ノート:ユダヤ教関連用語一覧/本文から移動した文章
本文から、長すぎる文章をスタイルを調整して移動しました。 -- SGreen 2006年8月10日 (木) 03:44 (UTC)
用語
[編集]- アミーダー、アミダー(立祷) en:Amidah (18の祝祷, Shemoneh Esreh)
- 一日の三度の祈りでこの順番に唱える。哲学性はないが、聞きなれたものであり、ユダヤ教の教義面での要素のようにも考えられている:
- アブラハムの保護者
- 死者をよみがえらせる(改革派ではこの言葉は廃止している)
- 聖なる神
- 知恵の管理者
- 悔い改めを望む
- 惜しみなき許し
- イスラエルの贖い主
- イスラエルの民の病を癒してくださる
- 一年を祝福してくださる
- 散り散りになったイスラエルを、まとめてくださる
- 義と正義を愛する王
- 邪悪な敵を打ち砕き、邪悪で高慢なものを謙虚になさる
- 義なるものの擁護者にして避難所
- エルサレムを再建される
- 購いの力を現わしてくださる
- 祈りを聞き届けてくださる
- シオンへの顕在を再建される
- 善はあなたの御名である。そして、 感謝を捧げるのがふさわしいのは、あなたに対してである
- イスラエルを平和で祝福される
- 行為、行動
- ‘ălīlāh / p‘ullāh, pō‘al / ‘ăśiyyāh, ma‘ăśeh / hithnahăgūth
- ユダヤ教では、信仰などよりも非常に重点の置かれることである。ミツワーを実行せずに信仰のみを重視するような人は、よきユダヤ人とは言えない。また、狂信や排他主義、原理主義(根本主義)は、真のユダヤ教とは全くなじまない。
- シェオール en:Sheol:黄泉、冥土
- ユダヤ教では天国、地獄の二元論はない(聖書に一言も登場しない)。
- ユダヤ教では現在どの派でも、死後、さらにメシア、死者の復活、最後の審判、最後の日といった、証明のしようがなく現実感の薄い信仰は、中心的なものとはなっていない(否定されたわけではない。例えば、肉体は死んでも魂は死なない、というような考え方は非常に現代でも通用するものと思われる)。
- なお、メシアの再臨思想はキリスト教徒が勝手に造ったものであるという考え方がある。
- シュテットル、シュテートル、シュテテレ(東欧コミュニティー史)
- ユダヤ人村、ユダヤ人集落、ユダヤ人村落共同体
- ロシア帝国領となってからは、キエフなどの大都市にはユダヤ教徒差別化政策による居住制限があったが、ただしこれらの一体の地域には11世紀からドイツ語圏からのユダヤ教徒の移住は始まっていた。リトアニア政府は大規模な招聘を行った
- 信仰、信条、教義
- キリスト教やイスラム教と違い、行為・行動やミツワーよりも信仰を重視する考えはユダヤ教にはない。ミツワーと行動、それらの学究が先行し、その上での個人レベルでの信仰が推奨される。また、ユダヤ教にはキリスト教と違い特定の教義が存在しない
- タシュリーフ en:Tashlikh言葉
- לְשָׁנָה טוֹבָה תִּכָּתֵבוּ וְתֵחָתֵמוּ
- כְּתִיבָה וַחֲתִימָה טוֹבָה
- גְּמַר חֲתִימָה טוֹבָה
- שָׁנָה טוֹבָה
- šānāh t‘ôbhāh, shono t‘oyve 「新年おめでとう」
- パレヴェ/パルヴェ、パレヴ en:Pareve, parve, イディッシュ語 parev
- 肉類と乳製品を含んでいない食品。野菜や卵、市販のパルヴェのケーキや飲料といったもの。乳製品でも肉でもない、したがって乳製品や肉と一緒に食べられる食品。肉の卵とじ、肉と野菜の炒めものといった類は食べられる; 仏教と同じく菜食主義的な部分があり、肉食をできるだけ避けようとすることがある。なお、肉と乳製品は死んだものと命を一緒に食べることになるので、一緒に食べない
- ラーメド・ワーウ・ツァッディーキーム / ラメド・ヴォヴニク lamedh-waw tzaddiqim / lomed-vovnik
