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ノート:ホンタイジ

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本名に関する疑念

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ホンタイジの本名がヘカンとは寡聞にして聞いたことがないのですが、この部分を執筆されたらりたさんは一体何を参照したのでしょうか? Google で検索すると一件だけそれらしいページが引っかりますが、その方は「アブカイ・フリンガ・ハンは清朝皇帝のモンゴル名のようです。」とも言っているので信用しかねます。--Nanshu 02:05 2004年6月9日 (UTC)

三田村泰助『明と清』河出書房新社に、ヘカンと書かれています。--222.12.215.63 2005年6月27日 (月) 09:55 (UTC)[返信]
ホンタイジの本名ヘカン説は朝鮮の記録にあるのみで、中国の記録には一切出ていません。中国でも争いがある説だと思うのですが、いかがでしょう。--218.107.132.124 2009年5月4日 (月) 04:10 (UTC)[返信]
「ヘカン」説は、いまのところ三田村泰助一人の提唱であって、東洋史の研究者たちがひろく採用している説ではないので、記事の文面にだすならば、三田村説として提示すべきと考え、そのように文面を修正しました。三田村説のもとになった論文でも、ホンタイジを「ヘカン」と呼ぶ根拠としては、明朝中国人の記述と朝鮮王朝の記述があげられているだけです。ダイチン・グルン(清朝)自身の史料中にホンタイジの本名を「ヘカン」とする事例がみつかっていないのです。
三田村氏以外の東洋史学者たちが、自著のなかで、ホンタイジの本名としてに「ヘカン」を用いないのもそのためです。--Dalaibaatur 2010年5月6日 (木) 07:45 (UTC)[返信]
  1. 「黒還勃烈」全体を本名とみなす説
  2. 「黒還勃烈」全体を本名とみなし、かつ「ヘカンボーリー」とカナ転写する説

については、定義部からはずし、投稿者に典拠を質問中。--Dalaibaatur 2010年5月6日 (木) 21:44 (UTC)[返信]

一部記述の差し戻し

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和解対象が隷属することは言葉の意味として矛盾するため以前の表記に戻しました。:LuckyStrike 2006年1月21日 (土) 10:23 (UTC)[返信]


百科事典的ではない記述

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以下の記述が百科事典的ではないので、改められるべき。--Dalaibaatur 2010年5月6日 (木) 06:49 (UTC)[返信]

皇太子とも表記されることから、ヌルハチの生前から後継者と目されていたと考える向きもあるが、ヌルハチが死の際にそれに触れていないことと矛盾する。ヌルハチは自分を部族連合体の長であるとしか考えていなかったので、後継者も自分と同じように周囲の推戴によって選ばれるべきである、と認識していたと考える方が妥当であろう。史書(実録)にはホンタイジは何事もなく即位したように書かれているが、このあたりの記述には潤色があると考えられる。

明らかに誤記と思いますが・・・

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原文:”また、1632年(天聡6年)、ヌルハチはダハイ(達海)に命じて満州文字を無圏点文字から有圏点文字に改良した。” の部分ですが、ヌルハチ(没年1626!)をホンタイジに修正させてもらいました。

何分、Wikipediaで初めての編集ですので、流儀が違っているようでしたら、ご指摘ください。--August28 2010年8月28日 (土) 14:11 (UTC)[返信]