ノート:モナ・リザ/過去ログ1
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アイルワース版・・・他
アイルワース版モナ・リザ については、こちらのブログ[1]などに記述がありました。 --忠太 2008年1月16日 (水) 12:06 (UTC)
2008年4月13日 (日) に119.150.0.90氏が独自研究テンプレを張ったようですが、どこがそうなのか「具体的に」指摘がないとさっぱりわかりません。取らせていただきます。 --忠太 2008年5月20日 (火) 13:04 (UTC)
言語間リンクについて
この項目の「他の言語」の欄ですが、何故か英語版が2つあり、そのうちの一つは全く違う記事にリンクしています。ところがこのページのソースを見てみると、英語版への言語間リンクは一つしか貼られていません。他言語版ではこのようなことはおきていない様です。いったいどうなっているんでしょうか。--もんじゃ 2008年6月21日 (土) 04:14 (UTC)
- Deapyさんが修正して下さいました。--もんじゃ 2008年7月21日 (月) 11:52 (UTC)
出典について
メモです。文中、「モデル」の項に、“初めこの絵は「ベールをかぶったフィレンツェの娼婦」と呼ばれていた[要出典]”とありますが、「週刊 世界の美術館 No.1ルーヴル美術館①」の7ページにそのことについて載っています。--以上の署名のないコメントは、121.93.88.231(会話)さんが 2008年7月29日 (火) 10:57 (UTC) に投稿したものです。
- 私も同じ書籍をを入手したところ、該当する記述が確認できました。情報の提供ありがとうございました。--もんじゃ 2008年7月30日 (水) 04:13 (UTC)
- 出典が週刊誌とは少々心許ないですね。私も探索中ですが、ヴァザーリの記述では既に「モナリザ」と書かれているとのことなので、「誰がそう呼んだのか」(その呼び方は一般化していたのか)知りたいところです。 --忠太 2008年8月20日 (水) 12:38 (UTC)
- 週刊誌には典拠が記されていないので、中山公男氏の著作(モナリザが来日した年に書かれたもので古いですが)を参照し、手直ししてみました。--忠太 2008年8月24日 (日) 03:27 (UTC)
- 出典が週刊誌とは少々心許ないですね。私も探索中ですが、ヴァザーリの記述では既に「モナリザ」と書かれているとのことなので、「誰がそう呼んだのか」(その呼び方は一般化していたのか)知りたいところです。 --忠太 2008年8月20日 (水) 12:38 (UTC)
「世界の美術館」は、細かく分類すれば「分冊百科」にあたるものです。出版元も講談社で信頼の持てるものですし、週刊誌とはいえ出版物である以上、それを出典とすることが可能であるはずです。「週刊誌には典拠が記されていないので」についても同様で、「世界の美術館」自体が典拠にあたるので、さらにそれの典拠を求めることは不要です。
この問題はあなたの個人的な疑問から生じているようにお見受けします。そもそも要出典テンプレートを貼り付けたのもあなたですし、現在の書き方も「フィレンツェの娼婦」という表現を極力避けた表現になっていますから。出典を差し替えるのは結構ですが、他者の編集を否定するような書き方はできるだけ避けてください。--もんじゃ 2008年8月24日 (日) 04:06 (UTC)
(追記)忠太さんが挙げられた書籍は、中村公男氏一人のみの視点に依っている可能性もあります。その点「世界の美術館」は、一般的な事実をまとめた物ですから、内容も当然一般性を持ったものになります。
また「世界の美術館」について詳しく説明しておくと、この本は私のような美術品に疎い人向けに周知の事実をまとめたものであって、発展的な事柄はあまり扱っていないんですよね。私もこのような初歩的な内容の書籍を元にして加筆する箇所が残っているという状況は、情けないことだと思うんです。この書籍を基にした私の加筆は、記事として最低限の体裁を整えたものに過ぎないと思っています。--もんじゃ 2008年8月24日 (日) 05:41 (UTC)
- 「世界の美術館」には「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていたことは書いてあっても、それがどこに書いてあるのか全く書いてありません。私が疑問に思っても、それ以上調べることができませんので、典拠にできません。(専門書ではないので一々引用文献を記す必要もありませんが)
- 中山氏の著作は、モナリザについてどのように記述されてきたか、レオナルド存命中の記録やヴァザーリの記述などを紹介していますので、まとまった内容になっていると思います(もっとよい参考文献があればそれを挙げていただければ結構です)。
