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ノート:ラトビア神道

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先ほどディエヴトゥリーバ記事の重複内容との指摘を受けている。ディエヴトゥリーバの記事で元々、引用されている二件の参考文献からして、自然発生的宗教であるラトビア神道とは違う、あたかも創始宗教かのようなのイメージが与えられ、ラトビア神道の中興の祖であるエルネスツ・ブラスティンシュをゼロからの創始者として、それがあたかも新興宗教かのように描かれている問題点が挙げられる。「ラトビア神道」はラトビア語におけるLatviskā dzīvesziņa、Latviskā dievestība(Latviešu dievestībaとも)、その制度化された継続であるDievturība及び宗教法人「ラトビア神道本庁」を併せ包括する広義用語である。其々の狭義用語である国家神道、神社神道、教派神道、制度化されていない民俗神道を全て包括する広義用語「日本神道」と同様である。この記事の内容を狭義用語ディエヴトゥリーバの記事の中に組み込んでしまえば、本末転倒と歪んだ印象が与えられる恐れがある。従って、ラトビア神道の記事内容を分離統合することなく独立記事として現状維持することを提案する。--Ratobiajin会話2019年1月29日 (火) 23:41 (UTC)[返信]

  • コメント まず、記事についての質問ですが、出典の「ウギス・ナステビッチ (2019年). “ラトビア神道とは”. Dievturu Vēstnesis 29」というのは書籍ですか?論文ですか?これについて当たることができないので「ラトビア神道本庁」という日本語訳が正式名称なのかあるいは定訳として適当なのか判断つきません。次の節の出典となっている「今智子 (2017年). “ラトビアに神道あり”. Discover Japan 69: 89-95.」ですが、 Discover Japan の69号の該当ページは日本の孤島の特集ページであり、ラトビアの民間信仰とは特に関係ありませんでした。単なる誤りであれば出典を付けなおすか同名の資料なのであれば、判るようにしてください。その次に「ラトビア神道20%」としている情報の出典は旅行会社のブログであり、出典には不適当であり信頼できません。YouTubeの動画が出典とされていますが、これは日本語で解説されているものではなく、「スカンダワ神社(Skandava)」という訳語がどこから出てきたのか不明です。文献のほうは最初で述べた通りです。「Latvijas Dievturu sadraudze」のサイトオーナーがウギス・ナステビッチなのが気になっているのですが、日本語で「ラトビア神道本庁」と主張する宗教団体と密接な関係があるのでしょうか。(おそらくラトビア神道という日本語を考え出したのもナステビッチであろうなあと思うのですが…)
一般的に「ディエヴトゥリーバ」として知られている信仰活動の中に「ラトビア神道」という団体があるのではないかと考えています。作家の河添恵子『日本とラトビアを結ぶ「神道」』に「新潮45 431」とありましたので、当該の「新潮45 2018年3月号」を確認しました。ナステビッチへのインタビュー記事であるpp.110-117のうち、ラトビア神道について触れられているのはpp.115-116の箇所でした。これを読むと「ラトビアは古来から「ラトビア神道」と呼ばれる、自然崇拝に基づく多神教信仰だった」とあります。しかしながら、これでは単にナステビッチが(本記事の定義Dievturībaとある通り)Dievturībaと呼ばれる古来からのラトビアの民間信仰を言い換えているだけです。
現在のように単に民間信仰として説明するのであれば統合したほうが良いと考えますが、ナステビッチが関連するラトビア民間信仰を基にした宗教団体や制度化した「ラトビア神道」ないし「ラトビア神道本庁」の記事としてなら多少は理解できるので、冒頭の定義で宗教法人ないし宗教団体とするのであれば、独立した記事としても良いかもしれません。--Strangesnow会話2019年1月30日 (水) 12:20 (UTC)[返信]
  • コメント ご質問ありがとうございます。一)学術雑誌「Dievturu Vēstnesis」(ISSN:2661-5088)29号で掲載された論文です。同論文でも「Latvijas Dievturu sadraudze」公式ホームページ http://dievturi.blogspot.com/2019/01/latvijas-dievturu-sadraudze-dazadas.html でも「ラトビア神道本庁」が日本語における公式名称として採用され、明記されています。二)今智子著の記事が69号ではなくその次の70号にあることを改めて確認して、番号の誤りだったので、ご指摘のとおり更新すべき点です。三)スカンダワ神社(Skandava)に関しては、該当文章の引用元のもう一つとしてある前述の論文でも http://www.dievseta.org/par-dievsetu/ でも記述があります。「Latvijas Dievturu sadraudze」のサイトオーナーは宗教法人であり、個人ではありません。「ラトビア+神道」からなる複合語の由来につき諸説があるようですが、ラトビア人の民族宗教の名称の定訳として、(ネット上では少なくとも2010年から、例えば:http://kinokokumi.blog13.fc2.com/blog-entry-323.html )、永らく定着し通用されているものです。四)431号もその他の号もこちらでは通巻の表記であり、ご指摘のとおり2018年3月に当たるものです。五)ラトビア神道という広義名称がDievturībaとその宗教法人を包括するものです。--Ratobiajin会話2019年1月30日 (水) 18:10 (UTC)[返信]
