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ノート:ポーランドの現代音楽

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区分定義

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今日、ポーランド語にリンクを張ったところ、「ポーランド語の該当記事が空欄のため削除」という判断だそうです。ポーランド語でこの項目がかかれることを切望する故、「他の言語」の欄は抜かないで下さい。--Noda,Kentaro 2004年8月8日 (日) 23:41 (UTC)[返信]

果たして第一次・二次・三次などと時代を区分する事はわかりやすいけど本当に意味があるのか?もしある作家が第一次・二次・三次の性格とそれだけの作曲活動人生を歩んできた場合どう分類するのか?またポーランド人がストラヴィンスキーのようにフランスやアメリカに帰化した場合でもポーランド学派と言うのか?

 日本でも第一、第二、第三世代と普通に雑誌等で使われております。それのポーランド版です。ポーランドも「ポーランド楽派」と一番最初に言ってしまった人がいて、皆それにつづいていっているだけです。--Noda,Kentaro 2006年10月8日 (日) 08:10 (UTC)[返信]

統合の提案

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上の議論やそれぞれの記事の内容からも明らかなように、第一次、第二次、第三次へ分割し、これらを「ポーランド楽派」と定義づけることは、利用者:Noda,Kentaro氏の独自の研究であることが強く疑われます。Noda,Kenatro氏が無期限ブロックとなった今、出典を求めることは今まで以上に難しいと思いますが、上記の点が検証不可能であることを前提として、第一次、第二次、第三次ポーランド楽派の各記事の「ポーランド楽派」への統合および、第一次、第二次、第三次ポーランド楽派の記事の削除依頼提出を提案します。

出典を確認するのにそれなりの期間が必要であろうことをふまえて、これより2週間出典明示を中心としたご意見を募りたいと思います。特に現代音楽に造詣の深い方々より、これらの記事の命名及び定義が妥当なものであるかご意見頂戴できればと思います。2週間の間に適切な出典を明示する意志がどなたからも示されない場合、または統合に異論がない場合、作業に移りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。--Aotake 2006年11月25日 (土) 15:28 (UTC)[返信]

(賛成)ただし、本文の論調を読む限り、機械的に統合すれば充分というわけには行かなさそうで、余分なコメント(言い訳や批評)を刈り込んでからの作業になるでしょう。--間久部緑郎 2006年11月27日 (月) 12:49 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。ご協力いただいて心強い限りです。余分なコメントの部分は私もとても気になっていますが、これらの修正はウィキペディアの基本方針に照らした編集となると思いますので、基本的にはいちいちの合意なくとも行っていただいてかまわないと思います。複数の意見が生じそうな点、異論の出た点についてのみ、議論すればよいのではないでしょうか。是非よろしくお願いいたします。--Aotake 2006年11月27日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
(賛成)項目全体としての見通しを良くするためという理由で賛成しますが、あくまでそれぞれの項目を節として持ってくるという前提での賛成であり、例えば第3次とされている若手中堅世代の解説を独自研究などの理由でばっさり切ってしまうことには反対します(ただしいわゆる「アクの強い文章」からの改稿には賛成)。これらはワルシャワの秋現代音楽祭で毎年公的に紹介されており、日本でもその録音が年々海外現代音楽特集で放送されています。また出典の明示を求めるのであれば、参考文献として以下の2冊を挙げることが可能です。
  • ポーランド音楽の歴史 シレジンスキ,ステファン、エルハルト,ルドヴィク・編、阿部緋沙子・小原雅俊・鈴木静哉・訳、ISBN:4276135664 音楽之友社 (1998-05-10出版)
  • ポーランド音楽史 田村進 ISBN:463900561X 雄山閣出版 (1991-06-20出版)
ただし2冊とも現在僕の手元にはありません。前者は所持していますが実家においてきており、後者は図書館で読んだきりです。残念ながら僕は現在日本国外に住んでおり事実上現在入手することは不可能なので本の内容を今は確かめられませんが、両者とも現代音楽についてルトスワフスキやペンデレツキなどの第1次世代にとどまらずある程度の若手中堅世代への言及もされていたはずです。またPWM(ポーランド音楽協会)などのウェブサイト上での情報入手も可能です。30rKs56MaE 2006年12月2日 (土) 00:41 (UTC)[返信]
参考文献のご教示ありがとうございました。今日、両方とも簡単に確認してきましたが、『ポーランド音楽の歴史』の方では、目を皿にして確認したわけではないので絶対ではありませんが、「ポーランド楽派」の説明はないようでした。また『ポーランド音楽史』では、レガメーが1963年に「ポーランド楽派」を「この8年間」に形成された、ルトスワフスキ、ペンデレツキ、グレツキ、セロツキ、ベイルドを代表とする前衛派の音楽家として示したと紹介し、この人々に楽派といえるほどの様式上の特徴があるといえるか疑問とした上で、新たに1960年代に第一線で活躍した前衛的な作曲家たちを広い意味でポーランド楽派と呼ぶことができるだろうと田村氏自身が提唱していました。
なお、『ポーランド音楽の歴史』「現代」の章では、第二次世界大戦後の現代音楽を45~48、49~56、57~65、66~の4期に分割していました。ただ、オリジナルが1968年出版なので、このような細かい時期分けは今では有効ではないだろうなと推測します。
となると、これらの書籍は現在の記事の定義の出典とはなりませんし、1960年代以外の作曲家を「ポーランド楽派」に含めることも典拠がないことになってしまうと思うのですが、なにか他に有効な参考文献はあるでしょうか。もし有効な出典がない場合、「ポーランドの現代音楽」などの記事名にしたほうがよいと思うのですが、どうでしょうか。ご意見をまたお聞かせいただけると助かります。--Aotake 2006年12月4日 (月) 13:53 (UTC)[返信]
30rKs56MaEさん、ご心配なく。あくまで、「独自研究の疑いを拭えない部分」を刈り込んでいくというだけの話であって、ある項目をまるごとバッサリ、というのではありません。むしろ、30rKs56MaEさんのような方が、専門的な視点から編集(改訂)に携わるというのがベストのような気さえしますが、他の皆さんはいかがお考えでしょう。--間久部緑郎 2006年12月5日 (火) 12:40 (UTC)[返信]
Aotakeさん、参考文献のご確認ありがとうございました。わざわざお時間を割いていただき恐縮です。間久部緑郎さんもコメントありがとうございます。現項目についての問題点は「ポーランド楽派」という単語が他の参考文献内で見当たらないということだと思いますが、特にこのウィキペディア項目内で「第1次」とされている作曲家について、現代音楽全体において特徴的な音響や記譜法などの作風が共通するある種のグループと見なすことは充分可能でしょう。あとは僕も日本国内に居れば、思い当たる現代音楽全般についての日本語文献の中から該当する記述がないか探すことも可能なのですが、とりあえず思い当たる書籍をいくつかリストアップしてみます。(これは現代音楽の項に参考文献として書くことも可能でしょう。)
もちろん現在僕の周りでフランス語文献の中から同様の記述を探すことも充分可能ですので、近いうちに機会があれば探してみたいと思います。とりあえず本項目を改題するにしても、「ポーランド楽派」という名前は一旦REDIRECTにするなどしても残しておくのが良いかと思われます。30rKs56MaE 2006年12月5日 (火) 16:13 (UTC)[返信]