- 「世界の美術館」自体を批判している訳ではありませんし、専門的な内容よりも一般的なものの方が百科事典の内容としてふさわしいことと思います。誤解を招く書き方だったかもしれず、その点はお詫びします。 --忠太 2008年8月24日 (日) 13:34 (UTC)
- 私が問題にしているのは、あなたの加筆が以前の記述を否定する格好になっていることです。その意味で「他者の編集を否定するような書き方は避けて欲しい」と書いたのです。私はあなたの資料が有用であることは分かりましたし、あなたも「世界の美術館」を出典とすることに妥当性を認めて下さいました。ですから、どちらかの史出典を選ぶのではなく、両者の出典に矛盾しない書き方、つまり今の場合「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていたと明言してから翻訳上の問題点を説明する書き方に変更して欲しいのです。
- また、「『世界の美術館』には〜典拠にできません。」については、恐れながらおっしゃっている意味がよく理解できません。--もんじゃ 2008年8月26日 (火) 02:15 (UTC)
- どうもこんにちは。典拠にできない理由についてですが、「いつ頃そう呼ばれていたのか、また、そう呼ばれていたことを誰が書きとどめたのか」という「個人的な疑問」に対する回答は得られませんでした。ですから、この点に関しては典拠にできない、ということです。また、この点について中山氏の著作以上に妥当な文献があるとすれば、それに従えばよいことです。
- ヴァザーリが紹介(1550年)して以来、広く知られていたのは「モナリザ」「ジョコンダ」という名前です。 後になってから研究者が文献を探した結果、レオナルド存命中の文献(ベアーティス)に「故ジュリアーノ・デ・メディチ公の依頼による実在の人物から描かれたあるフィレンツェの貴婦人の肖像」という記述があったことや、フォンテンブロー宮の財産目録に「紗のベールをまとう宮廷婦人(?娼婦)」と書かれていたことがわかったようですが、これは研究者レベルの話でしょう。「世界の美術館」からはこうしたことが読み取れないと思います。 --忠太 2008年8月26日 (火) 14:16 (UTC)
- 私が分からないのは、「いつ頃そう呼ばれていたのか」以降のあなたの「個人的な疑問」に答えられないがために、「世界の美術館」がなぜ典拠として不適切となるのか、ということです。「研究者レベルの話が読み取れないので」という論拠に対しても同様です。ちなみに、「世界の美術館」には、モナ・リザが「フィレンツェの娼婦と呼ばれていた」のは、ヴァサーリがモナ・リザを紹介する以前のこととされています。また前回に引き続き、他者の編集と矛盾しない書き方をするよう、お願いしておきます。--もんじゃ 2008年9月12日 (金) 15:05 (UTC)
- ちょっとループ気味ですが…。「ヴァサーリがモナ・リザを紹介する以前」に誰かが「フィレンツェの娼婦」と書き記していた、ということでしょうか。そうであれば、いつ誰がそのようなことを書き残したのか、ご教示いただければ幸いです。(私は中山氏の著作に従って、何年に誰がどう書いたか、を示しています。) --忠太 2008年9月15日 (月) 13:26 (UTC)
- ループ気味なのは、あなたの反論が的を射ていないからです。繰り返し尋ねますが、どうして「いつ、誰が、それを書き記したのか」について情報がなければ出典として不適当となるのですか?それらの情報がなければ、「フィレンツェの娼婦」と実際に呼ばれていたかどうか分からないとでもおっしゃるのでしょうか?400年以上も昔のことですから、それらについての情報は失われてしまっているかもしれないというのに。恐れながら、あなたの出典に対する感覚は一般的でないように思われます。場合によってはコメント依頼を用いて「一般的な」意見を募ります。--もんじゃ 2008年9月16日 (火) 03:36 (UTC)
- ちょっとループ気味ですが…。「ヴァサーリがモナ・リザを紹介する以前」に誰かが「フィレンツェの娼婦」と書き記していた、ということでしょうか。そうであれば、いつ誰がそのようなことを書き残したのか、ご教示いただければ幸いです。(私は中山氏の著作に従って、何年に誰がどう書いたか、を示しています。) --忠太 2008年9月15日 (月) 13:26 (UTC)
- 「400年以上も昔のことですから、それらについての情報は失われてしまっているかもしれないというのに。」とすれば、どうやって現代に生きる人が、かつて「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていたことを知りうるのでしょうか? 何か「フィレンツェの娼婦」について記した文献があったはず、と考えるべきではないでしょうか。『世界の美術館』の記述をみると、まるでヴァザーリ以前には「フィレンツェの娼婦」と呼ぶのが定説だったのに、ヴァザーリがそれに逆らって「モナリザ」と呼んだ、というように読めますが(誤読ですか?)、ヴァザーリがそんなことを書き残したのでしょうか? --忠太 2008年9月16日 (火) 13:07 (UTC)
