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ノート:マリー・マンシーニ

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言語によるカナ書き表現を揃え、マリー・マンシーニを主とするご提案(表記揺れ案内も)

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このページには、氏名について、フランス語由来のカナとイタリア語由来のカナが混在しています。

もちろん外国語のカナ表記はどれが正しいと一概には決められませんが、Manciniの発音はフランス語では「マンシーニ」に近く、イタリア語では「マンチーニ」に近くなります。 これに、フランスにおけるMarieの「マリー」、イタリアにおけるMariaの「マリア」を組み合わせると、それぞれ「マリー・マンシーニ」(仏)と「マリア・マンチーニ」(伊)となります。

この人物のように、フランスとイタリアの2つの国での人生史がある場合には、双方のカナ表記をそれぞれの言語に合わせるべきではないでしょうか。 (例えばフランスの王室の歴史から検索する人はマリー・マンシーニで、イタリアの歴史から検索する人はマリア・マンチーニで検索することが多いでしょう。)

この人物はイタリア生まれですが、フランスに移り住んで宮廷生活において有名になり、結婚後はイタリアで暮らし、その後ヨーロッパを放浪するという人生を送りました。 その中で、呼び名は次のように変わって行きます。 幼少期:「アンナ=マリア・マンチーニ」 フランス時代:「マリー・マンシーニ」 イタリア時代:「マリア・マンチーニ・コロンナ」※自署ではマリー・ド・マンシーニと署名している場合もあり

そこで、記事のタイトルを「マリー・マンシーニ」とし、 本文トップを「Marie Mancini マリー・マンシーニ(イタリア語で Maria Manciniマリア・マンチーニ)」のような表記にし、 さらに表記揺れ案内にて複数の表記を並列することをご提案致します。

なお、同様に、この記事におけるマリーの姉妹についても、そもそも「マザリネット」がフランス宮廷にて女王アンヌ・ドートリッシュが名付けた名称ですので、フランス語の訳本(「フランスの歴史をつくった女たち」Guy Breton著/曽村保信訳)にならい、「ローラ・マンシーニ、オラーンプ・マンシーニ、オルタンス・マンシーニ、マリー=アンヌ・マンシーニ」とすること、また、ルイ14世の妻はフランス女王となりますので、マリア・テレサではなく「マリー=テレーズ・ドートリッシュ」にすることをご提案致します。

--Oeuf dur会話2017年11月26日 (日) 14:13 (UTC)Oeuf dur[返信]

コメント 鹿島茂の『ヴェルサイユ』で、マリー・マンシーニ(マリア・マンチーニ)、オランプ・マンシーニ(オランピア・マンチーニ)の表記を確認。また、阿河雄二郎『沼地のなかの城塞都市ブルアージュ』NAID 120005593824でのマリー・マンシーニを確認しています。マリー・マンシーニあるいはマリア・マンチーニで良いと思います。本記事での、マリア・テレサに関してですが、この人物とルイ14世との結婚について言及されるとき(婚姻後、フランス王妃としての話題は別として)は「マリア・テレサ」と書かれることが多いという個人的な印象があるので、賛否は述べません。姉妹については、この記事での記述に限っては宜しいのではないでしょうか。各記事名の改名については表記ゆれがありそうなので保留します。本記事の改名提案が行われれば、賛成するでしょう。Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことを参照して改名提案されることをお勧めします。--StrangeMist (a.k.a StrangeSnow / Talk) 2017年11月26日 (日) 20:13 (UTC)[返信]
賛成 改名提案されたので、改めて本記事の「マリー・マンシーニ」への改名を賛成します。改名後には「マリア・マンチーニ・コロンナ」「マリア・マンチーニ」のリダイレクトがあっても良いかもしれません。他の記事名称については上記に述べた通り表記ゆれがあるので、とりあえず保留とさせてください。各々の記事か「マザリネット」あたりで纏めて再提案してくださればいいかなと思います。(Wikipedia:改名提案##11月26日から30日へ改名提案を掲示しておきました。)--StrangeMist (a.k.a StrangeSnow / Talk) 2017年11月27日 (月) 03:15 (UTC)[返信]
報告 一週間以上経過したのち、反対ありませんでしたので改名しておきました。--StrangeMist (a.k.a StrangeSnow / Talk) 2017年12月10日 (日) 20:51 (UTC)[返信]

本文中の「愛人」、タグの「公妾」削除のご提案

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マリー・マンシーニについて、本文で「愛人」という記載があり、タグに「公妾」とあります。

しかしながら以下の4つの理由から、タグ「公妾」を外し、本文に「恋人」と記述することをご提案します。

(1)マリーの妹のオルタンスが、マリーの夫となったコロンナ王子がマリーが処女であったことに驚いている様子を記述で伝えており、マリーとルイ14世の恋愛はプラトニックなものであったとされています。

(2)自身の結婚後もなおマリーとコロンナ王子との縁談を阻止しようとしたルイ14世に対して、マリーが「妻になれなかった私があなたの愛人になる気はない」という主旨の発言をし、そうした画策をやめるように頼んだと伝えられています。(出典:Guy Breton著, Histoires d'Amour de l'Histoire de France、曽村保信訳、第四巻)

