ノート:ミシェル・ノストラダムス師の予言集
この「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」は、下記のような選考・審査を経て良質な記事に選出されています。さらなる加筆と改善によって、秀逸な記事となるような編集を歓迎します。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2007年11月25日 | 秋の加筆コンクール | 受賞・良質な記事自動選出 |
細かい点ですが
- M.Michel NostradamusのMは、とりあえずMaistre(Maître)の略とみなし、「師」と訳しています。
- 現代フランス語の場合、Mはムッシュー Monsieurの略であって、MaîtreはMe.と略すということはもちろん知っていますが、以下の理由からMaîtreとみなして差し支えないと判断しました。(1)ノストラダムスの同時代の著作で、略されていない場合の敬称はすべてMaistreが使われていて、Monsieur Michel Nostradamusは一例もない。(2)後代の予言集ではM.がMe.やMaistreに差し替えられているケースが少なからずあり、ごく普通にMaistreの略とみなされている。(3)16世紀仏文学が専攻の高田勇・伊藤進両氏の訳でも「ミシェル・ノストラダムス師」と訳出されている。
- リヨンで出された『予言集』のタイトルについて
- 厳密に言えば、リヨンでは1555~1698年の間に30種類以上の『予言集』が出されていますがその中で一つだけ『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇と予言』になっているものがあります(1690年頃のアントワーヌ・ベッソンによる版)。ただ、これは様々な点でリヨンの版としては特異なものであることから、例外として、本文中のリストでは除外して考えています
- 第一序文の日付
- 多くの版では「1555年3月1日」ですが、1588-89年にルーアンで出された版や1590年アントウェルペン版では「1555年6月22日」、1588-89年にパリで出された版では「1557年3月1日」となっています。各版で文面が大きく異なるわけではないので、ここで1555年5月4日に出たリヨン版の表記がもともとの表記であると判断し、異説は本文に盛り込みませんでした。
- 1605年版の正当性
- ダニエル・ルソ(この人はペルー人なのでスペイン語式に表記しています)は、この版が1649年頃に出された偽年代版とよく似た表紙であることから、1649年ごろに出されたと推測しています。
- しかし、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラ(ベナズラ)は反マザランの詩がないことなどを根拠に、正しく1605年に刊行されたようだと述べています。さらにブナズラは、六行詩の中で草稿になかった4篇のうち3篇に、1604年または1605年を表している数字が出ていることから、それらの詩は明らかに1605年に書かれたと述べています。こうしたことを理由に、とりあえず本文では1605年版は正しく1605年に出されたものとして述べています。
Sumaru 2005年5月4日 (水) 10:40 (UTC) 誤記修正Sumaru 2005年7月2日 (土) 10:57 (UTC)
諸世紀
[編集]諸世紀が誤訳なのは、Centurie に世紀の意味がないからではなくて、彼の詩集の場合は詩篇の数から命名されていて、世紀単位で編まれているわけではないから、だと思います(世紀単位になっているとする信奉者はいますが、彼らの独善的な解釈以外に傍証は存在しません)。その部分をコメント・アウトしたのは、そういう理由です。Sumaru 2006年4月2日 (日) 10:21 (UTC)
siècleは必要か
[編集]「英語版の表題にLes Centuriesが用いられていたため、これを英語で世紀を示すcenturyと混同したもの。なおフランス語で世紀はsiècleとなる」とあったものはコメントアウトしました。過去にも似たような加筆がなされたことがありますが。
- 「英語版」が何をさしているのか不明です。ロバーツ本では各巻ごとにCentury I, Century IIなどといった奇妙な題がついていますが、総称としてCenturiesは用いていません。ロッブの解釈書(1961年)では英仏が併記されており、Centuriesは世紀の意味でないことが明記されています。ボズウェルの解釈書(1941年)ではThe Centuriesと英語の冠詞とイタリックを組み合わせています。
- 「諸世紀」が英語からの転訳の際に生じた誤訳であることは確かであるにしても、それが詳しくどのような経緯でということを特定することは困難です(志水氏などは五島氏が「諸世紀」を採用したのは、もっともらしい題を使うために不正確なのを承知の上でのことだったと推測していますし)。確定的に書くのはかえって正確性に難があるように思います。
- フランス語で世紀を表すのはsiècleだというのは事実ですが、Centurieに世紀の意味がないわけではないので、誤訳の話のときに触れるのは明らかにミスリーディングです(では何故、誤訳なのかという点は、既にこのノートの上の節で触れたとおり)。
で、既に過去の加筆に対してケントゥリアを立てた上で、「語源・派生的用例などはケントゥリアも参照」と本文に明記しているのですから、それ以上この記事で触れる必要はないと思います。--Sumaru 2007年10月19日 (金) 12:24 (UTC)
(報告)諸世紀のリダイレクトを解消し、誤訳の話で記事を立てました。この問題についてあれこれ書きたい方はそちらの方にお願い致します。--Sumaru 2007年10月22日 (月) 13:24 (UTC)