ご回答有難うございます。以下、確認した内容です。
  • 『Dievturu Vēstnesis Nr.29』(p.1402)のウギス・ナステビッチ『ラトビア神道とは』を確認しました(参考)。そこでナステビッチは「「ラトビア神道」とも称されるDievtriba(ディエヴトゥリーバ)は、…」と明確に述べています。それに続く内容は「ラトビア神道」=ディエヴトゥリーバとしたうえでの解説でしょう。
  • 『Discover Japan 70 (2017年8月号)』(pp.89-95) でウギス・ナステビッチ監修(文=編集部となっています。今智子名義は見当たりませんでした)による「ラトビア神道」を紹介する記事を確認しました。ちょっと気になったのですが、ナステビッチ以外にディエヴトゥリーバをラトビア神道と言い換える例はあるのでしょうか。とはいえ、雑誌記事を2つ確認しましたので、ディエヴトリーバの訳例として「ラトビア神道」があることは納得しました。
  • 「ラトビア神道本庁」についてはその詳細が(公式サイトがblogspotなのも??となっていることもあり)不明なのですが、単独で立項できるほどの特筆性はないように思えます(二次資料が明らかになればその限りではありません)。
(訳語を考えたであろう)ナステビッチ自身がラトビア神道をディエヴトゥリーバの別名としておりますし、ディエヴトゥリーバと統合した上で、記事名を改名するか併記とするか議論した方が良いのではないでしょうか。--Strangesnow会話2019年1月31日 (木) 04:53 (UTC)[返信]
コメント (Rvについて) 現在、ラトビア神道の定義文にラトビア語でLatviskā dievestība, Latviskā dzīvesziņa, Dievturībaとあります。先日利用者:Turaids会話 / 投稿記録 / 記録さんによって定義からDievturībaが除去されたので、取り消したので説明をします。私はラトビア語がわからないので翻訳や辞書に頼っていますが、この記事とWikidataでリンクしているlv:Latviskā dzīvesziņaでは(不正確な訳でしょうが)概ね次のように書かれています。
Latviskā/latviešu dzīvesziņaはラトビア憲法序文にも含まれている価値観の一つで、ヨーロッパ文化圏においてのラトビアのアイデンティティを示す形。latviešu dzīvesziņaの概念について最初に言及されたのは1938年2月1日に発行された"Skolu Dzīve"紙上でのことで、詩人で記者の Leonīds Breikssの記事Par jaunatni — jauno tikumu nesēju. Pārdomas par latviešu dzīves ziņuによるものだった。(中略)1930年代終盤、ラトビア社会ではこの概念の理解と整理が進められ、国家の成長の要素の一つとして統一され、ラトビア文化に関わる職業人や学者がラトビア文化史や民族芸術、工芸品や詩文、音楽の研究を行った。(以下略) — ラトビア語版Latviskā dzīvesziņaの抄訳、lv:Latviskā dzīvesziņa
現在、このラトビア神道では民族宗教についてだけ説明されており、ラトビア語でのLatviskā dievestība, Latviskā dzīvesziņaと直接的に結びつけるのは不適当で「ラトビア神道」で説明されている内容はほぼ「ディエヴトゥリーバ」で説明するべき内容であり、ラトビアのアイデンティティ復興運動である「Latviskā dievestība」については別の内容になるのではないか、と考えています。宗教に加えて、詩歌や古典や工芸品をひっくるめて「ラトビア神道」としてしまうのは少々強引ではないでしょうか。--Strangesnow会話2019年2月25日 (月) 07:50 (UTC)[返信]
Unfortunately I do not speak Japanese, but I will try to respond based on the things I was able to understand with Google Translate. "Latviešu dievestība" is a descriptive name that literary means "Latvian religion", so claiming that Dievturība is also known as "Latviešu dievestība" would be like claiming "Japanese religion" is a synonym of "Shinto". Also it is not a good style to use other Wikipedia pages as references. I cannot directly comment on the parts that are in Japanese, but the aforementioned mix-up makes me suspect that it also might not completely accurate. –Turaids会話2019年2月25日 (月) 19:09 (UTC)[返信]