統合後

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統合の作業をしました。定義文を上での参考文献の確認をもとに現在のように書き換え、3次をそれぞれ「戦後◦世代」と置き換えています。引き続き、この記事の記事名は「ポーランド楽派」が最適なのかについて、ご意見頂戴できればと思います。さきの発言も意図が分かりにくかったかもしれませんが、「ポーランド楽派」という名称の定義、範囲についての出典が必要です。内容については、基本的にそれぞれの作曲家の略歴や作風のことですからいろいろな媒体で検証できると思うのですが、そもそもの「楽派」の定義がはっきりしないことが問題です。ご提示いただいた文献は簡単に見れるものばかりと思いますので、私も確認してみたいと思います。あと、リダイレクトにした、第◦次ポーランド楽派の記事ですが、当初は削除が妥当かと思っていたのですが、履歴の継承が面倒そうなので履歴の観点から残しておくという選択肢もありえるという気もします。とは言え、履歴の保持以外には残しておく意義はあまりないと思うので、リダイレクトの削除依頼で履歴統合を依頼したほうがいいのかなと思ったり、行きつ戻りつしています。こちらもご意見お聞かせいただければ幸いです。--Aotake 2006年12月9日 (土) 16:54 (UTC)[返信]

まずはAotakeさん、作業お疲れ様でした。さてルトスワフスキに関する部分で

このアイデアには、彼が捕虜収容所から数十Kmの逃避行を強いられた過去が反映されている[要出典]

に要出典が張られていますが、これの文章は本人の言葉としてどこかの書籍で見覚えがあります。また、

ジョン・ケージの「ピアノとオーケストラのためのコンサート」(1958年)を聞いた彼は、作曲観が180度回転するほどの大ショックを受け、前衛イディオムから生まれる新しい個人様式への渇望を感じるようになった。

の文章に関しては昔学生時代に書いたレポートの文書ファイルを探したら出てきました。以下転載します。

1960年に私はケージの「ピアノとオーケストラのためのコンサート」の一部を聴いたが、その数分間が私の人生自体を変えてしまった。…しばしば作曲家たちは、演奏されているがままの音楽を知覚しない。演奏は作曲家たちにとって全く別のもの、すなわち彼らの想像力の中だけみある音楽を発生させるための刺激としてのみ役立つのである。一種の分裂症であるが、我々は何かを聴いて、同時に全く別の物を作り出すのである。ケージの「コンサート」を聴いた時に私に生じたのが、まさにこの事であった。(『作曲の20世紀』第2巻(長木誠司・編、音楽之友社))※「ルトスワフスキ」そのものの解説ページではなく、そこから少し離れた章末ページに記載されていたはず

もしかしたら上記の要出典箇所も、同じ文献にあったかも知れません。いずれにしても現在手元にないので確認が出来ないのが残念ですが。以上、出典の明記について少しでも足しになればと思います。30rKs56MaE 2006年12月9日 (土) 19:21 (UTC)[返信]

30rKs56MaEさん、ありがとうございます。数十Kmの逃避行を強いられた過去が反映されているという記述については、ルトスワフスキの本体の記事に記述が見つからず、外部からの一解釈なのかどうか判断がつかない言い回しだったので、出典の明記がほしいな、と思った次第です。本人の言葉であるという出典がはっきりとわかるといいのですが…。ケージの影響についての出典もありがとうございます。これもルトスワフスキの本体の記事の方に記載するといいですね。
実は、すでにいくつも貼っているもの以外にも評価に見える記述を中心に「要出典」を貼りたい、ところがいくつかあったのですが、現代音楽の時の騒動を考えて貼りませんでした。おいおい、情報を補っていただければとおもいます。よろしくお願いいたします。--Aotake 2006年12月10日 (日) 03:08 (UTC)[返信]

いくつかご報告しておきます。ポーランド楽派の定義を示している情報源の調査の途中経過ですが、グリフィス『現代音楽 1945年以後の前衛』と船山隆『現代音楽』にはポーランド楽派の定義となるような記述はみあたりませんでした。そもそも、まとまってポーランドの現代作曲家を分析した文章は含まれていないように読めました。もしそういう箇所を私が見落としているようでしたら、ご指摘いただければと思います。

それと、メーリングリストの方にNoda,Kenatro氏からいくつか指摘がありました。私はほとんど受け入れる点はないと感じましたが、バツェヴィチの「最後の「無伴奏ヴァイオリンソナタ」」(第一次ポーランド楽派のoldid=7720626版を「無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番」としたことについては、Noda,Kentaro氏の主張をいれて第2番をとりました。第2番としたのは、グローヴやUSCポーランド音楽センターの作品リストに従ってのものですが、出版時のタイトルに従うべきであるというNoda,Kentaro氏の主張にも一理あると思ったからです。--Aotake 2006年12月12日 (火) 15:07 (UTC)[返信]

やはり改名したほうがよくないでしょうか?

