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ノート:ホツマツタヱ/過去ログ6

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当面の解決策

ホツマツタヱについては、試行的な現代語訳は試みられているものの、信頼にたる現代語全訳はまだ確立していない。また、公的な認知を受けた学術団体も成立していないし、歴史学会等で偽書として扱われている状況である。

しかしながら、ホツマツタヱが記紀の原書と認定され、ホツマツタヱが当時の意図で解釈されるに至った場合、わが国や人類に与える影響は計り知れないものになると考えられる。

それゆえ、このWikipediaでは、ホツマツタヱについて、これを偽書とみなす人から見ても納得できるレベルの内容に限定し、個々の主張の是非については、各書籍なりホームページで紹介するにとどめることを提案したい。Wikipediaは、既存の確立した知識を整理する場にとどまるべきであり、それが百科事典編集者としての節度を示すものであると考える。

さきに、本文の微調整と、参考文献の整理を行った。これは、以上の考えに基づくものである。

みなさまの賛否を簡潔にお伺いしたい。--うまやど 2007年2月2日 (金) 11:51 (UTC)

[賛成]やはり新たな説の展開は百科事典の範囲を外れるでしょう。賛成に一票。--Hotsuregua 2007年2月2日 (金) 14:06 (UTC)
うまやどさん、あなたはノート内で私から重大なことを幾つか質問されていますが、それに答えることなく記事を編集し続けることは許されない状況にあると思いますよ。嘘の悪口をさんざん書き殴ったことに対する謝罪。二度と事実に反する嘘を書かない、人を騙す詭弁と受け取れるような論理的に破綻したことを書かないと誓約することなどです。回答を避けて、今後も勝手な自己判断に基づく認識そのものを、記事として書き込んでいくつもりのように見えますが、直ちに記事の編集を中止してください。ウィキペディアは、信頼に足らないとこれまでのノート内での議論を通して明らかにされた、あなた個人の認識を記事にして流布して良い場所ではありません。
「信頼にたる現代語全訳はまだ確立していない」というあなた個人の認識に基づく記事は、客観的事実ではありませんね。あなたのこの書き込みを裏付ける資料は、一切ないでしょう。どうしてこういう問題行動を取り続けるのですか。あなたの過去の記事編集の内容から判断すると、信頼に足る研究書が書ける存命の人物は、たった一人しかいないとお考えのようです。たった一人の人物が「信頼に足る」「信頼に足らない」と語ったところで、それは個人的意見にすぎず、客観的な判断が行われたことにはなりえません。「漢臭」だの「誤訳族」だのと、他の研究者を罵る歪んだ認識をネット上にばら撒いて、「誤訳、インチキ、偽書であるから破棄しろ」と、実質的な焚書行為への扇動と受け取られかねない、自分達の意に少しでも沿わない研究者達を、ほぼ全員排斥する運動を展開していると思われる問題行動が、そのままウィキペディアの記事の編集にまで反映されて、内容が醜く歪んでは困るのです。もしも、有害サイトの悪影響が記事に反映して、内容が歪んでいるならば、これを強制的にでも退ける必要が出てきます。私が以前指摘したこの点に対して、一切の反論をあなたがしないまま、歪んだ偏見をウィキペディアに持ち込んで、記事を書き続けることは出来ないと悟るべきでしょう。研究者のコミュニティからも、正しい行為とは思われていないようだし、非常に嫌われる歪んだことを、未だに続けているのではありませんか。もしもホツマツタヱ学会といった組織が作られたならば、真っ先に社会的に糾弾されて排除されてしまいそうな問題行動だと感じます。
『完訳 秀真伝』という名の、たいそう立派な装丁の現代語訳の本が出版されているようですが、誰が信頼に足らないと判断したのでしょうか。いまだに、うまやどさん個人の判断を中心にした、偏った事実に反する認識を流布する記事を書いているとしか思えません。残念ながら、あなたは適切な妥当性を備えた論理を展開できないケースが多く、誤ったことを平気で書き連ねてしまうことが、過去のノートですでに明白になってきていると思います。私はうまやどさんが持ち出した、取るに足らない「和歌問題」に、形だけ付き合って、和歌のマジナイ歌の言霊効果が労働歌にあると伝承内容から推察して、和歌という言葉が生まれた当時の言霊思想を解説して差し上げましたが、こういったことは、原文の書き手の思考の流れなどを、どのように使用する神経回路網を限定しながら文献を記し、編纂しているのかという方向から解析しつつ、ある程度の妥当性を確保できる推理は可能であっても、100%正しい解釈かどうかを証明することは、たぶん永遠に出来ないことなのです。この種の文献の内容の真偽や解釈の正しさに関しては、当時のことが永遠に確認出来ない部分がどうしても残るので、100%正しいと解明されるなどということはまずありえません。どこまでの推理を是とするのが適切かの判断は、非常に曖昧なものにならざるをえないのが現実です。ところがあなたは、それを自分なら的確に選別できると、過信しているように見えます。私からすれば、考えられない悪い妄想にとりつかれて、勝手な個人的判断をもとに記事を書いているとしか思えません。「信頼にたる現代語全訳はまだ確立していない」以下、あなたが書いた現在の記事は、客観的事実に基づいていないと私は受け止めています。多くの研究者達は、自分が妥当と判断したことを研究結果として報告する文献を書いています。その大勢の研究者のうち、たった一人の存命する人物のみが学問に値することを書いていて、他は全て駄目だとするあなたの判断基準は、多くの研究者が妥当と判断している基準から、大きく外れていることを意味すると思います。自分の判断基準が、ホツマツタヱの研究者のコミュニティの、客観的で標準的なものから、大きく逸脱した、奇妙な個人的なものになっていることを、正しく認識すべきではないでしょうか。自分達の意に少しでも沿わない研究者達を、ほぼ全員排斥する運動を展開していると思われる、問題性の多い行動が反映しているように見えます。著しく偏った歪んだ認識に基づいて書かれている印象を強く与える、勝手な自説を記事にして流布する行為は、今すぐやめてください。もしもホツマツタヱ学会といった組織が作られたならば、真っ先に問題行動として社会的に糾弾されて、排除されてしまいそうな記事になっていると感じます。
何度同じ事を指摘しても、議論をすることなく、歪んだ個人的認識を流布する記事を書く行為をやめないなら、編集差し止めという話にならざるをえないでしょう。以上の署名の無いコメントは、203.168.92.153会話/whois)氏が[2007-02-02T21:26:19]に投稿したものです。