(3)マリー・マンシーニの研究家であり伝記作家のLucien Pereyが、1894年出版の「LE ROMAN DU GRAND ROI」において、「彼女(マリー)は恋人であり、モンテスパン夫人などの他の者たちは愛人である」とはっきりと区別しています。

(4)公妾の定義は厳格なものではありませんが、少なくとも当時のフランス王室では、公妾とは「国費からの継続的な手当て」「身分の確立と所領」「国費からの年金」などの実態があったようです。マリー・マンシーニには、別離に際して国費から莫大な金額や宝石が与えられましたが、それは一時的なものであり、他の公妾とは待遇が異なります。

--Oeuf dur会話2017年11月26日 (日) 14:28 (UTC)Oeuf dur[返信]

コメント 公妾ではないでしょう。また、愛人ではなくかつての恋人のほうがより正確であると私も思います。定義文としては「フランス王ルイ14世の愛人。ジュール・マザラン枢機卿の姪にあたり、マザリネットの1人。」よりも「ジュール・マザラン枢機卿の姪でマザリネットの一人。パリアーノ公爵ロレンツォ・オノフリオの妻。ルイ14世の初恋相手として知られる。」のくらいのほうがすんなり入ってきます(が、文面についてこだわりはありませんし、こうしろというわけではないです)。修正してもよろしいのではないでしょうか。--StrangeMist (a.k.a StrangeSnow / Talk) 2017年11月26日 (日) 20:35 (UTC)[返信]

現在の誤った画像(別の人物の画像です)を正しいものに差し替えるご提案

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マリー・マンシーニの画像として、別人の画像が添付されています。 (なお、元の画像はウィキメディアコモンズにおいて、すでに「Marta Ghezzi Baldinotti」にrenameされています。)

この画像(一部)は2006年に「Marie Mancini」のタイトルがつけられてウィキメディアコモンズにアップロードされましたが、全体像のオリジナルは過去に複数のオークションにおいて何度か男性の肖像画とペアで販売されており、その際、いずれも「Marta Ghezzi Baldinotti」と鑑定されています。

例えば Bonhams のホームページには、この全体像のイメージについて、下記のようなコメントがあります。

引用:

2014 MAR 12 London Marta Ghezzi Baldinotti (Naples 1649-Rome 1718), was the daughter of Felice Angelo Ghezzi, Duke of Carpignano and Baron Zullino. On 17 April 1667 she married the Marquis Cesare Baldinotti di Pistoia (1636-1728), Duke of Pescorocchiano. They had a daughter, Ginevra, who married Count Francesco Maria Carpegna. Professor Francesco Petrucci, the principal conservator at the Palazzo Chigi and the leading authority on Voet has confirmed the attribution on the basis of photographs at the time of the previous sale.

この画像に替えて、Drouot、マンシーニ姉妹の5枚の肖像画の販売記録に掲載されている2番目の画像、もしくはイタリア語版「Maria Mancini」のページに添付されている「Oil on panel portrait of Marie Mancini, Princess Colonna.jpg」をアップロードすることを提案します。 (映画やドラマからマリー・マンシーニを検索する人、元のMarta Ghezzi Baldinottiの画像を気に入っている人、ルイ14世がマリー・マンシーニに与えた真珠のネックレスを検索する人(Claude Dulongらにより研究発表されたコロンナ家の財産目録にも記載されている)にとっても、ネックレスを首につけている前者の画像の方が興味深いと思われます)

--Oeuf dur会話2017年11月26日 (日) 23:00 (UTC)Oeuf dur[返信]

出典の追補(履歴の継承が不成立)

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翻訳からスタートした記事とわかりましたので、原文の英語版から出典を補えないか試みました。結論としては脚注は1件のみ。

  • 初版から履歴の告知の間に別の利用者の編集が挟まり、初版は履歴継承が成立しないままのようです。
初版の翻訳、原文と履歴
原文の版を2007-03-29付と示されています (ウィキ英語版 09:06 29 March 2007を参考に作成) 。英語版en:Marie_Manciniの特定番号 118736699 番、2007年3月29日09:06 (UTC) 時点における Dimadick による版に相当します。
英語版に典拠は1件
  • 初版翻訳の時点で英語版記事に典拠はなく、更新により 1070676033 番は脚注が1件つき(2022年2月8日17:50 (UTC) 時点における Javert2113 による版
  • 典拠として文献が1件加わりました (編集の要約は、Importing Wikidata short description: "Mistress of the King of France (1639–1715)" (Shortdesc helper)))。
  • Miller, John (1987). Bourbon and Stuart: Kings and Kingship in France and England in the Seventeenth Century. ISBN 0-531-15052-6.
  • 別件として、記事の主題の著書一覧(Authority control = Normdaten)を置いたようです。

--Omotecho会話2022年2月21日 (月) 13:05 (UTC)[返信]

周辺資料

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国会図書館データベースより、書誌情報を引き写します。出典になるかどうか参考になれば幸いです。

  • 改版、1987年。
  • 改版改題、2008年頃。Paleo, Sources de l'histoire de France.