返信 Im not sure you caught my japanese comment. I said that the japanese article (this page) that only explains about the religion style must be merged with Dievturība(ディエヴトゥリーバ) if Dievturība is also known as Latviešu dievestība (Latvian religion, ラトビア神道). And if the word "Latviešu dievestība" has a different meaning (eg an identity recovery movement), this page should explain it. but now its not. Of course I would not like to use another wikipedia page as references. You changed this page and used Latvian page as a source on history comment. I explained the difference between the japanese article and the Latvian article. It was the comment the reason for reverting. --Strangesnow会話2019年2月26日 (火) 01:29 (UTC)[返信]
横から失礼します。日本語版のディエヴトゥリーバを最初に翻訳した者です。ディエヴトゥリーバというのはあえて(当事者の意図を無視して)意訳するなら「ラトビア神道復興運動」とでもいうようなもので、宗教そのものとは別物を指すものではないでしょうか。その意味では両者を分離するべきというのは正しいでしょう。ただ、もしそうするならディエヴトゥリーバの宗教面の内容を完全に削ってこちらに移さなければいけません。結局のところ、現代の「ラトビア神道」はディエヴトゥリーバ運動の支持者の主張以外にソースがあるわけでもありません。だからラトビア語版を除くほとんどの言語版では「ディエヴトゥリーバ」に情報を集約し、lv:Latviskā dzīvesziņaに対応するページは作ってこなかったのでしょう。これが世界的な「ディエヴトゥリーバ」と「ラトビア神道」に対する認識ではないでしょうか。
ところで、以前Strangesnowさんが提起しているように、私も「ラトビア神道」という訳語に疑問を持っていました。そこにTuraidsさんがコメントしてくれたおかげで、その疑念の原因が分かったような気がします。日本の「神道」は他との境目が曖昧であるとはいえ一つの宗教グループであり、必ずしも「日本古来の信仰」と同義ではないと思うのです(「日本神道」という言葉は「日本の神道という宗教」という意味であって「世界中にある神道のうち日本にあるもの」という意味はありません)。ですから「ラトビアの民族宗教」を「ラトビアの神道」と呼ぶのは奇妙ですし、「八百万の神」「氏子会」「神社本庁」といった神道用語をそのまま用いるのも違和感があるのです。比較宗教学的には面白い試みですが、当事者たちがわざわざその語を選んだ例がない以上、あまりよろしいことではないと思います。
Excuse me for cutting in. I'm the first editor of ディエヴトゥリーバ. I thought Dievturība is just one religious revival movement, so it's not same as "Latvian traditional religion" which is described in ラトビア神道. Thus I don't oppose dividing those two articles, but we should remove religious description from ディエヴトゥリーバ to ラトビア神道. For now almost all explanation of Latviskā dievestība are made by Dievturība "movement", so almost all languages in Wikipedia comprise all contents in en:Dievturība. There was no language which writes about Latviskā dievestība without Latvian Wikipedia. It seems the worldwide recognition for Dievturība and Latviskā dievestība.