本文を変えないで下さい

しばらく前に「うまやど」氏が整理された本文は、Wikiの原則に添っているものでした。 こちらのコンセンサスも取れていたと思います。 「203.168.92.153 」氏の書換えは、誰の賛意も得ず行われており、これはルール違反。

但し、フトマニの記述の修正だけは私見ですが妥当だと思うので、この部分の修正のみ認められても良いでしょう。

このページ冒頭の「当面の解決策」を出された、うまやど氏の提案に賛成。 従って、上記フトマニ以外の記述は、元に戻されるべきです。

  本文は元のようにできるだけ簡潔に、自説の主張のない公平なものが望ましい。最近数名による書き加えがあるが、この点から大幅に逸脱しているものが多いと感じる。--218.217.110.140 2007年2月23日 (金) 03:45 (UTC)Yatsu

222.227.243.28 による修正について

222.227.243.28 により修正が行われた。この修正について何らの意図の説明もないが、

  • 偽書という主張のサイトや書籍は「偽書という前提で書かれた書籍、サイト」という既存項目に入れるべきこと
  • ただし、追加された2つのリンクは、ホツマツタヱ偽書説を述べたサイトではなく、直接関係ないこと

という点でルール違反である。

  • 「ホツマツタヱ偽書説」を述べた適切な書籍・サイトに入れかえること

を求める。--うまやど 2007年2月22日 (木) 05:41 (UTC)

203.168.67.109(203.168.92.153) による修正について

「当面の解決策」を提示した後、203.168.67.109(203.168.92.153) 自身による反対を除き、「当面の解決策」に対する反対は表明されなかった。しかしながら、203.168.67.109 はその後もルールを無視して修正を続けている。