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先日、wikija-lメーリングリストにNoda,Kentaro氏を名乗る人物から、「恐らく、ポーランド楽派について世界で一番詳しく解説した」文献として[1]にあるAndrzej Chłopeckiの「ポーランドの現代音楽」と題された2001年のエッセイが提示されました(Noda,Kentaro氏のメール)。

こちらの記事を読むと、やはりポーランド楽派("polska szkoła kompozytorska/Polish composers' school")は1960年代前半にもてやはされた用語として指摘されています。ポーランド楽派の明確な定義は示されていませんが、「グループ49結成以降のポーランドの作曲家達を指す」という記述はなく、ルトスワフスキを筆頭に、ペンデレツキ、グレツキ、セロツキ、バイルト、キラール、シャロネク、シェッフェル、コトンスキが代表的な名前として挙がっています。一方、戦後生まれの世代については、ポーランド楽派に相当する語は用いられていません(「スタロヴァ・ヴォラ世代」"pokolenia Stalowej Woli/Stalowa Wola generation"という語はあり)。つまり、もともとポーランド楽派という用語をポーランドの現代音楽家のかなり広範囲に適用した定義を示していたNoda,Kenataro氏から「世界で一番詳し」い文献として示されたエッセイでも、Noda,Kentaro氏のような定義は示されていません。

やはり、この記事の内容を「ポーランド楽派」という記事名としておいておくことは、独自の研究になってしまうのではないでしょうか。「ポーランド楽派」の記事にしておくのならば、1950年代後半から1960年代前半に活躍した現代作曲家の記事とするべきであるし、今の内容をおおむね保持するのであるならば「ポーランドの現代音楽」などの記事名に改名すべきだと考えます。ご意見をお聞かせください。--Aotake 2006年12月15日 (金) 17:43 (UTC)[返信]

「ポーランド楽派」の用語そのものが議論の対象となっている事がここのWikipediaの専門性を凄く疑い、いたずらに荒らしているように見えます。もちろんこの言葉はあります。「Musik Texte」や「Neue Zeitschrift für Musik」などを毎回参照してください。ポーランドの項にあるはずです。FM・ラジオ、TV等にも頻繁に使われます。私自身も多数のポーランドの若い作曲家と議論しましたが、これを否定する人はまだ一人としていません。またペンデレツキやコトニスキー・プリツィビスキーなどに習ったり話したりしましたがヨーロッパではどこでもこの用語は一般的です。ドイツの音大でもラッヘンマンやカルコシュカは実際に音楽史やアナリーゼの授業で正式に「Polnische・Schule」として教えていました。ダルムシュタットやドナウエッシンゲンにも多数の日本人が近年参加してるはずですが、そう言った講義を聞いていないのか、聞いていても理解できないのか知りませんが、ここで議論となる事自体が「現代音楽」以前の話でしょう。しかし第一次から三次までの時代区分は余り知りません。ただ全員一致しているのは誰もが言うのはこのポーランド学派の祖はルトスラフスキーではなくて近代音楽のシマノフスキーであることです。第一次とするならその人でしょう。最近のポーランド人の若い作曲家はドイツなどに流れてきてここの音楽の影響をもろにかぶっているのが多いので第三次はもう合わないかもしれません。第一次から三次までの時代区分はダルムシュタット学派に適用した方がStockhausenとLachenmannやBoulezとFerneyhoughの区別がはっきりわかってもっとふさわしいでしょう。余りにも日本語の文献に頼りすぎてはいませんか?ここの膨大な情報と比べると日本はほとんどないに等しいです。--195.93.60.69 2007年1月1日 (月) 10:55 (UTC)[返信]

今まで、ポーランド楽派という言葉がないとか一般的でないという議論は一度もしていませんし、ポーランド楽派という言葉がどれだけヨーロッパで教えられているかということはここでの議論とまったく関係ありません。問題にしているのは、ポーランド楽派という楽派の定義そのものです。もっとわかりやすく言えば、どのような作曲家を現代音楽の専門家は「ポーランド楽派」と呼んでいるのか、ということです。3次に分けることや、以前Noda,Kentaro氏が執筆した3次のポーランド楽派のそれぞれの定義文は、現在までのところ、検証できませんでした。今までいくつか示された資料では、1960年代を中心に活躍したポーランドの前衛的な現代作曲家のことを「ポーランド楽派」としているものばかりです。もしそうであるならば、それ以外の世代を「ポーランド楽派」と呼ぶことは独自の研究になり、この記事が取るべき道は次の2つです。1)今までに示されている資料がそうしているように「ポーランドの現代作曲家」という記事名とし、その中の一部としてポーランド楽派を扱う、2)一般的なポーランド楽派の部分のみを「ポーランド楽派」として残し、他の部分は他の適切な記事へ移動する。とにかく、この項目は「ポーランド楽派」の記事なのですから、ポーランド楽派の定義がきちんと示されないことには話になりません。ポーランド楽派の定義は一般に上と異なるとか、1950年代末以降のポーランドの前衛的現代作曲家はひっくるめて「ポーランド楽派」とすることが通説であるとか、シマノフスキーがポーランド楽派の祖であるとかということでしたら、ぜひ出典になる資料をご紹介ください。日本語の文献である必要はありません。--Aotake 2007年1月1日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

