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ノート:マルクス・トゥッリウス・キケロ

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Miki takaaki様への回答

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   Miki takaaki様へ


 Miki様。貴方様がヘーゲルに関して修士論文をお出しになられたことには気付かずに済みませんでした。

   わたくしウラヌスは大学院まで進学いたしておりませんし、大学時代においてもヘーゲルよりもカントの方を重視しており、ヘーゲルに関しても専門的に研究している訳ではありません。

 正直わたくしも、モムゼンが直接ヘーゲルの文章を引用した部分は今のところ私には見つけることが出来ないでいます。しかし、ヘーゲルの最晩年の著作「法の哲学」では自然法論をもとに市民社会を超越したところで「絶対精神」を体現する「国家」を描いているのですが、その国家内部のヘーゲルの理想としていた政体は共和制ではなくの君主制であったということなのです。さらに長谷川宏さんの中公クラシックス内部の解説でも、ヘーゲルが理想としていたのはプロイセンの王政だったために歴史的制約を受けるものだと注意を促しておられます。さらに、モムゼンについて言えば、モムゼンもヘーゲルと同じく共和制よりも君主制を理想としており、主著である「ローマ史」の中でキケロを酷評し、カエサルを神格化しています。いずれにしても、ヘーゲルもモムゼンも19世紀ドイツが国家統一に向かっていく中で強力な指導者をドイツ人が渇望していたという歴史的背景を抜きに語ることはできません。さらに、私見ですが、ヘーゲルの思想上の後継者たちから共和制デモクラシー民主政に対する関心を持った人は少なく、むしろカントの思想上の後継者たち(たとえばマックス・ウェーバーハンス・ケルゼンと言った人たち)の方から共和制デモクラシー民主政に関する考察をしている人が多いと言えるでしょう。(ヘーゲルについて私が得た知識は、アレクサンドル・コジェーヴの代表作である「法の現象学」を基にしております。)

 対するキケロ「国家について」「法律について」ではプラトンと同じく「知恵ある王による統治」を理想にしていることは事実です。しかし、君主制は最悪の政体である僭主制に一番転落しやすく、それを防ぐためには「混合政体」を採らざるを得ない、と釘を刺しているのです。さらにキケロは「義務について」の中で、暴君放伐論(モナルコマキ)についても言及があり、国家が市民社会を侵害する場合には市民社会の側からその国家を転覆することも是とすることを言っているのです。

 私のいたらない知識を導入して申し上げられることは今のところこの程度のものでしかありません。Mikiさんにとっては不満がある答えとなってしまいますが、そこのところをお許しくださいませ。--ウラヌス 2009年12月19日 (土) 12:00 (UTC)[返信]

モムゼン理論詳細の追記の提案

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ウラヌスさま

始めまして。Miki takaakiと申します。なにぶん、Wikipediaでの投稿経験が少なく、他の方と議論をさせていただくのは初めてですので、質問の仕方等がWikipediaの通常の慣習からずれておりましたら、遠慮なく、ご叱責をいただければと思います。議論はノートページで行うようにとの指針があるように思われましたので、こちらに記載させていただきました。ウラヌスさまのように、多彩なテーマに渡って記事を書いていらっしゃり、ローマだけでなく法学者の来栖三郎や、日本史・オペラなどでのテーマでも活躍しているわけではわたしはありませんので、世の中には、様々な分野にわたって深い教養を持っている方というのは存在するものだと、驚嘆いたしました。

さて本題ですが、私はその昔、ヘーゲルをかじっていたことがあります。ヘーゲルがキケロに批判的であったという記載を見て、少なからず、驚きました。過去の更新履歴を見る限り、キケロの項を書いているのはウラヌスさまだけであり、他の方の編集が加わっているわけではないので、ウラヌスさまと直接、やり取りができれば、十分かと思います。

厳密に言うと、ヘーゲルも人生を通じて、思想を少しずつ変えていった人物であり、最前線の研究においては、どの次期にはどのような思想をしていたが、どの頃から、方向性が変わっていったかという文献学的手法が昨今の研究では普通となっております。学問の細分化は最先端の研究においては不可避な現象です。わたしの場合、後期ヘーゲルの法学や社会理論をメインテーマに学んだ事情があり、当然、ヘーゲルの他の分野や次期におけるキケロ評価を、全て把握しているわけではありません。