先に本文の整理を行った。現在既存の学会においてホツマツタヱは「偽書」との扱いになっている。そこで、そのことを明確にし、「真書」であるかどうかの主張は、記事より削除した。203.168.67.109 によってなされる真偽の記述を放置することは、正当な編集行為ではないし、Wikiの信頼性を損なうと考える。

なお、うまやど自身は、ホツマツタヱは真書であるとの考えであるが、Wikiのルールに従い編集を行っている旨表明しておく。

みなさまの賛否を簡潔にお伺いしたい。--うまやど 2007年2月25日 (日) 12:00 (UTC)

【賛成】今回の改定は公正であり、百科事典Wikiにふさわしい記事になったと思う。記事はより簡潔に纏められ読みやすい。うまやど氏に謝意を表したい。--218.217.110.140 2007年2月26日 (月) 01:02 (UTC)Yatsu

修正点

古い時代なので研究者が少ないという趣旨の文章削除。不要。 真書ならば云々をばっさり削除。とくに立憲君主制だっただのというのは、論外。文献学的にどういう結論が出ようがそんなことと無関係に、ありえない。そこまで少数派に譲歩するのは逆にwikipediaの信頼性について疑問を持たせる。アポロは月には行ってない説を大真面目に検討に値する議論として扱うようなもの。その他こまごまとした点。

総括的に言って、以前よりは中立的になったのかもしれないが、それでも、まだ特殊な意見よりになっていると感じる。分量的にも、内容的にも、偽書であるという学会の認識を主とし、本当であるという立場についての記述は従であるべき。 --Clinamen 2007年5月25日 (金) 04:00 (UTC)

事実誤認を招く情報を流布する迷惑編集は慎むべき

神社に伝えられてきた、神話の世界の伝承を記した古文書を、ただ偽書と断じるのは、あまりにも不自然です。これをやり始めると、「多くの神社に伝わる社伝なども全て偽書で、日本の神社の神様は全て偽物」という、まったく意味をなさない、非常識きわまりない論理展開になりかねません。このような、良識が欠落した視点から記述されている、あまりにも見苦しい記事を、論理的妥当性のあるものへと改めるべきです。

現在の偽書と断じることのみに終始した、あまりにも偏った内容の記事は、最新の日本語の音韻体系に関する研究などを無視した、非常に稚拙で古典的な文献検証を事例として取り上げた記述になっています。たとえば、漢字の到来によって、それまでの日本語が変化したことすら、上代特殊仮名遣の古い研究者達は無視してきました。その結果、幾つもの誤った結論を導き出していることは明らかにされているのですが、そういった最新の研究を取り入れた記事にすらなっていないようです。つまり、間違っていることが明らかな古い定説が、そのまま堂々と書かれています。また、現代の日本語が50音であるという認識も、現代の東北地方に顕著に残っている中舌母音などの存在を当たり前に知っている現代の言語学者の間では、とうに否定されており、文字と音韻体系が一致しないことも当たり前の常識となっていますが、そのような知識すら持ち合わせていないレベルで、古筆研究者が下した判断が、さも正しいかのように書かれてしまっています。とくに、「字形を提示しての神代文字は、すべて江戸時代以降に成る。それも、有力なものは表音文字が音節文字で字母表としてのみ掲示され、ことばを表記した痕跡はない。」は、論理的妥当性を欠いた指摘です。神代の出来事を伝承しているホツマツタヱという長大な文献の記述に事実用いられているヲシテが、指摘に該当しないきわめて例外的な存在であることは明らかです。にもかかわらず、このような事実を無視した妥当性のない錯誤したことを指摘してしまう、困った問題性を抱えた人物が書いたものを、そのまま記事にして放置することで、結果的に誤情報を流布する状態になっています。研究結果を書籍にして出版したり、学会などに報告することと、それが本当に正しいかどうかを判定することは、まったく別の問題です。もちろん、このような事実に反する錯誤した研究報告の内容を、そのまま日本史学会が認めることなどありえないわけですが、「このことを根拠として、学会が偽書と断定し、それが確定している」という、とんでもないありえないストーリーを、書き手が自分勝手にでっち上げて作文しているようです。