相変わらず、なぜ「出典に出典が必要なのか」についての答になっていない。たとえば、新聞記事を出典とするときに、その新聞記事の出典を求める必要があるだろうか、私の言っていることはこういうことです。「どうやって現代に生きる人が〜」という前に、出典に対して疑問をもつことが果たして正しいかどうか考えるべきです。「何か『フィレンツェの娼婦』について記した文献があったはず」という意見は勿論正しいですし、実際にあるんでしょう。ただし、その文献は必ずしもあなたの考えるようなもの、つまり、「いつ、誰が、それを書き記したのか」ということまで細かく書かれているのではなく、ただ漠然と「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていた、と記してあるだけの物かもしれないと言っています。そして「世界の美術館」もそれに基づいているのでしょうが、逐一書誌内で出典を記しているのでは埒が開きませんから、省略しているものと思われます。しかし、だからといってその書誌の信憑性が失われる物ではないでしょう。なぜなら、前にも言ったように書誌の信憑性はその書誌の出版元の信頼性にある程度比例しているからです。
また、「できるだけ間を取った表現にしてほしい」とこちらが何回も頼み込んでいるのに聞き入れて下さらない。前にも言ったように、双方の資料に矛盾しない書き方があるはずです。
最後に、「まるでヴァザーリ以前には『フィレンツェの娼婦』と呼ぶのが定説だったのに、ヴァザーリがそれに逆らって『モナリザ』と呼んだ」と捉えていいですよ!それ以外にどう読むんですか?--もんじゃ 2008年9月16日 (火) 14:23 (UTC)
- 私は『世界の美術館』の(少なくともその点に関しての)記述はそうなのかなあ、と思って調べた訳です。(調べた結果は本文に記載のとおり)
- もんじゃさんの挙げられる例ですが、新聞記事に書いてあるからといって、完全に正しいとは限りませんね。もし新聞記事を読んで「変だな」と思った場合ですが、自分なりに調べてみるとか、新聞社に問い合わせてみるとか、そういったことはないのでしょうか?
- もんじゃさんは「ただ漠然と「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていた、と記してあるだけの物かもしれない」と言われますが、「漠然と」した文献というのは一体何でしょうか。歴史記述に使う文献は、何年に誰が書いたのか、(できるだけ)明確なものがよいですね。
- もんじゃさんに従えば、出版元は信頼できる、とのことですが、この記事の「執筆者」は一体誰でしょうか? 執筆者本人に直接「あなたが『フィレンツェの娼婦』という記述を行う際に参照した文献は何ですか?」と聞いてみたい気もしています。 --忠太 2008年9月16日 (火) 15:25 (UTC)
出典を明記するという行為は、その記述が有用な情報源に基づいていることを示すと同時に、その記述の文責が出典に準拠していることを示すものだと思います。いわば大学のレポートと同じようなものです。ウィキペディアにはフリーの百科事典ですから、書かれている文章に対して責任を負うことは難しいのでこのようなことが行われているのだと思います。ですから、あえてその出典の信憑性など確かめる必要など本来無く、読者が「フィレンツェの娼婦」という一節に疑問を持ったのであれば、あくまで個人的に出版社に問い合わせてみるなりするべきで、その義務はウィキペディアにはありません。また、出典同士で矛盾が生じたのであれば、どちらが正しいか論ずるのではなく、書き方を変えることで十分に対処できると思っています。
出典の追及をすることができないから出典が不適当とはなんとも早まった考えです。まさか出展となる書籍の執筆者が自身の私観を頼りに執筆しているわけではないでしょうから、そんな安易な考え方で出典を選んでしまうと、文章の正確性が損なわれる恐れがあります。出典同士に矛盾が生じた場合は、どちらの出典にも矛盾しない書き方にするか、注釈内でその経緯を説明しておいた上で、また新たな出典を探してそれに基づいて考察するべきで、それ以上のこと、たとえば専門家に話を聞いてまとめたりするのはライターとか文筆家にして始めて可能な領域で、我々にはできません。