ポーランド学派の定義は普通には本文の通りで良いでしょう。それ以上は十二音主義者のような共通のテクニックはないので定義できませんので無茶です。さすがに3次の以下ポーランド楽派は私も検証はできません。だからこれには賛成はしていません。『1960年代を中心に活躍したポーランドの前衛的な現代作曲家のことを「ポーランド楽派」としているものばかりです。』は検証した文献がとても古い可能性が大です。新しいのはまだ出ていないでしょう。ダルムシュタットが毎回出しているDarmstaedter・Beitraegeでももう十数年後れで出てきますし、あそこで当時語られた100分の1も載っていないはずです。その新しい記事の扱いですが、彼の新しい研究でなくはないかもしれませんが、誰かがすでに雑誌にそう書いていたらどうしますか?ポーランド学派を研究している人はかなりいるでしょう。例えばStuttgartのMatthias・Herrmann。彼の書いた部う所の全部は知りませんが何らかの雑誌に書いている可能性はあります。彼は肩書きばかりではなくポーランドでも教えたし、奥さんがポーランド人なので信頼できるはずです。ここには雑誌も無数にありますしねなんともいえないです。どうしても野田氏に聞くしかないですが、ここに書けないのでしようががないですね。そもそも雑誌の検証は大体毎月追加されるのでとても難しいです。でもRobert・Schumannが創刊した「Neue・Zeitschrift・fuer・Musik」の執筆者などはほぼみな大学のDr.Prof.ですので確実に信頼が出来ます。他も同様です。多分ポーランドで彼ら自身がレッスンなどで直接教えられるのでしょう。作曲のレッスンはあなた達は知っているかどうか知りませんがどこでも普通は教科書などは一切使っていません。各作曲の先生が頭の中にあるものを教えているのです。和声学が対位法も昔はそうでした。旋法対位法などで結局どれが正しいのかは教科書等ではなくその様式で書かれた音楽に直接当れとよく言われます。そうやって学派が作られ代々の系譜が作られるのです。そしてそれがこの場で一般の規則どおり行かない理由の一つです。「シマノフスキーがポーランド楽派の祖」というのはどのポーランドの作曲家に聞いても同じ答えなのです。文献はあるかどうか知りませんが「芸大アカデミズム」と同じ要因です。もちろん「Musik・Texte」などで探す事も出来るし、第一次という考え方もありますが、ScelsiやMessiaen、Hauer、LaMonte・Youngのようにある学派への単なるきっかけと言う考え方もあります。要するに彼の音楽は近代音楽であって現代音楽には入らないからです。「ポーランド学派」の術語は確かにあります。それがどこまでかは意見が分かれます。自分では東欧崩壊の1989年ごろまでは確実に指したいです。それ以後は西欧の考え方が大量に入ってきて何もかもがごっちゃ混ぜになっているからです。例えばケルンのクリストフ・マイヤーは余りにもドイツが長すぎてもはやポーランド学派とはとても言いにくい。でもブグスラフ・シェッフェルはオーストリアが長くとも確実にポーランド学派といえる。事実1986年当時のオーストリアのORF・FM放送は正式にPolnische・Schule/Poland・Schoolとして曲を解説していました。ブグスラフ・シェッフェルは文献がほとんどないでしょう。シャロネックもしかりです。何で知っているかと言うと自分は最初に作曲のレッスンで先生が持ってきた音楽をアナリーゼしたのです。いまだに生のコンサートさえも聞いたことなないです。こうやって作曲界ではある考え方や様式・技術を99、9%教科書などの文献ではなく口頭で口移しに後輩に引き継がれるのです。だから楽譜以外は残らないのです。この規則に沿ってないかもしれませんがそれが世界の実態でしよう。「芸大アカデミズム」も然りです。だからそれを書いた文章がないのです。--195.93.60.69 2007年1月1日 (月) 22:45 (UTC)[返信]

新しい定義を書いた文献がないならば、古い文献に頼るしかないのがウィキペディアです。何らかの雑誌に書いてあるのなら、その何らかの雑誌を示してください。どこかに書いてあるかもしれない、などという予測は不要です。--Aotake 2007年1月2日 (火) 01:42 (UTC)[返信]

今は正月なので図書館は閉っています。検索しましたがもちろん複数(2000以上)出てきました。まあほかの芸術分野にもあるようですが。 http://www.info-polen.com/portal/kunst/kultur.php http://www.info-polen.com/portal/kunst/kunst.php http://www.uni-saarland.de/mediadb/Studium/zis/laender/spolen.pdf http://www.sascha-dragicevic.com/pics/laudatio.pdf ドイツ語だけですが英語・仏語にもあるでしょう。これぐらいで良いでしょう。--195.93.60.69 2007年1月2日 (火) 22:08 (UTC)[返信]

なにが「これぐらいで良いでしょう」ですか。まがりなりにもポーランド楽派の定義が書いてあるものなんて一つしかないし、そのたった一つであるザールラント大学のチラシもたった2行の紹介文でルトスワフスキ、ペンデレツキ、グレツキが上がってるだけじゃないですか。だいたい、現代音楽の世界は、こんな観光案内やら、大学の留学生オフィスのパンフレットやらを資料として議論するのが「専門家」なのですか。いい加減にしてください。検証可能な情報源を示されない限りは、議論が成立しませんので、これ以上はお返事はしないことにします。--Aotake 2007年1月3日 (水) 13:10 (UTC)[返信]

定義が書いてあるのもあるでしょう。それを写したら著作権の侵害になりますので規則上あくまでも自分の言葉で書くのが筋です。ちゃんとここの規則を見てください。興味がありましたら更に2000余りのリンクを調べても良いですよ。ついでに英語版・フランス語版もどうぞ。もう一度言っておきます。「ポーランド楽派」は国際的に通用するれっきとした用語です。観光のHPまで書いてあったらなそれは専門用語どころか一般の常識です。それを知らずに意図的に消すという行為が所謂本当の「荒らし」・「いたずら」ではないでしょうか?それをもし管理側がやった場合は罪が普段より大きくはないですか?永久ブロックどころではなくて刑事罰の対照まで行きませんか?--195.93.60.69 2007年1月3日 (水) 21:29 (UTC)[返信]

『提示されたリンク先には定義を書いたものが無い』と言われているのに、『リンク先から定義をここに写せないから』では全く答えになっていない。IP:195.93.60.69氏はただちに定義の記述された文書へのリンクあるいは国際的に通用する用語であることを示す文書のリンクを提示するべきである。それ以外は無意味な言い訳に過ぎない。次回の返答も同様であれば、詭弁によって議論を長引かせる妨害工作と見なし、Aotake氏は『反対意見なし』として改名を進めるべきであると考えます。 -- NiKe 2007年1月3日 (水) 22:38 (UTC)[返信]