その他にも、さまざまな視点を踏まえて、文献対象を解説する必要があるにもかかわらず、怠っているため、客観的に見ると、全体としていかにも話がおかしい見苦しい記事が生まれる状況を招いているようです。生前業績があった人物を讃えて祀るのが日本の神社の慣わしなので、天照大神についても、生きていた時代があったといちおう考えるべきですが、ホツマツタヱが伝承しているアマテルカミの時代に本当は何があったのか、日本史学界の研究者の誰一人として、正確なことを知りえない状況にあるにもかかわらず、ホツマツタヱの伝承内容までもが、全て学会で誤ったものと確定されていると受け取られかねないような、読者に誤った認識を植え付ける錯覚を生む書き方をするのは非常識であり、インターネットを通じて、事実誤認を招く情報=誤情報を流布するに等しい問題性のある行為は慎むべきです。このような錯誤を生む原因は、この記事が「ホツマツタヱ偽書と断じる」ただ一つの視点からのみ書かれた、著しく偏った内容になっているからです。もちろんこれは異常な記事です。

神代の世界の伝承を記した文献は、文化人類学など、民族の伝承文化を研究する視点からも研究対象になってきました。にもかかわらず、そのような視点から文献の内容を研究する視点を見落として、切り捨てた記事を書いてしまっているため、有識者から、非常識なあまりにも偏った記事という指摘を受ける破目に陥っているようです。もちろん、神社の祀神に関する伝承や、神社の由来を書き記した古文書という視点からの記述が必要不可欠です。現在の非常識な書き方では、民族の伝承文化などを研究している方面の、多くの研究者が迷惑しています。もちろん、人の迷惑になる問題性のある誤った行為は慎むべきです。

この記事の現在の記述と現実は大きく異なります。ヲシテという文字が他の江戸時代に乱造された偽神代文字と違って、非常に豊富な内容を伝える伝承の記述に使われているため、古代の日本人の心を知る手がかりを得ようと歴史の専門家達が繰り返し研究を試みてきたこと、大学で何度も繰り返し講義が行われてきたこともまた事実です。にもかかわらず、「熱心なアマチュア研究者」という、明らかに事実に反する言葉を記事内で用いることによって、実質的に読者の認識を惑わす、誤情報の流布行為になっている点も問題性がありすぎます。大学で講義を行う職に就いている人々を、アマチュア研究者とは誰もみなしません。このような事実に反する虚偽を次々と平然と書いて、誤った自分の認識を流布してしまう悪癖を持つ著者が、非常識で問題性があることは、残念ながら記事を読めば自ずと分かる疑いようもない致命的な事実でしょう。非常識な問題性を抱えた異常な欠陥記事を、何の違和感も抱かずに書き連ねて、誤情報を流布して多くの人々に迷惑をかけてしまう人物と、そのような異常な記事を妥当性があるものとして擁護する者達のアクセスを禁止し、妥当性を供えた記事へと有識者の手で修正すべきだと思います。

日本語版ウィキペディアには、良識をそなえていない人物が集まって、非行グループを形成して居座って、記事の編集を仕切ることによって、誤情報を含んだ記事を大量に作ってばら撒く深刻な迷惑行為を働いているので、子供達の学習を妨げる有害サイトに指定すべきだという認識が、残念ながら教育関係者の間で広まりつつあるようです。このような致命的な認識を払拭し、事態を好転させるためにも、必要な措置と考えます。----203.168.86.105 2007年7月2日 (月) 07:51 (UTC)

Clinamenによる編集について

まぁ黙っておこうかと思いましたが、やはりちょっと酷い編集なので反論だけしておきます。

>古い時代なので研究者が少ないという趣旨の文章削除。不要。

不要とされる根拠をお示しください。

>真書ならば云々をばっさり削除。

これは、Wikipediaは真実を書くべきであるとのお立場お立ちなのではないかと推察いたします。 Wikipediaは百科事典であって、公開された根拠に基づくことであれば、内容が一見疑似科学的であっても掲載しうると考えておりますが。 文学作品やマンガ・アニメの内容でも、Wikipediaの項目になっております。 真書であると主張している人がおるのは事実でして、また記載されていたことは、公開された書物に書かれたことをまとめたに過ぎません。

