の表現に対し、書かれてから一度も具体的に、ここが悪いという指摘はないようです。何となく駄目とかでは納得も出来ませんし、議論も進みません。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC) (ナンバリング)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
2) また、誤解して欲しくないのは、私が触れた星の方言の特定の困難さについては、本文に盛り込むつもりなどなく、これは自分自身の経験もあるのですが、野尻氏の著書の中でもそれは感じられる事です。野尻氏の実例として覚えているのは「すもとり星」の例なんかそうですし、地域が離れて同名・別星の例は「麦星」などが挙げられます。一番良いのはBay Flamさんも試しにフィールドに出てやってみる事です。そしたらすぐ嘘じゃないと分かります。 とにかく本筋でないことを調べなおすのに、再び図書館へは行きません。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC) (ナンバリング)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
3) また、私が観点B'を創作したという点についてですが、これは創作ではなくて、この手紙から読み取れる書き手の心理を述べたまでであって、本文に盛り込む気など初めからありません。 ただし、野尻氏が著書の中で説明としてこの手紙を公開してる以上、納得できなくても不自然であっても、本文中に「根拠はない」「根拠不明」などという安易な断定はできないという意見を述べておきます。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC) (ナンバリング)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
4) 更に言えば。私はWikipediaを編集するのに「観点」や「結論」は排除するべきと思っています。 ある「観点」にそって書くという発想にそもそも無理があって、どうしてもと言われるのであれば、小項目を立てて「誰が」というのを明示することによって両者納得も可能になるのではないか。というのが私の妥協案だったのです。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC) (ナンバリング)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
5) また「困らない」という件ですが、「北尾氏によって」と前置きして、身に覚えない表現をあれこれ書けば「北尾氏」は当然迷惑になると思いますよ--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC) (ナンバリング)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
(コメントを対応させるためにナンバリングさせていただきました。ご了承ください。)--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
1) そうです。「お互いに一旦リセットしましょう」ということです。 Gyulfox さんが表明されたとおり、これまでの編集から「編集者たちの考え」をできる限り削ぎ落として「出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」にしましょう、ということです。その意味で、私は自分の編集の箇所にある「通俗書」「注意」という表現を除去することで妥協しましょう、と申し上げています。しかしそれで最終というわけではありません。
Gyulfox さんの「現在の版を元にして悪い点は話し合って改善をして、建設的に発展させる」との提案は、従来どおり、ということですよね。これまでも、私は Gyulfox さんが編集されるたびにくちばしを挿んできました。現在の版に対するツッコミは、相互の依頼で本論の議論が中断したことと、これまでしてきたことの繰り返しになるだけだと判断されたので遠慮してきました。せっかく鎮火したものに油を注いで再び炎上させることになってしまわないでしょうか? それをお覚悟の上であれば、コメントいたします。
2) 地域によって指し示す星が違うという例なら、確かに何例かありますから、そういうことならばフィールドに出るまでもなく理解できます。しかし、Gyulfox さんの説明では、同一地域においても A さん(猟師さん)と B さん(女将さん)と個々人で指す星が違うと読めてしまいます。地域差ということであれば、「岐阜の揖斐地方」という一地方限定のこのケースとは直接関係ないのでは?
3ヵ所で訊いてみると3ヵ所とも別の星を指すということはざらにあります。しかし、地域の差は重要です。「実にゆるくて、危なっかしく」とも、野尻氏なんかは存外安直に特定してしまっているのが実情だと思います。野尻氏の著書で未同定の例はどれほどありましたっけ?
3) 本文に盛り込む心積もりはなくとも、執筆する前提になっているわけでしょう。その前提が違えば、Gyulfox さんの編集と私の編集では異なってしまいます。このケースにしても、腑に落ちませんね。香田氏が古老の説明を聞いて「あべこべ」と認識したのであれば、香田氏は「源氏が白で平家が赤」という一般的な認識を持っていたからで、これは香田氏に限らず Gyulfox さんも私も他の多くの人たちもそうだと思います。だから、古老の説明を聞けば誰もが「あべこべ」と認識するでしょう。野尻氏がこの「あべこべ」という認識を優先していたならば、(あべこべになっていない)リゲルが源氏星とはならないでしょう。それとも、古老の説明を聞く前の「源氏が白で平家が赤」という前提となった認識のことを言っておられるのでしょうか? それならリゲルが源氏星ということになりますが、意味ないですよね。古老の説明を聞く前でその内容が反映されていないのですから。
「根拠はない」「根拠不明」については断定にはならないと思いますよ。後に根拠を見つけた方がそれを加筆して「根拠はない」「根拠不明」を除去すればいいだけです。
4) 観点は、「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」を構築するための一時的なものです。もともと、ウィキペディアでは特定の観点からの編集はできないことになっていますし、いずれどなたかによってセクションの統合が提案されるかもしれません。本来なら必要はありませんが、現段階では「○○によれば」と、個人名を明示するのもやむなしでしょうか。
5) 原著者の意図を歪曲していれば、それは原著者にとって迷惑でしょう。--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC)
1)通俗書や注意などが無くなるのでしたら、それは歓迎します。 「多くの通俗書」と書かなくても「多くの書籍」とか「多くの本」のほうが北尾氏の意向に合うと思われます。 それから、せっかく鎮火したものに油を注いで再び炎上させることになってしまわないでしょうか?については認識が違うようです。どういった行為が炎上を招いたかの分析は、蒸し返すまでもなく原因は明らかと思います。 第一コメントがない以上一歩も進めようがないではありませんか? 良くないとこちらが分かれば直しようもあります。 ただしコメントの全てがそのまま通るわけでもないのはご承知下さい。  少なくともコメントは無駄にならないと思います。
