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ノート:マルジュ・ダービクの戦い

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ウィキプロジェクト イスラーム (記事品質: スタブクラス、重要度・中に指定されています。)
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とりあえずグーリーをガウリーになおしましたが、正直年代記か小説の引き写しに見えます。なにより初版の登場の仕方が……。このあたりは専門外も甚だしいので、とりあえず史料をあげるあたりから始めたいと思います。参考文献をあげてくだされば幸いです。Kotoito 2005年11月6日 (日) 15:26 (UTC)[返信]

人名の修正をお願いした者です。まずは、どうもありがとうございました。初版を書いた人が何を参考に書いたのかはわかりませんが、一応修正にあたっては講談社学術文庫の『イスラムの時代』、『アラブの歴史』(下)、講談社現代新書の『オスマン帝国』を参考にしました。これらを読む限りでは、

アレッポの太守に寝返り工作をしたうえで出陣したこと。
はじめ、戦況はややマムルーク朝有利だったが寝返りと火砲の投入でオスマン側が一挙に逆転したこと。
両軍とも右翼・左翼・中翼からなっていたこと。

この三つは確かなようなので、各人の台詞の部分さえ削れば戦いの流れ自体はこんなものかな、と思います。ただ、天幕から金銀貨やら何やら云々は、まさか財宝丸抱えで出陣しているとも思えないので、おそらくは戦いが終わって、マムルーク側が放棄したアレッポ城に入城した時の話のことでないかと思います。アル=ガウリーの最期についてはイブン=イヤースが書いたものがあるようです。(私はそれこそ門外漢なのでそれ以上はわからないのですが・・・)