- 世界を支えている36人の匿名の義人 en:Tzadik のこと。例えばイディッシュ民話などでは、深夜、人知れず大勢のユダヤ人を招き聖書・ラビ文学の研究と夕食会を開く、隠れたユダヤ教徒として描かれる。36人によって世界が破滅を免れている、という言い方もされる。更に深い解釈が求められる。あなたの隣にいるかもしれない。
反ユダヤ主義
[編集]- 反シオニズム
- 反シオニズムは理論上も実際上も反ユダヤ主義の一種といえる。反イスラエル(の政策)を偽装した反シオニズム、反ユダヤ主義まで存在する。シオニズム思想が存在する以上、それに反対することは反ユダヤ主義の一種であり、イスラエルが建国された以上、それに反対することも反ユダヤ主義の一種である。
- 反シオニストによる、「2000年前に(実際にはイスラエルの地のコミュニティーと、その地との関係は途絶えたことなどなかった)追われた人が」とか、「移住者(帰還者のこと)はヨーロッパ人であった」とか、シオニズムはヨーロッパで始まったとか、「その移住者は「アシュケナジム」という民族である(そういう民族は存在しない)」とか、「だから植民地主義、差別主義、オリエンタリズムと関係がある(関係があるわけが無い)」とか、「ユダヤ人はユダヤ教徒に過ぎない」「「アシュケナジム」は白人である(血によってユダヤ人となるわけではない)」、「「シオニズムが始まる以前」は平和に共存していた」、「シオニストは、パレスチナの地が無人の土地と思っていた」といった言い回しの、デマ情報がそれである。
- その背後に見えるのは、近代シオニズムへの非協力と、反ユダヤ主義や、イスラエルの地に帰還したユダヤ人を狙ったテロリズムを奨励し、平和条約締結の拒否とアラブ・ナショナリズムを正当化し、ユダヤ教とユダヤ人の価値を貶め、ユダヤ人社会とユダヤ人の民族解放運動であるこの潮流を無視し、1500年間ユダヤ教徒がイスラム教徒から受けた2級市民以下の地位と、キリスト教徒から受けた悲惨な差別を無視するという思想である。
- また、どのような帰還者も、住んでいた場所の文化を引き継いでくるのが普通だが、反シオニストはそれですら欧米を敵視する思想、すなわち欧米資本、植民地主義などと結びつける。
- ハニーフ en:Hanif の利用
- 様々な、シオニズムを無理なもの・不可能なものに見せ掛ける作戦。シオニズム思想・理論を稚拙なものに思わせる作戦。アラブ人過激派によるテロや虐殺は、パレスチナにおけるアラブ人人口もユダヤ人人口も少なかった時代から続いている。また、シオニズム思想・理論・歴史や紛争をパレスチナに居ない外国人・異教徒の立場から語ること自体が間違っている。アラブの戦争を正当化し、イスラエルの合法性、その歴史と文化・人命を否定・軽視するための思想であることに変わりはない。更に、反ユダヤ主義者は反ユダヤ主義と反シオニズム・反イスラエルを区別したがり、関係ないと言い張ろうとする。
- 反イスラエル Anti-Israel, Israelophobia
- 反イスラエル妄想例: インティファーダ(すでに自治区があるにもかかわらず、イスラエルに静かな宣戦布告をし、「占領地」(実際は主権地、管理地、紛争地域)の地位を非合法化し、国際社会を反イスラエルに向けようとする作戦。実際、ガザ撤退以降、半数以上のイスラエル人がユダヤ・サマリアからのこれ以上の撤退に反対している。無差別テロ、つまりパレスチナとアラブ諸国の攻撃の停止が先) / アッバス議長はイスラエルとの協力者であるとか、ハマスのパレードで爆弾が爆発したのはイスラエルの攻撃によるものであるとか、アラファト議長の死は暗殺によるものであるとか、「聖戦」としての殉教攻撃、さらにアメリカとイスラエル関係で言えば「一辺倒」理論、その原因としての「アメリカのユダヤ人ロビー」の存在をあげることや、選挙論などの様々な陰謀論的な考え方。イスラエルに罪を着せ、イスラエルを敵視する思想は、全て現在のパレスチナとアラブ世界において起きている、妄想的な反ユダヤ主義の一種である。
