ノート:ライシテ
--220.211.149.222 2021年5月14日 (金) 12:53 (UTC)
この「ライシテ」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2018年8月11日 | 良質な記事の選考 | 不通過 |
言語間リンク修正のお願いと質問
[編集]言語間リンクで修正をお願いします。現在、日本語版ライシテはフランス語版へのリンクではLaïcisme(ライシズム)となっていますが、fr:Laïcitéの方がリンクとして正確です。ライシテはフランス語Laïcitéの片仮名表記であること、また、日本語版ライシテではライシズム記事がないため、LaïcitéとLaïcismeを分離せずに総合して解説されていますが、フランス語版においてライシズムはライシテの子記事というべき内容になっています。
一方、fr:Laïcitéの日本語版リンクは世俗主義となっていますが、これは英語版でen:Secularismリンクになっていますが、ライシテの方が正確です。
なお、英語のen:Secularismがフランス語版でfr:Laïcitéとなっています。日本語版世俗主義はこれを踏襲したものでしょうが、英語版にはライシテ記事がありますが、これはフランス語版フランスにおけるライシテにリンクされています。
ややこしいので一覧にします。
日本語版 | フランス語版 | 英語版 |
---|---|---|
ライシテ | fr:Laïcisme | ☓ 記事なし |
世俗主義 | fr:Laïcité | en:Secularism |
☓ 記事なし |
fr:Laïcité en France(フランスにおけるライシテ) | en:Laïcité |
日本語版 | フランス語版 | 英語版 |
---|---|---|
ライシテ | fr:Laïcité | |
世俗主義 | en:Secularism |
- 現状の言語間リンク
- 日本語版ライシテ→英語版リンクなし。フランス語版fr:Laïcisme
- フランス語版fr:Laïcité→日本語版世俗主義
- 日本語版世俗主義→英語版en:Secularism→フランス語版fr:Laïcité
- 英語版en:Laïcité→フランス語版fr:Laïcité en France(フランスにおけるライシテ)。日本語版リンクなし。
- 修正案
- 日本語版ライシテ→フランス語版fr:Laïcité
それとも、英語版en:Secularismがフランス語版fr:Laïcitéにリンクしてあるため、修正できないのでしょうか?--121.107.209.16 2017年7月13日 (木) 15:40 (UTC)
- 現在「ライシテ」はd:Q728697、「世俗主義」はd:Q216920、日本語版記事無しの「フランスにおけるライシテ」はd:Q3220111で管理されています。
- 提案の方法で変更を加えようとすると、他言語版に多大な影響を出す(これではfr:Laïcismeが宙に浮くため、言語間リンクに齟齬が発生する恐れがある)と考えられます。今、「ライシテ」のQ728697でリンクされている日本語版とフランス語版以外が「ライシテ」が意図する「ライシテ」を指しているのか、「世俗主義」のQ216920でも同様かを確認しないと手が出せません。単語だけで見れば、おそらくフランス語版の「fr:Laïcisme」と「fr:Laïcité」を入れ替えればよいとは思うのですが。--アルトクール(会話) 2017年7月13日 (木) 16:20 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。ライシテと世俗主義、そして政教分離については近い概念でありながら単語として違い、用法も違ったりで厄介な言葉ですので、各国語版でも混乱があるのかもしれませんね。私には手が出せない世界なので、管理者様の方で気が向いたらでいいですので、修正してくださると助かります。--121.107.209.16 2017年7月14日 (金) 14:36 (UTC)
§年表の整理について