2)については自分でやってみないのであれば、判らないでしょう。 たとえば、ちょっとした冗談と古い珍しい方言とどこで線引きできますでしょうか? 訊き方によっては、知らなくても「そういうのを聞いたことある」という人もいらっしゃいます。 この件については主題とそれほど関係のない事を言ってすみませんでした。
3)ですから、それは一見してそう読める事柄をベースにした解釈です。 野尻氏と香田氏は誇張でないかぎり少なくとも1000通の手紙をやりとりしてる間柄です。 その間のニュアンスは分かりようもないのです。 明らかなのは、野尻氏はこの手紙を根拠にリゲルを源氏星とした事です。 野尻氏が特定をぼかしてなどいないのは明白で、単に我々が納得しにくいというだけの話です。
4)個人名の明記は一時的なものではないはずです。 新しくかつ少数意見であれば、なおのことです。これは正当かどうかに関わりない事と思われます。 
5)北尾氏は過激な発言を避けて慎重です。 そこに注目して下さい。--Gyulfox 2010年1月15日 (金) 05:30 (UTC)
1)
  • 一般的には
以前にも指摘したのですが、Gyulfox さんが掲げた出典のいずれにも「リゲルを源氏星とするのが一般的」だとは書かれていません。それは、一般的であると言うからには、一般的ではない、特殊な事例が必要になります。それと比べて「一般的」だとなるわけです。ここでは、「リゲルを平家星」とする報告や「銀脇」が「一般的ではない、特殊な事例」に当たるわけですが、Gyulfox さんが出典として掲げた文献(というか、「リゲルを源氏星」とする文献の全て)が、「リゲルを平家星」とする報告や「銀脇」については触れていません。「多くのホームページや本にもそのようになっている」と説明している北尾氏ですら、「リゲルを源氏星とするのが一般的」だとは言っていません。
Gyulfox さんの説明によると、どうも「一般的」とは、そのような意味ではないらしい。最初は「一般常識」で、平家星・源氏星が一般常識といえるかどうか疑問を投げかけたところ、『大辞林』という「客観的な記録」に述べられているということになり、更に「多くの一般書籍や辞典・辞書で共通に言われていることは、一般的」(2009年10月16日 (金) 10:55 (UTC) 時点における版)とツッコミを入れられるたびに基準が変わっております。
実のところ、私は「一般的には」と付加することに、それほど抵抗があるわけではありません。しかし、Gyulfox さんは「本音を言えばそんな情報は載せて欲しくない」(2009年9月23日 (水) 17:11 (UTC) 時点における版)とコメントしておられ、載せて欲しくない「そんな情報」を排除することを意図していたことが明白だったからです。更に Gyulfox さんは、私が用いた「通俗書など」・「注意」が「印象操作に当た」ると指摘しておられます。ならば、ご自身が編集された「一般的には」とは原著者は誰も言及しておらないのですから、それもまた「そんな情報は載せて欲しくな」かったための「印象操作に当た」るのではないでしょうか。
  • 岐阜の揖斐地方においてリゲルを平家星とする村の古老が一名いた
以前、指摘したように、揖斐の例では「同じ名を(家の)おじいさんから聞いたという子供が二、三人」いたとあり、「村の古老が一名いた」だけではありません。また、「村の古老」は自分が聞いたままを示したままで、「右が平家星、左が源氏星とあべこべ」と認識したのは報告者の香田氏です。
  • 野尻抱影によって報告されている
これも以前、野尻氏自身が「奥美濃の香田寿男君から報ぜられた」と記述しており、報告者は香田氏であると指摘しました。裕さんも「野尻氏が報告したとするのは不適当」と指摘しておられます。別に、香田寿男氏名義の記事を立てようというわけではありません。野尻氏もプライオリティーを尊重して、いちいち、報告者の氏名を公表しているわけですので(『日本の星』の「まえがき」を参照)、「香田氏が報告したと記述すると、誰?」― Gyulfox さんが個人的にご存じないことは理由にならないと思いますが。
  • ……と呼ばれていた可能性がある
これも以前、指摘しました。話者が一人しかいないことが「可能性がある」に留まるのであれば、記録の詳細がわからない「銀脇」も、文献に基づかない話者に直接取材したものは全て「可能性がある」に留まることになります。また、話者の存在が確認されていない、「リゲル=源氏星」は問題外ということになります。
  • リゲルが源氏星とされている事については、その伝承において疑問が持たれている
「リゲルが源氏星とされている」伝承は報告されておりません。存在していないものに「疑問が持たれる」こともありません。
  • リゲルを平家星とした古老の証言
「古老の証言」をもとに香田氏が「リゲルを平家星」と認識したものです。ですから、
  • ……をもとに、北尾浩一が再調査した
「北尾浩一」氏「が再調査した」のは、香田氏の報告がもとになっています。Gyulfox さんは、終始香田氏の存在を隠そうとしておられるように見受けられ、話者が古老ただ一人しかいないことを強調したいようにも見えます。
  • 発見地とされる揖斐地方では一般的に認識されている源平の旗印の色とは逆であることが指摘されている
北尾氏は「旗の色、源氏(白)、平家(赤)にもとづいて、リゲルを源氏星、ベテルギウスを平家星と考えがちで、多くのホームページや本にもそのようになっている。しかし、実際の調査記録は反対」としており、北尾氏が意図した記述とは随分と違うように思えます。
概して、この版の編集には Gyulfox さんの個人的な意向が色濃く反映されているように見えます。出典元にない観点が多々見受けられます。これらは Gyulfox さんが仰るところの印象操作ではないのですか?
2) たとえば、ちょっとした冗談と古い珍しい方言とどこで線引きできますでしょうか?
それは、研究者が「線引き」したものを著書で発表しているのではありませんか? 私は野尻氏や北尾氏などの研究者が星の和名として紹介したものしか取り上げていません。ならば、読者が改めて「線引き」する必要はないでしょう。「線引き」されたものしか知らないのですから。
3) 明らかなのは、野尻氏はこの手紙を根拠にリゲルを源氏星とした事です
『新星座巡礼』など、後の著書ではそうですね。しかし、『日本星名辞典』の154-155ページではそうは読めませんが。仮に Gyulfox さんの仰るとおりだとしたら香田氏の報告と矛盾しており、野尻氏は香田氏の「あべこべ」とする報告を無視して「リゲルは源氏星」と創作したことになります。私は当初からそれぞれの土地土地に伝わる星の和名を「……と伝えられている」と紹介したものなので、たとえ「1000通の手紙をやりとりして」いたとしても、野尻氏は北尾氏のような考証をなにも発表しておらないのですから、野尻氏一個人の根拠の(わから)ない創作の相手はしていられません。私はこのノートの初めのほうで「『月刊 天文ガイド』2009年9月号の近藤次郎氏ほどには、野尻氏を高く評価しているわけではありません」と申し上げております。
4) 「一時的」としたのは特定の観点から記述することです。個人名の明記ではありません。
5) 「通俗書」や「注意」のことを仰っているのでしょうか? 2008年8月1日 (金) 09:29時点における版における編集の「旗印の色と短絡した思い込みに過ぎず、全く根拠のない誤り」ならば、仰るとおり、過激だと思いますが(だからこそ、後の編集で私自身が除去しております)。--Bay Flam 2010年1月20日 (水) 13:41 (UTC)