>とくに立憲君主制だっただのというのは、論外。文献学的にどういう結論が出ようがそんなことと無関係に、ありえない。

ありえないとされる根拠をお示しください。 ヲシテ文献の中に、後世のいわば五箇条のご誓文に相当する、英国でいうならマグナカルタに相当するような趣旨のものが見受けられるのでして、当時の権力者が自らの権力を縛る法をつくっておられる以上、立憲主義といわざるをえないのですね。

>そこまで少数派に譲歩するのは逆にwikipediaの信頼性について疑問を持たせる。アポロは月には行ってない説を大真面目に検討に値する議論として扱うようなもの。その他こまごまとした点。

これについては上述いたしました。

>総括的に言って、以前よりは中立的になったのかもしれないが、それでも、まだ特殊な意見よりになっていると感じる。

それはあなたの主観ですね。 公開されているヲシテ文献の研究書くらいお読みになった上でのご意見でしょうか。

>分量的にも、内容的にも、偽書であるという学会の認識を主とし、本当であるという立場についての記述は従であるべき。

内容的にというのは賛同いたしますが、分量的にそうでなければならないという根拠をお示しください。

以上、よろしくお願いいたします。 --うまやど 2007年7月2日 (月) 11:41 (UTC)

真実に基づくべき、ということではなく、現在の学問的通説に従うべき、ということです。もちろん、通説と異なる言説も、そのような言説が、或る程度流布しているということは、それ自体として、記述すべきことです。しかし、それは、そう主張するひとがいる、という書き方であるべきで、そうである、は勿論、そうである可能性が高い、というような書き方はしてはいけません。

関連する点ですが、異説はwikipediaの前に世間と学会を説得すべきなのです。その性質上、一歩だけ、事典は保守的である必要があります。なぜならば、事典編集者は、一般的にいって専門家ではないからです。したがって、事典編集者は、「それが事実であるかどうか」を争うのではなく、「それが社会的に通説として事実とされているかどうか」を争います。この点においてならば、非専門家でも客観的に判断可能だからです。非専門家である事典編集者が、「それが事実であるかどうか」を争い始めたら、或る一点を越えれば、水掛け論になるほかありません。

いいかえれば、たとえば、wikipediaが天動説の時代に存在したら、たとえすでに異端説として地動説が存在したとしても、天動説を正として記述すべきだった、ということをいっているわけです。そして、これも重要なことですが、地動説に対して、同情的であるべきでも、ない、ということです。このへんは、単にwikipediaの原則を述べたにすぎませんが。そもそも、書き手も読み手も、wikipediaにたいして、「今は不遇ないずれ明らかになる真実」などを求めるべきではありません。もし、そのようなものを似たような形態で記述するのであれば、それは、何らかの形で、専門性を帯びた人々が編集者たるべきでしょう。実際、そういうwikipediaの分派はたくさんあります。

で、以前の版は、たしかに、概ね、異端説は、「紹介」というスタンスにはなってはいました。しかし、はしばしに今後この異端説が主流になるだろう、という口吻が強く見られました。実際、現在の版は、情報としてはそう落としていないはずです。単純に、肩入れしている部分を削って、なぜ偽書とされているかをはっきりさせるために冒頭に出しただけです。

何でしたら、以前のような肩入れ的な言説を復帰させても構いません。ただし、その場合、必ず、「真書説を主張する人々は・・・・・・のように主張している」という意味の文章をいちいち付けることを要請します。そして、偽書説は、現在、説というような対等の立場にない通説なのだから,同様の記述を付加するべきではない、ということも強調しておきます。