忠太さんの発言に沿って説明すると「『世界の美術館』の記述はそうかなあと思って調べる」のはあくまで「読者としての」あなたの個人的な行為に留めるべきで、「世界の美術館」の記述に疑問を持っているのですからその出版社のほうに問い合わせるべきなのです。そして、そういった個人的な取り組みを一般性の要求されるウィキペディアに持ち込むことは危険な行為です。いわゆる「独自研究」というやつですね。また、私も新聞などの記述に疑問を持った場合は、自分なりに調べます。しかし、その場合新聞の信憑性に疑問をもっているのですから、新聞と異なった記事を見つけるのではなく、その出典、正確性、取材方法などを出版社に問い合わせるでしょう。まあほとんどないといっていいでしょうが。そして、「漠然とした文献」と書いたのは、該当する出典は忠太さんの思うような書式に必ずしも従っているとは限らないという意味です。出典が忠太さんの思うようなな書式に従っている必要があるというのも忠太さんの個人的な意見に過ぎないような気がします。それと、「執筆者」は居りませんが、編集者は居り、菅家洋也さんという人だそうです。この人、あるいは出版社に問い合わせればあなたの希望する情報が得られるでしょう。ただし、何回もいいますがそれをウィキペディアに反映させないで下さい。--もんじゃ 2008年9月17日 (水) 02:19 (UTC)
- 個人が関心を持って調べた結果をWikipediaに書くな、とは極端なご意見ですね。一体なぜそのような結論になるのでしょうか。
- また、矛盾した意見は両論併記で、と聞けばもっともらしいように感じますが、一次史料を示して論述した本と、何の文献も示さない本を、同列に扱うのはいかがなものでしょうか。公平な態度なのでしょうか。
- 「「執筆者」は居りませんが、編集者は居り、菅家洋也さんという人だそうです。」というのは問合せいただいたのでしょうか。そうだとすればお手数をかけてしまい失礼しました。
- 出版社へ実際に問合せるかどうかは、ちょっと考えさせていただきますが、その場合はあくまで個人的な行為として行います。もちろん「記述に疑問がある場合は執筆者に問い合わせろ」と私が一般的に主張したい訳ではありませんので、念のため(自分の場合ならこうすることもあるかな、という話です)。 --忠太 2008年9月17日 (水) 12:09 (UTC)
>個人が関心を持って調べた結果をWikipediaに書くな、とは極端なご意見ですね。一体なぜそのような結論になるのでしょうか。
これは、「そして、そういった個人的な取り組みを…いわゆる「独自研究」というやつですね。」と、「ただし、何回もいいますがそれをウィキペディアに反映させないで下さい。」という私の意見を受けたもののようですが、それらの指示語を追ってもらえればこれらは「『世界の美術館』の記述はそうかなあと思って調べる」際の話だということが分かって頂けると思います。つまり、私は必ずしも「あなたが関心を持って調べた結果をWikipediaに書くな」とは言ってはおりません。たとえば、その「調べた結果」が図書館の本などに基づいている場合、それらを元にしてWikipediaに加筆することができます(では、中山公男さんの書籍がなぜいけないのか、と言いたくなるかもしれません。それについては後述します)。しかし、それらが研究者に対するインタビューとか、あなたの実地調査に基づいている場合、それらをWikipediaに反映させることは残念ながらできません。ただし、それを基にしてあなたが本を書いたり、ブログを書いたりする際は全く別の話です。なぜなら、文章と筆者の責任関係が明確であるからです。
>一次史料を示して論述した本と、何の文献も示さない本を、同列に扱うのはいかがなものでしょうか。公平な態度なのでしょうか。
これらの本の記述が互いに矛盾していなければ、中山公男さんの書籍が出典としてより優れているという意見は理にかなった物のように思います(ただし、その場合にも両方の書籍を出典として併記することでしょう)。ただ、今は周知の通り互いに矛盾していることから、どちらの出典により正当性があるか判断することは、非常に慎重な判断を要します。なぜなら、正しい物はどちらかの一方で、もし安易な判断をもって間違った出典を選んでしまうと、嘘の記述が公然と百科事典の記述としてまかり通ることになるからです。私がなぜあなたの出典の差し替えを問題にしているかといえば、それはまさしく「差し替えてしまった」から、つまりあなた一人の価値観を以てどちらが適当か判断してしまったからで、今の場合どちらが正しいか判ずることは我々の手では不可能であるように感じます。従って「同列に扱う」しかないように思われます。
>「「執筆者」は居りませんが、編集者は居り、菅家洋也さんという人だそうです。」というのは問合せいただいたのでしょうか。そうだとすればお手数をかけてしまい失礼しました。
いいえ。私は問い合わせはしておりません。
書籍が出典として適切な理由、それは文責が明確化されているからです。書籍は、ほぼ全ての場合において筆者あるいは編者が明確化されており、「世界の美術館」においても「背」の部分においてそれが示されています。「編集者は居り、菅家洋也さんという人だそうです。」という私の発言もこれに基づいています。--もんじゃ 2008年9月19日 (金) 15:41 (UTC)
- ちょっと、確認します。
- 1)もんじゃさんの上記の文を要約すると、「信頼できる出版社から出た本に書いてあることを素人が否定してはいけない」ということでしょうか。不勉強なためか、そうしたルールがあるとは知りませんでした。