いったん戻します。 

  • 1)一般的の件ですが、あまりにも深読みのしすぎです。 そのように書かれて広まって、定着しているものは一般的と言えるというだけの事です。 それ以上のものはありません。 
  • 3)『日本星名辞典』においてもそう言われています。何故なのかは既に述べてあります。野尻氏は文章のプロです。特定をぼかすというのは、リゲルの和名は源氏星または平家星であるのような書かれ方の場合です。この場合はそうなっていません。 香田氏の報告と矛盾しているというのは、Bay Flamさんの判断です。 野尻氏はこの手紙を根拠にリゲル=源氏星と書いているのです。 また実際の調査と違うと言っているのは北尾氏ですから、書くことは可能ですが、誰が言ったのか分かる工夫は必要ですね。 「創作につきあってられないから相手にできない」という発言は、すでに考えが偏っています。 記述に際し、エディターがいちいち納得する必要などないと重ねて言っておきます。
  • 4)これは思い違いをしました。すみません。 Bay Flamさんが観点は、「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」を構築するための一時的なものです。と言う意見には私は賛同できません。観点はいつであっても、目を曇らせて邪魔という立場だからです。
  • 5)「通俗書」という言い方は、その内容に誤りがある、ということを暗に示すことによく使われる手法です。そういうつもりはなくても、Wikipedhiaで書くのにわざわざ使う必要はないでしょう。北尾氏の著書では該当部分は「多くの本」になっています。--Gyulfox 2010年1月20日 (水) 18:47 (UTC)
  • 「同じ名を(家の)おじいさんから聞いたという子供が二、三人」いたとあり、「村の古老が一名いた」だけではありません。については以前も述べました。 子供たちはそういう名前を聞いただけであって、星の特定について関与していません。 実際にあべこべを指したのは古老一人ですよね。 
  • 報告しているの件は、野尻氏としても不適切とは言えません。 野尻氏は著書によって全国的に報告しているからです。 香田氏については隠してるわけではなく、書いたら駄目ということはできませんが、あくまで野尻氏の著書に登場する一般人です。 Wikipediaで書くなら野尻氏とするほうが相応しいと言う考えです。
  • また、Bay Flamさんがなにか私が印象操作をしているという指摘について、理解できません。 私はダイジェストを書いているだけであって、北尾氏の研究から分かった重要事項を書いたまでです。 確かに北尾氏は香田氏に確認を取ったことは取ったのですが、野尻さんをかばったのか証言は玉虫色でした。 根拠となる古文書も古老と関係のない新たな証言者もいませんでした。 逃がしてはいけない重要ポイントはその地域では広く旗の紅白が逆という事実がわかった点です。 だからこのように書いているだけです--Gyulfox 2010年1月20日 (水) 18:47 (UTC)
  • 今回指摘を受けて私が感じたことは、全体的にBay Flamさんは深読みのしすぎだという事です。 改善できそうな点は可能性があるという部分でしょうか。 これはリゲル=源氏星としている野尻氏の著書をわざわざ出典を用いて、リゲル=平家星としている無理に起因しています。 リゲル=平家星であると明言するのであれば、出典を北尾氏の論文だけにして名前を明記すれば、問題は解決して可能性があるという表現は自動消滅すると思います。いかがですか? --Gyulfox 2010年1月20日 (水) 18:47 (UTC)
はじめに、返答が遅くなってしまったことをお詫び致します。返答が遅れた最大の原因は、Gyulfox さんの「2010年1月20日 (水) 18:47 (UTC) 時点における版」のコメントが あまりにも脱力モノだったからです。そこで Gyulfox さんが主張しておられることに客観的な根拠が全くありません。ただ Gyulfox さんが個人的に解釈したということだけです。Gyulfox さんが以前主張した「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」に、全然なっていません。客観的な根拠を掲げないのですから、それはもう、何だって自分の好き勝手に言えるでしょう。しかし、今はもう自説を開陳しているような段階ではないのです。正直、独自見解の披瀝はいい加減にしていただきたい。あと、資料の極端な曲解もどうにかなりませんか。そんなんでは対話になりません。私は Gyulfox さん一個人を満足させるためにここでコメントしているわけではなく、本文を編集しているわけでもありません。--Bay Flam 2010年1月26日 (火) 17:21 (UTC)
下に移動します。--Gyulfox 2010年1月27日 (水) 00:22 (UTC)