僕も一応この冬休みに市民図書館やIRCAMのメディアテックなどで件の記事の有無について調べてみましたが、現在までのところ主な現代音楽史についてのフランス語(一部英語)の文献中、「ポーランド楽派」と明記されたものは見当たりませんでした。唯一それらしきものがあったのがLa musique polonaise et Witold Lutoslawski - présentation et entretiens par Jean-Paul Couchoud (1981) Ed. Stock Musiqueという文献でしたが、これは「ポーランド音楽」としていわゆる戦後初期(この本文ページで述べられている第1次世代)についてのみの言及でした。さらに言うと文庫本程度の小さな版型でエッセイ風の読み物と言った趣であり、音楽史や辞典としてはおろか個人伝記としても体裁の欠ける印象でした。またIRCAM図書室の隅には前から気になっていたボグスワフ・シェッフェルの著した大判の本があったのですが(取り出すのに梯子を借りる必要がある!)、いざ中を開いてみたら全編が譜例集でそれぞれ1行程度の英語とポーランド語の注釈が書き添えてあるに過ぎず(さらに言うと背表紙にはあきらかに非漢字文化圏の人によると思われる手書き日本語の経歴もありましたが)、想像していた内容と違ってがっかりしたことも余談として付け加えておきます。

したがってこの記事はAotakeさんのおっしゃるとおり、「ポーランドの現代音楽」として改名するのが妥当でしょう。ただポーランド楽派という単語が(現在までに定義を示す根拠となる資料がないとしても)全く使われないと言うことは考えられにくいですが。

フランス語 英語(ほぼ同内容)このページは"Polish composers' school"ないし"École polonaise de composition"としての書き出しで始まり、戦後生まれの世代も包括していますが、これは挙げられている作曲家など、ここの本文の内容とも(もちろん文章そのものの類似ではないにせよ)多くの共通点が見られるところであり、出典として明示しても良いものと思われます。

また一応école polonaise / musiqueで検索したところ、上記のほかに[2]などが出てきましたが、これらは一部のサイト上での記述に過ぎず「信頼の置ける資料」とは言いがたい気もします。このように「ポーランド楽派」という言葉はあくまで一部の使用にとどまり、それほど広範な文献で用いられている表現とは見なせないことから、リダイレクトとして残しておくのが妥当かと思われます。

余談ですが今後の記事の改変・充実として個人的には、オランダ在住のポーランド人女性作曲家ハンナ・クレンティとは面識もありますし、また日本でNHK-FMによる放送を聴いてからずっと気になっていたタデウシュ・ヴィエレツキ(2004年ダルムシュタット招待講師)などについての紹介をフォローしておきたいところです。30rKs56MaE 2007年1月4日 (木) 00:13 (UTC)[返信]

自己フォロー。前の文章で既にNoda,Kentaro氏からの紹介と言う形でAotakeさんが全く同じページにリンクを貼っていました。すみません。30rKs56MaE 2007年1月4日 (木) 00:22 (UTC)[返信]

かなり恥ずかしいことをしてしまったので(苦笑)、フォローとしてネット上ですぐに調べられるフランス語の文章について少し触れておきましょう。[3] ここでは、パリ高等師範学校ENSで2003年1月13日(と記載されていますがページ全体の記事が2004年についてなので2004年の誤記と思われます)に行われたコロック(シンポジウム)の中で、

Nicolas Donin, musicologue : " Frontières politiques de la musique contemporaine : l'école polonaise des années soixante et sa réception française "

Stabilisée par des marques stylistiques originales communes à ses principaux représentants, et par des circuits institutionnels assez bien définis (le festival Automne de Varsovie en particulier), l'" école " polonaise des années soixante a toujours été présentée comme un groupe alors même qu'on percevait l'hétérogénéité de ses membres pionniers. Un tel phénomène présente de singulières analogies avec la montée en puissance des écoles nationales du xixe siècle dans l'Europe musicale. Nous essaierons de montrer comment la réception de la " nouvelle école polonaise " réactive ou rejoue des mécanismes mis en place dans le contexte du nationalisme au siècle précédent.

と触れられていますが、l'" école " polonaise des années soixanteと一つづりにまとめていることからポーランド楽派=1960年代という定義をしていると見なせるでしょう。一方で la " nouvelle école polonaise "がどのような定義としてこのコロック内で使われた言葉なのか興味深いところです。その前の文の「19世紀の各国楽派」に対してnouvelleと書いてあるだけかもしれませんが……あるいはsa réception françaiseとあるのでnouvelle école polonaiseはポーランド人に限らずむしろフランス人の一部グループを指しているとも考えられます。(2004年に夭折したイタリア人でフランスで活動したファウスト・ロミテッリ、近作にてそれの影響を強く受けている若手フランス人のラファエル・サンドなど、確かに最近のフランス人の一部には60年代「ポーランド楽派」を髣髴とさせる作風が台頭しつつあることは実感としてありますが。)

ENSでは[4]でコロックの録音や動画(一部はテキスト化も含む)が大量に公開されているので(ブーレーズの講演会などもあります)、この中に当該の録音があればよいのですが、残念ながらColloque : Résistances et utopies sonoresと同タイトルの見出しは無い模様です……。とりあえずここでも定義はあくまで1960年代前後ということに限られると見なせるでしょう。30rKs56MaE 2007年1月4日 (木) 00:56 (UTC)[返信]

見つけました!講演の録音です。[5]

また上記の講演は文献化もされています。

« Frontières politiques et contemporanéité sonore. La réception française de la musique polonaise des années 1960, un cas d’école », Résistances et utopies sonores, musique et politique au XXe siècle (Laurent Feneyrou, éd.), Paris, Centre de Documentation de la Musique Contemporaine, 2005, p. 79-91.

Résistances et utopies sonores [Texte imprimé] : musique et politique au XXe siècle : [actes du colloque tenu à l'École normale supérieure de Paris le 13 janvier 2004] / [organisé par le CDMC, Centre de documentation de la musique contemporaine] ; [sous la direction de Laurent Feneyrou]. - Paris (16 Pl. de la Fontaine-aux-Lions, 75019 ) : Centre de documentation de la musique contemporaine, DL 2005 (27-Mesnil-sur-l'Estrée : Impr. Book it !). - 1 vol. (260 p.) : ill., mus., couv. ill. ; 25 cm.
Notes bibliogr. Index. - DLE-20060209-6904. - DDD-MUS-2006-31. - 780.032 (21) + 306.484 (21) . - ISBN 2-9516440-8-6 (br.) : 14 EUR.