- 2)中山公男氏は美術史の本を多数執筆している著名な方ですので、まあ信頼できるものと思います。もんじゃさんが心配されるような「嘘の記述が公然と百科事典の記述としてまかり通る」というのは、取り越し苦労ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
- (仮に「フィレンツェの娼婦」という記述の正当性が(例えば)3か月後になってわかったとしても、それまでの3か月間に嘘の内容が広まる訳ではありませんね。)
- 3)ここで議論となっているのは、もんじゃさんの言われるような「価値観」の問題ではなく、「フィレンツェの娼婦」と記述した一次史料が存在するのかどうか、という「事実関係」をめぐる話だと思っていますが、いかがでしょうか。
- (もし存在することがわかれば、簡単に解決する問題ですから、ある意味非常に単純です。) --忠太 2008年9月21日 (日) 01:30 (UTC)
(毎度ながらインデント戻させていただきます)
- 「信頼できる出版社から出た本に書いてあることを素人が否定してはいけない」というルールは残念ながら無いと思いますね。ウィキペディアには必ずそれぞれの場面に応じたガイドラインがあるとは期待しない方がいいですよ。無い以上、我々は一般的な感覚を頼りにこれらを解決していかなければならない。そして、あなたが問題にすべきことは、私の意見が一般的に考えて正論と言えるかどうかです。また、忠太さんの要約に若干違和感があるとすれば、「素人」という表現ですね。玄人ならいいってもんでもないですから。
- キャリアがある以上中山公男氏の著作はある程度信頼できるんでしょうね。しかし、出典の間で矛盾が生じている以上、間違っているのは中山公男さんのほうであることも可能性として否定できません。そして、「仮に『フィレンツェの娼婦』という記述の正当性」が判明した場合、程度の差はあれ「嘘の内容が広まる」ことが防げないことも変わりがありません。これは完全に「フィレンツェの娼婦」一点張りという逆の場合にももちろん言えます。ですから、間を取った表現にすべきと言っています。
- 私は「一次資料があるようがより典拠として適切」というあなたの価値観に問題があると思ってます。従ってあなたの言う「事実関係」を問題にはしていません。しかし、一次資料に関する「事実関係」を問題にしているとしても、それが存在すればめでたしめでたしってもんでもありません。よく考えてみて下さい、問題となっているのはCortegianaという語の訳し方ですよね。つまり、ある意味「フィレンツェの娼婦」と記述した一次資料は存在すると言うこともできます。「ルネサンス期にはCortegianaという語には娼婦の意味もあったという。」とあなたも書いてますし。しかしあなたが欲しいものはこっちとしても分かっています。Cortegianaを「娼婦」と訳すのがより適切であることの根拠でしょう。ですから、一次資料が見つかればいいってもんでもありませんから、全然単純ではないんですよね。同様の理由で、貴婦人がより適切とも言えないです。--もんじゃ 2008年9月21日 (日) 12:16 (UTC)
- 歴史に関わる議論であれば一次史料が優先されますよ。「世界の美術館」はネットを転載したのではないかなあ(ネット上で出典を示している記述は皆無のようです)と思っている今日この頃。確かにCortegianaという語の翻訳の問題はあるかもしれません。しかし、そもそもレオナルドが「フィレンツェの娼婦」と名付けたという証拠は皆無ですし、美術鑑賞上必要なこととも思えません。出所不明な呼び方をわざわざ書く必要があるのか、という点が疑問です。いろいろ美術書を探して目を通していますが、「フィレンツェの娼婦」と呼ばれていたと書いているものは見当たらないようです(推測するに、無用な誤解を招くと考える著者もいるのかもしれません)。したがって書く必要もないのでは、という考えに傾いています。 --忠太 2008年10月3日 (金) 15:16 (UTC)
- 歴史に関わる議論であれば一次資料が優先されるというのはあなたの個人的な意見に過ぎません。むしろウィキペディアの方針は逆です(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源を参照)。しかも今問題となっているのは二次資料の話です。あなたの挙げられている書籍も『世界の美術館』も二次資料なのですから。出典が明記されていないからといってネットから転載された可能性があるという考えもあまりに短絡的で、閉口します。前にも言いましたけど『世界の美術館』が出典を明記していないのは便宜上の問題だと思いますよ。しかも「レオナルドが『フィレンツェの娼婦』と名付けたなんて誰も言ってませんよ。それに話を「美術鑑賞上」から論じないで下さい。ウィキペディアは美術専門のホームページですか?「美術鑑賞上」から言えば夏目漱石の話も要らないんじゃないですか?