今後の議論プロセスは

[編集]

すみません。この案では対立を煽るだけなので、取り下げます。--長島左近 2010年1月3日 (日) 01:53 (UTC)--長島左近 2010年1月3日 (日) 02:03 (UTC)--長島左近 2010年1月3日 (日) 05:28 (UTC)

Bay Flamさん、長島左近さん、本年も宜しくお願いします。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:20 (UTC)
今後の編集についてですが、中国名は中国名として別の項目とし、高岡で見つかった「源氏星」も記載したいと思っています。また「銀脇」は複雑さを極める「源氏星・平家星」と別の節に分けた方が良いと思っています。--Gyulfox 2010年1月3日 (日) 09:06 (UTC)
Gyulfox さん、こちらそよろしくお願いします。
Gyulfox さんに、これからどのような加筆をされるのかお尋ねしましたが、私は(ベテルギウスの例ですが)このような加筆ができると考えています。裕さんのリクエストにお応えして、簡単ですが一通り説明しています。高岡の例も触れていますし、銀脇、中国名も別項目にしてます。--Bay Flam 2010年1月3日 (日) 16:30 (UTC)
1) 具体的な文章が出てきたのは素晴らしいです。しかし、なし崩し的に文章の検討に入って大丈夫なのか不安があります。
2) まずは今までの積み残し議論をどうするかです。例えば、妥協案の「『日本星名辞典』は使えません」や妥協の前提条件「特に1~3」という話はどうするのでしょうか?
3) 「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」の件ですが、これも不安です。「すなおな記述」に解釈の違いがあると思います。Gyulfoxさん=対等な両論併記。Bay Flamさん=優劣のある両論併記だと思います。解釈の違うものを同じ目標にしても、合意は難しいのでは?
4) スケジュールや議論の進め方に不安があります。ただでさえ、Bay Flamさんの議論参加が少ない現状で、利用者:Bay Flam/ベテルギウスの和名の提示で、一気に検討する文章が増えました。これをどのようなスケジュールで消化していくのか、ちょっと想像できません。まず検討するのは、利用者:Bay Flam/ベテルギウスの和名の源氏星だけという事ですか?
Bay Flamさんの議論の進め方を見ると、論点が気ままに変っていきます。2009年12月24日 (木) 17:47 (UTC)では、「『日本星名辞典』は使えません」の話でしたが、結論やまとめもなく、2010年1月2日 (土) 15:27 (UTC) からは、観点の話に移りました。これに文章が加わると、何について検討しているのかさえ、分からなくなると思います。もう少し論点を細かく分割して、後戻りが起きないように、一つずつ決着を付けていかないと、まとまる物もまとまらないです。--長島左近 2010年1月3日 (日) 18:27 (UTC)

合意の足を引っ張るだけなので、この発言を取り下げます。 すみませんでした。--Gyulfox 2010年1月20日 (水) 19:07 (UTC) 

えーっと、まことに申し訳ないのですが、論点を変えているつもりはございません。「『日本星名辞典』は使えません」については、現在議論中です。私は、野尻氏の『日本星名辞典』の地の文は「どちらがどちらなのか特定しないズルイ」説明だと認識しているのですが、Gyulfox さんは、野尻氏は「どの著書でも表現をぼかさず『平家星』は『ベテルギウス』と特定してい」ると認識しておられるようです。それで、「香田氏の認識と、古老の証言は違って」おり「野尻氏は第一報告者である香田氏の認識の方を優先している」のだそうです。私の認識に対しては「何故表題が、平家星・源氏星になっていて、源氏星・平家星でないのか説明」できない、「『リゲル=平家星』の方が無理」とコメントしておられます。これに対して私は「2010年1月3日 (日) 16:24 (UTC) 時点における版」の 3) にて返答しております。ただ、この件に関して Gyulfox さんは「しかしこれをとことん争点にするのは現状から見て懸命とは思えません」とも仰っています。
1) については、「2009年12月24日 (木) 17:47 (UTC) 時点における版」で

北尾氏のそのコメントは不定的・批判的であり、後の『天文民俗学序説』や『天界』掲載の論文(「天文民俗学試論 (102)」)では「リゲル=源氏星」を退けています。そのため、編集者の意図にかかわらず、「出典の著者の主張」が否定的である以上、編集に否定的なニュアンスが含まれることになってしまいます。

とコメントしているとおりです。このようなケースはどう扱うのでしょうか?と問うています。
2) については、議論が拡散してしまうと思い後回しにしておりました。私は「A.『香田氏の報告』に基づく 素性のはっきりしている説明」と「B.素性のわからない説明」に二分されると認識しております。(ただし、高岡の例はここでは考慮していません。)
3) については、これも「2009年12月24日 (木) 17:47 (UTC) 時点における版」で

「リゲル=平家星」が「可能性がある」という表現に留まるのであれば、銀脇も、いえ、野尻氏の著書で紹介されているものの中で、文献に基づかない、有志の報告に基づく多くの星名については皆、「可能性がある」という表現に留まってしまうのではないでしょうか。

とコメントしています。
あと、なかなか理解していただけないようですが、「両論併記はできない」と申し上げています。事実としての AB はありますが、A に対する説明 A′はあるが B に対する説明 B′(両論の片方)が存在しないからです。
そもそも、Gyulfox さんに対するコメント依頼を終わらせて妥協案の議論に入ったのは、Gyulfox さんが

