ノート:リクドウ
錯誤がありすぎます。
>高校では以前に正当防衛ながら殺人を犯した経緯から「人殺し」と呼ばれ 学校ではあくまで噂です。 それにリクは正当防衛はしていません。 正当防衛は刑法でリクは当時10才なので少年法です。 つまり殺人でありません。
>幼少期より追い求めてきた『自分の拳』にたどり着き、 辿りついてません。
>心の奥では他人から「優しい」と言われることを嫌い、 事実、優しくありません。 苗代の優しいとは、自分の言いなりになってくれるから優しいと言っているだけですね。
>ボクシングに新たな歓びを見出すようになる 135話まで歓びはありません。 好きですらなかったのに歓びなどあるわけはありません。
>リクに自分流の“エール”を贈った後、ヤクザ稼業から足を洗った。 エールでもなかでもありません。 単にリクを殴りたくなったから殴りにきただけです。
>その気持ちが「愛情」ではなく「同情」であることを察してショックを受け、その場を立ち去った 同情ではありません。
>打ち合いの中で彼のボクシングに対する崇高な精神を感じ取り、試合後は心から負けを認め落涙した。 リクはボクシングに対して崇高な精神などありません。
全面的に作品に対して私見がありすぎます。
また、キャラクタAが思っていることがキャラクタBを正しく評価していない、つまり勘違いしているのがリクドウの特徴ですが、それを無視してより良い評価のみを羅列しています。
全面改稿か削除が妥当ですね。
内容について
[編集]初めまして。 リクドウに適当なノートがないためこちらに書かせていただきます。
まず、リクドウという作品の性質について 知らない知っているの違いや、リクというキャラクタの理解度(感情移入の対象としてしか見ていないか、極端な被虐待児の典型的心理を知っているか等)から感想や読者の印象や感想が結果的に大きく異なるようになってしまう作品です。 これはおそらくリクが見て理解している世界を描くことにより発生していることかと思います。
結牙さんは普通なら〜という観点から書いており、つまり感想文になってしまっていてウィキとしては不適当な内容になってるかと思われます。 普通大多数の作品は誰が読んでもおおよそ同じ感想になるように描かれていますから、リクドウ特有の問題なんですがね。
そこで感想的内容を削除し、作内での出来事とキャラの変化だけを記述するように変更をお考え頂けないでしょうか?
私の感想ということなら リクは苗代に恋心は抱きようがありません 何故なら思春期がきていないからです リクはおそらく性的PTSDにより成熟を無意識に止めています ですから理論的、抽象的な思考が十歳児並で、言われたことをそのまま鵜呑みにします。 口に出さなくても分かるだろう、が、わかりません。 そも苗代は他人から好かれる性格してませんしリクも親しいが好きではありません。 苗代はリクに嫌がらせをやり続け、それでもリクが苗代を避けなかったから好きだ優しいと言ってるわけですから
椿は常軌を逸したお人好しの善人です なぜならリクに移籍を勧めたからです 椿は自分信用貸しで兵動ジムから馬場の言い値の移籍金を出させるから移籍しろ、と言ったわけですから 拗れ倒し感情的になる交渉も面倒見る、と ボクシング業界では移籍は事実上タブーです
まだまだありますが、ウィキには不適当な内容ですね 類推して出した内容はウィキに相応しくありませんから
以上。
Cookieone(会話) 2017年12月20日 (水) 13:16 (UTC)
追記
>所沢や後の世界チャンピオンを育てるなど指導者としての腕は確かだが、凄惨なまでに選手をしごく指導法で潰された選手も数多く、時代遅れと揶揄されている。
馬場は世界チャンプは育ててません。 所沢はおそらく馬場に育てられてませんね。 作中の関係性は所沢が馬場を引っ張っていますし、所沢はなんと馬場を呼んでいますか? つまり馬場は指導者としては何の実績もない三流の上に選手を潰す人間です。 リクは馬場のコマとしてボクシングをやらされています。 その結果が八戦で骨折四箇所、入院三ヶ月ですから 個人的意見なら、馬場のシゴキは単なるマウンティングとストレス発散と選手の自由意志を消すための手法だと疑っています 強くするためではありません
柳の協会への訴えを裏切り行為だと書くのも、主人公側が正しいという変重した見方ですね それに馬場が行った暴力行為が指導法とはどこにもまだ描かれてませんよ Cookieone(会話) 2018年1月14日 (日) 08:45 (UTC)