- それと、繰り返しになりますが、出典の信憑性に疑いを持っているのでしたら、ご自身で出版社に問い合わせるなりして下さい。出所不明という言葉も、出版社に問い合わせたのならまだ分かりますが、そうでないのですからあなたの根拠のない推測に基づいた個人的な意見に過ぎません。まあ、仮に「出所不明」としたとして、その呼び方をわざわざ書く必要があるのかということですが、これは逆に考えてみましょう。もし、「フィレンツェの娼婦」が正しいとしたら、あなたはどうします?責任取れますか?--もんじゃ 2008年10月4日 (土) 05:54 (UTC)
歴史学において、一次史料を尊重するのは極めて常識的な話で、個人的な意見ではありません。一次史料に基づいて書いてある著作と、典拠を示していない(示せない)著作を同列に扱うことがそもそも変な話です。もんじゃさんは足して2で割れば妥当な記述になると考えておられるようですが…。それにお示しの個所(Wikipedia:信頼できる情報源#情報源)には「一次情報源を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合」と書いてありますし、一次史料を参照している中山氏の著作を参考にするのは何の問題もありませんね(前述のごとく、翻訳の問題があることは認めておきます。おそらく原語は16-17世紀のフランス語ですから、我々素人がその意味の意味するところを確定するのは難しいだろうとは思います)。それと最後の問いから推測しますと、もんじゃさんは、もし「フィレンツェの娼婦」という記述が間違っていたとしたら、「責任を取る」訳ですか? --忠太 2008年10月4日 (土) 15:15 (UTC)
(インデントこのままで行きます) あなたの言っていることに従うと、古文書や書簡を出典として直接使用することができるということになってしまいます。今の場合で言えば、「フォンテーヌブロー宮殿の財産目録」を直接出典として明記するということですね。常識的に考えてこれはおかしいですが、もしこれが許されるとしても、「貴婦人」と「娼婦」を併記しなければいけないんでしょうね。「ルネサンス期には宮廷婦人(Cortegiana)という語には娼婦の意味もあった」んですから。
「一次情報源を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合」という箇所においては、忠太さんは読み違えなさっています。これは今の場合に例えれば、「財産目録」が信頼できる出版元から公刊されている場合に出典として使用できると言っているのでありまして、中山氏の著作は二次資料ですからこれに当てはまりません。
なぜあなたの出典を選んだら「一次資料を尊重する」ということになるのでしょうか?すでに申し上げたとおりCortegianaという語には二通りの意味があるんですから、一次資料を示しているからという理由だけでその書籍だけに記述の正当性を認めれば、恣意的に「財産目録」の解釈を限定してしまい、逆に一次資料をないがしろにした行為のように私には思われます。
しかも「『世界の美術館』が典拠を示せない」というのも早まった考えです。なぜ『世界の美術館』に出典を記す義務があるんです?大衆向けの本がいちいち出典を示していたら、読んでいる方にしてみればうるさいだけでしょう?「示せない」ではなく「示さない」だけなのです(散々言っている「便宜上の問題とはこういう意味です)。前にも言いましたけど、「示せない」というのは出版社に問い合わせて、それでも記事の信憑性がはっきりしないときに初めて言える言葉ですよ。もうちょっと慎重になって下さい。Wikipedia:信頼できる情報源には、「出典となる書誌には一次資料が示されていなければならない」とでも書いてありましたか?それともまた「歴史学においては常識」とでもおっしゃるのですか?あなたは何か歴史学において教鞭を執っている人物なのですか?
最後に「責任を取る」云々について。ですからその責任を回避するために両方併記しようって言っているんです。「Cortegianaという言葉の意味するところを確定するのは難しい」んですから。--もんじゃ 2008年10月5日 (日) 02:57 (UTC)
出典・翻訳語の問題
(便宜的に見出しを付けました)
>>>あなたの言っていることに従うと、古文書や書簡を出典として直接使用することができるということになってしまいます。今の場合で言えば、「フォンテーヌブロー宮殿の財産目録」を直接出典として明記するということですね。
私も「フォンテーヌブロー宮殿の財産目録」を直接参照することは残念ながらできませんが、Wikipedia:信頼できる情報源には公刊されていればよい旨が書いてあります。「財産目録」が活字化されているものならば、問題なくWikipediaの記述に生かすことはできますね。
>>>もしこれが許されるとしても、「貴婦人」と「娼婦」を併記しなければいけないんでしょうね。「ルネサンス期には宮廷婦人(Cortegiana)という語には娼婦の意味もあった」んですから。
両方の意味があることは既に記してありますが?(どこに不満が?)