つぎです。立憲主義。ホツマツタエが(以下、面倒なのでエで)事実ならば、という前提を置くなら、そうでしょう。言葉のきちんとした意味で立憲主義(できればせっかくですからリンク先を読んでいただきたいですが)だといえるかどうかは多いに疑念を持っていますが(法の支配か君主対国民という図式は少なくとも前提でしょう)、まあ、記述を事実だといったんみとめたとしたら、なんでもありうるでしょう。ですから、私は、そのようなことがあったのならば、文化史・思想史の既存の成果と大きく衝突する。権力が、個人や神や血統に属するものではなく、政府や国家に属するものであるという観念ですら、それほど遡れるものではありません。そして、社会史や文化史は、一定の観念の発達は、社会の技術的・経済的な発展を前提にする、ということを明らかにしてきました。一定の思想は、一定のそれ以前の思想の積み重ねと、一定の技術的・経済的背景を必要とするのです。思想の変遷は途中を飛ばすことは出来ないし、技術レベルや、経済レベルを飛び越すことも出来ないのです。ですから、有り得ない,と述べました。歴史は飛躍しないのです。

つぎ。古い時代なので・・・云々。だから現在の通説は信頼できないという暗黙の主張を含むとしか解釈できないが、そういう直接でないメタレベルでの批判は、検証可能ではなく、また大いに疑わしいから,不要、ということです。特定分野の研究者が少なかろうと、そこで行われている、学問としての選別基準は、他分野や、過去の蓄積を前提としたものです。それによって、信頼性が薄らぐ、ということはありえません。たしかに、一次資料自体が捏造であったりするような場合は、学の側からの検証には限界がありますが、ホツマツタエと対立するような学会の通説は、別に、数少ない資料を証拠として成立しているわけではありません。

と、まあ、質されたので書いてはみましたが、趣意は、むしろ、このようにここで非専門家同士が、事実性そのものを争うべきではない。基準は、端的に、学問的・世間的にどうか、という話であるべきで、私達をここで説得されても困る。私たちが仮りにホツマツタエが真書であると説得されたとしても、依然として、それが通説でない限り、いまのようなかきかたをすべき、ということです。なお、このポリシーは、私の主観ではなく、残念ながらあまり浸透していませんが、wikipediaの公的方針です。

Wikipedia:独自研究は載せない

--Clinamen 2007年7月2日 (月) 14:59 (UTC)