しかし、わたしが自信を持って言えることがあります。ヘーゲルは若い頃はギリシャ的共同体を理想視する傾向があり、近代自然法思想には批判的な人物であるという見解が専門家の中でも多いのですが、円熟期になるにしたがい、古典的な自然法思想を使いこなすようになっていくのです。後期ヘーゲルの社会理論は、ルソーの一般意志の概念の後継者であり、彼独特の弁証法による論理学を適用して、普遍意志(一般意志)、特殊意志、個別意志がうまく有機体的に機能している状態を、理想国家ととらえる傾向があります。なんという研究者だか忘れましたが、ヘーゲルは自然法の完成を見るとともに、その解体が始まる場所にいたという説を読んだことがあります。私はこの見解に全面的に賛成するものであり、次のマルクスの世代あたりになると、社会科学においても実証主義的傾向が強まり、自然法思想のような架空性の高い理論は流行らなくなっていくわけです。

このようなわたしの見解は、必ずしも日本のヘーゲル研究家の間でマジョリティではありません。ただし、わたしはこのテーマで修士総代となった人間であり、主張に独自性は強いものの、ヘーゲルの基礎知識において、大きな間違いは無いと思います。論文審査をした教授には、「あなたの弱点は、ものごとを大きくとらえる能力は高いが、一文字ずつ丁寧に読んでいくという習慣が弱いことだけだ」と言われました。また、わたしと同じ見解を持っている人は、ローマ法研究、歴史法学研究の分野の中には多数存在し、こちらの側の動向は、本職のヘーゲル研究家の間で知名度が高いとは思われません。

今回、ヘーゲルがキケロについて批判的だったという記載を見て、ヘーゲル研究の用語解説書を3冊読み直しましたが、どれひとつとして、ヘーゲルがキケロに対して否定的であると断定している解説はありませんでした。むしろ、ほとんどの日本人ヘーゲル研究家は、キケロに無関心のようです。無論、わたしが全てのヘーゲル作品におけるキケロ評価を知っているわけではないのですが、後期ヘーゲルの社会思想という観点以外の解説書もあわせて読んだ限りでは、キケロ批判を鮮明に行っていた人物とは思えません。単に、彼の「過去の哲学史を全部カバーして、自分の体系内におさめてみせる」という傾向の中で、キケロが自然と言及されているケースのほうが多いような気がします。

さて、へーゲルは、ベルリン大学赴任後、「法の哲学 - 自然法と国家学」や歴史哲学に関する講義を行うわけですが、当時、学生たちが必死になって書いていた講義の議事録などを観察してみると、非常に面白い現象に気がつきます。ヘーゲルは途中で、法哲学講義を弟子のガンスにやらせるようになるのですが、死亡した1831年には、イギリスでの革命発生の可能性、イギリス選挙法改正に関する議論、加速する一方の歴史法学との対決という状況の中、自ら法哲学の講義を行ったのです。当時の法哲学や歴史哲学の講義録を見ると、キケロの「義務について」は自然法思想の源泉として無視し得ない存在であるとして、肯定的に評価されているのです。

1831年の彼の法哲学講義は、気合が入りまくったものであり、自然法思想はキケロの「義務について」から始まり、その後、多数の哲学者を通じて発展してきたものであると力説しています。

そこで、僭越ながら提案なのですが、モムゼンから見たヘーゲル像が、ヘーゲル本人の思想から逸脱したものではないかという可能性を考慮してみてはいかがでしょうか。モムゼンという人は私にとっては初見であり、基礎知識は全くありません。が、「モムゼンによれば、ヘーゲルはこのようにキケロを批判している」という記載があれば、ヘーゲルを学ぶ人にとって、議論を理解し易くなると思います。

ご検討いただければ幸いです。

PS なぜかログオンしているはずなのに、IPアドレスが表示されてしまいます。 私の書いた記事としては、下記をご参照ください。 http://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AF%E7%9C%9F%E6%82%9F

--137.109.64.2 2008年3月26日 (水) 23:38 (UTC)[返信]

加筆訂正した理由

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 こんにちは、今日大幅にこの項目を加筆訂正いたしましたウラヌスです。

 なぜこの項目を加筆訂正いたしましたかと申しますと、今までの説明では単なる事例の紹介の域を出ないものでしかないと考えたことと、日本においても岩波書店が1999年から『キケロー選集』を逐次刊行していることに表されるようにキケロに関する関心が深まっている事や、塩野七生氏の『ローマ人の物語』でボロカスにキケロのことが書かれており、それによる読者が有するキケロへの偏見を除去したいと考えているためです。

 更に今までの日本におけるローマ史研究は19世紀ドイツにおけるそれを直輸入したものであり、それがモムゼンに代表されるカエサル一辺倒の中立的視点に欠けるものであったからです。

 もしも皆様がこの項目をご覧になったらば、キケロに関していろいろ議論をぶつけて下さいませ。--ウラヌス 2006年4月15日 (土) 08:32 (UTC)[返信]