>>>なぜあなたの出典を選んだら「一次資料を尊重する」ということになるのでしょうか?
中山氏の著作には出典が記されており、これに対して「世界の美術館」には出典が記されていないからです。(いい加減ループしてますが…)
>>>しかも「『世界の美術館』が典拠を示せない」というのも早まった考えです。なぜ『世界の美術館』に出典を記す義務があるんです?大衆向けの本がいちいち出典を示していたら、読んでいる方にしてみればうるさいだけでしょう?「示せない」ではなく「示さない」だけなのです(散々言っている「便宜上の問題とはこういう意味です)。
『世界の美術館』自体には「出典を記す義務」はないでしょうね。そうではなくて、議論をする際に、出典がわからないのでは話にならない(検証性がない)、ということです。
>>>Wikipedia:信頼できる情報源には、「出典となる書誌には一次資料が示されていなければならない」とでも書いてありましたか?それともまた「歴史学においては常識」とでもおっしゃるのですか?
ここではモナリザの歴史的な由来に関わることを論じようとしている、つまり、歴史にかかわる事柄を論じようとしている訳ですから、議論において一次史料が尊重されるべき、というか一次史料を無視した議論はできません(ついでながら、モナリザのモデル問題のように、確かな一次史料がそもそも見当たらない場合もありますが)。もんじゃさんには歴史に関わる議論だという意識は皆無なのかもしれませんが…。
もちろん、Wikipediaは、論争の決着を付ける場ではないでしょうから、専門家の間でさえも評価や解釈が分かれるような問題であれば、それについては両論併記ということになるでしょう。ただし、今回はそういう問題ではないです。(翻訳の問題は後記)
>>>「責任を取る」云々について。ですからその責任を回避するために両方併記しようって言っているんです。
繰り返しますが、出典を記さない「世界の美術館」と足して2で割る必要は全くありません。
もんじゃさんが、中山氏の言うところに反論するのであれば、(『400年以上も昔のことですから、それらについての情報は失われてしまっているかもしれない』といった類のあなたの個人的な推測ではなく)せめて別の文献を示すなど、お願いしたいところです。「嘘の記述が公然と百科事典の記述としてまかり通ることになる」(9月19日の書込み)とまで言い張るのであれば、中山氏の記述が「嘘」であることを論証する責任があると思いますよ。
>>>Cortegianaという語には二通りの意味があるんですから、一次資料を示しているからという理由だけでその書籍だけに記述の正当性を認めれば、恣意的に「財産目録」の解釈を限定してしまい、逆に一次資料をないがしろにした行為のように私には思われます。
それを言うなら、そもそも「世界の美術館」にある「フィレンツェの娼婦」という言い方自体が完全にアウトではないですか?(解釈を限定してますね?) もんじゃさんにも「世界の美術館」の記述が偏っている、ということを認めていただけたのであれば、議論の甲斐がありました。
それはともかく、ご指摘の恣意的解釈の可能性(翻訳の問題も含めて)を回避する方法はあると思います。それはフォンテーヌブロー宮殿の財産目録の原文(何かしら活字化されているだろうと考えています)を探して、それに注釈(Cortegianaの両義性)を付け加えれればよいのです。ただ、現行の文章と余り変わらない内容になりそうですので、時間がかかりそうな割には効率の悪い方法だなあ、と思いますけどね。 --忠太 2008年10月7日 (火) 12:09 (UTC)
分かりにくかったかもしれませんが、私が言っているのは「両方の書籍に矛盾しない書き方にすべき」ということです。あなたの、「繰り返しますが、…2で割る必要は全くありません」という発言を見ると、「両方の書籍を出典として明記すべき」と解釈されているようですが、それは違います。確かに今の記述でも両方の意味があることは示してありますが、「娼婦」のほうは出典の中に申し訳程度に書いてあるだけで、これが不満なのです。この点については論点が明確でなかったことをお詫び申し上げます。しかし、こっちも最初のほうで3回ぐらいそういう言い方をしましたし、ついでに言ってしまうと「出典を差し替えるのは結構」とも言ったんですから、あなたも相手の意見の理解が不十分でなかったか考えてみて下さい。
その上でまず質問があります。今の書き方が「貴婦人」を前提にしているのは、「世界の美術館」の信憑性に疑問を持っているからですか?それとも、中山公男さんの記述に極力従った結果ですか?そして、一つお願いがありまして、中山公男さんの著作の中でモナ・リザの呼ばれ方について言及している箇所をこの場において引用して欲しいのです。
言いたいことは山ほどありますが、あんまりいうと議論がややこしくなるので、今日はこの程度で。--もんじゃ 2008年10月7日 (火) 14:16 (UTC)
紹介とお詫び
中山公男氏の記述(「モナ・リザ 永遠の女性の謎」1974、美術出版社)ですが、モナリザのモデル問題についての出発点となる基本史料を紹介しています。まず、アントニオ・デ・ベアーティスという人物がクルー城のレオナルドを訪れ(1517年)、日記で「故ジュリアーノ・デ・メディチ公の懇望により,さるフィレンツェの婦人を描きたる肖像画」(ほか2点の作品)に言及している、としています。(→別の個所では「さるフィレンツェの貴婦人の肖像」。)
