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ノート:ホータキー朝

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改名提案

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هوتک‎ の読み方ですが、以下の文献によれば、テヘランのペルシア語ではホタク(Hotak)、パシュトー語ではホタクないしホータク(Hotak ~ Hōtak)になります。

なお、E. Islamica でも2箇所ほど言及がありますが、Hūtak とアラビア語読みしていました。いずれにせよ、第2音節を長母音で読むのは何かの間違いだと思いますので、改名を提案します。改名後のページ名ですが、E. Iranica が一貫してホータク家と呼んでいますので、ホータク朝がいいのではないかと思います(執筆者の中にはこの部族出身の人がいて、部族名を自分の名字のように用いており、この場合に、マクロンを付加しないで表記している人はいます)。--ねをなふみそね会話2018年7月31日 (火) 07:35 (UTC)[返信]

  • 賛成 ペルシア語について十分な知識がありませんので発音については何もいえませんが、一応ヴィレム・ホーヘルサング著、前田耕作・山内和也訳『アフガニスタンの歴史と文化』(2005)p. 341には「ホータキー朝」、「ミール・ワイス・ハーン・ホータキー」というカナ転写で記載があり、長音が第1音節にくるという指摘は恐らく正しいのではないかと思います。ホータキーとホータクは多分語形の違いであろうと思いますが(英語版はHotaki dynastyからHotak dynastyへリダイレクトを張っているようです。)、適切な形式は私にはわかりませんので、それについての意見はありません。さしあたり「ホターキー朝」⇒「ホータク朝」への改名に賛成です。--TEN会話2018年7月31日 (火) 13:37 (UTC)[返信]
  • ご意見ありがとうございます。ホータキーとホータクは属格と主格の違いだと思います。はっきり言ってこだわりはありませんので「ホータキー朝」でもいいです。インド・イラン・アラブらへんの事物を日本語に翻訳するときに主格に語形変化させてカナ転写するやり方は、一長一短あると思っておりまして、読みやすくなる代わりに、どうしても不徹底で統一感がなくなります。スンナ派四大法学派、マーリク派、ハンバル派はマーリキー、ハンバリーより読みやすいけれどもシャーフィイー派、ハナフィー派との統一感がありません。「ダリー語」のように、主格にするとどうしても違和感が生じるケースが少なからずあるので、インド・イラン・アラブらへんの事物を日本語に翻訳するときには、属格のまま「朝」「派」「王国」などその固有名詞が何であるのかを示す一般名詞を付加するのがよいのかな、と最近は思います。--ねをなふみそね会話) 2018年8月2日 (木) 11:13 (UTC
    • 返信 ペルシア語系の固有名詞は有名どころを除くとカナ転写が定まっていない感があるので、単純に間違ってさえいなければ私もどちらでも良いと思います。古代でも本によってカイ朝/カヤーン朝とか、アシューカーン朝/アシュカーニー朝と言う感じで困ってます・・・。--TEN会話2018年8月2日 (木) 17:46 (UTC)[返信]
    • どうも「ホータク朝/ホータキー朝/ホタク朝/ホタキ朝」という呼び名に釈然としないものを感じておりまして、いろいろ考え中です。
      • 出典に挙げられている、 Ewans, Martin; Sir Martin Ewans (2002). Afghanistan: a short history of its people and politics. New York: Perennial. p. 30. ISBN 0060505087 の著者ユアンズ(歴史学の専門家ではなく外交官です)が2001年の9.11.テロ直前に出版した、Afghanistan - A New History (2001)の日本語訳が明石書店から出ているので、読んでみました。『アフガニスタンの歴史 旧石器時代から現在まで』明石書店2002年です。45-46ページあたりに18世紀のアフガニスタン及び周辺の歴史について記載がありますが、この「カンダハールのミールワイス政権」について呼び名を与えていません。
      • 上に挙げた『イラン百科事典』のAŠRAF ḠILZAYの項には、ミール・マフムードがシャーを称して、形式的にはサファヴィー朝を存続させていることを記載しています(もちろん正統性に文句をつけて、多くのサファヴィー朝貴族が反乱を起こすのではありますが)。『イラン百科事典』は "Hotak dynasty" という言葉を使っていないようです。