ちゃんと読んでくださいね。Wikipedia:独自研究は載せないにおける独自研究とは、
  信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。
なんですね。Clinamenのお書きになっているのでは、この理解自体が独自研究になってしまっています。
ホツマツタヱの項目に掲載してあった情報は、信頼できる媒体において発表されたものの中で、一般に検証可能なものに限定してあるんですよ。ここでいう「信頼できる媒体」とは、一般書籍のことです。学会がない以上、これが限界でしょう。--うまやど 2007年7月2日 (月) 23:47 (UTC)
横槍失礼します。根本的に勘違いされているようですが、ウィキペディアに於いて書かれるべき項目は『情報が「信頼できる媒体において発表されたもの」』ではなくて、その論自体が「信頼できる媒体において発表されたもの」です。ですのでこの項目のことを書きたいならば、どこかの学会などの信頼できる媒体でこの内容を発表した後にウィキペディアにそれを投稿してくださいということです。らりた 2007年9月8日 (土) 12:19 (UTC)
おっしゃる意味が理解できませんが・・・。『その論自体が「信頼できる媒体において発表されたもの」』との根拠を示してして下さい。あなたの論法に従えば、学会発表に根拠をもたない一切の言説は、Wikipediaに掲載できないとのことと理解することになります。それから、「どこかの学会などの信頼できる媒体」とは具体的に何なのかお示しください。--うまやど 2007年9月9日 (日) 14:15 (UTC)
根拠はWikipedia:独自研究は載せないに載っています。
>つまり、ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体において、その記事の主題に関連する形で、既に発表されていなければなりません。
>学会発表に根拠をもたない一切の言説は、Wikipediaに掲載できないとのことと理解することになります。
上記でほぼ間違いはありませんが、学会に限る必要はありません。例えば新聞・書籍でも構いません。つまりは単に「○○は××である」という記述ではダメで、「○○は××である(誰々『本の名前」)」という書き方をしてくださいということです。
この項目であれば、「真書であれば、日本の正史を再確認できるだけでなく、日本が当初から立憲君主国であったこと・・・」云々を主張している学者の名前とその発表した場とを出典として挙げた上で書いてください。ということです。
??? Wikipedia:独自研究は載せないは私が上記で引用したものです。 学会発表でなくて、書籍でいいということでしょ。この項目に上げてあるものは、全て書籍に根拠のあるものでして「この項目に掲載する情報」に上げてあるとおりです。「真書であれば、・・・」については、参考図書読んでください。書いてありますから。--うまやど 2007年9月10日 (月) 16:14 (UTC)
おおざっぱにいえば、「と、主張している人がいる」という書き方なら一般書籍でもOK(事実の報告)、「である」のように、その主張が真であるという立場(主張)で書くのであれば、信頼できる媒体、つまり学問的なハードル、たとえば審査のある学術誌である必要がある、ということです。「人類は月に行っていないと主張する人々がいる」と書くのは、一般書籍を参照するだけでもいいが、「人類は月に行っていないとも考えられる」と書くためには、その説が何らかの信頼できる媒体において、学問的な掲載のためのハードルをクリアして発表された、という事実が必要です。そもそも、後者の場合において、一般書だけを基準にしていたら、この基準が排除しようとして独自研究の排除のためには役に立たないでしょう。一般書籍は、その掲載の基準として、学問的なハードルを用いるわけではないのですから。極端な話、編集者がその説を明らかに真実だと考えていなくても、書籍は発行されえます。あなたはWikipedia:独自研究は載せない、とWikipedia:検証可能性を混同しています。「人類は月に行っていないと主張する人々がいる」という事実を検証するためには、そのような書籍があることを示せばたります。しかし、「人類は月に行っていない」という事実を検証するためには、それでは足りません。明確に両者は検証のための条件が異なります。そして、後者の事実そのものを検証するのは学問の領域に入ってしまうために、信頼できる媒体の学問的な発表ハードルをもってそれに代えましょう、ということです。 --Clinamen 2007年9月11日 (火)00:39 (UTC)
 引用もしておきましょう。Wikipedia:独自研究は載せないの以下の文章からみても、単に書籍として発行されただけでは、そのような意見があるという根拠にはできても、その意見自体の根拠にはできないことはあきらかです。「著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌」というゆるいほうの基準でも、書籍が入っていないのは、著者が個人名義の書籍の場合は、著者にのみ文責が生じ、編集部は一般にその主張に文責を負うとは考えられていないからです。(もちろん出版した責任は負うでしょうが)

「信頼できる」という語に明確な定義はありませんが、大部分の人は直感的に判断できます。一般的に、最も信頼できる資料は、査読制度のある定期刊行物、大学の出版部によって出版されている書籍や学術誌、主流の新聞、著名な出版社によって出版されている雑誌や学術誌です。常識的な判断として、事実の確認、法的問題の確認、文章の推敲などに多くの人が関わっていればいるほど、公表された内容は信頼できます。自己出版されたものは、紙媒体であれオンラインのものであれ、一般的には信頼できるとはみなされません。ただし例外についてWikipedia:検証可能性を参照してください。

非学術的な分野に関しては、「評判のいい」を明確に定義するのは不可能ですが、一般に私たちの多くは、この言葉の意味について常識としての感覚を持っています。急進的な政治・宗教団体が自ら刊行している雑誌や新聞はたいがい「評判のいいもの」とは見なされません。例えば「ブッシュ大統領はゲイである」という言明を掲載するのに、アメリカ合衆国の社会主義労働者党の機関誌The Militantでの掲載にのみウィキペディアが依拠することはありえません。しかし、同じ言明がニューヨーク・タイムズで報道されたのであれば、ウィキペディアはその記事(およびその記事が引用している情報源)を参照することができます。ただ、急進的な政党の機関紙は、その政党自身に関する資料としては、使用することができます。以上引用終わり。--Clinamen 2007年9月11日 (火) 03:38 (UTC)

Wikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかにあるも合わせて参照願います。学界に於ける主流と(検証可能だからといって)少数派とを同列に扱うのは不可です。少数派はあくまで少数派であると明記した上で記述してください。らりた 2007年9月11日 (火) 11:37 (UTC)

復帰可能な記述

2009年1月31日 (土) 23:10版の内、再投稿可能な部分につき、お考えをお聞かせください。原則としては次の4つを立ててはどうかと思います。

  1. 記述をグループ化し、グループ単位で再投稿する
  2. 再投稿するのは、過去にそのグループを主として投稿した人
  3. 他人の編集であっても、著作性の低い編集については、残す(削除しない)
  4. 他の著作からの引用については、法的に問題のない量のものは、残す

--うまやど 2009年3月10日 (火) 01:27 (UTC)

  • (コメント)1・2についてですが、その記述に行き着くまでに(著作性のある)編集をされた方に無断で勝手に再投稿するということでなければ再投稿しても問題ないと考えます。3・4についてはそれで問題ないでしょう。--新幹線 2009年3月10日 (火) 06:33 (UTC)

上記の原則に基づいて、復帰可能な部分について提案します。 現在の節の構成や節タイトルはそのままとする。 その上で、現在の構成を次の部分に分割して括弧で示した人が再投稿する。

  1. 概説部分 (うまやど)
  2. この項目に掲載する情報 (うまやど)
  3. 神代文字捏造ブームと偽書疑惑は、4分割
    1. 江戸時代 ~ 向けられている。
    2. 以下に述べる ~ 定着している。(Clinamen)
    3. 古筆研究家 ~ 痕跡はない。(うまやど)
    4. ホツマツタヱ ~ 出されている。(Law soma)
  4. ホツマツタヱの再発見(ママ)
  5. ホツマツタヱの概要(うまやど)
    1. ホツマツタヱの意味 ~ ホツマツタヱの文字と類似文献(うまやど)
    2. ホツマツタヱの内容は2分割
      1. 『ホツマツタヱ』は ~ 叙述されている。(うまやど)
      2. 記紀よりも ~ 推測するものもいる。(後述1)
  6. ホツマツタヱの成立と継承(後述2)
    1. 写本発見までの経緯と公開されている写本
      1. どのような経路 ~ 奉納したという。(Izayohi)
      2. 1874年に、小笠原通當 ~ 出版されている。(後述3)
    2. 和仁估容聡と小笠原通當について(Izayohi)
    3. 完本として公開されている写本(うまやど)
    4. 写本が近世まで秘匿された理由の推測(うまやど)
    5. 再発見と現代研究(後述4)
  7. 目録 ~ 「ノート」で一部疑問を呈されているソース(うまやど)

括弧内に記した名前は、各ブロックの中心的な著作者で、その人が再投稿する限り著作権上の問題を生じないと考えられる人物です。(うまやど)とした部分には、データのみで著作性が低い部分も含まれます。 但し、(後述1)~(後述4)については、注意が必要だと思われます。

  • 後述1: 今回問題視されている投稿を行った人物と同一人物によると思われる投稿です。問題を生じないように大幅に変更して投稿し直す。
  • 後述2: 今回問題視されている投稿を行った人物と同一人物によると思われる投稿が元になっています。しかし、ホツマツタヱの奉呈文のまとめなので、誰が書いてもこのような文になると思われます。
  • 後述3: 今回問題視されている投稿を行った人物と同一人物によると思われる投稿です。問題を生じないように大幅に変更して投稿し直す。
  • 後述4: 別のIPアドレスからの投稿です。この部分は空白とし、改めて投稿していただけばよいと思われます。

このような方針でいかがでしょうか。--うまやど 2009年3月14日 (土) 14:14 (UTC)以上Wikipedia:削除依頼/ホツマツタヱ2009年3月14日 (土) 14:14(UTC)より転記。--タールマン 2009年3月24日 (火) 15:46 (UTC)

記述の復帰

特定版の削除を経て、上記の方針に基づいて復帰可能な記述を復帰し、「ホツマツタヱの内容」「写本発見までの経緯」については、新たに書き起こしました。--うまやど 2009年4月5日 (日) 12:39 (UTC)