というわけでこれを探して来れば良いわけですね。IRCAMメディアテックのほか国立図書館にも所蔵されています。CDMCにもありそうです。近日中にまたあたってみます。30rKs56MaE 2007年1月4日 (木) 01:39 (UTC)[返信]

英語版の一部です。特にシマノフスキーとの関係について。まだまだありますが! http://www.cambridge.org/catalogue/catalogue.asp?isbn=0511074026&ss=fro --195.93.60.69 2007年1月4日 (木) 10:07 (UTC)[返信]

30rKs56MaEさん、リサーチありがとうございます。Doninの講演の録音はまだ最初の方でポーランド楽派の定義をしているあたりまでしか聞いていませんし、私のフランス語能力では正確に理解できているかわかりませんが、やはり厳密に定義することはできないけれども、一般的に1960年代の現象をさすと述べているようですね。いくつかみた文献でも、ポーランド楽派は引用符つきで「いわゆるポーランド楽派」と言及されていることがかなり多いように思います。Chłopeckiのエッセイにも若干そのニュアンスがありますが、ポーランドの作曲家達をl'école polonaiseとカテゴライズすること自体が1960年代的な現象であったと理解されているように受け取りました。コロックの記録の方は、日本では手に入れるのがちょっと難しそうなので、内容を教えていただければ幸いです。
本記事の扱いですが、「ポーランドの現代音楽」という記事にすると、本来はおそらく第二次世界大戦前後の動向などを盛り込むべきなのでしょうから、現本文では内容に偏りがあることになるとは思いますが、ポーランド楽派だけを分離して2つの記事を作るのはちょっと大変そうに思います。やはり全体を残して改名した上で、ポーランド楽派の説明を文中で行うほうが、よいかなと思いますが、いかがでしょうか。(すでに改名が妥当であろうとのご見解を頂戴していますが、一応再確認させてください。)--Aotake 2007年1月4日 (木) 13:14 (UTC)[返信]

とりあえず上記冊子の該当ページのコピーを入手してきました。流し読みではなくじっくり読むのには時間がかかりますのでもう少しお待ちいただければと思います。

僕からの改名案としては、

  1. 記事名は「ポーランドの現代音楽」を提案。書き出しについては一応戦後(の共産主義によって改革的作風が制限されていた時代)からを区切りとしても、記事のメインとしてはルトスワフスキの作風転換後(「ヴェネチアの遊び」後)やペンデレツキの台頭あたりを第1章の主眼として持って来る。
  2. 1960年代を「ポーランド楽派」として段落で区切る。出典はAndrzej ChłopeckiおよびNicolas Deninのサイトおよび文献の各リンクを明記。
  3. それ以降の世代は「1970年代以降の動向」として区切る。何らかの出典をみつけ次第レッテルと参考文献を明記(第二次ポーランド楽派なりポスト・ポーランド楽派なり)。

という感じでよいのではないでしょうか。ドナンの文章には参考文献も記されていますので、またそれらをあたってみることも出来ると思いますが。

そういえば前述のボグスワフ・シェッフェルの文献ですが、どうも解説がほとんどなくおかしいと思ったら、[6]

Note Contient un livret séparé, de 75 p. et 23 cm., en anglais

で、別冊らしいです。肝心のその別冊が見当たらないのですが……紛失でしょうか。それとも楽譜棚の方にまぎれているかも。30rKs56MaE 2007年1月5日 (金) 04:17 (UTC)[返信]

早速のコメントありがとうございます。30rKs56MaEさんの改名案でおおむねよいと思います。いちおう、3日くらいお待ちして、なにもなければページを移動しておきますね。--Aotake 2007年1月5日 (金) 14:15 (UTC)[返信]

--195.93.60.69 2007年1月6日 (土) 17:59 (UTC)== やはり改名しないほうがよくないでしょうか? == 「ポーランド楽派」はほぼ「ポーランドの作曲家」と同義語に見えますが、「ポーランドの作曲家」とすると極端的には天野氏などまでの現代芸術音楽以外も入ってくるのでこれでは困るのですね。あそこにもジャズもミニマルもポップスもロックもすでに入ってきて根をおろしています。現代音楽協会に対する日本作曲家協議会のようなものです。「ポーランド楽派」はもちろん1960年代が中心になります。それで私は野田君とは違って三次まで分けるのを躊躇したわけです。ただし作曲家の人数が多いので二次位に分ければ整理しやすいしわかりやすい。三次は若い人が中心だし相当外国に出て書法が変わっていっているので、まだ確定させなくとも良いかも知れない。また「定義」ですが本文でも間違ってないのでとりあえず良いと思いますが、もしもっと研究が進んで詳しく書ける場合にはそのようにしたいです。でもそこまでにはまだまだ時間が必要です。もちろんWikipediaの特徴上〆切りが一切ないのだから、加筆・議論は延々と続く物です。これからもここをも含めてどの分野もますます専門的に詳しく難解になっていくでしょう。ただそういう状況にも要領よく適応できるまとめ役の専門の管理部門が必要です。--195.93.60.69 2007年1月4日 (木) 22:49 (UTC)[返信]