私が目指したいものは、編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述です。また読者が読んで理解に戸惑うような変な文章でないようなものが望ましい

と表明されたからです。ですから、それぞれの資料をフル活用する【A 案】と、「編集者たちの考え」をバッサリ切り落とした【B 案】を提出しました。また、長島左近さんから【C 案】の提案がありました。これに対して Gyulfox さんは態度を保留され、後に【D 案】「現在の版を元にして悪い点は話し合って改善をして、建設的に発展させる」を提案されました。これって、これまでどおりということですよね?
これは、私はこういう方向で加筆していくつもりで編集していた、ということであって、あくまで私案かつ試案に過ぎません。実際にこのようなかたちで加筆することはまずありませんので、ご参考までにと言う意味で掲げたものです。ですので、これについて検討する必要はありません。--Bay Flam 2010年1月5日 (火) 16:43 (UTC)
ただでさえややこしいリゲルの議論の最中に、ベテルギウスをベースにした実際にこのような形で加筆する可能性のないものや検討する必要のないものをいきなり出して場を混乱させて欲しくないです。 第一ベテルギウスとリゲル2個セットで名づけられた方言の和名は別のところに掲載した方が良いと思うし、今は徒に議論が長引くだけなのでそれを争点にしたくない。 私は議論を少しでも早く解決するために発言しているのであって、議論のために議論しているのではありません。 試案や参考を出すのであれば、リゲルをベースとした、実際に加筆する可能性のある核心部分の提示にしてもらいたい。--Gyulfox 2010年1月13日 (水) 05:45 (UTC)
6)試案の中の中国名は同意できます。 議論のサイズを少しでも小さくするために編集して、ベテルギウスとリゲルの中国名を立項し、天文民俗の中国名関連を削除して頂けますか。--Gyulfox 2010年1月15日 (金) 05:11 (UTC)
ところで、Gyulfox さんのコメントにあった「麦星」について調べていたところ、面白いことが判ってきました。その中で、小学館『国語大辞典』(第2版)914ページには、次のように説明されています。
むぎ-ぼし 【麦星】 牛飼座のα(アルファ)星アルクトゥルスの和名。麦秋の頃よく見られるところからの名。《季・夏》 方言 (1) 牛飼座のアルクトゥルス。静岡県榛原郡031 愛媛県031 (2) 蠍座(さそりざ)のアンタレス。香川県与島829 ◇むぎうれぼし〔麦熟星〕香川県黒岩島829 発音ムギボシ 〈標ア〉キ°
とありました。これって、私が提示した【A 案】と同じじゃないですか。辞典と事典の違いがありますが、この『日本国語大辞典』の要領で編集を進めてはいかがでしょうか。
Gyulfox さんによる提案 6) も考慮して、これまで「和名」・「天文民俗(和名・中国名)」とあったセクションを「和名」・「中国名」とし、「天文民俗」は上の『日本国語大辞典』の要領で「和名」の入れ子(サブ・セクション)とする、ということでいかがでしょうか。--Bay Flam 2010年1月20日 (水) 14:06 (UTC) (固有名詞なので誤記訂正)--Bay Flam 2010年1月26日 (火) 17:32 (UTC)
  • 折角、合意点ができたので、6)の実行をお願いします。いつ完全に合意できるか分からないし、飾っとくだけでは勿体ないです。 面倒であれば私がやっても構いませんが、お嫌でしょう。 
  • サブセクション化するのであるなら、天文民俗はいっそやめて北尾氏の見解というサブセクションにすればいかがでしょうか?それ以降は一々北尾氏によればと明記する必要もなくなるわけです。私はそれを提案します。--Gyulfox 2010年1月20日 (水) 19:07 (UTC)
「リゲル=平家星」に言及しているのは北尾氏だけではありませんし、「銀脇」や他の星名に触れる可能性もあります(私は、特に現状では出典の表示がうるさいので、「実際にこのようなかたちで加筆することは」ないと言っているだけで、この方向で加筆しないとは言っていません)。それぞれの編集者個人による提案ではなく、それこそ編集のプロによる『日本国語大辞典』の編集形式でいきませんか。--Bay Flam 2010年1月26日 (火) 17:32 (UTC)

戻します。Bay Flamさんの2010年1月20日 (水) 13:41 (UTC)の反論は頂きました。 しかし、今一度あなたのご意見を読み返してみて欲しいのです。 Bay Flamさんの反論こそ客観性を欠く解釈に基づいていると思われませんでしょうか? 客観性のある反論とは、「この資料にこう書いてある以上、この部分は明らかに間違っている。」ということがはっきり分かるものでないと困ります。 私は反論のうち、具体性のある部分は、出来るだけは説明しました。 また、私が独自解釈しているという部分はどこの所を言ってるのでしょうか? 北尾氏に対する香田氏の意見はどう見ても、玉虫色としかとれません。 私が実際に本文に、玉虫色だったと記述していれば独自研究だと責められても文句は言えませんが、玉虫色と感じたからこそ自分に都合よく利用しないで、あえて書かなかったと説明しているのです。 ウィキペディアでは、意味がはっきりしないものは書かない方が良いからです。 一体全体Bay Flamさんはどう加筆したいのですか? 『日本国語大辞典』方式を提案するのはともかく、似ても似つかない,しかもリバートを前提としたA案と一緒じゃないですか? と言われても一緒ではないとしか言えません。 また『日本国語大辞典』方式をそのまま採用しても、リゲルの和名が頭に来ないといけませんよね。  具体的にどうするのか具体的な提示が必要です。それがないとこちらも意見が言えません。 また「リゲル」=平家星に言及しているのは一人ではないと言っても、反論している代表として最も相応しい人物と言えます。北尾氏の見解というサブカテゴリーを作るという提案に賛同できない理由になるとも思えません。--Gyulfox 2010年1月27日 (水) 00:51 (UTC) 