      • 本項の初版の翻訳元が出典に使っている、History of Afghanistan: From the Earliest Period to the Outbreak of the War ... 著者: George Bruce Malleson (1878) は、 "Hotak dynasty" という言葉を使っていないようです。また、p234 には "king of Kandahar" という言葉を使っています。
      • 前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(河出書房新社、2002年)では、pp34-35 に記載があり、「ミール・ワイスのカンダハール王国」と呼んでいます。
      • Encyclopaedia Britannica の Afghanistan の項では、"Hotak dynasty" という言葉は使わず、"the Hotakis" と呼んでいます。
    • 以上の調査から、enwp の "Hotak dynasty" という呼称は、少し怪しい(独自研究すれすれ?)と思い始めています。dynasty と王朝の意味に、微妙なずれがある?ことも原因でしょうか。--ねをなふみそね会話2018年8月9日 (木) 12:36 (UTC)[返信]
  • 返信 アフガーン人の政権に名前がついてないケースが多いのは私が確認した書籍でもご指摘の通りでした。と言うか明確にホータキー朝と言う名前を与えているのは前述の『アフガニスタンの歴史と文化』のみでした。他、『〈アゼルバイジャン人〉の創出』『世界の歴史20 近代イスラームの挑戦』『世界各国史9 西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』『物語イランの歴史』『図説世界文化地理大百科 イスラム世界』『世界戦争事典』に、ミール・ワイスまたはミール・マフムードへの言及がありましたが、「アフガ-ン族の政権」とか「アフガニスタンのカンダハール遊牧民」とかそういう言及の仕方を皆しています。
『〈アゼルバイジャン人〉の創出』は(アゼルバイジャン・ナショナリズムの文脈に立った著作の紹介においてですが)「ヒュセインリ著『イランの支配者たち』(2009年)はイランの歴代君主を列挙した書物であるが、ムザッファル朝の君主の次がサファヴィー朝を滅ぼしたアフガーン族のマフムードとなっており、アフシャール朝のナーデル・シャー、ザンド朝のキャリーム・ハーンと続く。」と書いていて、明確にアフガーン族の政権にのみ王朝名を与えていないです。また、『図説世界文化地理大百科 イスラム世界』には「カンダハールのマフムードは、やすやすとエスファハーンを奪取して帝国を事実上滅ぼすことができた。(中略)マフムード率いるアフガン人たちには王朝を形成することができず、かわりにホラーサーンの山賊出身のナーディル・ハーンが出現し(以下略)」とあります。全体的に前後の時代の王朝と違ってカンダハール政権は王朝ではないというか浮いた扱いになっている感じです。
一応手元の書籍で確認する限り上記の通りなのですが、一案としては「ホータク朝/ホータキー朝/ホタク朝/ホタキ朝」系列の記事名にしてしまって(一応用例がないわけではないので)、この名前で呼ぶのが不当であるかもしれないことと、日本語・英語の参考文献類でこの政権に名前を与えるものが少ないことを説明する、という形が無難かなとも思います。あまり妙案とも言えないので積極的にこれがいいとは言えないのですけれども。--TEN会話2018年8月9日 (木) 15:15 (UTC)[返信]
丁寧なアドバイスありがとうございます。「カンダハール王国」もよさそうなのですが、ミールワイスの時代以後にはしっくり来ないので、とりあえず、暫定で「ホータキー朝」に改名しました。--ねをなふみそね会話2018年8月10日 (金) 13:04 (UTC)[返信]
返信 改名処理ありがとうございます。カンダハール王国もありだと思いますが、おっしゃる通りミールワイスの一時期にしか対応しないように見えますね・・。『アフガニスタンの歴史と文化』でも改めて使用されている用語を確認してみると、節の名前は「アフガン王国の勃興」、文中で実際に成立するのは「ホータキー朝」、その支配者であるミール・マフムードの指揮する軍の名前は「ギルザイ軍」(または「アフガン軍」)、その後彼が即位した地位は「イラン王」と言うありさまで、ホータキー朝という名前はかなり心もとなく見えますので、現在の記事名が暫定という点にも同意いたします。--TEN会話2018年8月10日 (金) 15:08 (UTC)[返信]