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ノート:ポストモダン

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使われるようになったのは、チャールズ・ジェンクス『ポスト・モダニズムの建築言語』(1978年)が先? それともリオタール『ポストモダンの条件』(1979年) ?  --忠太 2006年5月19日 (金) 15:13 (UTC)[返信]

「ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、非西洋文化圏への強い偏見が残っていると指摘され、批判された。」

と書いてあるのですが、そもそもリオタールの『ポストモダンの条件』には、

「この研究が対象とするのは、高度に発達した先進社会における知の現在の状況である。」

と一番最初に銘打ってあるので、非西欧文化圏への偏見があるというのは的外れかと思います。

高度に発達した先進社会は、洋の東西を問いませんし、そもそも(非西欧文化圏=発展途上国だとするならば)発展途上国

の社会を分析している本ではないです。

もしも、発展途上国の社会を論ずることが強制されるなら、それはまた別の問題が生じてくるかと思われますが。

もし詳しい方がいらっしゃいましたら、本件の具体的事例を教えていただきたいと思います。

もし、問題がなければ「ポストモダンの思想家(評論家)は、ポストコロニアリズム、カルチュラル・スタディーズから、非西洋文化圏への強い偏見が残っていると指摘され、批判された。」

の項は削除したいですが、よろしいでしょうか。--hugepocky 2009年4月13日 (月) 06:41 (UTC)hugepocky[返信]

批判された、という事実を述べている文なのだから、批判が的外れである、という主張は削除理由になりません。それを踏まえたうえで、突っ込むといろいろな論点が出てくる話で、ここで詳しく議論するようなことでもないと思いますが、非西欧を、非西欧としてひとくくりにし、議論や分析の視界から外すという構えそのものが、西欧中心主義的である、という議論も可能であり、しばしばそのように現に批判されます。批判の正当性に私は立ち入るつもりはまったくありませんが、この記述そのものは事実の記述とみなしてよいし、言及の意味もあると考えます。それでなお、問題だと思うのならば、ひとつのには出典明記を要請すること、もうひとつは、批判されたという事実を認めた上で、その批判に対して、批判的な記述を付け加えることでしょう。もっとも、そのような記述が、ほかの編集者によって完全に受け入れられるかどうかはわかりませんが。(結局それもひとつの主張ということになり、ひろく合意を得られなければ、観点中立の担保ということにかかわってくるわけです)--Clinamen 2009年4月13日 (月) 10:49 (UTC)[返信]