  • 「一般的には」の件

そのように書かれて広まって、定着しているものは一般的と言える

Gyulfox さんが掲げた「出典の著者」(のみならず、リゲルを源氏星とするものの著者)は誰一人として「一般的」だとは言っておりません。ですから、「一般的」とするのは Gyulfox さんの個人的な見解に過ぎません。なにしろ、「リゲルを源氏星」とする記述がどのように「書かれて広まって、定着している」のか検証なり考察している資料が存在しないのですから。Gyulfox さんお一人がここで勝手に考察を進めているのですね。これって、独自研究なんじゃあ?
そもそも、Gyulfox さん自身のご提言「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」を受けて議論しているのに、一編集者の考えを混ゼまくってどうするのでしょう。矛盾していませんか。
それに、「出典の著者」が書いていないものを取り入れようとするのであれば、リゲルを平家星とするものは、通俗書を適当にコピペしたわけではなく、きちんとした調査研究の上に成り立っているのですから、「学術的には」あるいは「専門的には」とつけてよいことになりますが。こんなことをしていては、「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」とする主張に反するでしょう。このように、個々人の好き勝手をしていたら、合意も妥協もあったものではありません。
しかも、Gyulfox さんは私が「通俗書」とした編集の除去を求めています。「出典の著者」が書いていないものを、自分は可だがおまえは不可だとは、とんだダブル・スタンダードではないですか。
加えて、Gyulfox さんの主張する「一般的」の基準はご自分の都合に合わせてコロコロ変化していますし。(一般常識→有名な辞書(「『大辞林』という客観的な記録」)に載っている→「多くの一般書籍や辞典・辞書で共通に言われている」→「広まって、定着している」)
なお、Gyulfox さんは、どのような状況をもって「定着している」と言えるのかも具体的に説明されておりません。例えば、辞書に関しては各出版社を代表する中型辞書以上でないと収録されておらず、「源氏星」を見出し語としているものは『大辞林』(第三版)ただ一つです。辞書全体から見ればごくごく一部に過ぎないんですね。新解さんとか「問題な日本語」の明鏡といった一般的な辞書を引いてみれば、「源氏星」はおろか固有名の「リゲル」でさえ立項されていません。客観的な根拠を欠いた一編集者の私見に過ぎないから、同じレベルでいとも簡単に否定されてしまうのです。
対処:出典なし・独自研究につき除去。
  • 「村の古老が一名いた」の件
「炉の灰の上にシダの葉柄で」「図を描いて」直接香田氏に「指で、はっきりと星を指されて教え」たのは「60歳ぐらいの老人」ですが、その「村の古老の説明と同じ名を(家の)おじいさんから聞いたという子供が二、三人」いたとあります。
「村の古老」は言い伝えのまま説明しただけで、「ただし説明は、右が平家星、左が源氏星とあべこベ」と、星を特定したのはあくまで聞き手の香田氏です。このようなことは、いちいち説明するまでもありません。それにしても、なんでこんな捻じ曲がった奇妙な読み方をするのでしょうか?
対処:独自研究につき除去。
  • 「報告している」の件
「出典の著者」の野尻氏も北尾氏も報告者を香田氏としているのですから、「出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」として言うまでもないでしょう。
対処:出典の著者の記述ならびに当事者以外の合意に基づき却下。(現状では報告者を掲載する必要はありませんが、加筆の仕方によっては、提示する必要性が出てくるかもしれません。)
  • 「その伝承において疑問が持たれている」の件
はスルーですか?
対処:存在しないものの提示、創作につき除去。
  • 「リゲルを平家星とした古老の証言」の件
古老の証言をもとに、香田氏が「あべこべ」と認識した=「リゲルを平家星とした」ことを納得していただけましたか?
対処:「出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」に是正→脚注によって提示済みのものに復帰。
  • 「発見地では……指摘されている」の件
何度も何度も言いますが、北尾氏は「多くのホームページや本にもそのようになっている。しかし、実際の調査記録は反対」と言っているのです。「発見地とされる揖斐地方では一般的に認識されている源平の旗印の色とは逆であること」は既に香田氏によって指摘されています。だからこそ、北尾氏は「実際の調査記録(=香田氏の報告)は反対」と言っているのです。
対処:「発見地では……指摘されている」のは、香田氏の報告で既に判明していることなので、北尾氏の「主張が曲げられない形のすなおな記述」に変更。
3)

野尻氏は文章のプロ

それが何か?

香田氏の報告と矛盾しているというのは、Bay Flamさんの判断です

いいえ違いますね。一般的な源平の旗印の色と同じ(リゲルは源氏星)と見ることは、「実際の調査記録」と「は反対」になるのです。これは私ではなく北尾氏による指摘です。『日本星名辞典』(ならびに『日本の星』)では「香田氏の報告」が引用・併記されているのですから、野尻氏が特定していようといまいと、矛盾は生じているのです。『大辞林』や野尻氏のほかの著書では「香田氏の報告」が引用・併記されていないので、それ単体では矛盾していないだけです。
  • 私:「野尻氏は特定していない」と解釈 → 引用されている「実際の調査記録(=香田氏の報告」と反対になっているではないかと指摘されても、「特定してるわけではない」と言い逃れが可能。「実際の調査記録」の報告者を別にしているので、野尻氏が独自の解釈を行ったのではないかとの推測も可能。
  • Gyulfox さん:野尻氏は「リゲル=源氏星と書いている」 → 「野尻氏は特定している」としているため、「実際の調査記録」と矛盾することになり、言い訳もできません。しかも、Gyulfox さんは報告者も野尻氏としているため、野尻氏が自分で「リゲルは平家星」と報告していながら、その同じページの地の文で「リゲルは源氏星」と説明していることになり、明らかに矛盾が生じてしまっています。
「野尻氏はこの手紙を根拠にリゲル=源氏星と書いている」んだけど、その「理由はなんだかわからない」んでしょう。いくら1000通のやり取りをしようとも、野尻氏の考証は公になっていないのですから何も書けないのです。実際の調査と違うと言っているのは北尾氏なのですから、小学生程度の読解力があれば、誰だって通俗書の説明と「香田氏の報告」とを読み比べれば「実際の調査記録は反対」と理解するでしょう。無論、私も。ただ、それだけでは独自研究になりかねないので、第三者によって公になったもの(客観的な根拠)をわざわざ引っ張り出してきたのです。

