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ノート:ムスチスラフ・ムスチスラヴィチ

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要検証について

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初版翻訳者です。要検証に関して、ロシア語版のノートで議論されていたので報告したいと思います。以下はru:Обсуждение:Мстислав Мстиславич Удатный#Присутствие Мстислава во время войны за Галич(06:18, 9 июля 2012‎) (ロシア語版のノートページの中の節)の議論の概要になります。

要検証をつけた方は、『原初年代記(イパーチー写本)』と、ウクライナの、ハンガリー史料の翻訳者の論を元に、「ムスチスラフはガーリチにいた」のではないか、と指摘しています。

それに対しムスチスラフの不在時云々の段落を記述した方が、『ガーリチ・ヴォルイニ年代記』と、この年代記を解釈した論述を元に、「ムスチスラフはガーリチにいなかった」としています。

なお、「いた」説の方が、両論併記を勧めているのですが、「いなかった」説の方が、ムスチスラフの不在がこの時期の出来事に結びついている、として、併記には反対し、そこで議論がとまっております(2012年7月)。

以下、私の思うことですが、この段落は、ムスチスラフというよりは、ダニールの行為に関する段落であり、段落全てカット(もしくはダニールの頁に移動)してもいいような気がします。

では、なぜこの段落を訳し記載したのかというと、この段落がないと、この3つ前の段落でガーリチ公になったはずのムスチスラフが、なぜこの次の段落でガーリチを攻めているのか?という、前後の段落がつながらないためです。

おそらく、この戦闘でガーリチはハンガリー(もしくはポーランド)軍によって落とされており、そのことを説明した段落に差し替えるのがベストだと思うのですが、このへんは複雑で(ハンガリー史・ポーランド史・ウクライナ史の資料が必要だと思います。)、私には加筆は無理な気がします。また、除村吉太郎訳『原初年代記』が、『ガーリチ・ヴォルイニ年代記』を所収し、且つイパーチー写本系を底本とするようですが、近場の図書館に置いてませんでした。

以上、要検証の解説(と、要検証付き段落にもかかわらず翻訳した言い訳)です。修正してくださる方がいらっしゃいましたらよろしくお願いします。--ノフノフ会話2013年8月22日 (木) 16:25 (UTC)[返信]