最近のドイツの雑誌には「Musik・Texte」Nr.109、2006年Mai/ケルンに「ポーランド楽派」の特集で主に個々の作曲家についての論文があります。中でも41ページのEin・neues・Tauwetter?Junger・GerationではMichael・Mendykが「ポーランド楽派」語をもちろん前提した上で若い世代:多分我らの世代(第三次ポーランド楽派だと思われる)の人々をまだ「ポーランド楽派」と呼べるかどうかに記述しています。彼の評定では、彼らは余りにも個性的なのでそういうのは意味をなさないと結論付けています。野田君の第三次ポーランド楽派と断定した全く正反対の論文も考慮して「第三次」はまだ結論を出す段階ではないと思います。それ以外にもまだまだドイツ語で出典になりそうなものはありますが、ここは一旦押さえて必要があり次第引用しようと思います。日本語のこの語のリンクも調べましたが、野田君の他にもそれを使って書いてる人も充分にいることだし問題はないと思います。やはりドイツでは隣の国らしくこの語は頻繁に使います。作曲家の入学・卒業試験に口頭試問などで出るぐらいの頻度です。英語版リンクにほとんどなかったのは残念ですが、「ポーランド楽派」は後発の「スペクトル学派」や「ニューヨーク・スクール」よりも歴史が長く、それに該当する作曲家が多数なので知名度は遥かに上であると思います。ただ今回ドイツ語版やポーランド語版のWikipediaにこの項目がまだないのは単に興味を持って無料で書く人が少ないからであろうと思われます。その分この日本語版は誰かの功績も手伝って極めて詳しくレヴェルが高いと思います。基本用語がまだ不十分ではありますが今抜けているところをできるだけ早めに補充しているところです。ただ「ポーランド楽派」にもどりますと、ここドイツでは現在でも『書かれている事』よりも頻繁に『話されて、放送されている事』は保証いたします。順序としては60年代に「ポーランドの作曲家達」の語が初めに来て、徐々にポピュラー作曲家達との区別を付けるために二十数年年前ぐらいから「ポーランド楽派」と特別に呼ぶようになったのだろうと思われます。--195.93.60.69 2007年1月6日 (土) 17:59 (UTC)[返信]

Donin論文

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遅くなりましたが、前述のDoninの論文について一通り読みましたので報告します。

まずこの本文中の説明にある各グループのうち、明確にDoninの論文にでてくるのは「グループ49」だけであり、「ジェネレーション51」については言及されていません。また論文の出だしは1953-54年のフランスのいくつかの音楽機関紙によるécole polonaiseの紹介から述べており、個別にコトニスキ(コトンスキ)、グレツキ、ルトスワフスキ、ペンデレツキなどが述べられていますが、école polonaiseを国別に見ることについての見解によると「ポーランド楽派は一つのみの潮流とは見なせない」としています。また主に上述の作曲家について、1950年代は「フランスでブーレーズやクセナキスが活動する一方で」という但し書きで彼らポーランド人作曲家たちの「騒音主義」について述べており、また1960年代までの活動については多く触れていますが、1970年代以降はグレツキの交響曲第3番での作風の変化と1990年代でのイギリスでのヒットを述べるにとどまり、(これについてはグレツキ自身が既に交響曲第2番などでその作風転換の兆しを見せているので、あまり突っ込んだ見解とはみなせないでしょう)これ以降の世代については触れられていません。

さてこれとは別にCinquante ans de modernité musicale: de Darmstade à l'IRCAM - Contribution historiographique à une musicologie critique - Célestin Deliège - Mardaga ISBN 2-87009-828-6 という本(電話帳並みに分厚い!)にもécole polonaiseという記述を発見しました。それによるとLIVRE II - UN TEMPS DE TRANSITION ET D'ABANDONSの中のChapitre 28 L'ÉCOLE POLONAISE DEPUIS «L'AUTOMNE DE VARSOVIE»(ワルシャワの秋以後のポーランド楽派)という見出しになっていますが、その出だしには「1956年以降のワルシャワの秋現代音楽祭によって演奏された同じ美学を持つ作曲家たちを一まとめに見る」と書かれています。そして段落分けでは、「1 数人のパイオニアたち」としてベイルド、ペンデレツキ、グレツキについて各数行程度の解説、名前だけの一覧としてバツェヴィチ、シェッフェル、ブロッホ、キラールが挙げられています。次は「2 ヴィトルト・ルトスワフスキ」として、さらにその中の段落は「葬送音楽」からはじまり、彼の作風の転機となったいくつかの作品について述べられています。第3の段落は「3 クシシュトフ・ペンデレツキ」 であり、この中の段落はむしろ騒音主義の初期作品からヴィルトゥオージティの追求による近作までの作風の変化を時系列順に追っています。ここでChapitre 28は終わっており、他のChapitreは別の世界各国地域についての解説になっており、これ以降の世代のポーランド人作曲家については特に重点的には取り上げられていません。またLIVRE III(といっても本が数巻に分かれているわけではなく一冊内での区分けですが)以降は主にフランス、特にIRCAMに関係のある作曲家の解説に重点が置かれており、本の最後はコンピュータ音楽の展望に論点を移し、現代音楽史として時系列・地域別に解説してきたそれまでの章とは視点が変わっています。つまりポーランド人作曲家のこれ以降の世代について調べる本としては適していません。

以上の観点から、少なくとも今までに出てきた参照可能な文献に基づき、この記事本文中でくくられている(以前の仕分けでの)第1世代は確実に「ポーランド楽派」と定義できるものと思われます。現在は項目名も既に「ポーランドの現代音楽」となっていますし、その中で章わけとして「ポーランド楽派」があるほか、「ポーランド楽派」は現記事名にREDIRECTしているので、当面はこの状態が良いでしょう。30rKs56MaE 2007年1月25日 (木) 02:09 (UTC)[返信]

ポーランド楽派は一つのみの潮流とはみなせない、、というのは恐らく論文に用いたソースが古いか、その論文が古いかのどちらかです。1920-30年代のポーランドの作曲家たちは持続する音響の帯を誰もが用いる時代をくぐっており、その共通項が「ポーランド楽派」の音と言われ続けています。スペクトル楽派が「倍音」といったキーワードでくくれるのなら、ポーランド楽派は「クラスター」といったキーワードでくくれるはずです。どういった観点から「一つの潮流とはみなせない」という主張なのかは、手元にその論文がなく、その論の質の断言は避けます。

ほとんどのポーランド音楽について書かれた本は、ポーランド楽派と呼ばれた1920-30年代生まれまでは押さえていても、それ以降は余り押えられておらず単発で特集記事がかかれる程度です。クシャノフスキについての記事はpolish music centerに没後十年を偲ぶ記事があったように思います。シマンスキは膨大な作品を一度に演奏する音楽祭が2006に企画されているのでポーランド国内では重要な作曲家に位置づけられていますが、ポーランド以外にまで強力な影響を与えているわけではありませんでした。2007年にUNESCO国際作曲家会議で入賞しているので、これから彼の受容は幾分は変わるかと思います。1950年代以降の世代は国際展開よりも地域色を重視した作曲家が増えるので、一概に言えなくなったというのが現実です。--Dreme 2007年6月24日 (日) 23:24 (UTC)[返信]