By the way, I have my doubts about the word "Latvian Shinto"(ラトビア神道) as Strangesnow said above and I might found the cause of the question in Turaids's comment. First of all, Shinto means just one religious group in Japan, so it isn't always the synonym of "Japanese traditional faith". Though there is a word "Japanese Shinto"(日本神道), it means "a religion, which is believed in Japan" so the understanding "Shinto means whole traditional animistic religion type, so Latvian Shinto should exists as Japanese Shinto" is incorrect. Therefore, it's strange to call Latviskā dievestība "Latvian Shinto", and Japanese Shinto's proper nouns such as 八百万の神, 氏子会, and 神社本庁 shouldn't be used for Latvian religion. This is very interesting for comparative religion, but I also think those words shouldn't be used in Japanese Wikipedia, as we haven't found the examples which formal organisations of Latviskā dievestība or Dievturība call themselves "Shinto".--McYata会話2019年2月26日 (火) 02:04 (UTC)[返信]
コメント McYataさん。コメントありがとうございます。いまいち理解しきれていないので教えていただきたいのですが、私は「Latviskā dzīvesziņa」は最初は宗教団体か民族宗教そのものを指すと考えていたのですが、調べていく結果、ラトビアの民族宗教復古運動と訳すのが適当で、Dievturībaが宗教活動を指すのではないかと考えるようになっていました。ウギス・ナステビッチによる資料を見ると単に、Dievturībaをラトビア神道と言い換えているだけに読めましたので……。McYataさんの意図としては、ディエヴトゥリーバという活動のなかで復興されたのが「ラトビア神道」と呼ばれる復古宗教という意味で受け取りましたが、合っていますか?ただ、民族宗教復古運動で復興されたのか「ラトビア神道」だけならばやはり2者が分離しているのは不自然じゃないかなあと思っています。McYataさんの仰るとおり、統合しないとしても整理が必要なのは間違いないでしょう。--Strangesnow会話2019年2月26日 (火) 03:35 (UTC)[返信]
(追記)DievturībaとLatviskā dievestībaの関係が、言い換えれば「神道」と呼ばれるうちの「日本(で信仰される)神道」くらいの感覚なのであれば余計に違和感があります。ラトビア以外の近隣で「ディエヴトゥリーバ」と呼ばれる神道ないし宗教が復古していないなら(そもそもラトビアにしか存在しなかった民族宗教なのかもしれませんが)、やはりそれは「ラトビア神道」ではなく「ディエヴトゥリーバ」として民族宗教を説明するのが適当ではないかなと思うのですが・・・・・・。--Strangesnow会話2019年2月26日 (火) 03:53 (UTC)[返信]
コメント 私も門外漢なので確かなことは言えませんけれど、Latviskā dievestībaが「ラトビアの古い信仰」という包括的な言葉で、Dievturībaこそが近代に復活/創造された復古宗教/新宗教なのかなと考えています。まず歴史上の前提として「キリスト教化以前のラトビアに何かしら別の信仰があった」ことは事実だと思います。その時には神殿や独自の神々がいたのでしょうし、実際にそれが信仰されていたのでしょう。しかしそれがキリスト教などと対等な「宗教」であるという認識は後世作られたものです。この「ラトビア人の古代の信仰、価値観、文化」をざっくり言うための言葉としてLatviskā dievestībaがあるのだと思います。この点では確かに日本の「神道」とは似た概念と経緯を持つ語なのだと理解しています。