ノート:ヤッシーの講和
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講和条約のトルコ語テキスト
[編集]- ロシア語テキストは、ウィキソースに "Ясский мирный договор" がありますが、トルコ語版が見当たらないので探してみました。
- Alkım Uygunlar, Osmanlı İmparatorluğu’nda Modern Diplomasi ve Murahhaslık Kurumu (オスマン帝国の現代外交と研究使節団) (yüksek lisans tezi, 2007)
- その結果、上記の論文の巻末資料No.4に、トルコ語版テキストと思われるものがありました(pp.134-140)。
- ウィキソースに掲載の上、関連資料としてリンクしたいと思います。ただ、当時のトルコ語はアラビア文字で書かれたはずです。この資料は、アラビア文字からアルファベットに変換したものか、又は現代トルコ語に翻訳したものなのか、私には判断できません。どなたかトルコ語をご存知の方がおりましたら、ご意見願います。--Von Seeckt(会話) 2012年6月16日 (土) 13:41 (UTC)
- トルコ語が分からない者ですみませんが、現代トルコ語ではあまり使わないû、â、îや、-ı / -iといったものがたくさん見られるので、現代トルコ語ではなくオスマン語をトルコアルファベットで表記したもと推測します。ご提示の資料の本文のところとは雰囲気が違うように思います。--Peccafly(会話) 2012年7月15日 (日) 14:30 (UTC)
- Peccaflyさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
- 私も別な角度から調べてみました。記事「オスマン語」と、その英語版en:Ottoman Turkish languageを参考とし、テキスト上に該当する古い単語がないか検索したところ、以下の単語がヒットしました。
- şehir(都市)
- cenk(戦争)
- dokuz(数字の9)
- dört(数字の4)
- Peccaflyさんのお話とも総合すると、オスマン語(古典トルコ語)のローマ字化テキストと見なして良さそうですね。
- 著作権上も{{PD-OLD}}として、問題なさそうですし、次の週末にでもアップしたいと思います。
- どうもありがとうございました。--Von Seeckt(会話) 2012年7月15日 (日) 18:37 (UTC)