そしてヴァザーリの「列伝」(1550年初版)やダル・ポッツォ(1625年にフォンテンブローで作品を実見)の記録などを紹介したのちに、
- 「ダル・ポッツォが,<<ラ・ジョコンダ>>と呼ぶまで,通称はともかく,フォンテンブロー宮の財産目録では,この作品は,<<紗のヴェールをまとう宮廷婦人>>と名づけられていた.宮廷の婦人であり,職業的女性であり(コルテジアーナは,ルネッサンス期,宮廷婦人と娼婦の双方を意味しえた),ジュリアーノ・デ・メディチの寵愛した婦人の素性はわからない.」
と記しています。 (引用文中、「宮廷の婦人であり,職業的女性であり」という箇所が少々不明確ですが、その後に「婦人の素性はわからない」と結論付けているので、要はコルテジアーナという言葉からはモデルの手がかりは得られない、という趣旨かと思います)
・・・と、ここで間違いに気づき、訂正。正しいスペルはCortegianaでなく、Cortigianaでした。Cortigiano(男性)は文字通り廷臣、宮廷人ですが、Cortigiana(女性)は宮廷婦人の意から転じて高級娼婦、情婦等の意味になった模様。it:Cortigiana 基本的な点の間違いとは、全くお恥ずかしい限りです(本文は訂正しておきます)。
(追記)「世界の美術館」についてですが、信憑性というか、自分が違和感を覚えたり、疑問を感じる点についてはやはり気になる、ということです。 --忠太 2008年10月8日 (水) 14:55 (UTC)
- 現在「寡婦」の出典について出版社に問い合わせようと思っているところですが、何分忙しいもので出版社の受付時間内に問い合わせることができません。申し訳ありません。
- ちなみに、「世界の美術館」の巻末に17冊の参考資料が列挙されており、それらを逐一あたれば目的とする出典を得ることができると期待できます。量が多いのであんまりしたくありませんが…。--もんじゃ 2008年10月18日 (土) 06:45 (UTC)
La Gioconda's landscapes(モナリザの背景)
Hello to everyone, plase forgive me for not writing in Japanese. I am Italian and I know English and French but not Japanese. I would like to ask the Wikipedia community to add the following text (after translation in Japanese) regarding La Gioconda's Landscapes. This text is already present on the English page and on the French page (similar). It's based on a big work by a university professor of geomorphology , that lasted many years and that was presented at the 8th Internationation Conference of Geomorphology (Paris, August 2013): "A recent research [1] by a geomorphology professor at Urbino University and an artist-photographer revealed astonishing likenesses of the Mona Lisa's landscapes to some views in the Montefeltro region in the Italian provinces of Pesaro, Urbino and Rimini.[2][3] [1] Rosetta Borchia and Olivia Nesci, Codice P. Atlante illustrato del reale paesaggio della Gioconda, Mondadori Electa, 2012, ISBN 978883709277 [2] http://www.thetimes.co.uk/tto/arts/visualarts/article3612516.ece [3] http://www.geomorphology-iag-paris2013.com/en/detailed-programme " Thank you very much for your cooperation . Giacomo --Giacomo Quaresima(会話) 2014年1月22日 (水) 13:07 (UTC)
- モナリザの背景についての新説が2012年に発表されたそうですが、あまり話題にもなっていない(?)ようで、判断できません。(⇒google検索「リミニ近郊 マルケ州 ヴァルマレッキア」で、あるブログがヒットします) --忠太(会話) 2014年1月23日 (木) 15:04 (UTC)