- このような反イスラエル喧伝としては、戦時下にあることを省みず、「迫害されたものが迫害する(どう見ても倒錯。この裏にあるのは、ユダヤ教徒がされたことをさらにそのままユダヤ人に裏返した反ユダヤ主義宣伝に過ぎない)」「○国のお墨付き」「一線を越えた」という言い方がよくされる。ユダヤ・サマリアとガザなどは紛争地域であり、インティファーダは代理戦争である。インティファーダが独立運動ではないのは、パレスチナという実態も国家も歴史上一度も存在せず、また和平状態が達成されたこともなかったからである。
- このように、反シオニズムや反ユダヤ主義は、人間は物質的素性しか持たないとする無神論と関係がある。また、ユダヤ人はユダヤ教によってユダヤ人たらしめられるのだから、ユダヤ教不在のシオニズムには大きな問題がある。またこの紛争に、あまりに巨視的な見方はそぐわない。
- 人種差別論(アパルトヘイトと同じ論)、「ナチスと同じ」論
- アパルトヘイト、ナチスの場合=発端がそもそも宗教的、よりもっとは政治的・歴史的な排斥思想と人種差別、反ユダヤ主義やホロコーストは、ユダヤ人が異教徒の妄想の対象となった。
- パレスチナの紛争=ユダヤ人の祖国、宗教性(であり民族性)の無視、発端がアラブ人指導者の過剰反応と反ユダヤ主義、戦争、ユダヤ教への無知、紛争とその歴史自体への無知、経済問題などの内部事情、その他諸々、根本からして性格が違う。また、少し考えれば、何とでも歪曲できることに気付く)といった様々な中傷と、非常に攻撃性を持った妄想的な世界
- 植民論には、何ら民族的な意味、宗教的な意味が含まれておらず、イスラエルの地とユダヤ人・ユダヤ教とその歴史との関連を断とうとする考えであることは明確である。
- 実際にイスラエル人を敵視し、(市民の居住地を問わず)テロなど様々な暴力によって市民を無差別に殺害することに加担しながら、それは反ユダヤ主義者ではなく、聖戦を遂行する者・抵抗運動であるという主張することは、現在実際に起こっている大きな嘘であり、反ユダヤ主義的な核を持つ大量虐殺の一例といえる。
- また、マスメディアは、イスラエルの攻撃がなければテロが起きないかのような書き方や、イスラエルが強者であるような書き方(一例を挙げれば「占領」は打って付けの宣伝材料である)、反ユダヤ主義が起きていないかのような報道の仕方をする。またアラブ諸国、アラブ文化研究者は実際に反ユダヤ主義政策をとっている。このように、反シオニズム・反イスラエルは、パレスチナのアラブ人がユダヤ人社会を同胞視しないこと(ユダヤ・サマリアとガザの「占領」後もパレスチナの地のユダヤ人社会を同胞視をしていれば問題など起きないはずである)、異教徒の論点が数年の戦争に目を奪われてしまっていることに大きなポイントがある。また、反ユダヤ主義者は「イスラエル」と「(パレスチナの地における)ユダヤ人社会」を都合よく使い分ける。
- 自らを点検するような精神(cf.hithpallel;祈る)と、「反イスラエル」(多種多様な偏見や、反ユダヤ主義の偽装を多く含む)は全く別物である。
- シオニズム、イスラエル不要論
- ユダヤ教とイスラエルの地、その他諸々の歴史の無視・無知、何より人命の軽視。ユダヤ人を敵視し、ユダヤ人とユダヤ教の価値を貶め、イスラエルの地におけるユダヤ人の活動に意味を見出していないことに変わりはない。
- 非ユダヤ人による、ユダヤ人内部における非シオニズムの利用
- 例えば、反シオニズム宣伝のためのナートーレー・カルターなどの利用など:
- ユダヤ教と「ユダヤ人」の中に価値観をめぐって様々な意見があることは自然なことであり、民主主義的精神とも共通するものがあるが、異教徒・異民族による反シオニズムは反ユダヤ主義と関係がある。
- 偏見、無知、ステレオタイプ(化)
- 問われるのは民族性ではなく、原因や意味、ユダヤ教の探求、学究、価値観などである。あらゆる偏見を除去していかなければならない
- ただ、ユダヤ教のエッセンスは簡単に身に付くものではない、行動しなければ理解できない、初歩を学ぶだけで一年はかかる、といった問題もある。もちろんイスラエルの地におけるユダヤ教徒の歴史も同様である。偏向したマスメディアの報道や反イスラエル宣伝を迎え撃つことができるように、戦争の歴史やイスラエルの歴史をしっかり学ぶこともこの一環である。断片的な情報、複雑な歴史と構造の無視・無知、イスラエルとディアスポラ各地のユダヤ教とその価値観・ユダヤ人社会の無視、テロリズムの嘘と悲惨さの無視などを上げれば切りがない。
