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ノート:マルクス主義批判

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すべて削除し、書き直すべきでは?

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この記事はRabit gtiさんによって新しく作成されました。内容はマルクス主義の中にずっとあった節で、最近私が削除したものです。それを山姥さんが反共主義の中に復活させ、私が削除したら、Rabit gtiさんがここに移動して復活させた、という経緯です。

削除した理由についてはノート:マルクス主義で繰り返し述べています。内容の大半は出典不明の意見にすぎず、出典が示されている場合も信頼できる情報源ではなく、そもそもマルクス主義の側から歴史上なされてきた反論が完全に無視されているので、全部削除して書き直す以外ない、ということです。マルクス主義からマルクス主義批判に移動されても私が言いたいことは同じです。

Rabit gtiさんでも山姥さんでもよいので、現在の内容がなぜWikipediaの記述として妥当なのか、説明してください。

なぜ削除する以外ないのか、一つの例として最初の一段落についてだけ述べます。

共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国のロシアであった。また社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、それは科学というよりも宗教的信仰であるという批判もある。また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない。[1]

この段落の全ての文が問題だらけです。(1) マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』のロシア語版序文で1882年にこう書いています。「もしロシア革命が西ヨーロッパにおけるプロレタリア革命の合図となり、その結果両者がたがいに補いあうならば、現在のロシアの土地共有制は、共産主義的発展の出発点として役立つことができる」。これはロシア革命はロシアにおいて資本主義経済が十分に発達した後でなければ共産主義革命になりえない、という主張を否定し、西ヨーロッパ革命と結合すれば可能だ、という見解を示したものです。また、十月革命当時のロシアは帝国主義列強の一方の陣営として第一次大戦に参加したのですから「発展途上国」とは言えません。(2) マルクス主義は千年王国論だ、というのは一体誰の説なのか示されていません。階級のない社会についてマルクス主義は具体的に語っていない、と言っておきながら、次に「闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば」と勝手にデッチあげてユートピア思想だと批判するのは支離滅裂です。(3) マルクスとエンゲルスが原始共産制を想定していたかどうかについて、専門家の見解は分かれています。『経済学批判』の序文にある「唯物史観の公式」と言われる記述には原始共産制は出てきません。そもそもマルクスとエンゲルスの共産主義思想は資本主義批判なので、原始共産制があろうがなかろうが関係ありません。-Kazhik 2010年11月14日 (日) 08:09 (UTC)[返信]