書くことは可能

ハァ?

誰が言ったのか分かる工夫は必要ですね。

出典を掲げて北尾氏の名前を出しているじゃありませんか。いまさら何言ってるの?

「創作につきあってられないから相手にできない」という発言は、すでに考えが偏っています

私は、当初から書物に書かれた事実を述べています。『日本国語大辞典』でもそのようになっています。「出典の著者」が書いていないこと、根拠のないことはこちらも書けません。

記述に際し、エディターがいちいち納得する必要などないと重ねて言っておきます。

それは Gyulfox さんのご自由に。でも、そうした Gyulfox さんの編集はツッコミ入れられまくりですよね。私には、自分ですら納得できないものを編集するような無責任なマネはとてもできませんね。
4) Gyulfox さんは、これまでの議論の流れをしっかりと把握しておられるのでしょうか。お互いの主張を言い合っているだけでは埒があかないので、「伝承・方言の紹介する観点」と「辞書などによって広まっている知識からの観点」から「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」をしましょうと提案したのです。それも、『日本国語大辞典』という第三者の編集形式に準じれば特定の個人からの観点はなくなります。

「観点はいつであっても、目を曇らせて邪魔という立場だからです。

それでは、Gyulfox さん一個人の観点に基づいたこの編集にも、当然「賛同」しませんよね。
5) Gyulfox さんの方こそ、深読みのしすぎではないのですか。「通俗書など」の「通俗書」と「など」の間には通俗書と児童書をずらずらと掲げることができます(もちろん、そんな意味のないことはしませんが)。ですから、「通俗書など」としたのは事実に基づいたものです。客観的な根拠が存在するにも拘らず、妥協するためにわざわざ除去に応じているのです。

私はダイジェストを書いているだけであって、北尾氏の研究から分かった重要事項を書いたまでです。

私は以前、「原著者の意図を歪曲していれば、それは原著者にとって迷惑でしょう」と申し上げたはずですが。特定の一「編集者」「の考えの混じ」ったダイジェストなど必要ありません。あなたの言う「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」に全然なっていませんね。

リゲル=源氏星としている野尻氏の著書をわざわざ出典を用いて、リゲル=平家星としている無理に起因しています。

全く無理ではありません。北尾氏は「リゲル=平家星」であることを追認(証明ではありません)しただけ(それはそれで重要なのですが)で、プライオリティーは野尻氏が示しているように香田氏にあります。「リゲル=平家星」としていたのは「香田氏の報告」であり、「香田氏の報告」は野尻氏の著書に引用されて公になっています。ですから、出典は当然、野尻氏の著書になります。わざわざノンブルも明示しています。ウィキペディアでは一次情報源や私信そのものは原則として出典にできません。

根拠となる古文書も古老と関係のない新たな証言者もいませんでした

それでしたら、リゲルを源氏星とする古文書なり別の証言者をお願いします、ということになりますが。以前、「一時情報まで出せ出せとエディターに要求する権利はあなたにはありません」とコメントしていたのはどなたでしたっけ? ウィキペディアには、「香田氏の報告」が引用されている『日本星名辞典』なり『日本の星』を掲げれば検証可能性を満たしており、それだけで編集できるのですよ。
何度も繰り返しますが、私は Gyulfox さんの「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」を「目指したい」とするコメントを受け入れて、Gyulfox さんに対するコメント依頼を取り止めて、妥協案を提示したのです。Gyulfox さんは、私が提示した2つの案と、長島左近さんが提示した案のいずれにも態度を保留され、結局のところ、これまでどおりとすることを新たに提案してきました。これまでどおりのやり方で、何か進展がありましたか。私は一貫して Gyulfox さんの編集の不備を指摘してまいりました。これからも、ずっと Gyulfox さんの根拠のない自分勝手な主張に付き合っていかなければならないのでしょうか? 全く冗談ではありません。私はそれほどヒマではないのです。
  • Bay Flamさんの反論こそ客観性を欠く解釈に基づいていると思われませんでしょうか?
  • 客観性のある反論とは、「この資料にこう書いてある以上、この部分は明らかに間違っている。」ということがはっきり分かるものでないと困ります。
  • 私が独自解釈しているという部分はどこの所を言ってるのでしょうか?
思いませんね。具体的な箇所については、上で説明しました。「どの資料にも書かれていない以上、この部分は編集できない」と言っています。
  • 北尾氏に対する香田氏の意見はどう見ても、玉虫色としかとれません。
「香田氏の意見」のどこが「玉虫色としかとれ」ないのでしょうか? 香田氏は、北尾氏の問い合わせでも、「あべこベ」になっていたことを全く否定していません。と言うよりも、「指で、はっきりと星を指されて教えられたもの」と「あべこベ」になっていたことに念を押してさえいます。
  • 一体全体Bay Flamさんはどう加筆したいのですか?
既に、方向性も試案も示してあります。もっとも、Gyulfox さんからは