ヘブライ語
[編集]
חַיִּים chayyyym = chayyīm {Chaim, Haim} | |
נָהָר > |
נַהֲרַיִם |
נְהַר |
ヤハドゥートにおけるヘブライ語の文例:
- ピックーアハ・ネフェシュ(・ドゥーヘト・シャッバート)פִּקּוּחַ נֶפֶשׁ דּוּחֶת שַׁבָּת
- piqqūach (救助・尊重 / 監視) nepeš (命) dūcheth (延期する、取り消す) šabbāth (シャッバート) (命を助けるために安息日を破棄する)
- 全部の二語だけでは人命救助、人命尊重のこと(ユダヤ教では誰彼問わず、人命を最も重視する)。例えば安息日に家が倒壊して人が下敷きになると、ハラーハーで安息日に厭われる労働の中止よりも、救助のためには瓦礫に穴を開ける作業をしなければならない。そのような臨機応変の対応のことを言う。
- כְּשֵׁם שֶׁהַיְּהוּדִים שָׁמְרוּ עַל הַמָּסֹרֶת כָּךְ, גּם הַמָּסֹרֶת שָׁמְרָה עַל הַיְּהוּדִים׃
- ユダヤ人が伝統(マーソーレト、あるいはヤハドゥート=ユダヤ教)を守り、伝統がユダヤ人を守った(「ユダヤ人」と「ユダヤ教」の関係を示すときによく使われる)。
'創世記 1:1-6 |
ヘブライ語本文
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セファルディム式でティベリア式の音写 bərē’šīth
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アシュケナジム式ヘブライ語(の発音)の例 breyshis
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イディッシュ語の音写
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イディッシュ語のドイツ語風音写
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※イディッシュ語聖書は実際1930年に出版された。 「聖書の言葉 "loshn koydesh" 」を「庶民 "amoretz"」の為にラテン語を民にわかりやすく(意味する "bedeuten" *bad(t)aytn, taytshn)説明するように翻訳(targum, iberzetsing)したものが、ドイツ語(Deutsch, cf.tedesco)版聖書であったように、非ドイツ語圏に住むユダヤ教徒(人)の大多数がイディッシュ語を話していた為に、民に対して翻訳したものが「イディッシュ語版聖書 taytsh-khummesh (taytsh-tanakh)」である。タナフのイディッシュ語化は中世後期以降いくつもの版が出版されて進められていたが、スヴァウキ県出身の詩人のイェホアシュ(Yehoash, Yehoash-Solomon Bloomgard(t)en 1872-1927)による決定版とされるものが1930年に完成し、現在でも入手が可能となっている。 音声では、表記上 {e} になっている所でも [ej] と発音することがある。例:gewen = geweyn 行く、gezen = gezeyn 見る また、古語の形を留めたり独自の発展をしたため、ドイツ語とは対応させにくい言葉もある。文法的にはドイツ語と大きく異なるといえる。 文字に関して言えば、vkxt 音に関しては、ベート、カーフ、ターウよりも、ヘブライ語で摩擦化する可能性のないヘート、テート t'、二重ワーウ ww、コーフ q が好まれる(v, x に関しては様々)。 |