  • Rabit_gtiです。まず、「Rabit gtiさんでも山姥さんでもよいので」とありますが、ノートを見る限りでは山姥さんと私では、立場と主張が大きく違うので、あくまで私の意見です。私の現状認識は、ノート:マルクス主義#「マルクス主義に対する批判」についてに書いたように「「マルクス主義」の過去の「批判」は、出典はありますが、断片的でWikipedia:特筆性世界的な観点への疑問が多く感じます。」です。多数の出典はあるので「出典なし」や「独自研究」とは言い切れません。しかし内容が学術的でも網羅的ではなく、断片的な思いつきのような(マルクス主義への単純な誤解や偏見や揚げ足取りのような)批判の列挙で、それらの整理も不十分に思えます。しかし、これらの主張が世間で長年にわたり広くされている事も事実なので、単純削除ではなく編集対応すべきと思います。そもそもウィキペディアは専門家を対象にした百科事典ではありません。現在の一般的な日本人では、「マルクス主義 = マルクス・レーニン主義 = ソビエト連邦 = 恐怖政治 = 歴史的に失敗が証明された思想」、程度が大多数の一般的認識と思います。記事は一般向けに書くべきで、Kazhik さんのレベルから見れば「一目で多数おかしい」批判も、それだけで単純削除すべきではなく、編集対応すべきと思います。具体例では、社会主義#主な論点では各批判の直後に社会主義やマルクス主義の側からの反論もそれぞれ記載し、両論併記の形にしています(内容は改善が必要と考えていますが)。当記事も同様の形で、Kazhik さんが上記で書かれた具体的な出典のある反論や指摘を、(ノートではなく記事に)それぞれ追記して頂ければ、記事も充実すると思います。--Rabit gti 2010年11月14日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
    • ちゃんと小泉信三著「共産主義批判の常識」って出典が書いてあるじゃないですか。問題なのは出典のついた情報を一方的に削除する行為ですよ。マルクスもエンゲルスも膨大な文献を残しているんだからどこか探せば矛盾したり、例外的な記述をしているところもあるでしょう。しかし、唯物史観批判としてほとんどの研究者がまず述べることは、「先進国では共産主義革命は起きなかった」と言う事実です。きわめて一般的な意見であり、これに異議を唱えたのを見たのは、Kazhik氏が初めてですよ。むしろあなたの再批判のほうが、よほど独自研究のように思われます。いずれにせよ、異議があるのならRabit gti氏の言うとおり、両論併記するべきです。Rabit gti氏がせっかく独立したページを作ってくれたのですから、記事の下に「マルクス主義批判に対する批判」と言う節を作って、否定論・肯定論両方書けばいいじゃないですか。社会科学的なページとしてそちらのほうが充実するでしょう。一方的に削除するのだけは反対です。--山姥 2010年11月14日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
      • Rabit_gtiです。連続コメント失礼します。個人的には上記の社会主義#主な論点と同様、反論は独立した節より、各批判の後半の方が読みやすいと思います。なお、上記の山姥さんの「先進国では共産主義革命は起きなかった」ですが、1例とはいえ世間一般では極めて一般的なマルクス主義への批判のため、私の認識も記載します。Kazhikさん記載の反論ですが、『共産党宣言』での「西ヨーロッパ革命と結合すれば可能だ」は、ドイツなどの西ヨーロッパ革命は現実に失敗しており、また当時のロシア(や日本)は「発展した資本主義国」ではなく「農奴的封建的」と、レーニンを含め当時の大多数の共産主義者が認識していたので、それぞれ反論になりません(仮に反論になっても説得力の弱い1見解にすぎない)。マルクスは(多少の時間差や誤差はあるとしても)イギリスなどの「発展した資本主義諸国」から労働者を主体とした革命が必然的に発生すると考えたのは事実です。だからこそレーニン主義の「いや、資本主義は帝国主義段階に進んで植民地搾取で延命してしまっているから、反帝国主義闘争としての農民・農奴を主体とした革命が先となってもいいのだ」や、トロツキズムの「当面はそれでもいいが、やはりマルクスの言うように続けて先進国革命(世界革命)が必須だろう」とか、スターリニズムの「いやいや、一国でも社会主義建設はできてしまうぜ、そのためには国家主義愛国主義も必要だ」とか、あるいは左翼共産主義の「レーニン主義がそもそも間違い。ロシア革命は単なる反皇帝の近代化革命で、共産主義革命とは呼べず、従ってソ連は国家資本主義と呼ぶべきで共産主義国家とは言えない。本来のマルクス主義の立場から、本当の共産主義革命はまだ発生していない(先進国でこれから起こる)」などの立場や議論が共産主義者の間で実際に行われています。従って百科事典では「マルクスは間違っていなかった(批判は勘違いだから削除してよい)」という単純なものでは不適切で、これらの諸説を中立的に併記すべきと思います。(2)マルクスは青年ヘーゲル派出身であり、少なくともレトリックを含め千年王国論との類似性は広く指摘されているのは現実です。批判の表現は確かに皮肉調でマルクスの表現とは異なりますが、マルクスが革命後の私有財産が廃止された共産主義社会では、階級闘争や国家や戦争などが消滅すると主張したのも、多くの共産主義者がそう理解したのも事実です。ただし、どの著作でどう表現したか、あるいは正統派マルクス主義のようにマルクス死後にマルクス主義を継承した(と主張する人々)が定式化したかの話は「反論」に追記すれば良いと思いますが、それは正確性の話で、マルクスへの批判が「記載不要なほど誤解だけの批判だった」という話にはなりません。(3)原始共産制も同じで、マルクス本人が直接書いたかどうかは別として、原始共産制は多くの共産主義者にとってマルクス主義の唯物史観の1段階と信じられているのも現実です。従って「マルクス自身はここまで書いた」「後にこう定式化された」との「反論」があれば正確性は向上しますが、マルクスへの批判が「記載不要なほど誤解だけの批判だった」という話にはなりません。--Rabit gti 2010年11月14日 (日) 14:50 (UTC)[返信]
        • 最初の一段落について書いたのは一例にすぎないので、こまごまと反論されても困ります。マルクス主義批判の見解として現在書かれているものは、誰の説か分からず、出典の付け方も不適切で、中立性にも欠ける、という例として書いただけです。誰かが適当に書き散らしただけのマルクス主義批判について、いちいち「本来誰の説だったか」を調べ、それに対するマルクス主義側からの反論を書くのは大変な作業です。だから最初に書いた人たちに対して改善を求めたわけですが、誰も何もせず、ますますわけの分からないマルクス主義批判が増えるばかりでした。しかし、もしRabit gtiさんが「単純削除ではなく編集対応すべき」と主張するなら、ぜひそうしてください。-Kazhik 2010年11月14日 (日) 20:29 (UTC)[返信]
          • 了解しました。元の 「ノート:マルクス主義#「マルクス主義に対する批判」について」 でも「出典はあり、独自研究ではない」との合意はされているようですが、確かに現状の「マルクスの主張に対しては○○との指摘がある」などの記述は、本文上は主語が不明で中立的に見えない(ウィキペディアからの指摘のようにも読めてしまう)ので、「○○は(○○の立場より)○○と主張した」などに、できれば複数立場から異論や反論も併記(ただし詳細がリンク先に記述済のものは簡潔に)すべきと思うので、まずは編集対応してみます。--Rabit gti 2010年11月16日 (火) 14:32 (UTC)[返信]
            • 編集対応予定の中間報告です。もうしばらくお待ちください。なお現在の節構成は「唯物史観批判」など分野別で、多くの立場からの批判が分断されており、出典があるものも分かりにくく、その分類自体も独自研究的なので、一般的な立場別・批判者別の方が適切で、結果的にKazhikさんが最初から提案の「書き直し」に近くなりそうです。--Rabit gti 2010年11月21日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

Wikipedia:BIASED

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『日本共産党を論破する』世界日報社 2004年はWikipedia:BIASEDに抵触するので、別の情報源に置き換えられるべきですので、削除します。同書を用いた記述部分は、反映論の批判ですが、これはH.B.アクトンも詳細を論じています。--240F:36:82F2:1:FD46:20F1:4D0B:F892 2022年8月24日 (水) 15:23 (UTC)[返信]

分割提案

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「マルクス経済学批判」セクションをマルクス経済学への批判へ分割することを提案します。全体の見通しが悪く、説明分量が多いため。--資生論会話2023年5月16日 (火) 12:39 (UTC)[返信]

追加提案:「計画経済への批判」セクションも同様にマルクス経済学への批判へ分割提案します。--資生論会話2023年5月17日 (水) 12:13 (UTC)[返信]

チェック 分割しました。--資生論会話2023年5月25日 (木) 11:11 (UTC)[返信]