ベテルギウスをベースにした実際にこのような形で加筆する可能性のないものや検討する必要のないものをいきなり出して場を混乱させて欲しくないです。 第一ベテルギウスとリゲル2個セットで名づけられた方言の和名は別のところに掲載した方が良いと思う

と文句を言われていましたが。「実際に加筆する可能性」があるのは全体と言うことになりますが、「核心部分」と言うことであれば「星の色に由来するもの」のところです。「リゲルをベース」とのことですが、リゲルと対応するように、それぞれ置き換えればいいだけのことです。それくらいのことはできますでしょう。
  • 具体的にどうするのか具体的な提示が必要
和名

その星の色から、源氏の旗色になぞらえて「源氏星」(げんじぼし)とされている[b 1][b 2][b 3][b 4]

天文民俗
滋賀虎姫銀脇(ぎんわき)、岐阜揖斐地方平家星(へいけぼし)といった名称が伝えられている[b 5][b 6]。書籍では「源氏星」とするものが多いが、伝承では一般的に認識されているの旗印の色とは逆になっている[b 7]
中国名

中国では参宿第七星(參宿七)。

  1. ^ 三省堂『大辞林』810項
  2. ^ 『日本大百科全書』23巻リゲルより
  3. ^ 野尻抱影著『新星座巡礼』19項
  4. ^ 野尻抱影著『星三百六十五夜』上巻(1978年)38項
  5. ^ 野尻抱影 『星の方言集 - 日本の星』 中央公論社、1957年、265-269頁。
  6. ^ 野尻抱影 『日本星名辞典』 東京堂出版、1973年、154-155頁。
  7. ^ 北尾浩一 「『源氏星』と『平家星』」 『天界』 第86巻第966号(2005年11月号)、東亜天文学会、648頁。(ダイジェスト版)
現状で「編集者たちの考えの混じらない、出典の著者の主張が曲げられない形のすなおな記述」とすると、これだけになります。『日本国語大辞典』では、編集者(あるいは執筆者)による余計なお飾りは全くありません。この具体例で取り除かれてしまっている Gyulfox さんによる加筆部分は客観的な根拠(=出典)が掲げられておらず、独自研究とみなされます。ウィキペディアには独自研究は書けないので、当該部分は除去されます。あと、勘違いして欲しくないのですが、これはあくまでスタートであってゴールではありません。決して加筆を妨げるものではありません、念のため。編集の際には出典を明示して、その「出典の著者の主張」のとおりにしていただきたい。また「天文民俗」は「リゲル=源氏星」に反論を否定することを目的としたセクションではなく、「リゲル=平家星」を推進しようとするためだけのものでもありません。あくまで、天文民俗の研究者が言及していたものを取り上げるためのものです。--Bay Flam 2010年1月28日 (木) 19:06 (UTC) (訂正)--Bay Flam 2010年1月29日 (金) 23:14 (UTC)
再び、こじつけによって独自研究にできないものを独自研究と主張する事が始まっています。
まず「一般的に」という言葉が、辞書の中の見出しとして一般的か?という問題にすり替えられています。 また、以前にも述べたとおり、これはウィキペディアの他のページで、頻繁に登場する単語であって、「一般的に」をキーワードとして検索をかければ誰でも確かめられる客観的な事実です。また秀逸な記事でも許されている事も誰でも確かめられます。その審査は出典との照合を伴いません。従って「一般的に」という言葉の使用は独自研究とみなされない事は明らかです。 またその使用の妥当性は、査読を受けた『天界』 2005年11月号(リゲル=平家星)の出版部数に対する、該当の辞書や辞典(リゲル=源氏星)(CD-ROM版や電子辞書版を含む)のすべてを合計したものとの差を考えれば、許される範囲のものです。さらに野尻氏の本や図鑑、子供用の書籍の部数を考えると、削除の主張が適切ではないことは明らかです。 一般的にという言葉が使用できなければ、見つかった書籍を全て羅列しなければならず、そのようなものは記述の硬直化を招き、見苦しいだけです。
また、村の古老について述べた部分が独自研究という主張もあてはまりません。 出典内容の事実関係が全く変化しないものについて、独自研究とすることはできません。 例えば「その村の中で、逆に示す者はたった一人だった」のような記述は事実関係が変わっていて、これが独自研究の例です。 このケースは独自研究ではありません。 私が「通俗書」に難色をしめしたのは、そのような言い方は、相手の本が間違っているという事を暗にほのめかす手法に使われているものであって、わざわざそのような単語を使わずに、出典の通り「本」または「書籍」と言い換えるべきだと言っているだけであって、ダブルスタンダードではありません。
「報告している」の件、野尻氏とした根拠はすでに示しています。勝手な理由による却下は成立しません--Gyulfox 2010年1月30日 (土) 10:08 (UTC)
「その伝承において疑問が持たれている」の件について、「北尾氏は、調査結果と違うとしている」への変更なら納得して記述を認めて頂けるのでしょうか? どれもこれも反発という事であれば、永久に進みません。--Gyulfox 2010年1月30日 (土) 11:10 (UTC)
また、本文として記載のないものへの攻撃は議論を遅らせるばかりなので、回答しません。こういう風に加筆したいという具体的なセンテンスを提示して頂けるのであれば、勿論応じます。 とにかく中間結果のような提示によって方向性はうかがえましたが、方向性だけでは不十分で、加筆を含めてベストとする核心部分のゴールまで拝見しないと何とも回答できません。--Gyulfox 2010年1月30日 (土) 11:10 (UTC)
何か発言があれば以下の項目にお願いします。--Gyulfox 2010年2月5日 (金) 00:40 (UTC)