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ノート:ユダの手紙

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この記事の大幅な加筆を準備しています。既存の記述は最大限尊重したいと思うのですが、現行版には、いくつか疑問に思う点があります。

  • 「文字通り受け取るなら、イスカリオテのユダでない方の弟子ユダ(イエスの親族)と主張していることを意味する」
    • 主の兄弟ユダとタダイと呼ばれたユダが当然のものとして同一視されていますが、正しいのでしょうか。カトリック保守派のバルバロ、福音派のいくつかの辞書や註解書、リベラル派の註解書などのいずれも、私が見た範囲(手持ちの文献がほとんどなのでペトロの手紙二#参考文献とほぼ重なります)では、この手紙の著者(もしくは著者として名を借りた対象)は主の兄弟ユダとされており、いくつかの文献ではタダイではないと明言されています。上の記述には出典(英語文献ということもあって未確認)がついていますが、タダイと主の兄弟を当然のこととして同一視するのが適切なのだろうか、と感じます。
  • 「著者が本当に「ラビ」(マタイによる福音書10:3)と呼ばれ「タデオ」(マルコによる福音書3:18)とも呼ばれたユダなのかどうかは議論に決着がついていない」
    • 上に述べた理由から、タダイかそうでないか、という設問の立て方自体が不適切ではないかと思いました。
  • 「その上に、ユダ書1章14節の文法は異例だ」
    • 私はギリシア語が読めないということもあるかと思いますが、異例だということにどういう意味があるのか、よく分かりません。それが著者に関する何らかの情報を示すものなのか(例えば、ギリシア語力を示すものなのか)が文面からは読み取れないためです。また、各註解書はもとより、田川氏、宮平氏など、各節について詳細に注記している人の文献を見ても、14節の文法について言及している人が見当たらず、この文書を解説するに当たって特筆すべきことかどうか、見当がつかない、ということもあります。いちおう全ての節について簡略にでも記述する用意がありますので、(そういうまとまった記述の中にある分にはあまり浮かないでしょうし)加筆の際にばっさり削ろうとまでは考えていませんが、可能ならば、位置づけについて何らかの補足をしてくださる方がいると助かります。

ほか、一部に要出典をつけました。また、外典の扱いについて(現状では引用の要件を満たしているのかはっきりしない「引用」を含むこともありますので)いろいろ書き換えることになるかと思います。--Sumaru会話) 2015年7月8日 (水) 04:15 (UTC) 微修正--Sumaru会話2015年7月8日 (水) 04:16 (UTC)[返信]

報告 一部加筆しました。まだ、加筆予定の内容はいろいろ残っていますが、早ければ1週間程度、遅くとも数か月以内にまとめたいと考えています。--Sumaru会話2015年11月3日 (火) 16:28 (UTC)[返信]

報告 遅くなりましたが、加筆予定についてはあらかた終わらせました。--Sumaru会話2016年1月29日 (金) 13:50 (UTC)[返信]