ポーランドの現代音楽

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は、ポーランド楽派のみを指しません。マリアン・サヴァ、タデウシ・マフルなどが育てたオルガン楽派や、合唱の展開は、クラスター音響とは無縁で成熟しました。2007年現在のポーランドの現代音楽は、必ずしも前衛的な側面を強調しているわけではなく、全体としては穏健な部類に入ります。その経緯についても加筆が必要です。--Compozitor 2007年9月18日 (火) 07:57 (UTC)[返信]

Aotake一人で統合された記事の、再分割を提案します。--Compozitor 2007年9月18日 (火) 08:18 (UTC)お断りしておきますが、年単位のソックパペットで差し戻しをやっていてむなしくないですか?--Compozitor 2007年9月18日 (火) 08:21 (UTC)[返信]

Aotake氏の編集は「記事破壊」に該当するので、差し戻しを行っています。--Akaitakenobou 2007年9月18日 (火) 08:38 (UTC)[返信]

ここまで問題になっているのに、ノートでの議論を行い合意形成をしないと、編集合戦になってしまいますよ。--Hammerfest 2007年9月18日 (火) 08:42 (UTC)[返信]

関連項目を差し戻していたCompozitorAkaitakenobouDobermanWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Noda,Kentaro もしくはその便乗 多重アカによる強行編集ということで無期限ブロックとなっております。正常な審議は出来ないので、今回の提案は終了でよいと思います。--Kodai99 2007年9月18日 (火) 10:05 (UTC)[返信]

削除

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これ以上、野田憲太郎が傍若無人をきわめるつもりなら、野田の頻出する関連記事をすべて削除し、白紙保護化するのも致し方ないのではありませんか。野田憲太郎だけでなく、「野田憲太郎の貢献」も日本語版ウィキペディアには要らないのだということを本人に思い知らせることが必要だと判断しますが、如何でしょうか。--間久部緑郎 2007年9月18日 (火) 13:08 (UTC)[返信]

野田がたびたび現れる記事をすべて削除の上白紙保護化するというのは極端な対処法ではあります。しかし、極端な荒らし常習犯に対しては極端な対処法が必要なのかもしれません。--田紳有楽 2007年9月18日 (火) 17:56 (UTC)[返信]

野田の頻出する記事にも野田以外の執筆者の方々がいらっしゃるかと思いますが、そういった方々の記述まで削除されてしまうのはどうなのでしょうか。そのような極端な対処法を行えば荒らしがなくなるとは限らないと思いますし、仮に削除したとしても、ウィキペディアの記述を充実させてゆく過程で、いつかは過去に野田の頻出した記事と同じような名前の記事が作られることになる可能性もありますが…Gruppetto 2007年9月20日 (木) 18:05 (UTC)[返信]

私も同意見です。ここまで成長した記事を荒らしのために削除してしまうのは勿体無い。荒らしの思う壺であると言えなくもありません。ここは存続に期待します。--Hammerfest 2007年9月21日 (金) 14:21 (UTC)[返信]

とにかくこの「ポーランド楽派」という述語はある。それでもどうしてでも消したいのは、あれだけ喧嘩したのだから、それだけ感情的に野田憲太郎を個人的に憎んでいるだけでないかとしか思われない。彼の多くの記事についてはちっとも間違ってはいない。自己宣伝でも事故研究でもない、ただ単にしかし専門的に詳しいだけ!それよりも彼を再登場させて真っ正面から再議論してみると良いと思います。じゃないとこのWikipediaは全くフェアじゃないですね。--195.93.60.36 2007年9月21日 (金) 14:14 (UTC)[返信]

荒らしを荒らしとして憎む(私は疎ましく思うぐらい程度ですがね。荒らしにこっぴどく掻き回された方はそれなりの気持ちの増長はあるでしょう。)気持ちというのは、真面目に活動しているWikipedianにとっては至極当たり前の感情です。野田はそれほどの行動をしたということでしょう。私は全くフェアだと思いますが。--Hammerfest 2007年9月21日 (金) 14:19 (UTC)[返信]

どうもごく普通に見ていると「書きすぎ」を機械的にかつ感情的に即「荒らし」と判断していると思えます。彼が間違って書いていない限り、「書きすぎ」を「荒らし」扱いにはしたくないどころか貴重な記事をして保存しておきたいところだし、みんなに知らせたいと是非公開したいところです。--195.93.60.36 2007年9月23日 (日) 09:45 (UTC)[返信]

菅野茂先生へ。まさか貴方からご意見が頂戴できるとは予期しませんでした。「専門的に詳しい」上記の一連の署名(Dreme、Compozitor、Akaitakenobou、Doberman)の正体が野田憲太郎先生だということは、あなたも認めておいでなのですね。ところで、あなたの勘違いについて一言申し上げますが、野田先生は「書きすぎ」で荒らし扱いにされたのではなく、他人の編集を拒絶して差し戻したり、要約欄で他人を侮辱し恫喝したり、無期限ブロックを食らった後も多重アカウントでソックパペットを使ってブロック破りを強行したり……といった経緯があったればこそ、荒らしと認定されたのです。(菅野先生と野田先生はご納得されていない様子ですが、これらの言動は、誰かに認定されるまでもなく、荒らし行為そのものなのではありませんか。)自分たちに都合の悪いことは無視した上で、事実を都合よく捩じ曲げて解釈するのは止めて頂きたいものです。だいいち、まじめな話を感情論にすり替えるなど、もってのほかだと存じますが、あえて言うなら、野田先生に対して、自分は憎んでいるのではなく、軽蔑しているにすぎません。--間久部緑郎 2007年9月24日 (月) 16:09 (UTC)[返信]

そうやって人の名前ばっかりだしているのなら、あなたが「名古屋在住の台湾人」という事実もばらされますよ。--Grazie m 2007年9月24日 (月) 17:42 (UTC)[返信]