ただ日本の神道と決定的に違うのは、ラトビアの信仰は中世のキリスト教化でいったん息絶えてしまっているという点です(当記事を執筆された方には受け入れがたい説かとは思いますが)。これを20世紀に入って「復活」させよう、という運動が出てきたわけですが、Dievturībaとはこの宗教復興運動(言ってしまえば典型的なネオペイガニズムであり、古代の信仰と同一であるという客観的な保証が無い)のみを指すものと考えられます(これはディエヴトゥリーバのラトビア語版ですら明言していることなのですが、日本語版では削除されてしまいました。)はっきり言って、両者を区別するか否かは「ディエヴトゥリーバ」の正統性を認めるかどうか、「ディエヴトゥリーバ」の主張を全面的に受け入れるかどうかという根本的な宗教議論にかかっていて、日本にいる我々部外者の手に負えない問題ではないんじゃないかと思うのです。特に、ディエヴトゥリーバと関係が深そうな方が日本語版にいらっしゃってる現状では・・・--McYata会話2019年2月26日 (火) 15:32 (UTC)[返信]
返信 何となくですが理解できてきました。ありがとうございます。主題についての資料が少なく、日本語の資料が有ってもほぼウギス・ナステビッチに関連するものばかりなので少々諦めかけていますが、気長に資料を探してみたいと思います。--Strangesnow会話2019年2月27日 (水) 00:54 (UTC)[返信]

昨日から240d:2:2a0c:3a00:71fe:94cd:38c4:da9dによる事実を曲解した追記の内容が、根拠や出典元に一切基づかず、間違った情報を述べていたので、従来の内容に取り戻した。ネオペイガニズムも第二次世界大戦後の現象にのみ当てはまり、女神運動とも無関係のラトビア神道に当てはまらない。ラトビア土着の民族宗教が1920年代に制度化と包括宗教法人の設立を経て、ソ連占領下のラトビアでも海外諸国での共同体でも絶えずに継続しており、1980年代以降創唱・創作されたものなどではない。故意なる虚構編集の氾濫が大丈夫なのか。--Ratobiajin会話2020年7月30日 (木) 16:25 (UTC)[返信]

コメントラトビア共和国法務省のデータでは、ラトビア神道の信徒数は約700人しかいないのに、「世論調査でラトビア人の20%がラトビア神道を信じてる」なんてwikipediaに書いちゃって、いいんですか?ウギスさん?何が「虚構編集」ですって?--240D:2:2A0C:3A00:71FE:94CD:38C4:DA9D 2020年7月30日 (木) 16:46 (UTC)[返信]
(追記)すみません名前を間違えました。Ratobiajinさん、せめてここは直すべきでしょう。--240D:2:2A0C:3A00:71FE:94CD:38C4:DA9D 2020年7月30日 (木) 16:51 (UTC)[返信]
ご丁寧にご返信ありがとうございます。700人というはラトビア神道本庁包括下の各氏子会に会費を納め正規に属している人数であるが、ラトビア神道が他の宗教のように組織への正規帰属を要件とせずに、正規氏子でなく家庭内又は個人でラトビア神道家でいる方々が遥かに多く、それらの相対数を垣間見せるのが上述の調査です。建設的で実状を表す情報を伝達する記事ができればと思います。ご参考までに。--Ratobiajin会話2020年7月30日 (木) 17:07 (UTC)[返信]
コメント議論とは関係ないですが、独学でこの水準まで日本語を上達するのにずいぶん苦労されたと思います。--240D:2:2A0C:3A00:71FE:94CD:38C4:DA9D 2020年7月30日 (木) 17:39 (UTC)[返信]
(追記)「ラトビアにおける宗教アイデンティティ」世論調査に関して、「教えてGoo」に自分で書いたヨタ話をロンダリングしてwikipediaの出典にするような人とは議論にならないので、この記事に関わることはもうやめます。しかし、ラトビア法務省の宗教年鑑で、日本の新宗教の崇教真光が取り上げられているのもびっくりしましたが、ラトビアの新宗教が日本に進出して、しかも「ラトビア神道本庁渉外担当理事」と称して日本の神道系大学の講師をしているなんて言うのもびっくりしました。ポスト・ソビエトのラトビアにおける表出の一つとして、調べれば調べるほど面白かったです。ただラトビア語の記事を翻訳しながら読むのも面倒でしたので、ウギス先生自身が日本語で新書を執筆して頂きたいです。ソビエト後の異教復興運動に当たってなんでわざわざ日本の神社神道を…じゃなかった、古代のラトビアになんで日本の近代神社神道とよく似た世界観が存在したのか、気になります。--240D:2:2A0C:3A00:159B:EF56:4B1D:AE1E 2020年7月31日 (金) 15:13 (UTC)[返信]