詩の例
[編集]詩の解釈例が必要かどうかは悩みましたが、他国語版のいくつかに見られるため、付け加えました。不要だという意見が出てくることも想定できますが、その場合は議論に応じます。
他の例を付け加えていただくのはもちろん構わないのですが、著作権をめぐる問題を避けるため、原文は古版本を元にご自分で直訳してください(古版本の原文は本文の外部リンク先等を御参照下さい)。信奉者の訳は解釈が混じっていたりするため(ひどい場合には原文にない言葉を付け加えていることもあります)、そのまま引用すると訳者の著作権を侵害するおそれがある上、正確性や中立性の面でも問題が生じる可能性があります。御注意ください。--Sumaru 2006年11月6日 (月) 13:57 (UTC)
『諸世紀』は名訳か
[編集]この点、過去にノストラダムスの方に加筆されたこともあるので。
五島氏が『ノストラダムスの大予言・最終解答編』で述べていた『諸世紀』と訳した理由については、既に志水一夫氏や山本弘氏が、過去の五島氏の主張とも矛盾していることや、弁明の中に論理的におかしな部分があることを指摘しています。
である以上、彼の創作の可能性の高い主張を真に受ける信奉者がいたところで、それをわざわざこの記事やノストラダムスの中に書く必要性があるとは思えません。
仮に書くのであれば、『ノストラダムスの大予言』か、その褒めた某信奉者の記事の中にでも書くほうが妥当だろうと思います。とはいえ、個人的にはそうまでして書く価値のある話だとは思えません。--Sumaru 2007年2月8日 (木) 13:05 (UTC)
10-72の訳について
[編集]「ために」がどこから出てきたのか分からないとの事ですが、フランス語には不定法というものがあります(動詞の原形をそのまま文中で使うと、英語のto+不定詞と同じように使われるということです)。要するにressusciterは原形ですから、活用していないという時点で「-のために」という意味が包含されていることになります(実際レオニなどはTo bring back to life と英訳しています)。つまり直訳ならば、viendra ressusciter はwill come to revive ということです(お疑いなら仏和辞典でvenir の項をご覧下さい。venir + 不定詞で「-しに来る」だと載っているはずです)。
竹下節子氏の訳では、確かに「ために」が入っていませんが、前の行の「恐怖の大王が」に直接つないでいるのですから、来る目的として訳しているのは明らかです。
その一方でノストラダムスの予言には不定法が非常に多く、また文脈上不定法と理解しにくい場合があるため、直説法単純未来の語尾が省略されているとみる場合があるのです(この辺の話は日本語文献ではラメジャラーの本などに載っています)。山根訳はそうした読み方に属するもので、三行目を il resuscitera le grand roi - と読み替えた上で訳しているため(厳密にはチータムがその線で英訳したということですが)、直訳ではありません。
四行目も不定法ですので直訳ならば「マルスの前後に支配するために」として、will come to revive..., and to reign...と理解すべきです(実際、高田勇氏の訳ではそうなっています)。が、三行目と違い、直訳するかしないかで主語が変わってしまう上、これは信奉者の間では余り一般的でないことから、無駄な編集合戦が起こるのを避けるために、本文中で補足説明をするにとどめていました。
ただ、今にして思えばコメントアウトで注意を埋め込んだ上で直訳で統一し、通俗的に知られている読み方は文中で触れるようにしたほうがよかったなと思い直しています。異論がなければ、そのあたりの修正は文案を考えて数日中に行いたいと思います。
なお、今回「ために」を削除したIPユーザー氏(またはログインユーザーがIPで書き込んだだけかもしれませんが)が、フランス語文法の初歩をご存じなかったという点を責めるつもりはありませんが、ご自分の知識があやふやなら、まずはノートで疑問を提起していただきたかったと思います。--Sumaru 2008年2月6日 (水) 03:49 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月19日 (火) 23:36 (UTC)
的中した例の一覧表
[編集]予言が当たったとされている具体例について、一覧表にしてほしいです。細かな解説の前に、どういった的中例があるのかが分からないと、知識のない人には分かりづらいと思います。「西暦・事象・預言書の章・備考」のような感じでお願いします。--2400:4172:6833:CA00:B175:CB16:7E82:255E 2020年8月2日 (日) 08:01 (UTC)
諸世紀
[編集]諸世紀云々の前に加筆された「日本では」について、除去しました。これとかこれのように、中国でも「诸世纪」(諸世紀)と訳されており、(リンク切れになってしまいましたが)羽仁礼さんが以前発行していたメールマガジンによれば、アラビア語でも「世紀」を意味する語の複数形で呼んでいる事例があるそうです。
中国への波及については、手前味噌になりますが、ASIOS『昭和・平成オカルト研究読本』(2019年)の私の担当パートでも、「中国では『大予言』が翻訳されただけでなく、ノストラダムス予言が『諸世紀』(日本で広まった誤訳)と呼ばれるなど、日本経由で受容された面が見られた」と、一言だけですが書いていました。
アラビア語については意見が分かれるかもしれませんが、中国語の「诸世纪」は誰の目にも明らかな事例であると思いますので、本文の「日本では」を除去した次第です。--Sumaru(会話) 2021年3月1日 (月) 13:47 (UTC)