[編集]本記事の§年表(直近の加筆が行われる前の§歴史)が16世紀から開始していますが、現在の本文記述は時間的にはフランス革命期以降の話となっており、記事本文と§年表の間できちんと対応がとれていない状態となっています。本文で直接言及されないフランス革命以前については削除した方が記事としてはまとまりが良いと考えますがいかがでしょうか。何かご意見等あればコメントいただければと思います。しばらく待って何もコメントがつかない場合には削除を実施したいと思います。なお、削除を実施した場合でも、本文の記述がフランス革命以前に及んだ場合に年表が再度記載されることを妨げるものではありません。--TEN(会話) 2018年8月17日 (金) 19:25 (UTC)
- 一週間以上経過し、特に意見がつかなかったため上記のとおり実施しました。--TEN(会話) 2018年8月28日 (火) 06:56 (UTC)
どうも雑多です
[編集]フランス語版記事を参考にしているので削除を取り消しましたが近年の動向とか事件とかは年表で十分だし、何らかの人物の思想はその人物のページにだけ書けば十分なのでは…。Yalel--Yalpel(会話) 2021年5月8日 (土) 07:11 (UTC)
以前の記事、特に「左派内の対立」の部分が明らかにライカールや右派の側の主張そのままで中立性がありません。イスラム左派イスラモ・ゴーシストを挙げたフィガロ・マガジンは右派の週刊誌ですがそれを左派内の対立を反映したものとするのはおかしい。しかも誰が挙げたのかすらも私が編集するまで載っていませんでした。エマニュエル・トッドは今でも同化主義者であり、学校でのイスラム・ヴェール着用禁止はポジティブな一歩だとすら言っていたのでイスラム左派イスラモ・ゴーシストだとは言えませんしこの記事がたびたび依拠しているジャン・ボベロすらもイスラム左派イスラモ・ゴーシストということになるそうです。分断を煽る共同体主義、人種主義、反ユダヤ主義、ホモフォビアのイスラム左派イスラモ・ゴーシストのライシテ論に依拠してこの記事は編集されていたのでしょうか。存命人物に対しては慎重にならなくてはいけなかったのではないでしょうか。“「(啓蒙主義の)ヴォルテールよりはむしろ(植民地主義批判の)フランツ・ファノンであり、支配者・被支配者や蒙昧主義に対抗するライシテではなく、植民者の子孫か被植民者の子孫かという図式で論じている。”“こうした共同体主義的発想は、必然的にマイノリティ間の対立を生む」”とか“「マイノリティだが影響力の強い」”とか特定の誰かの発言をまるで皆が言っているかのように書いているのも中立性に欠けます。エリザベット・バダンテールがライシテについて一貫していると書いていますがそれは編集した方の意見です。彼女の記事にもそういう記述があり私が削除しました。あえて私の意見を言わせてもらえば、彼女が擁護した男子割礼はフランスの民法16条に違反していないかかなり怪しいです。
シラク以降の大統領の発言やそれに対する批判なども誰かの発言や報道の寄せ集めになっていました。法的・制度的な変化をもたらしていないようなものはその大統領のページにでも書くべきです。 ライシテが争点になった事件や訴訟をあそこまで詳しく書く必要もありません。そういう判例があるという事実だけで十分です。あるいはライシテの歴史という記事でも作ってそちらでやるべきかと。Yalpel--Yalpel(会話) 2021年5月14日 (金) 08:20 (UTC)
例えばフランス語版wikiのイスラモ・ゴーシズム記事にはその概念自体への批判的な見方がちゃんと載っています。しかもこの言葉を初めて使ったピエール・アンドレ・タギエフすらも意味が曖昧になってしまったと嘆いているそうです。そういうことは一切載せずに「イスラモ・ゴーシスト」が実在し、フィガロ・マガジンが挙げた人間がイスラモ・ゴーシストであり、彼らが差別主義者であると、そういう印象を与えてしまうような内容になっていました。繰り返しになりますが中立性や存命人物への慎重さといったものを考慮するべきです。そもそもこの記事はライシテの記事ですので、イスラモ・ゴーシズムの記事でも作ってそちらでやるべきです。--Yalpel(会話) 2021年5月14日 (金) 09:22 (UTC)
220.211.149.222は間違いなく私です。--Yalpel(会話) 2021年5月14日 (金) 16:18 (UTC)